蝶好き令息神聖帝国へ行く(前編)①
「……は?今何と?」
「聞こえなかったのか?屋敷に軟禁しているアルベルトを解放してやれと申したのじゃ」
秋も深まり肌寒くなってきた十一月、朝早くから王宮に呼ばれたフランクは謁見室でアデリーナを傍に立たせ玉座に座る女王マルガレーテからハイデマリーとの離婚以来屋敷に軟禁しているアルベルトを解放しろと命じられ困惑していた。
「これから一週間後首脳会談の為ヴェンツェルをヴィルクセン帝国へ派遣する。その際皇太子殿の要望によりアルベルトを同行させる事になったのは知っておろう」
「はい!既に手紙で……」
「その前にアルベルトを解放せよ。帰国後も再び閉じ込めず自由にするのじゃ。これは王命じゃ」
「しかし陛下!アルベルトは次の婚約が決まるまでは屋敷から出さない決まりになっておりまして……ヴィルクセンには行かせますがそのまま自由するのはその……」
フランクは帝国へ行かせる事には同意したが閉じ込めているアルベルトを自由にする事については難色を示した。するとマルガレーテは目を吊り上げ玉座から立ち上がり怒鳴り散らす。
「黙れ!!!王命じゃと申したであろうが!余がやれと申した事は疑問や不満があっても従うのが貴様ら家臣であろう!!!」
(言ってることが完全に独裁者の屁理屈なんだよなぁ……)
マルガレーテの傲慢さ極まる発言にアデリーナは死んだ目をしながら内心で突っ込む。
「ひぃっ!なぜ陛下はそれほどまでにアルベルトの解放に拘るのですか!?陛下に息子の事情は一切関係ない筈では?」
「ぐっ!それはその……」
フランクからの問いにマルガレーテは異性として好きだからと答えられる筈も無く回答する事が出来なかった。
「陛下はアルベルト様を一人のおとk……もごご」
「おっ、面白い奴だからじゃ!あやつの蝶や蛾の話はよく知らぬ余でも聞いていて面白いのじゃ!このままじゃと王宮に呼び出す事が出来ぬし気の毒であろう!」
「はぁ???」
マルガレーテは主人に代わり真実を打ち明けようとしたアデリーナの口を塞いで黙らせ適当な理由を述べてフランクをより困惑させた。
「恐れながらなぜ陛下がバカ息子をお気に召しておられるのか本当に理解出来ませんぞ!あいつは蝶や蛾の採集などという下らない趣味に現を抜かし他の貴族との交流を疎かにする出来損ないです!そのせいで何度婚約に失敗してきた事か!アルベルトを個人的に呼び出すのははお控えなさった方が陛下ご自身の評判の為ですぞ!」
フランクは女王がアルベルトを気に入っているのが本当に理解出来ずアルベルトにあまり関わらないよう忠告した。
「そもそも貴族というのは結婚してこそ一人前!若いのに婚約者の一人もいないような奴は領民の上に立つ資格すらないとさえワシは思っております!あいつは領主を継ぐ立場にありながらその辺の自覚がまるで皆無!第一細身で弱々しくて男らしさが無い所が余計に婚約出来ない原因に……」
「フランク様。その辺になさった方が……」
「アデリーナ殿!ワシの話を遮らないで頂きた……っ!?」
アデリーナの静止を無視してアルベルトへの不満を更に口にしようとして女王の顔を見た瞬間フランクは凍りついた。顔に青筋を浮かべ目を更に吊り上げ今にも怒りが爆発しそうな女王の姿がそこにあったからだ。同時に自身が墓穴を掘った事にも気がついたがもはや手遅れであった。
「貴様ぁ……今のは余が二十歳過ぎても未婚で女らしくないと陰口を叩かれておるのを知った上での発言かぁ!あぁ!?」
「もも申し訳ございません!!!いい今のは単に息子に対する不満でして陛下を侮辱するような意図は……!」
