(番外編)帝都の舞踏会にて②
「……バイヤルン王国国王とマイリンゲン公国大公、グランツ侯国侯爵の挨拶は済ませた。挨拶を済ませていないのは誰だローゼンベルク」
エルンストとの会話を終えた後舞踏会に招いた客人との挨拶に回っていたジークリードは会場の隅で自身の秘書にだるそうに尋ねた。
「ローゼンハイムです殿下。後はブラウンシュヴァルツ公国大公殿下、それとバーデンベルク王国国王陛下と宰相閣下ですね……お疲れのようですが大丈夫ですか?」
「疲れるに決まっているだろう。数多くの出席者と挨拶しなくてはならないのに皇太子妃が居ないのを良い事に出席者の令嬢達がやたらに声を掛けて来る。そういう煩わしい状況を避ける為にグートルーネを傍においているが……全くなぜこんな時に体調不良を……」
ジークリードはタイミングが悪い皇太子妃の体調不良にため息を吐く。その時一人のピンク色の髪をした令嬢が突然目の前で躓き倒れた。
「キャッ!!!」
「ん?」
「痛ったぁ!うぅう……足が痛くて立てませんわぁ」
令嬢は起き上がると足を抱え目を潤ませて悲し気な表情をした。傍にいるジークリードは親切心から令嬢に近づき手を差し伸ばす。
「もし、どこのご令嬢かは存じ上げないが大丈夫だろうか」
「はうっ!?皇太子殿下ぁ!ウフフ♡ありがとう存じますわ」
令嬢は皇太子の物語の王子の如く美しい顔を見た瞬間頬を染めながら差し出された手を取り立ち上がった。その時ジークリードは何かを感じ取り眉に皺を寄せた。
「助けて下さり感謝しておりますわ殿下。私メラニー・フォン・モーアと申しますわぁ♡」
「メラニー?もしやバーデンベルクの宰相令息の婚約者か。噂には聞いている」
「まぁ!私をご存じですの?感激ですわぁ♡あっ、シャンパンを二つ下さる?」
ジークリードが自身の事を知っているのを聞いたメラニーは嬉しそうに微笑みタイミング良く現れた給仕の男からシャンパンの入ったグラスを二つ受け取ると一つをジークリードに手渡した。
「皇太子殿下もお一つどうぞ。お近づきの印ですわ♡ウフフ」
メラニーはそうシャンパンを勧めながら皇太子の目の前で自らのシャンパンをぐいっと飲み干す。しかしジークリードは飲まずにじっとグラスを見つめていた。
「あら、お飲みになりませんの殿下ぁ?まさか毒でも入れてあるかとお疑いで?心配ございませんわ。私今飲みましたけれど変な味もしませんしこの通り元気ですわ!」
「……いや、毒の心配はしていない。心配しているのは……お前がこれに媚薬を仕込んだ可能性だ」
「……へ?」
予想だにしない返事にメラニーは固まった。ジークリードは怒りを孕んだ表情でメラニーを睨みつける。
「お前が体につけている香水は男を魅了する催淫薬を入れた香りだな。花街で娼婦共が使っているものだと聞く。私は以前それをつけた女に誘惑され既成事実を作らされそうになって以来警戒しているのだ。そもそも既に婚約している女がそんな香水をつけているのはどういう事だ」
「あっ、その……」
「それと舞踏会で振る舞うワインは私の方針によって全て国内産ワインと決めている。そのワインも暗殺などに使われぬよう厳重かつ秘密裏に管理している。ガロワのワインであるシャンパンが出る事などあり得ないのだ。そこにいる給仕の男もグルか」
「ひっ!?」
ジークリードが怒りの視線を先ほどシャンパンを配った給仕の男に向けると彼は青ざめ一切を白状した。
「申し訳ありません皇太子殿下!!!私はそこにいるメラニー嬢に皇太子の愛人の座を手に入れる手助けをしろと迫られ媚薬を盛ったシャンパンを提供いたしました!」
「はっ、はぁ!?ちょっとあんた何言ってるのよ!」
男の発言にメラニーは荒い口調で取り乱す。ジークリードは自身のシャンパンをローゼンハイムに手渡すと指示を出した
「杜撰な計画だな。媚薬が本当に入っているかは秘書が持っている薬で判別出来る。やれ」
「はい、殿下」
ローゼンハイムは懐から錠剤のようなものを取り出しシャンパンに入れた。すると錠剤は溶け透明のシャンパンは忽ち濃い黄色に変色した。
「こっ、この色はミワクゲンセイという甲虫から作る媚薬です!」
「やはりな。衛兵!この女と給仕の男を捕えろ」
「ちょっと何するのよ!殿下!何かの間違いですわぁ!」
ジークリードの指示でメラニーは衛兵に捕らえられたがそれでもなお無実を主張する。その時少し離れた場所から男の怒号が聞こえて来た。
「おいお前ら!俺の愛するメラニーに何をしているんだ!!!」
声の主は金髪に翠眼の顔が整った青年であった。青年は騒ぎを傍観する他の客の間から出て来てメラニーを掴む衛兵達に突っかかるが即座にジークリードによって肩を掴まれ止められる。
