蝶好き令息の婚約騒動⑤
「そうなんだ。ヘルマンさんはハイデマリーさんが好きだったんだね」
「はい……」
ヘルマンとの会話の翌朝、アンナはアルベルトの部屋でアルベルトの身支度を手伝いつつ昨日の会話の事を話した。
「知らなかったとはいえ気の毒な事をしてしまったなぁ……でも辞めてしまったらきっとハイデマリーさん悲しむだろうし引き留めた方が良いよね」
アルベルトはハイデマリーの事を思いヘルマンをどうにか引き留めようと考える。するとアンナは何かを決意した顔でアルベルトにある提案をした。
「アルベルト様、この際ヘルマンさんをハイデマリー様と駆け落ちさせちゃいませんか?」
「えぇ!?アンナ何言っているの!?」
とんでもない提案にアルベルトは驚くがアンナは本気の様子であった。
「だってこのままだとヘルマンさんが可哀そうじゃないですか!私が読んでいる恋愛小説だって駆け落ちしたお嬢様が執事と幸せに暮らすお話があるんです!」
「小説と現実は違うよアンナ……それにヘルマンさんがハイデマリーさんを好きでもハイデマリーさんもヘルマンさんが好きとは限らないでしょう?」
「うっ!そっ、それはそうですけど……」
アルベルトの真っ当な反論にアンナは言い返せず黙ってしまった。
「それにハイデマリーさんが逃げたら父上から大目玉を食らうし次の婚約が決まるまで軟禁されちゃうよ。畑仕事も採集も標本作りも出来なくなるなんてとても耐えられ……」
「アルベルト様!いらっしゃいますか!」
「ハイデマリーさん?」
アルベルトが話しかけていたその時ドアを激しく叩く音と共にハイデマリーの声が聞こえて来た。アルベルトは羽織った上着のボタンを慌ててとめるとアンナと共にドアを開け要件を聞く。
「一体どうしたのハイデマリーさん!?慌てた様子で!」
「アルベルト様!今朝からヘルマンの姿が見当たりませんの!どこかでお見かけしていませんか!?」
「えっ!?ヘルマンさんが見当たらないだって!?」
焦った様子のハイデマリーからヘルマンが突然いなくなった事を聞いたアルベルトとアンナは驚く。
「確かに私も今朝は見かけていないかも……まっ、まさか今日オストライヒに行く事にしたんじゃ……!」
「えっ!?だけどヘルマンさんは今日出発するとは言っていなかったんだよね!?」
「もしかしたら急遽予定を早めたのかもしれません!」
「あの……お二人共一体何のお話をしておりますの?」
アンナはヘルマンが宣言通りオストライヒに旅立ったのではないかと思いアルベルトと騒いでいると事情を何も知らないハイデマリーは不思議そうに尋ねた。
「ハイデマリーさん!あっ、いやその……」
「アルベルト様!私からお話します!実は……」
アンナは動揺するアルベルトに代わりハイデマリーにヘルマンとの昨日のやり取りを説明した。ハイデマリーは自身の従者が隠していた気持ちを知り目を見開き驚愕する。
「そんな……ヘルマンが私の事を……!」
「アルベルト様!早くヘルマンさんを追いかけないと!」
「うっ、うん!オストライヒまで行こうとすれば王都で駅馬車に乗る必要があるけどこの領内に駅馬車の停留所があるのは南の村だけだからそこに行くんじゃないかな……」
その頃当のヘルマンは正にアルベルトが予想した通り南村の停留所で王都へ行く馬車に乗ろうとしていた。
「王都までは一時間だ。混んでいて席は狭いが大丈夫かい?」
「問題ありません。歩いて行くよりましですから」
ヘルマンはそう言って御者に銀貨二枚を渡すと馬車の上の荷台に大きな旅行鞄を積んでもらった。そして馬車に乗り込む直前ヘルマンは屋敷の方角を眺めた。
(お嬢様、黙ってあなたの元を去る私をお許しください。私はお嬢様の幸せを願いお傍に仕えて参りました。なのでアルベルト様と婚約してお幸せそうなお嬢様を見て心から安堵しました。ですが同時に黒く醜い嫉妬の感情が私の中に沸き起こってしまったのです。主人に邪な感情を抱いてしまう者がこれ以上傍に居る事は望ましくありません。お嬢様、どうか私の事は忘れてアルベルト様とご結婚なさって下さい。それが正しい事でありお嬢様にとって最大の幸福なのです……)
自身の主人に対する思いを心の中で綴るヘルマンの頬には熱い涙が伝う。その時突如屋敷に続く道から馬がかける音が響くと同時に大声が聞こえて来た。
「待って!!!お願いまだ出発しないで!」
「駅馬車の御者さん!まだ動かないで下さい!」
「お嬢様!?アルベルト様まで!どうして……!」
ヘルマンは後方から駅馬車に向け馬を走らせてきたハイデマリーの姿に驚く。そのハイデマリーの後ろからは同じく愛ロバルーカスに乗り追って来るアルベルトの姿があった。
「ヘルマンの馬鹿!!!どうして黙ってオストライヒへ行こうとするの!」
