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蝶好き令息vs副宰相令息④

「クラドルヴァ辺境伯領シルクのハンカチじゃと?」


 マルガレーテは箱から取り出した白いハンカチをやや驚いたような表情で見ながら言った。献上されたハンカチは上品なレース生地で縁取りがしてありマルガレーテの姓であるアインブルクのイニシャルである(A)の飾り文字がデザインされていた。


「えぇ。そのハンカチが僕から陛下への貢ぎ物になりま……」

「ハッハッハッハ!!!アルベルト!君は正気なのかい?辺境伯領産シルクといえば二等品もいいところではないか!そんな低品質のシルクで作ったハンカチを陛下に捧げるというのか!」


 ハンカチを献上したアルベルトにテオドールはすかさず辺境伯領のシルクが質の良くないものである事を指摘し指を指しながら嘲笑った。それを聞いたアルベルト陣営のフランクは顔面蒼白になりながら頭を抱え叫んだ。


「だぁーーー!!!あのバカ息子女王陛下に何という品を献上しとるんだ!!!やはり期待するんじゃなかった!」

「アルベルト様……!」

「なぜそんなシルクを使ったハンカチなんぞを……」


 フランク以外の者達にも動揺が広がる中ヨハネスは勝ち誇った表情になりフランクと女王に言い放った。


「フン!どうやらお前の次男坊は物の価値というのを知らないらしいな。陛下!この勝負は吾輩の息子の勝ちでよろしいのではありませんかなぁ?」

「静かにせい!!!余はまだアルベルトの説明を聞いておらぬ!テオドール、そなたも余計な口を挟むな!」

「うっ!申し訳ありません……」

「してアルベルト、これを貢ぎ物に選んだ理由は何じゃ?」


 騒がしい関係者達とテオドールをマルガレーテは一喝し黙らせる。そしてアルベルトに視線を合わせ貢ぎ物についての詳しい説明を求めた。


「確かにテオドール様の仰る通りクラドルヴァ辺境伯領産シルクは材質的には一級品とは言えません。でもその分丈夫で吸水性が高いという特徴があります。決して粗悪品ではありませんし日用品のハンカチにするにはピッタリなんです」

「なるほど、シルクの性質を考えた上でハンカチにしたのじゃな」

「それに陛下はボナヴィアの女王様です。その陛下が持つのにふさわしい物はやはり材料から職人まで全て王国内で賄われた品物ではないかと考えました。そのハンカチを作ったのも辺境伯領で一番機織りや刺繍が上手い村の女性です」

「ほほぅ。ボナヴィアの女王たる余には一〇〇%自国産の貢ぎ物をか。筋は通っておるな」


 マルガレーテはアルベルトの説明に納得した様子で頷く。


「そしてそのハンカチを貢ぎ物にした一番の理由は……陛下に辺境伯領の現状とそこで育てられる蚕の価値についてを理解して頂きたいからです」

「何?」


 アルベルトが真剣な顔つきになり言った一言にマルガレーテは強い興味を示した。


「陛下は現在辺境伯領内で起こっている不可解な疫病についてをご存じですか?」

「勿論じゃ。この間辺境伯から報告を受けたばかりじゃ。のぅヴェンツェル」

「仰る通りです」


 マルガレーテは質問をしたアルベルトに辺境伯に蚕の疫病対策を任せた事を伝え更にヴェンツェルにも確認を取った。


「なら話は早いです……我が国の辺境伯領における養蚕の歴史は数世紀昔に遡ります。当時のガロワ王国で迫害にあったイリス教改革派の信徒さん達がユーロッパ各地に散らばり移住先で養蚕を始めた事がきっかけです。彼らは移住したブリトニアやドルツ諸国、そして当時オストライヒ領だったボナヴィアなどで元々の生業であった養蚕の再開を試みました。しかし移住先の多くは蚕の生育に適した環境ではなく殆どで失敗に終わりました。ところが不思議な事にクラドルヴァ辺境伯領では養蚕を継続する事に成功したのです」

「なぜ辺境伯領では養蚕に成功したのじゃ?」

「理由は分かりません。ただ気候が蚕に適したのではなく蚕の中からたまたま辺境伯領の気候に適した個体が生まれその子孫が増えたのはないかと僕は考えています。所謂突然変異が起こったようです」