フランクは滝のように冷や汗を流し顔面蒼白になりながら全力で土下座し謝罪する。するとマルガレーテは玉座にドカッと座り足を組んだ。
「フン!本来ならばこの場で首を刎ねてやるところだがアルベルトを解放するのに同意すれば聞かなかった事にしてやる」
「えっ!?いやしかしそれとこれとは話が別……」
「おいアデリーナ!!!余の部屋から剣持ってこぉい!!!」
「すぐにアルベルトを解放しますうううぅぅぅ!!!」
(けんりょくのちからってこえー)
あまりに強引かつ滅茶苦茶な屁理屈で要求を飲ませた主君にアデリーナは内心で恐怖を感じながら突っ込む。こうしてアルベルトは帝国行きを前にして自由の身となったのである。
★★★
「……とまぁ陛下の強引な説得によって君は外に出られるようになった訳じゃがどうじゃね?久々の屋敷の外は」
「最高ですよ!ヨゼフさんにも会えますし蝶や蛾の採集や研究もようやく再開出来るのでとってもありがたいです!でも研究室前は……手入れした方が良いみたいですね」
フランクが呼び出された翌日、久しぶりに研究室のある広場でヴェンツェルと再開したアルベルトは研究室で蝶や蛾の趣味に再び没頭できる事に喜ぶ一方暫く世話出来なかった為雨風や動物に荒らされてしまった畑や花壇の惨状に思わず苦笑いもした。
「まぁ少しずつ直してゆくしかあるまい。ところで来週お前さんはワシとヴィルクセン帝国に行く事になっておる訳じゃがちゃんと準備は出来ておるかね?」
「準備?勿論服や旅行鞄の準備はしていますけど……」
「いや、それもそうじゃがワシが案じておるのは礼儀作法や心構えの準備じゃ。我が国と帝国では宮廷で求められるマナーが微妙に異なる。少しの間違いでも相手を不愉快にさせかねん。君は帝国語は話せるようじゃが帝国社交界のルールまで把握しておるかワシは知らんからの」
「いっ、一応父上から帝国でのマナーを教わりましたよ?」
「それから君は蝶や蛾に夢中になると周囲が見えなくなる悪癖がある。もし皇太子殿が話しておられる最中に蝶を追ったりでもしたら皇太子殿を不愉快にさせてしまうじゃろう。相手は我が国と密接な関係にある同盟国の指導者、女王陛下と接する時以上に気をつけなくてはならんのじゃ。その心構えも忘れるでないぞい」
ヴェンツェルは相当心配しているのか礼儀作法と心構えについて準備しておくよう真剣な表情で警告した。しかし皇太子と友人関係になっているアルベルトはやや楽観的に構えているようだった。
「心配なさらなくてもきっと大丈夫ですよ。ジーク様は僕の事を友人だと思って下さっていますから多少の失敗も多めに見てくださいますよ。まぁ蝶や蛾を追いかけてしまう癖は気をつけますけど……」
「本当に大目に見てくれれば良いが……そのジーク様という呼び方も周囲の者達が聞いたらかなり失礼に感じるかもしれんぞ。ところで君、ワシに見せたい蛾と本があると手紙で言っておったな」
「あっ!そうなんですよ!研究室で詳しく話しますね!」
気安くジーク様と呼ぶ事に更に不安を覚えたヴェンツェルであったがふと軟禁中やり取りしていた手紙の内容を思い出し尋ねる。アルベルトも思い出したように研究室にヴェンツェルを案内し標本箱にある一頭の蛾を指差して見せた。蛾は灰色の表翅に黒い胡椒の粒のような斑点が散りばめられており同じく黒色の細く波打った帯状の模様が三本入っている。
「アルベルト君、この蛾は何という種類かね?シャクガの仲間のようじゃが……」
「これはユーロッパシモフリエダシャクの淡色型です。ボナヴィアでも夏の時期に見られる普通種の蛾ですよ」
「ほぅ珍しい種類では無いんじゃな。それで淡色型というのは?」