「お嬢様!なぜその事を……!」
「全てアンナさんから聞きましたわ!勝手に私の元を去る事は許しませんわ!」
ハイデマリーはヘルマンに近づくと泣きながら勝手に執事を辞めようとした事を激しく咎めた。
「ダメですお嬢様!私は執事でありながらお嬢様に恋愛感情を抱いてしまっているのです!そのような者を結婚後も傍に置いておくべきではありません!」
「なぜその気持ちを私に早く伝えて下さらないの!あなたが駆け落ちを考えている事を知っていたなら私も同意したわ!」
「えっ!?」
「だって……だって私もあなたの事を……!」
ハイデマリーの衝撃の告白にヘルマンのみならず背後にいるアルベルトも驚きを露わにする。
「まさかハイデマリーさんもヘルマンさんが好きだったのですか!?」
「ごめんなさいアルベルト様……私はどんな時もいつも傍に居てくれたヘルマンを従者としてだけでなく異性としても好ましく思っていましたの。婚約破棄された後は私もヘルマンとの駆け落ちを考えましたわ。でも身分が違う者同士の結婚は許されない、そのような考えが心を支配して出来ませんでしたわ。婚約したアルベルト様が素敵な方だと知ってからはヘルマンへの想いは胸の奥にしまって忘れ去る事にしましたの」
「ハイデマリーさん……」
「だけれどヘルマンも私と同じ思いだった事を知って激しく後悔しましたわ。自分がアルベルト様と婚約した事が原因でヘルマンが傷ついて私の元を去る事になるなんて思わなかったですもの……あの時一緒に駆け落ちしていれば良かったのですわ!そうすればアルベルト様にも……こんなご迷惑を……うぅう」
「お嬢様……申し訳ありません」
ハイデマリーはアルベルトに秘めていた想いを吐露すると判断の過ちを公開し泣き崩れた。ヘルマンはそんな主人を優しく抱擁し慰める。
「ぐすっ……ぐすっ……お互いに言い出せなかったのね。本当の気持ちを」
「私も勇気をもってお嬢様を伯爵邸から連れ出すべきでした。でなければこのような事には……」
「ごめんなさいヘルマン……ごめんなさい……」
お互いに愛し合っていた事を知った主人と従者は互いに抱きしめ合い静かに泣き続けた。そんな様子をアルベルトと駅馬車の御者や客はただただ眺め続けていた。
★★★
「うーむまさかヘルマン殿とハイデマリー殿が両片思いじゃったとはの……」
「本当に驚きでしたよヨゼフさん……とりあえず二人には一旦屋敷の方に戻ってもらっています」
ヘルマンの辞職騒動が起きた日の午後、結婚が迫るアルベルトの様子を確認しに訪れたヴェンツェルは屋敷裏の畑でアルベルトから今朝の事について聞くと同時に相談を持ち掛けられていた。
「僕としては二人を結ばせてあげたいんですよ。想い合っているのですから。アンナの言う通り二人をオストライヒへ駆け落ちさせるべきかなぁ……」
「屋敷の主人であるフランク殿に同意なく駆け落ちすれば犯罪じゃ。それに例えオストライヒに逃したとしても二人とも就労ビザ無しでは向こうで働けんぞい」
「うっ……そうですよねぇ」
アルベルトはヴェンツェルから厳しい現実を突きつけられがっくり項垂れてしまった。
「だけど実は明日が結婚式なんです。でもこんな気分で結婚したくないなぁ……しかも父上ときたら結婚式終わったらすぐに爵位を譲って領地経営を丸投げするつもりなんですよ」
「ん?それはつまり結婚後すぐに伯爵家の当主の座に就くという事かね?」
「えぇ。父上は当主を退いて骨董集めと政界に返り咲く新たなコネ作りをするのに専念したいんですよ。それと結婚式にはモーア伯爵様達は来ないんですって。ハイデマリー様とは家族としての関係は切っているからって……可哀そうな話ですよ」
「……」
アルベルトは結婚に関する不満を漏らすとヴェンツェルは話を聞いて顎に手を当て何かを考えそして何かを閃いたようで顔を上げた。
「アルベルト君、合法的にヘルマン殿とハイデマリー殿をオストライヒへ行かせられるかもしれんぞい」
「えっ!?本当ですか!」
「うむ。しかし成功してもアルベルト君は大きな代償を払う事になるじゃろう」
「そっ、それはどんな方法なんですか!」
「そのやり方はじゃな……」
アルベルトはヴェンツェルが思いついた事が気になり耳を傾けた。ヴェンツェルは小声で(方法)の概要を説明した。
「……なるほど、アルベルト様が当主になればフランク様を通さず離婚を申請出来ますしそれにハイデマリー様がご実家と関係が切れている状態ならモーア伯爵側に同意を得る必要はない、という訳ですね」
その日から二週間後、ヴェンツェルは王宮のある部屋でアデリーナにアルベルトに提案した作戦についてを詳しく話していた。