「トツゼンヘンイ?」

「簡単に言うと生き物の性質が変化する事です。また栽培していた桑も辺境伯領の冷涼な気候に適応したようです」


 マルガレーテは聞きなれない言葉に首を傾げるとアルベルトはきちんと補足をした。


「それ以来辺境伯領では養蚕業が産業として根付きました。とはいえ生産量が少なく最高級品ほど質が良い訳でもないので買い取ってくれるのは下流貴族に布製品を売る商人です。それでも林業以外の産業がない辺境伯領では貴重な収入源であり辺境伯家は代々領外への蚕の持ち出しを固く禁じ戦乱の際も蚕を護る事を優先する程大切にしていました。ところがオストライヒ帝国内で起こった民族運動による戦乱で商人達と交流が途絶えボナヴィア独立後もガロワ共和国やビタリア王国のシルクが市場を独占した事で辺境伯領産シルクは本来の価値より安く買い叩かれるようになってしまいます。更に今世紀に入り東洋からより安価で質の良いシルクが大量に輸入されるようになった事で辺境伯領の養蚕業は衰退してしまいました。今年の時点で養蚕農家の数は数えるほどになっていました」

「……」


 マルガレーテはユーロッパと辺境伯領における養蚕の窮状とその原因についての説明を静かに聞いていた。一方テオドールはその説明を聞いてややばつの悪そうな顔をする。


「そして追い打ちをかけるように辺境伯領では今年蚕の疫病が流行りました。僕は王都で出会った辺境伯領出身のお婆さんから話を聞いてすぐに現地へと行ったのですが酷い有様でした。養蚕農家の中には蚕の殆どが死んでしまい廃業した農家の方もおり蚕の餌である桑の畑も違う作物に置き換えられていたのです。その作物もうまく育っていないようで農家の方々は貧困に陥っていました」

「何と……それは本当かね」


 辺境伯領の現状を聞いたヴェンツェルは信じられないといった表情でアルベルトに聞き返した。


「まさか辺境伯は何も対策をしなかったのではあるまいな!?」

「いえ、辺境伯様は対策をしようとはしていました。しかし今回襲ったのは辺境伯様も知らない病気だったのです」

「どういう事じゃ。詳しく説明せよ」


 辺境伯も知らない病気だと聞いてマルガレーテは詳細な説明を求めた。


「辺境伯領を襲ったのは石蛆病せきそびょうという病気です。これはカイコノイシバエという寄生蠅によって引き起こされる病気で蠅は蚕の幼虫の餌であるクワの葉に卵を産みます。それを食べた幼虫の体内で孵った蛆は幼虫の体表を特殊な地属性の魔力で石化させて殺し体内を食い荒らしそのまま中で蛹になりそして蠅に羽化すると幼虫の体に穴を開け出てくるのです。あとには石になった幼虫の亡骸だけが残るので石蛆病と呼ばれています」

「うっ、想像するだけで気持ち悪いな……」

「この蠅は東洋原産で元々ユーロッパには生息していませんでした。ところが今年に入って南ユーロッパの養蚕地域に上陸し急速に拡大し各地の養蚕業者に被害を与えました。辺境伯領にも隣国から侵入したものだと思われます。辺境伯様はビタリアへ留学し養蚕の勉強をしていたので昔流行した蚕の疫病の知識はあったのですが石蛆病に関する知識はなく手をこまねいていました。その為対策しようがなく急速に広がってしまったのです」

「そうか……辺境伯にとっても想定外の事態だった訳じゃな」


 アルベルトの説明を聞いたマルガレーテは辺境伯に非はない事を知り頷いた。


「僕は南ガロワにいる養蚕農家の知り合いを通じて石蛆病の存在と最新の対策法を知っていた為辺境伯様に掛け合って助言と対策に協力する事にしました。辺境伯様は僕を怪しんでおられ最初は面会を断られましたが何度もお屋敷に足を運ぶうちにやましい事はないと認めてもらえたので協力させて貰える事になりました」

「良く説得できたのぅ。彼は気難しい性格で有名な男じゃというのに」


 ヴェンツェルは気難しい辺境伯を説得できたアルベルトに感心する。


「石蛆病を防ぐには蚕に与える桑の管理が重要です。カイコノイシバエは匂いで宿主となる蛾の幼虫が齧った桑の葉を探します。その為桑につく別の蛾の幼虫を見つけたら駆除する事、養蚕小屋に侵入されないよう窓に目の細かい網を張る事などを辺境伯様にお伝えしました。これだけでも寄生率は低下します。更に農家の方々は石になった幼虫をそのまま外に捨てていましたがこうするとそこから蠅が羽化してしまい被害が繰り返されます。その為石化した幼虫は蠅が出てこないうちに焼却して土に埋めて処分するようにもお伝えしました。そうした対策が功を奏してか僕が辺境伯領を離れる時には新たな被害が減り始めていました」