「ユーロッパシモフリエダシャクには体色が二種類あるんですよ。それぞれ淡色型と暗化型で暗化型の場合は翅から体まで真っ黒になるんです。この体色は毒や魔力を持たないこの蛾が鳥から身を守る為に役立っていると言われていまして明色型の場合は明るい色の木の幹、暗化型は暗い色の木の幹に溶け込みやすくなっています。それで次にこの本を見て下さい!」
アルベルトは蛾について一通り解説すると標本箱と共に取り出した一冊の本を開くとヴェンツェルにあるページを見せる。
「この本は何じゃね?」
「これはブリトニアの昆虫学者が書いた本なんですけれどブリトニアではユーロッパの他の国に先駆けて工業化した時期からそれまで多かった淡色型の数が減り暗化型の個体が増える奇妙な現象が発生したそうです。その現象はいずれも工場が多い地域に集中していて研究者達はその原因が何なのか今も調査し議論しています。この本では一番有力な説である鳥の捕食圧による自然淘汰説を上げていますね」
「ん?どういう意味じゃ?」
「鳥は食べる昆虫を目で認識します。だから目立つ色をしていると簡単に食べられてしまうんです。工場の数が増えるとそこから排出される煤で周囲の木の幹が汚れ暗い色になります。その幹の上では暗化型の方が淡色型より目立たないんです。だから目立つ淡色型の個体は鳥に沢山食べられてしまい暗化型の個体は生き残ります。そうすると暗化型の方が生き残るのに有利なので暗化型ばかり増える訳です。他にも煤に含まれる物質による体内での生理作用説などもありますが今のところ自然淘汰説が一番有力でガーウィン博士が唱えた生物進化のカギとなるのではないかと注目されています」
「ほぅ!確かに興味深い話じゃ」
「ですよね!この面白い話を共有したくてこの標本と本をお見せしたんですよ!」
ヴェンツェルはうんうんと頷きながら興味津々にアルベルトの説明を聞き開いた本のページを覗き込んだ。
「ボナヴィアはまだ農業中心の国で淡色型が沢山います。でも最近は隣国のヴィルクセン帝国を始め大陸ユーロッパも工業化が進んだ結果暗化型が増えているそうですしボナヴィアでも淡色型が希少になる日が来るかもしれませんね。僕としては自然環境が人間のせいで変わってしまうのは複雑ですが」
「いずれにせよ人間の活動が要因になっておるのは確かなようじゃな。最近我が国の王都にもヴィルクセン帝国鉄道と連結したボナヴィア鉄道の駅が完成した。これから周辺国との往来が増えるにしたがって工場が増え工業化が促進されるであろうから我が国にも暗化型が増えるじゃろうな」
「えっ!?王都に鉄道の駅が完成したんですか!」
アルベルトが王都に鉄道の駅舎が出来たと聞いて驚くとヴェンツェルは呆れた表情と目でアルベルトの顔を見つめた。
「君知らんかったのか……完成したのは三ヶ月前で新聞でも取り上げられておったぞい。そもそもワシらはその鉄道に乗って帝都まで行くんじゃぞ?」
「そっ、そうなんですね!新聞はナナイロマダラの目撃記事以外は読み飛ばして忘れちゃうので……あはは……」
「やはり君を皇太子殿に会わせるのが心配になって来たぞい」
「あはは……すいません」
世間知らずな友人に呆れるヴェンツェルにアルベルトは申し訳なさそうに笑うしかなかった。そうしてあっという間に日は過ぎて帝国へと旅立つ日がやって来た。
「気をつけて行ってこいヴェンツェル。良い成果を期待しておるぞ」
「両国間の課題について皇太子殿と協議し良い結果を報告出来るよう善処致しますぞい」
「閣下!帝国ご滞在中は副宰相であるこの吾輩が職務をしっかり代行致します!」
「閣下ぁ!どうぞお気をつけ下されぇ!!!」
