第七話 風の声
修行開始から4日目。
セトはレノの疲弊した体を癒すため、今日を休暇日とした。
レノは食料を求め、野生のウサギに背後から忍び寄る。あと少しで捕まえられる、その直前でウサギはレノの気配に気づき、草陰に消えていった。
「みゃ~!? また逃げられた……!」
レノは仕方なく木の実の収集を始めた。
そんなレノの様子をセトは大木の上から眺めていた。
(野生や自然から学ぶものは多い。アサシンの育成の過程で必ずサバイバル訓練をやるのはそのため。野生生物から気配の消し方を、木々から自然の鼓動を、そして、この広大な樹海から己の小ささを学びなさい)
セトの視線の先でレノはまたしても野生動物への不意打ちに失敗する。
「どうしてでしょう……まだ足音がしているのでしょうか……」
セトは『違う』と呟く。
(“霊歩”は完成している。でもそれだけじゃ足りない。足音もなくなり、匂いもこの4日間で自然と同化した。なのになぜ動物に逃げられるか……それは人間の気配の55%を占めるある動作のせい。それに気づかない内はローウェンにもウサギにも不意打ちはできないわ)
それにしても。とセトは汗を一滴垂らす。
『……まさか“霊歩”の習得に3日もかかるとはね。私は1時間程度で習得できたのだけど……しかも4歳の時』
才能は非情である。
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5日目の朝。
『2つ目の技は自分で見つけなさい』
セトは寝起きのレノにそう言い放った。
「えっと、どういう技かとか、そういうヒントもなしですか?」
『ヒントはそうね……昨日、あなたがウサギを捕まえられなかったことがヒントよ。あなたはまだ、気配を完全に消せてない』
「そう……なのですか」
『なぜ気配が残っているのか。よく考えなさい』
レノは川で顔を洗いながら昨日のウサギとの一件を思い返す。
(あの時、足音は消せてたはず。“霊歩”はできていたはずです。なのになぜ、気づかれてしまったのでしょう)
レノは自身の体を嗅ぐ。
(土と草の匂い。匂いで気づかれているわけじゃなさそうです。声はもちろん出してません。鎧も胸当て以外外し、鎧の擦れる音が鳴らないようにしました。なのになぜ……)
レノは大きく深呼吸する。
「……それにしても、やっぱり自然の中は空気が美味しいですね」
そこでレノは今の自身の行動に、僅かな違和感を抱いた。
(なんでしょう? いま、何かが引っかかったような……そう、今、深呼吸した時に……)
レノは閃き、すぐ側の木を見上げる。
「木は、これほど大きいのに気配がない……でも虫は小さくても気配があります。魚も動物も、気配がある。そっか、そういうことですか……! 生きているモノにあって、生きていないモノにないモノ!」
レノはまた深く呼吸する。
(――呼吸! これまで声には気をつけていたものの、呼吸そのものを気にしたことはありませんでした。きっと、人の気配を構築する大きな要素がこの呼吸なのでしょう。呼吸が僕の中で消しきれなかった気配の正体!!)
ならば話は簡単! とレノは笑う。
「呼吸をしなければいいのです!」
レノは目についたウサギの背後に忍び寄る。
足音を消し、呼吸を絶つ。
「ぶはぁ!」
レノは息が持たず、ウサギの背後で大きく息を吐いてしまい逃げられた。
「ダメです! 呼吸をしないと苦しくて“霊歩”に集中できません!」
レノはまだ、集中しなければ“霊歩”を使えない。
集中力を保つためには呼吸を切らすわけにはいかない。呼吸を絶てばどんな人間でもパフォーマンスを落とす。それほど、人間にとって呼吸とは重要な要素なのだ。
呼吸を消さないとならない。しかし呼吸をしなければ集中できない。
『仕方ないわね……』
レノを見かねたセトがレノのもとに舞い降りる。
「セトさん! どうかアドバイスを! お肉が恋しいのです……!」
『今日までずっと木の実生活だものね……わかったわ。木を隠すなら森の中、これがヒントよ』
「木を隠すなら森の中……」
『呼吸を消すことはできない。ならばどうするか』
「呼吸をどこかに隠せばいい!」
『正解』
「どこに隠せばいいのでしょう!?」
『少しは自分で考えなさい』
セトはそう言い残してまた姿を消した。
「木を隠すなら森……ですか」
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レノと離れ、木の上に移動したセト。
『ま、あれだけヒントを上げれば1日で答えに辿り着くでしょう』
そしてなにも進展せず3日が過ぎた。
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8日目の朝。
セトはレノを土の地面の上に正座させていた。
『あなたねぇ……』
「言いたいことはわかります!」
セトがなにを言うよりまずレノは先手を打つ。
「いいですかセトさん、よく聞いてください! 世の中には、とても要領の悪い人間もいるのです! 僕のように!」
『……そのようね。私の認識が甘かったわ』
セトはため息をつき、
『呼吸をなにかの裏に隠す、というのは理解したわね?』
「はい!」
『で、そのなにかがわからないと』
「その通りです」
『最大のヒントを出すわよ。そのなにかは、この世のどこにでもあるモノよ。今もあなたの側にある』
レノは「ふむ……」と考え、目を見開いた。
「もしかして……」
『気づいたようね』
「木、ですね」
『違う。木がトイレの中にあるのを見たことある?』
イライライライラ、という効果音がセトの背後から聞こえる。
(いけません。そろそろ答えを出さないと説教が始まりそうです……!)
木を隠すなら森の中。
呼吸を木とするなら、森は……?
「まさか……」
レノの前髪を、そよ風がさっと撫でる。
「風、ですか?」
セトはニヤリと口元を笑わせる。
『そうよ。風は微弱でも必ずあらゆる場所で流れている。私たち人間は基本、風の流れを乱し呼吸をしている。川にバケツを突っ込んで掬い上げているようなモノよ』
「では、流れに逆らわず……」
『ええ。風の流れを肌で感じ、呼吸を流す。これができれば呼吸を隠せる。この呼吸法を“風声”と呼ぶわ』
「“風声”……そんな高度な技、あと4日以内にマスターできるでしょうか……」
『すでに仕込みはしてある。“霊歩”を覚えるためにあなたに憑依していた時、私は常に“風声”を使っていた。あなたの体に“風声”はすでに染み込んでいる。そしてここ数日、あなたは常に風が豊かな野外で過ごし、風を肌で感じ続けた。そして今、頭で“風声”の仕組みを理解したはず。あなたの体はもう、“風声”を使う準備が整っている』
レノは試しに“風声”をやってみる。
風の流れに自分の呼吸を流す。風の流れを肌で感じるなど、凡夫であるレノには不可能なはず……だった。
だが、レノは一発目で“風声”の手ごたえを感じた。
『……どうやら、“風声”は今日中に覚えられそうね』
(決して、僕に才能があったからいきなり手ごたえを感じたわけじゃない。すごいです……セトさん、この人は、本当にすごい! こんな才能のない僕に、こんな短期間で2つも技を覚えさせるなんて!!)
そして次の日、レノはようやく肉を食べることができたのだった。
“霊歩”と“風声”。二つの技を引っ提げて、ついに期限の日がやってくる。
修行開始から――12日目。
レノは〈スカー〉の街に戻ってきた。
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