どういうことだよ
「…………セーラさん?」
俺の震えた呼び声に、彼女の返事はない。いや、分かってはいたんだ。呼びかけてももう手遅れなんてことは。しかし、俺の脳がこの状況は幻に違いないと何度も俺の身体に信号を出して、その都度、俺の知覚神経は無慈悲にも狂いはないと言って返事をよこすのだ。
「うわああああああああッッ!!!!!」
地下室から長い階段を伝い、俺の叫び声はクラインたちのいるところまで聞こえていたらしく、異常を感じとった3人は慌てて階段を降りてきた。
「セ、セーラさん……!!なんてことだ…うぐっ…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!セ゛ー゛ラ゛さ゛あ゛あ゛ん゛!!!!」
クラインはセーラのもとへ駆け寄ると、四肢の外れた彼女の胴を抱え上げ、抱きしめた。クラインがどれだけ声をかけても、それに応える言葉は彼女からは聞こえなかった。
俺はつい今まで会話をしていた人が、魂の抜けたただの物質に成り果てている現実にただただ恐怖した。夜の街の闇は、見た目以上に深く、惨たらしいものだと実感せざるを得なかった。
また、壁にはセーラさんの血で描かれたであろう、刺々しい吸血鬼の翼のマークがこれ見よがしに滴っていた。誰の、何の組織の犯行なのか、一目瞭然な仕立てだ。
「……信仰派のヤツらに…すでに俺たちの居場所は割れていたのか……ぅ…俺が、コテージから出なければ………あ…っ…ああ…」
ダウンもその惨状を目の前にして、膝から崩れ落ちた。平生の口振りも見る影がない。
「また信仰派だ……野郎…まただ!!僕らはまたあいつらに大切な仲間を奪われるのかっ…!?許さねえ…………許さねえッ!!!!」
クラインは涙を流し、歯を思い切り噛み締めながら、彼女の身体を強く抱きしめた。
俺はその光景を唖然として眺めているばかりだ。出会ってから間もない、仲間と呼ぶには共に過ごした時間の少なすぎる人の死でもこんなに十分すぎるほどの衝撃を与えるのか。
呆気に取られていると、空中に漂う奇妙な球状の何かがこちらへ近づいて来ているのに気づいた。それは透明で、まるで水面から飛び出た水滴のように澄み渡っている。
「そいつは………セーラさんの魔法だ!!」
ダウンもその存在に気づいたらしく、声を上げた。
その球体は俺の手の中に収まるような軌道を描き、俺がそれを包み込むように手で触れると、それは水を跳ねながら割れた。中には何か本のようなものが入っていたらしく、自然と俺の手の中へ収まるような形で落ちてきた。
「これは……セーラさんの手稿か…?水の膜に包まれてたのに、全然濡れてねえ……」
セーラさんが今際の際にクラインたちへ託したと思われるその手稿は軽いはずなのにとても重く、俺はほぼ無意識のうちに、それを開いていた。
「私の身に何かあったときのために、この地下で研究したことを書き留めておく。また、この手稿に書いてあることは一切、嘘偽りのないことをここで明言する…」
そこには、以前会ったときの彼女とは似ても似つかない、落ち着いた文体の文章が書いてあった。俺はなすがままに、書いてある文字を一言一句正確に読んでいく。
「連日、このコテージから遠隔感知魔法で、例の古城を調べていた。そこで奇妙な事実が発覚した。時折、人間の生体感知は出来るものの、それ以外の生命体を古城で感知することは一度も出来なかった。来る日も来る日も来る日も、遠隔感知で得られるのは同じ結果だった」
俺にはセーラさんが何を言いたいのか、分からなかった。たまに古城で感知される人間の気配は、伯爵に差し出された生きたままの生贄、また唯一古城に入ることが許されているあの司教、あるいは不運な迷い人、と大体の憶測はつく。しかし、問題なのはその次だ。人間以外の生命体が感知できない…?なぜだ、伯爵は人間ではない、吸血鬼のはずだ。なぜその生命を感知できない?
