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蝶好き令息の婚約騒動③

「展翅技術も未熟で足も取れている。何より箱がボール紙では話にならない。せいぜい二十ペイヒ程度の価値だ。こんな低レベルな標本を僕にプレゼントするのか?」

「その標本はエミール様を思って私が……」

「関係ないね。寧ろ標本にされたユーロッパコムラサキが可哀そうだ」


 一年前のバーデンベルク王国、その王立学園の中庭で当時在学中だったハイデマリーは婚約者エミールに自作の標本をプレゼントしたが散々にダメ出しされ突き返されてしまっていた。ハイデマリーは泣きそうになるのを堪え謝罪する。


「申し訳ありませんでしたわ……私が未熟なばかりにエミール様に不快な思いを……他の蝶をお詫びに差し上げますわ……」

「いらないよ。君が持っている蝶や蛾は僕も全部持っている。そもそも僕はもう君にうんざりなんだ。メラニーから聞いているよ。君は家で彼女を見下したりアクセサリーを奪おうとするらしいね」

「そっ、それは誤解です!私は妹を虐めたりなんかしていませんわ!メラニーのアクセサリーだって元は私の……」

「メラニーが嘘をついていると?君はどこまでも下劣な女だな。とにかくもう下手糞な標本で僕の気を牽こうとするのはやめてくれ」

「……はい」


 ハイデマリーはエミールに信用されないばかりか厳しい言葉を浴びせられ暗い顔で俯く。エミールはそんな婚約者を侮蔑した目で見ながらその場を後にした。


「お母様!お父様!苦手な数学で良い点数を取りましたわ!」

「まぁ凄いわ!流石私の子ねぇ!」

「偉いぞメラニー、ワシはお前のような娘を持って幸せだ!」


 その夜、モーア伯爵邸では姉妹がそれぞれテスト結果を両親に報告していた。ハイデマリーの異母妹で濃いローズピンクのブロンド髪に紫目の少女メラニーは父親である伯爵と義母から大変に褒められた。しかし同じく高得点のハイデマリーに対しては……


「メラニーより頭が良いと自慢したいのかしら?ほんと嫌味な娘ねあんた」

「お前はモーア伯爵家の令嬢だ。良い点数を取れて当然だろう。いちいち報告するな」

「すみません……お父様、お義母様」


 と驚くほど冷たかった。モーア伯爵が再婚し家に義母と異母妹メラニーが来てからハイデマリーの苦難の日々は始まった。義母は実の子であるメラニーだけを溺愛しハイデマリーに辛く当たった。小遣いを減らして標本はおろか生活必需品すら買えない程追い詰めたりハイデマリーに優しくした使用人をヘルマン以外辞めさせたりと横暴に振る舞い時には暴力も振るった。父である伯爵も逃げた前妻に似たハイデマリーを疎んじ状況を黙認した。そしてメラニーも姉であるハイデマリーから何もかもを奪っていった。宝飾品も香水もそして婚約者さえも……


「ねぇお姉様!私お姉様の香水が欲しいわ!良いでしょう?ねぇ!」

「メラニー……」

「何よ!お姉様だけそんな良い物持っていてずるいわ!私エミール様のパーティーに呼ばれたのよ!くれないんだったらお母様に言いつけてやるんだから!」

(またエミール様のパーティーに行くのね……私なんて数年前から誘われてすらいないのに……)


 ハイデマリーはメラニーの発言に対してそう心の中で呟く。婚約者のエミールもメラニーと出会ってからすぐに心を奪われハイデマリーを蔑ろにした。メラニーの姉に虐められているという訴えを真に受けてからは猶更ハイデマリーを侮蔑するようになった。そんなある日、その事件は起こった。


「ハイデマリー!俺はお前との婚約を破棄しメラニーと新たに婚約をする事を宣言する!」


 学園の卒業式の夜に行われた卒業パーティーにてエミールはメラニーを傍らに抱いてハイデマリーに婚約破棄を突き付けたのだ。


「そんな……なぜですのエミール様!」

「とぼけるな!お前はメラニーを虐げるだけに飽き足らず彼女を脅して俺の部屋から貴重なクジャクヤママユの標本を盗ませようとしたな!前に俺が標本を見せなかったのを根に持って自分のものにしたかったのだろう!」

「そっ、そのような事しておりませんわ!何かの間違いですわ!」

「嘘をつくな!メラニーは俺のメイドに見つかりそうになって盗んだクジャクヤママユを包んだハンカチで潰して壊してしまった!それで俺に正直に謝罪し全てを打ち明けたんだ!これが証拠だ見てみろ!」


 エミールは取り出した白い布で包んだ何かを従者に渡しそれをハイデマリーの前で開けさせた。中にはバラバラになり潰れたクジャクヤママユが入っておりハイデマリーは絶句する。