「なっ、何だお前!メラニーが何をしたって言うんだ!彼女は俺の大切な婚約者なんだぞ!肩を放せ!」
「無礼者!!!このお方は皇太子殿下なるぞっ!」
「えっ……!」
ローゼンハイムから注意され青年は冷静にジークリードの顔を見る。そして自身の不敬な言動を思い返し顔からサァーと血の気が引いて行く。そして会場全体に響く声で謝罪した。
「申し訳ございません皇太子殿下!!!」
★★★
「おいおい!今更戻って来たのかよエルンスト!?」
メラニーの企みが暴かれ会場が騒がしくなった頃、ようやくエルンストは待たせていたベドリッヒの元へ戻って来た。
「悪い。少し考え事をしていて遅くなってしまった。それより会場の向こう側が騒がしいが何かあったのか?」
「さあな。俺も気になっていたところだ。少し様子を見に行こうぜ」
エルンストは会場内で起こっている騒ぎが気になりベドリッヒと共に騒ぎの中心へと移動した。そこでは衛兵に拘束され膝を床につけたメラニーと給仕の男、冷や汗を掻き顔面蒼白になりながら跪く青年を冷ややかに見下す皇太子の姿があった。その側にはバーデンベルク国王夫妻であろう中年の男女が青年同様顔面蒼白で震えながら佇んでいる。
「お前はそこにいるメラニーの婚約者か。というとバーデンベルクの宰相令息の……」
「は、はい!エミール・フォン・ライヒェンシュタインでございます!」
青年はこの世の終わりの如く恐怖に震えながら自身がメラニーの婚約者エミールだと名乗る。怯えるエミールにジークリードは淡々と質問を投げかけた。
「今日の舞踏会にはお前の父である侯爵が出席すると聞いていたがどこにいる」
「ちっ、父上は出席直前に落馬して怪我をしてしまいまして父上の秘書をしている私だけで出席する事になりました……」
「侯爵がいない理由は理解した。お前はお前でなぜ婚約者の傍にいなかった」
「舞踏会の途中で腹痛が起こりお手洗いに。実は最近こうした場で腹痛を起こす頻度が増えまして……」
エミールが冷や汗を掻きながら説明をするとジークリードは捕らえている給仕に目を向け更に問いかけた。
「お前会場に来た時あの男から貰ったシャンパンを飲んだか?」
「えっ?そういえばそのような気が……」
「ならば腹痛は婚約者の仕業だ。あの男とお前の婚約者は共謀して私に媚薬を盛ろうとした。ご丁寧に娼婦が使う香水までつけてな。計画にお前が邪魔だから退場させたのだろう。グートルーネの体調不良も恐らく偶然ではないな」
「えっ……!?」
皇太子から告げられた事実に衝撃を受けエミールは目を見開き固まった。メラニーはというとばつの悪そうな顔をしている。
「ライヒェンシュタイン侯爵は王国宰相を務めるだけあり優秀な人物だと聞いていたがその息子はこんな悪女に騙される程出来が悪いとはな。全く失望した」
「おっ、恐れながら殿下!メラニーは悪女ではありません!彼女は清らかで虫も殺せないほど優しく……」
「誰が勝手に口を開く許可を与えた!!!」
「ひぃ!!!もも申し訳ございません!!!」
自身が言った事に勝手に反論したエミールにジークリードは激怒し声を荒げた。それを野次馬と見ていたベドリッヒはハッとした。
「そうか思いだしたぞ!あのメラニーって女婚約してるのに男漁りをしまくる節操無しの女だ!母親も男爵家の出身だと言うが本当は高級娼婦だって話だ!以前出張先のバーデンベルクで参加した仮面舞踏会で聞いたぜ!」
「お前仮面舞踏会にも出席してたのかよ。女に飢えてんな」
「弟に飢えてるおめーより健全だろ」
エルンストのツッコミにベドリッヒが鋭く切り返すとエルンストはムスッとした表情で黙りこくった。一方立場が悪化したエミールはメラニーに縋りつくように問いかける。
「なぁメラニー、何かの間違いだろう?あの性悪女のハイデマリーと違って君は小さな嘘もつけない清らかな淑女な筈だ!そんな君が殿下に媚薬なんて盛る訳無い!きっと君は脅されていたんだ!そうなんだろう?」
「チッ、もうこうなったら白状するわ。その男に媚薬入りシャンパンを出すよう指示したのは私。殿下の愛人を狙っていたのも事実よ」
「そん……な……」
未だ現実を受け止められないエミールをおいてメラニーは逃げきれないと判断したのか観念したように白状した。
「メラニー!なぜそんな事をしたんだ!僕という婚約者がありながら!」
「私はお姉様からあんたを奪いたかっただけ。あんたの事は初めからさほど好みじゃないし蝶や蛾の標本を集める趣味なんか超キモイと思ってたわ」
「なっ……!?」
エミールは溺愛している婚約者の隠されていた本性に深いショックを受ける。
