第九話 大英雄の力
白煙が止む。
ローウェンの正面に、レノが現れる。
「けっ。わざわざ煙の中に居座ってやがったのか。今の隙に逃げりゃよかったのに――」
ローウェンはレノに違和感を抱き、目を擦った。
「は……?」
何度目を擦っても、違和感を拭えない。
(ど、どういうことだ? 目の前にいるはずなのに、レノに……焦点が合わない……!)
レノを視界の中心に持ってこれない。
目の前にいるはずのレノを、ちゃんと認識できない。常にレノがブレて見える。水面に映る人影のように、レノの姿が揺れている。
「……あなた如き、隠れるまでもない」
レノが呟くと、レノの姿が消えた。
次の瞬間、ローウェンは転倒していた。
「!!?」
叫び声を上げる暇すらなかった。
仰向けに倒されたローウェンは恐る恐る自分の体を見る。
両腕が変な方向に曲がっている。
足がズタズタに壊されている。
いつの間にか、満身創痍になっている。
「い――でええええええええええええ!!?」
遅れて激痛が全身に走る。
(なんだ!? 魔術か!? いや違う! 今のはそういう類じゃねぇ!!!)
そう、今のは魔術ではない。暗殺術だ。
「体を小刻みに揺らし、相手の視線を攪乱させ眩暈を誘発させる歩法“乱歩”。心拍数を上げ身体能力を高める呼吸法“火声”。どう? 真正面から不意打ちをされた気分は? 最悪でしょう?」
“乱歩”は独特の足運びで相手の目から脳を揺さぶり、意図的に一瞬の眩暈を与える技。その一瞬の眩暈の間に、“火声”で強化した身体能力でローウェンの背後に回る。後は簡単、蹴りで相手の両足を砕き、肘を突いて腕を折り、地面に投げつけたのだ。
レノは非力だ。こんな一瞬の間でローウェンを倒せるほどの身体能力は本来ない。だが、いまレノを操縦している人物は呼吸法と人体の弱点をつくことでこれをカバーしたのだ。
「お、俺が……この俺が、真っ向勝負でテメェのような能無しに負けるなんて……!」
「勝負? 違うわ。これは……調教よ」
レノ――否、レノに憑依したセトはローウェンの頭を踏みつけようと足を上げる。
「ま、待て。待て待て! 勝負はついたろ!!?」
「聞こえなかった? これは調教。二度と女に逆らえないようにしてあげる」
セトは思い切りローウェンの頭を踏みつぶした。ゴォン! と轟音が鳴り、ローウェンの意識は一瞬で刈り取られる。
レノは驚いていた。自身の体で、ローウェンを圧倒したセトに。
『僕の体で、あのローウェン教官を正面から倒すなんて……!』
「こんな男、幼子の体でも倒せるわ」
信じていなかったわけではない。だが改めて認識した。
この少女は、自分より背の低いこの女の子は、あの大英雄セトなのだと。
憑依が解け、体の主導権がレノに戻る。
「うぐっ!?」
レノは体の節々に痛みを感じ、表情を歪める。
『ごめんなさい。ちょっと憑依の時間がオーバーしたわね』
「いえ、これぐらいなら全然です……」
レノは倒れ込んだローウェンを見下ろす。
『どうするこの男。――処す?』
「処しません!! 放っておきましょう。これだけやれば懲りるでしょう」
『そう。甘いわね。私なら最低でも背骨は折っていくわ』
「セトさんは厳しすぎます……」
レノは痛む体を動かし、その場を離れた。
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「はぁ……はぁ……はぁ……!」
レノは雑貨屋の影に座り、息を整える。
セトは立った状態でレノを心配そうに見ている。
「ふぅ」
『大丈夫そう?』
「はい! モーマンタイです!」
レノはセトを見上げ、
「では、聞かせてもらいますよ」
『? なにを?』
「セトさんの未練です! 僕の願いが叶ったらセトさんの未練を晴らすという約束でしたからね。僕の願い、ローウェン教官から一本取るという願いは叶いました。なので、次はセトさんの未練の番です!」
『……! そうだったわね、そういう約束だったわね……』