「伯爵は私の感知魔法を凌駕するチカラでその存在を消しているのか、私の魔法に不完全な部分があるのか、伯爵は生命体を超越した何か別のモノなのか、原因は分からない。しかし、試行を重ねるにつれ、私の中にある一つの考えがよぎるようになった」
「伯爵は本当に『存在』するのか?」
その場の全員が息を飲んだ。時が止まったかのような静寂に地下室は包まれた。
「このことを直接クラインたちに伝えなかったのは、伯爵の存在を否定することは、クラインたちの、我々革命派の目的を否定することに他ならないからだ。しかし、私は革命派の一員としてこのことを事実として報告する義務があると感じた。よって、この手稿にこれを記すーー」
その後にも続く文章を読もうとページをめくろうとした瞬間、今まで口を噤んだままだったティーチが切り出した。
「シーク、読むのを止めろ。だだでさえ、クラインたちは共に歩んできた仲間を失っているのに、これ以上彼らの思考をかき乱すような情報を与えるな」
俺はいつにもなく、素直に頷き、ティーチの制止に応じた。手稿を閉じようとした瞬間、
「う………あ……」ガサッ
俺の手から手稿は落ちていた。それに続くように俺の意識も飛びかけ、俺は前傾で床に倒れ込んだ。視界が朦朧として、モザイクがかかったかのような世界が広がる。
「大丈夫か!?シーク!!……っう…なんだこれ………!!頭が……ッ!!」
ティーチとダウンが呼びかけるも、俺にそれに応答できるだけの余裕はなかった。
「あぁ……あ………ぁ……」
クラインもセーラさんを抱えながら床に倒れ込んだ。俺の遠のいていく意識の中、ティーチとダウンの呼びかける声の他、やはりあの司教の金属音が脳の中で妙にこだましていた。
◆
革命派コテージ、地上一階の書斎にて。
「飛んで火に入る夏の虫とはこのことよ。ヤツら、きっと今ごろ地下に充満させた毒ガスで中毒症状を起こしてもがいているぞ……私の職業『炭鉱夫』の前では、いかなる者も無力……まあ伯爵様と司教様を除いてだがな…」
白い布を深々と頭に被った男がもう一人の同じような恰好の男に話しかける。
「クソの革命派の連中のもがき苦しむ声が聞こえないのが少々気に食わないがまあいいだろう。堅実さもときには大切だからな…………そういえば、このマスクをしてりゃ、本当に俺は安全なんだろうな」
「大丈夫だ、安心したまえ。先にも言ったが、特殊な加工を施している。私のガスで多少ふらっとはするかもはしれないが、気を失うまではない。普段と何ら変わりない振る舞いで結構だ」
男は了解したと言わんばかりに、胸の前で十字を切った。
「念のために本棚が内側から開かないように細工しておいたのは気負いすぎだったようだな。中から暴れる音一つも聞こえねェ」
「それも堅実ささ。もうあと少しばかり待てばいいだろう。そうしたら、この本棚を動かして、地下室で全員気絶してぶっ倒れているところを、君の職業で一人残らず粉微塵にしてくれたまえ」
「了解」
ドガァッッ!!
男たちの目の前に巨大な斧が現れた。地下へと繋がる本棚の中から斧が飛び出しているようだ。斧は進行方向を変えると、本棚を内側から一刀両断する形で粉々にぶち破った。本棚の木屑と本の紙屑が呆然と立ち尽くす二人の男にパラパラと降りかかる。
「なにッ!!?なんだと!!?」
覆い隠す本棚が無くなり、吹きさらしになった地下への階段からはそれを登る足音が響く。
「アンタらか……俺たちの仲間を惨殺した、魂から何まで腐り切った吸血鬼の肉奴隷どもは……ッ」
「お前ら、生きて帰れると思うなよ……★」
引きちぎった服の布を口元に巻いたティーチとダウンが本棚の中から姿を現した。