帝国行き当日の早朝、新たに完成した赤レンガと大理石の王都フラウ駅のホームにてヴェンツェルは見送りに来た女王や閣僚と出発前の挨拶を交わす。その様子をアルベルトとアンナは静かに佇み見つめていた。
「こんな偉い人達に見送られているのを見ると改めて僕は凄い人とお友達になっているんだと思い知らされるなぁ」
「お屋敷に来るのが当たり前になり過ぎて忘れていましたけどヨゼフさん宰相なんですよね……」
「本当にね。ていうかアンナもついて来るの?」
「滞在先でのお世話係と荷物持ちですよ。それと旦那様から監視役も任されていますから言葉や振る舞いに気をつけて下さいよ?」
「わっ、わかってるってばぁ……」
アンナにジロリと睨まれながら言われアルベルトはタジタジになる。すると糸目で茶髪の秘書官ヨハンが二人に話しかけた。
「お二人共、もうすぐ閣下が列車にお乗りになります。それに続いて我々も乗りますよ」
「はっはい!あれ?確か前にもお会いしませんでしたか?」
「そう言えばお久しぶりですね。改めまして宰相閣下の秘書官ヨハンです」
「やっぱり!よろしくお願いしますね!」
ヨハンは舞踏会以来久々に会ったアルベルトに改めて自己紹介をした。全員と挨拶を終えたヴェンツェルは手配された貸し切りの客車に乗り込もうとする。
「ではワシはこれで。おーい、出発じゃぞい!」
「「「はい!」」」
ヨハンは大きな旅行鞄を手に先に乗り込んだヴェンツェルに続く。その後ろをアルベルトが乗り込もうとした時マルガレーテが声を掛けた。
「待てアルベルト!そなたの事はヴェンツェルに任せてあるがくれぐれも気をつけるのじゃぞ。無事に帰ってこい。これは王命じゃ」
「えっ……はいっ!行って参ります陛下!」
マルガレーテから見送りの言葉を掛けられたアルベルトは笑顔で返事を返し手を振った。その姿にマルガレーテは満足そうに微笑み頬を染める。閣僚達は女王が下級貴族の青年を気遣う姿に驚くがグスタフとヨハネスは例外で前者は満足げに微笑み後者は苦々しい顔をしていた。またアンナも複雑そうな顔で主人と女王のやり取りを見ていたが女王と目が合いそうになり慌てて顔を背け乗車した。やがて汽車は汽笛を鳴らして煙突から黒い煙を勢いよく出すとゆっくりとホームから走り始めたのであった。
「アルベルトはもう出発した頃か。今から会うのが楽しみだ」
その頃ヴィルクセン帝国の帝都にある宮殿の一室ではボナヴィアの来賓を出迎える為に皇太子ジークリードが準備をしていた。特にアルベルトの到着を心待ちにしており期待でソワソワとしている。
「殿下、あくまでボナヴィア国の宰相閣下との会談が目的ですのでお忘れなきように……」
「分かっているローゼンシュタイン。私が友人との交流に現を抜かし公務を疎かにするような無能だとでも言うのか?」
「ローゼンハイムですって殿下!しかしですね……」
「失礼致します!殿下に至急ご面会したいという方がいらしております!どうなさいますか?」
秘書官ローゼンハイムが不愉快そうに反論した皇太子の名前間違いを指摘した直後、一人の衛兵が部屋の向こうから来客を知らせた。皇太子は一応通せと指示を出し客を室内に入れる。客はベージュのトレンチコートに立派な口髭の紳士でコートと同色の帽子を脱いで会釈をすると名前と要件を話した。
「ガロワ共和国パリス市警のジョルジュ・アレニエールと申します!貴国に国際的な大泥棒快盗パピヨンが入国した可能性がありご忠告に上がりました!」
(お知らせ)
予定より早く仕上がったので投稿しました。題名は変更する可能性があります。
・次回投稿予定:31日