「うぅう……お姉様に無理やり命じられて怖かったですぅ」

「可哀そうなメラニー、もう大丈夫だ!この事は既に俺の両親や伯爵夫妻にもお伝えした!婚約はまもなく正式に解消されるだろう!」

「エミール様!冤罪です!本当に私はメラニーに命じてなど……!」

「まだ嘘をつくか!そうかそうかお前はそういう女だったのだな!卑劣で嘘つきで窃盗癖のある悪女め!まぁ良い!正式に結婚する前にお前の本性を知る事が出来て良かったさ!」


 そう吐き捨てたエミールの傍で歪んだ笑みを浮かべたメラニーをハイデマリーは目撃した。その表情か全て彼女の仕業なのだと理解した。


「お嬢様をよくも貶めたな!!!絶対に許さないっ!!!」

「ヘルマンやめて!!!私はいいの!!!」


 更にその時主人の理不尽ににカッとなったヘルマンがエミール達に飛び掛かりそうになったがハイデマリーが慌てて抑え宥めた。


「婚約破棄……承りました。私は会場を先に失礼致しますわ」


 ハイデマリーは悲しさと悔しさを堪えてカーテシーをしながら最後に返事をした。そして憤るヘルマンを抑えつつパーティー会場である講堂を後にしたのであった……そして時は現在に戻る。


「……その後家で散々怒られましたわ。両親から家の恥だと罵られて正式に婚約を解消された後はずっと屋根裏部屋に閉じ込められておりましたの。やっと出られたのはアルベルト様との婚約が正式に決まった時ですわ」

「「「……」」」

「あの事件以来蝶や蛾を見るとお父様が再婚する前の楽しい思い出やエミール様に標本を貶された事を思い出して辛くなるようになりましたの……クジャクヤママユに至っては婚約解消の原因になりましたから尚更……」

「その為お嬢様はアルベルト様に嫁がれる前に祖父から受け継がれた全ての標本を処分されたのです」

「えぇ!そんな勿体無い……」


 ハイデマリーが持っていた標本は全て捨てたとヘルマンから聞いてアルベルトはショックを受けた。


「アルベルト様、私が蝶や蛾の趣味をやめた理由は今お話したように過去が関係しているのですわ。クジャクヤママユのように特定の蝶や蛾は今もまともに直視する事が出来ませんの」

「ハイデマリーさん……」

「ですがアルベルト様が楽しそうに蝶や蛾のお話しをする様子を見て私も趣味を再開する気になりましたわ。今後婚約するのでしたらやはり共通の趣味を楽しめた方が良いですから。クジャクヤママユも克服出来るように努力しますわ。ですからどうか……お気を悪くなさらないで下さいまし」


 ハイデマリーは趣味を再開し苦手な蛾も克服すると宣言した。するとアルベルトは何かを決心したように真面目な顔つきになりハイデマリーの両手を握った。


「あっ、アルベルト様!?」

「決めました……僕は必ずハイデマリーさんを幸せにします!」

「えっ!?」


 急に両手を握られ困惑するハイデマリーをアルベルトは真っ直ぐ見つめ幸せにすると宣言する。


「苦しい生活にずっと耐えて来たハイデマリーさんには笑顔になって貰いたいです!辛い思い出は楽しい思い出で上書きすれば良いんです。結婚したら一緒に採集に出かけたり標本を作ったりして沢山楽しい思い出を作りましょう。そうすればきっとまた蝶や蛾の趣味を楽しめるようになると思います!」

「アルベルト様……」

「それと僕はハイデマリーさんと今日出会ったばかりですからまだ恋愛感情はありませんが結婚生活の中で愛を育む努力をしようと思います!でも最終的にはハイデマリーさんの気持ちを尊重します。僕の事を男性として愛せないならそれで構いませんし初夜だって無理強いしません。でも夫婦でいる間は領地経営に協力はしてもらいたいです。という訳で今後ともよろしくお願いしますね!」


 アルベルトはそう言って優しく微笑みかける。するとハイデマリーの目から大粒の涙が流れ出た。


「わぁっ!?ハイデマリーさんだだ大丈夫ですか!?」

「グスッ、大丈夫ですわ……嬉し泣きですから……私アルベルト様に嫁げて良かったですわ……私の方こそ……末永くよろしくお願い致しますわ」

「はい!二人で趣味を楽しみつつ領地を豊かにしていきましょう!」


 ハイデマリーは泣きながら頬を染め婚約を結べた事を心から喜ぶとアルベルトに微笑み返した。そんな良いムードの二人を見守りながらヴェンツェルは呟いた。


「まさかハイデマリー殿が不遇な立場に置かれておったとはのぅ。しかしアルベルトは本当に人たらしじゃわい。あの可愛いらしい笑顔で優しい言葉をかけられたら好きにならん娘はおらんじゃろう」