セトは顔をみるみる赤くさせる。
「どんな願いだろうと叶える所存です! さ! なんなりとお申し付けください!」
『……』
セトは唇を噛み、ぎゅっと拳を握って覚悟を決める。
『私は……ずっと一人ぼっちだった』
セトは暗い声色で言う。
『私は戦争で親を失った孤児で、餓死する寸前だったところを一人の男に救われた。男は一流のアサシンで、私にあらゆる暗殺術を叩き込み、多くの暗殺の依頼を受けさせた。あの男にとって私は金稼ぎの道具で、結局、私はどこまでいっても孤独だった……男が老衰で死んで、なにもすることのなくなった私は、打倒焔王を目指して旅を始めた。みんなを困らせている焔王を倒せば、人気者になれると思ったから……』
レノは驚いた。
「せ、セトさんは人気者になりたかったのですか?」
セトのキャラらしくない発言だ。
セトは声を荒げる。
『人気者になりたいんじゃない!! 私は……』
セトは感情的に言葉を紡ぐ。
『友達が……っ! 欲しかったの! ずっと! ただそれだけなの! 焔王を倒した理由はただそれだけ! 私の未練もそれ!』
レノはさらに驚いた。
「へ……? 友達が欲しくて、あの焔王を倒したのですか!?」
『そうよ! なにか悪い!? 文句あるの!?』
「い、いえ! 断じてそんなことはありません!」
そう、彼女はただ友達が欲しかった。
ただそれだけの理由で世界を救い、ただそれだけの理由で500年もの間この世を彷徨ったのだ。
『でも焔王を倒しても、男尊女卑だった〈バサラ王国〉は私という女の英雄を認めず、男のセトを作り上げて祀り上げた。私のような日陰者じゃ当然弁解できず、泣き寝入りするしかなかった……焔王を倒したのに、私はセトを名乗る馬鹿にしかなれなかった……人気者になれなかった……孤独だった……私はただ……ただ友達が……』
レノは立ち上がり、そっと――セトに抱き着く。
触れることはできない。それでも、包むように、霊体を抱いた。
『レノ……』
「無駄じゃなかったですよ。セトさんが焔王を倒したことは……セトさんの人生は。セトさんが焔王を倒したおかげで世界は救われ、そして僕は生まれた。セトさんが焔王を倒したおかげで、僕たちは出会うことができた」
『なにが、言いたいの……?』
「セトさん。セトさんが焔王を倒し、僕が生まれ、僕たちは出会い、そして友達になれたのです」
セトは瞳から涙を流した。抱き着いているレノにはその涙は見えない。
「セトさん。僕の友達になってくれますよね?」
その言葉を、彼女はどれだけ待ち望んだことだろう。
その一言を聞くために、彼女はどれだけの努力を重ねたのだろう。
英雄なんて肩書はいらなかった。世界なんてどうでもよかった。ただ、その一言を聞くために、彼女は――
『……仕方ないわね。そこまで言うなら、なってあげるわ。友達に……』
上から目線でそう言うが、心の内は、レノに対する感謝で溢れていた。
「ありがとうございます! あ、ところでセトさん、一つ提案があるのですが……」
レノは、追い打ちをかけるようにさらに一歩踏み込む。
「これからは、セトちゃんって呼んでもいいですか?」
『セト……ちゃん!?』
「はい! 友達ならちゃん付けの方が自然かなと。ダメでしょうか?」
セトはレノから離れ、自身の両頬に手を添え、顔を背ける。その顔は今までにないくらい赤く染まっていた。
『だ、ダメ!』
「え!? なぜですか!?」
『だ、だってぇ』
セトは口元を隠し、潤んだ瞳でレノを見る。
『……セトちゃんなんて呼ばれたら、うれしくて……成仏しちゃいそうになる。私は、もっとあなたと一緒にいたい……』
レノのハートにピンク色の衝撃が走る。
(僕の友達、可愛すぎるのでは!?)
こうして、レノにとっても、セトにとっても、初めての友達ができたのであった。
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