「うむ、念の為アルベルト君からモーア伯爵に確認させたところハイデマリー殿の籍は結婚後完全にベルンシュタイン家に移る事になっておった。戸籍からも厄介払いする気なのじゃな。それでアルベルト君は結婚して爵位を継ぐ手続きが済んだ後ハイデマリー殿がヘルマン殿と不倫をしていたと理由をつけて離婚届を提出したのじゃ」
「ほぅ」
「離婚成立後も暫く新婚生活を送る振りをして出国に必要な書類を準備した。それで全ての準備が終わった一昨日の早朝にハイデマリー殿はヘルマン殿と無事オストライヒへ旅立ったそうじゃ。アルベルト君曰く二人共涙を流して感謝したようじゃ」
「しかしフランク様が知ったらハイデマリー様を追いかけようとなさるのでは?」
「フランク殿は世間体を気にする上にケチな男じゃ。浮気して逃げた令嬢を追いかけるより新たに持参金を用意してくれる傷の無い婚約者を求めるじゃろう。それも織り込み済みじゃ」
ヴェンツェルは自身が提案した方法を話終えるとどこか安堵した様子で胸の内を呟いた。
「アルベルト君には気の毒じゃが婚約が解消されて正直ワシはホッとした。陛下の事を考えるとどの道二人を引き離さねばならんかったからのぅ」
「まぁそうですよね。陛下が失恋のショックで部屋に引き籠っておられるせいで政務が滞って皆混乱してますし表向きには月のモノだ風邪だと説明していましたがそろそろ限界でしたからね……という訳でアルベルト様は離婚なさいましたから元気を出してください陛下」
アデリーナは視線を部屋の奥にあるベッドに移しそこで布団に包まる主君にそう言った。二人が話をしていたのは女王マルガレーテの私室だったのだ。部屋の仲はカーテンが閉められて薄暗く破れて羽毛が出たクッションやワインの割れた瓶などが床に散乱し女王のショックの大きさを物語っていた。
「……つまり……つまりアルベルトは嫁を執事に寝取られて離婚したのじゃな?」
「うっ、うむ。そういう事になりますな」
ベッドから起き上がったマルガレーテは黒く長い髪を乱したままヴェンツェルにそう尋ねそして返事を聞くと急に笑い始めた。
「フッ……フフフ」
「陛下?」
「フフフ……アーッハッハッハッハ!いやぁそうかそうか!アルベルトは離婚してしもうたのか!それは良い知ら……いや残念な知らせじゃなぁ!」
「本音が隠せてないぞ本音が」
さっきまでの様子が嘘のようにマルガレーテは機嫌を取り戻し大笑いした。アデリーナはアルベルトの結婚失敗を喜ぶ主君に呆れ気味にツッコミを入れる。
「いやぁアルベルトはさぞ落ち込んでおるじゃろうなぁ?おいヴェンツェル!アルベルトを呼べ!特別に余が慰めてやろう!それと余のセラーからありったけのワインを持ってこい!あやつと一緒に飲むからな!」
「部屋に籠っている間沢山ヤケ酒してただろ」
「黙れアデリーナ!それとこれとは話は別じゃ!」
マルガレーテはアルベルトとワインを飲むと言い出したがヴェンツェルは何故か首を横に振って拒否した。
「恐れながら陛下、アルベルト君を王宮に呼ぶのは難しいかと」
「あぁ?なぜじゃヴェンツェル!」
アルベルトを呼べない聞いたマルガレーテは一転して不機嫌そうにヴェンツェルを睨んだ。
「アルベルト君は勝手に離婚した事でフランク殿の怒りを買い屋敷に閉じ込められておるのです。次の婚約者が決まるまで外に出られないとか……ワシも直接会えないので仕方なく手紙でやり取りしておる状態ですぞい」
ヴェンツェルはアルベルトを呼び出せない理由を主君に丁寧に説明した。一方その頃アルベルトはというと……
「はぁ……折角絶好の採集日和なのになぁ……」
屋敷の二階にある自室の窓枠に肘をつき青空を見つめて屋敷から出られない自分の状況を嘆いていた。
「二人を無事にオストライヒに送り出せたのは良いけど結局僕は軟禁生活だよ。あぁ折角乾燥させたヒメミコクジャクヤママユを標本箱に入れたいと思っていたのにこの部屋からも自由に出られないなんて!僕が標本箱に閉じ込められた気分だ……」
勝手に離婚をしたアルベルトはフランクから烈火の如く怒られ当主の権限をはく奪され屋敷はおろか自室からも自由に出られない状態になってしまったのだ。一方下の階ではその事に関してアンナがフランクに抗議していた。
「旦那様!アルベルト様を解放してあげてください!あまりに可哀そうです!」
「うるさい!!!結婚早々離婚する大バカ者を外に出せるか!ワシの面子が丸つぶれになったんだぞ!」
「私がアルベルト様の婚約者になります!それで良いですよね!」
「訳わからん事を言うな!平民と息子を結ばせられるかぁ!」
アンナはどさくさ紛れに次の婚約者になろうとして余計にフランクを怒らせた。こうして周囲を騒がせたアルベルトの婚約騒動は幕を閉じたのであった。
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