「アルベルト様ったら必ず幸せになんてプロポーズじみた事を軽々と言っちゃって……」

「!?アンナ殿いつの間に!」

「ずっといましたよ!文字数の都合で喋れなかったんです!」


 ここに至るまで自分の存在に気づかなかったヴェンツェルにアンナはアルベルトへの不満も相まって怒りを露わにする。一方この状況を歓迎していないのは意中の主人を取られそうになっているアンナだけではなかった。


「……」


 ハイデマリーの執事であるヘルマンも二人を無言のまま物憂げに見つめていたのだ。しかしそれについては誰一人気づく事はなかった。



★★★



「どうしたヴェンツェル?余のティータイムに訪ねて来るとは珍しいな」

「ティータイムというか酒盛りですけどね」

「余計な事を言わんで良いアデリーナ!」


 ベルンシュタイン家にハイデマリーが嫁いで来た翌日の昼、ヴェンツェルは王宮の庭でティータイムという名の酒盛りをする女王マルガレーテを訪ねる。マルガレーテはメイドのアデリーナをそばに置きながら皿に盛り付けられたチーズなどをつまみに赤ワインを堪能していた。


「休息中申し訳ありません陛下。至急お伝えせねばならぬ事がありまして……ただ内容的にご気分を害される可能性がありますのでその点だけはご容赦を……」

「どんな内容かは知らぬが余は手に入れたヴィンテージワインが美味くて機嫌が良い!どれだけ悪い話でも決して怒りはせぬわ!アッハッハッハ!」


 ヴェンツェルから良からぬ報告がある事を聞いたマルガレーテであったが美味しいワインに酔いしれておりご機嫌な様子であった。そんな主君にヴェンツェルは覚悟を決めた様子で報告を行う。


「アルベルト君に……婚約者が出来ました」


 ヴェンツェルの報告を聞いた瞬間マルガレーテはワイングラスを持ったまま笑顔で固まりアデリーナは目を見開き驚く。


「その……彼に想いを寄せておられる陛下には大変残念な話ではありますが……」

「フフフ……アッーハッハッハ!!!」

「へっ、陛下!?」

「ヴェンツェル、そなた奇妙な冗談を申すのう」

「は?」

「あやつは蝶や蛾が好きすぎてボナヴィア中の令嬢から避けられておる男じゃぞ?婚約者が出来るなど天地がひっくり返ろうとも有り得ぬわ」

「アルベルト様に対して失礼極まりないな」


 マルガレーテはヴェンツェルの発言を冗談であると決めつける。現実を受け入れない主君にヴェンツェルは説得を続けた。


「陛下!これは冗談ではございませんぞい!彼は隣国から来たご令嬢と婚約したのです!」

「余は冗談は好きじゃがそれはあまり笑えぬ冗談じゃのう。ん?」

「陛下!ショックである事は理解致しますがどうか現実をお受け入れ……」


 ヴェンツェルが更に説得しようとしたその時マルガレーテは怒りを爆発させワイングラスをヴェンツェルの足元に投げつけ立ち上がった。


「しつこいぞヴェンツェル!!!つまらぬ冗談はやめろと言っておるじゃろうが!宰相をクビにされたいのか!あぁ!?」

「怒らないと言いながら結局キレてるし」


 アデリーナは宣言を破りブチギレた主君に呆れつつ冷静にヴェンツェルをフォローした。


「陛下、閣下は下らない冗談を仰る方ではありませんよ。それでお相手はどのような方でしょうか?」

「バーデンベルク王国出身のご令嬢でモーア伯爵家のハイデマリー殿じゃ」

「ハイデマリー様と言えば件の婚約破棄事件のですか?」

「知っておったのか!」

「えぇ。お噂を少々小耳に挟みまして」


 ヴェンツェルはアルベルトの婚約相手の素性をアデリーナが知っていた事に驚く。するとマルガレーテは怒りの表情のまま急に移動し始めた。


「へっ、陛下どちらに!?」

「決まっておろう!アルベルトの奴を問い詰めに行くのじゃ!本当に婚約をしたのかどうかをな!」

「それでどうなさるつもりなのですか!」

「婚約していたら死刑じゃ!ハイデマリーとか言う泥棒猫共々首を刎ねてやる!」

「陛下おやめ下さい!!!そんな事なされば陛下の威信は地に落ちますぞい!!!」


 アルベルトを婚約者共々処刑しようとするマルガレーテをヴェンツェルは前方を塞ぎながら必死に阻止しようとする。


「そこを退けヴェンツェル!余を通せ!」

「なりません!通す訳には行きませんぞい!」

「本当におやめ下さい!また別邸ぶっ壊した時みたいな不祥事を起こす気ですか!」

「えぇい離せアデリーナ!!!離さぬかぁ!!!」


 乱心した主君をアデリーナも羽交い締めにしながら死ぬ気で引き留めた。こうして王宮では嫉妬に狂った女王と家臣二人の攻防が暫く続いた。

(お知らせ)



次回更新予定:19日

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