 アルベルトはそこまで話を終えると微笑みながらハンカチの事について説明した。


「陛下、そのハンカチは対策法を伝えた僕に辺境伯様がお礼として村の方に頼み残っていた糸で織ってくれたものなのです。陛下に献上すると言ったら皆さんに驚かれましたが辺境伯領シルクの利便性と現状をお伝え出来るならと丁寧に仕上げてくださいました。お気に召したでしょうか?」


 それを聞いたマルガレーテはハンカチを改めて手に持ち納得した様子で言った。


「……なるほどな。このハンカチには辺境伯の民達の想いも詰まっておるのじゃな。確かに手触りも艶もテオドールの高級シルクには及ばぬが悪くはない。それに丁寧に作りこまれておるし中々良い品ではないか」

「ありがとうございます!それで陛下、最後にお願いが……」

「何じゃ?申してみよ」


 アルベルトは褒めてもらえてほっとした顔から再び真剣な顔になりマルガレーテに訴えた。


「今回辺境伯領の蚕は石蛆病でだいぶやられてしまいましたが全滅は辛うじて避けられています。適切な対策を続ければ個体数は回復できるでしょう。ですがそもそもシルクが売れなくなってしまっている事で辺境伯領の財政は悪化しており農家の方々も疲弊しています。蚕を再び増やせたとしても養蚕文化の存続は厳しいのが現実です。蚕は大華国において野生種のクワゴという蛾から生み出された家畜です。人間が守らなくては途絶えてしまうのです」

「うむ……」

「辺境伯様も今後は養蚕よりも林業に力を入れると仰っていた一方先祖の代から続けて来た養蚕業も途絶えさせたくはないと悩んでおられました。辺境伯領の蚕は厳格な保護策によって他の地域で流行った微粒子病などの深刻な病気にも晒されず純粋な血統を保ち続けて来た我が国の貴重な固有種です。また辺境伯領の養蚕業は貴重な文化遺産かつ歴史遺産でもあります。陛下は僕に(国民の豊かさを願うのは余も一緒)だと仰っていましたね。辺境伯領の人々も国民です。辺境伯領の人々にとっての豊かさ、経済的豊かさは勿論ですが大切な文化を継続できるという文化的豊かさも保全する事が陛下の理想実現に繋がるのではないでしょうか」

「……」

「その上で陛下には辺境伯領への更なる支援をお願いしたいのです。更なる石蛆病対策の為の支援や困窮した領民への経済的支援、蚕を再び増やした後どう養蚕文化を保全していくかなどを真剣に検討して頂きたいです。僕は貢ぎ物ではテオドール様には勝てないかもしれません。でも僕は陛下を信じています。僕の訴えを聞いて早急に良い決断をして下さると。最後にそれだけお願いして話を終わります」


 アルベルトはそう伝えたかった事を言い終えてマルガレーテの前から下がった。ハイネ家の親子は相手の予想外の貢ぎ物に驚きつつも余裕を崩さない。


「ふっ、フン!長々とよく分からん話をしておったがどの道吾輩達の勝ちは変わらんだろう」

「そっ、そうですね父上……」


 二人の貢ぎ物の献上が終わったのを受けアデリーナは再び場を取り仕切った。


「お二人の貢ぎ物は以上ですね。ではこれより陛下にどちらの貢ぎ物が気に入ったか発表して頂き勝敗を決めます。よろしいですか?」

「はいっ!」

「フッ、勿論だとも」

「それでは陛下、ご決断を」


 アルベルトとテオドールは共に問いかけに元気よく答える。アデリーナに決断を促されたマルガレーテは顎に手を当て一分ほど考えた後に口を開いた。


「……少々思い悩んだがはっきり決めようと思う。まずテオドール、そなたは余の為に最上級素材と職人の手で美しくまた面白い機能をもったドレスを作り献上してくれたな。余は気に入った。今後の夜会でも着用したいと思っておる」

「!?すると勝者は……!」

「が、余は美しいドレスを好む一人の女である以前にボナヴィアの女王じゃ。余には父上から相続した財産であるボナヴィアの民と文化を守る義務があるのじゃ。アルベルト、そなたは利便性があり完全自国産という余に相応しい品を献上しただけでなく余に代わって辺境伯領の民と養蚕文化を守る為に奔走した。余はそなたのその心意気が大いに気に入ったぞ。アルベルト、この対決そなたの勝ちとする!」

(お知らせ)


・次回更新予定:20日

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