「それに私南ドルツの田舎臭い領邦で一生を終えたくなんか無いの。だから今日の舞踏会で皇太子殿下に会えると知って千載一遇のチャンスだと思ったわ。殿下は皇太子妃とあんまり上手くいってないって噂だし媚薬と私の美貌さえあればすぐ落とせると思った。それなのに……」
メラニーは身勝手な動機を並べ立てた後悔しそうな表情で歯軋りをした。
「バーデンベルク国王よ、お前の国の貴族二名が帝国皇太子たる私に無礼を働いた訳だがこの落とし前はどうつけるつもりだ?」
「ひっ!申し訳ございません殿下!モーア伯爵家及びライヒェンシュタイン侯爵家に対し然るべき罰を与えます故どうかご容赦を……!」
格上の皇太子に睨まれたバーデンベルク国王は震えながら必死に両家に罰を下すと明言した。
「無駄話は終わりだ。衛兵!この女と給仕の男を宮殿の地下牢に入れろ!」
「「「はっ!!!」」」
ジークリードは衛兵達に容疑者二人を牢屋に入れるよう命じた。衛兵に掴まれた給仕の男は泣きながらジークリードに訴えかける。
「お許し下さい殿下!私には病気の姉がいるのです!彼女を助ける為に大金が必要でその金欲しさにメラニー嬢と……」
「お前の都合など知らん。必ず極刑に処す」
「そんな!殿下ぁーーーっ!!!」
給仕の男の主張にジークリードは慈悲を向ける事は無く一蹴した。その様子に恐怖感を覚えたのかメラニーは衛兵を振り払いジークリードの体にしがみつき命乞いをする。
「殿下ぁ!どうか私のお命はお助け下さいまし!何なら殿下と一晩床を共にしても構いませんわぁ!きっと殿下をご満足させられますから!お願いですわぁ殿下♡」
「おい貴様!殿下から離れろ!」
メラニーの下品で往生際の悪い命乞いに周囲の貴族からは赤面する者や眉を顰める者が続出した。そんなメラニーに対するジークリードの返答は無慈悲であった。
「汚らわしい……」
「えっ……!キャアッ!!!」
ジークリードは縋りついて来たメラニーを猛禽のような眼光で睨んでから蹴り飛ばすと近くの衛兵からサーベルを奪い床にへたり込んだメラニーに向けた。
「殿下おやめ下さいっ!どどどうかごっ、ご冷静に!」
「黙れローゼンブルク!このダニを生かしたところで帝国の汚点にしかならない」
「あっ……あぁ……」
メラニーは逃げようとするが腰が抜け立つ事が出来ない。恐怖に震える彼女にとって目の前にいる皇太子は最早理想の王子様ではなく無慈悲で残酷な冷血漢であった。じりじりと距離を詰めジークリードがサーベルを振り降ろした瞬間誰かが目の前に乱入しサーベルを氷の剣で抑え鍔迫り合いになった。
「お前はエルンスト!?どけ!そいつを殺せないでは無いか!」
「殿下!どうか冷静になって下さい!他の出席者が見ています!皆様を怖がらせるような事を皇太子のあなたがしてはなりません!」
エルンストに真剣な顔で諭されたジークリードは周囲を見渡し自身に怯える反応が目に入りハッとしてサーベルに込めた力を緩める。その隙にエルンストは後ろに飛んでジークリードから距離を取った。
「それでも彼女を処すのであれば私を斬り倒してからになさいませ!」
エルンストは氷魔力で作った剣を手にしたままメラニーを庇い続ける。ジークリードはそれを見てすっかり冷静になったようでサーベルを床に投げ捨て体の向きを変えた。
「……兄弟揃ってお人好しなものだ。まぁ良い。弟に免じて許してやろう。衛兵、あの女を即刻牢に入れろ」
ジークリードはエルンストの説得に応じメラニーを投獄するよう衛兵に命じたのだった。
「全くお前は何て無茶すんだよ!サーベルを持った殿下の前に立つなんて!殿下がお許しになったから良いものを!」
「ごめんよベドリッヒ。つい体が動いてしまってな」
「つい体がって……大使が聞いたら絶対大目玉を食らうぞ!」
舞踏会閉幕後、夏の離宮からボナヴィア大使館へ戻る馬車に乗り込んだエルンストは同乗するベドリッヒから怒られていた。上司である全権大使にこの事が知られないかと不安になっているベドリッヒであったがそれをよそにエルンストはトイレに行った時と同じように再び考え込んでいた。
(アルベルト、お兄ちゃんはやはりお前が心配だ。お前は決して不作法で粗相を犯すような人間じゃない事は知っているがそれでも今後皇太子殿下と出会った時何か気に障るような事をしてしまったら……)
エルンストは最悪の事態を想定し寒気が走り体を震わせる。しかしそのすぐ後に両手の拳を強く握り心に誓ったのであった。
(いや、だからこそ俺がしっかりしなくちゃいけない。母上を亡くし一人泣いていたアルベルトを顔を見たあの日から俺は弟を一生守ると誓ったんだ!いざという時には命に代えてでも……俺が守らなくては!)
(お知らせ)
番外編はこれで終わりです。次回からアルベルトとヴェンツェルが帝国へ行く長編がスタートします。
次回更新予定:25日




