メイドアンナの受難④
アルベルトの研究室で気絶する十分前、アンナは屋敷にティーセットを片付けにいった後、研究室へ戻るため裏の森の道を一人歩いていた。
「アルベルト様ったら私の気持ちも知らないで!」
今朝の事を思い出しぷりぷり怒りながら歩いていくと研究室のある広場が見えてきた。アンナが森の道から出ようとするとアルベルトが父フランクに叱られている声が聞こえてきた為出口近くの大きなカシの木に隠れ説教が終わるのを待つ事にした。だがその時アンナの耳に知らない人物の名前が聞こえてきた。
「父上、初対面で小汚いという言い方はダメですよ!それとジジイじゃありません。僕が畑のお手伝いのために雇った農家のヨゼフさんです」
「ヨゼフさん……?一体誰かしら?」
アンナが叱られているアルベルトの方をよく見てみると隣に麦わら帽子を被った白髭の老人がいる。その老人の顔がチラッと見えた瞬間、アンナは口に手を当て驚いた。
「あれは……宰相閣下!?」
実はアンナはメイド長の教えに従い重要なお客の顔をしっかり記憶するようにしているため、三日前に来たヴェンツェルの顔の特徴を事細かに覚えていたのだ。
「一体どうして宰相閣下があの様な姿でアルベルト様と一緒に……?」
アンナが怪訝な顔で観察していると、フランクが二人から離れてアンナの方へと歩いてきた。どうやら説教が終わったらしい。アンナはフランクが来る前にカシの木から離れ森の中へ入り、より二人に近い距離の藪がある所まで移動した。そして二人の様子を観察しながらなぜ二人が会っているのかを考え始めた。
(ここから見ている限り宰相閣下もアルベルト様もとても親しくお話されているわね。しかも同じ草むしりの作業をしながら……もしかして本当に畑仕事を手伝いに?いやいや宰相閣下ともあろうお方がそれはないかも……それじゃあ蝶や蛾の標本を見に?それもないか………はっ!)
アンナは考えている最中ふと休憩時間に読んだあるロマンス小説を思い出した。それは男貴族同士の禁断の恋を書いた内容だった。やがて妄想を膨らませたアンナの顔がどんどん赤くなる。
(まっまさか……アルベルト様に限って……歳の差だって凄くあるし……でも……でも……まさか宰相閣下と二人で隠れてこっそりと……いやああああああぁぁぁ!!!)
アンナは顔を湯気が出るほど真っ赤にして頭の中で二人が戯れる様子を妄想し悶えた。その瞬間気配を察したヴェンツェルの鋭い視線がアンナの隠れている森の藪に向いた。
「……っ!!!」
アンナは叫びそうになっていた口を押さえて息を殺し身を潜めた。するとヴェンツェルはアルベルトと何かを話し合い畑から奥にある研究室へ歩いて移動し始めた。
「あぁっ、二人が研究室へ行っちゃう!」
アンナはこのまま藪を出て追いかけ二人を問いただすかどうか迷ったが決められなかった。そのうち二人は研究室の中へ入っていってしまった。
「研究室に入っちゃった……このままじゃ二人の様子が分からないわ。どうしよう……うぅぅ」
アンナは頭を抱えて悩んだ。しかしすぐにこのまま藪に隠れていても仕方がないと判断して、藪から出て身をかがめて畑の作物に隠れながら研究室に近づいた。すると研究室の中からアルベルトの叫び声がかすかに聞こえた。
「アルベルト様!?」
アンナは勢いよく走り研究室の玄関ドアまで行った。そしてドアノブを握り開けようとしたがピタリと止まった。
(咄嗟に走ってきちゃったけどこのまま開けて中を見るのが……怖い……でも、でももしかしたらアルベルト様が……アルベルト様が襲われているかも知れない!……なら私が止めなくちゃ!だって……そんな事……そんな男同士でなんて許されないもの!!!)
アンナは顔を赤くしながら目をつぶり自問自答した。そして二人のイケナイ関係を止めなければと決心しドアノブを回すが中から鍵がかかっている。アンナはやむなくポケットにある合鍵を取り出して開け突入した。そして目の前に飛んできたカミナリスズメに驚き気を失った。
★★★
「……うぅ……ん?」
「あ、アンナ!良かった。目が覚めたんだね!」
「おお、気がついたかね」
気絶した後ソファで毛布をかけられて寝かされていたアンナはゆっくりと目を覚ました。そばで膝をついて様子を見ていたアルベルトがアンナの意識が戻った事を喜び顔を綻ばせる。
「アルベルト様……ここは?……私はどうして気を失って……」
「僕がうっかりカミナリスズメを飛ばしちゃったせいなんだ。虫が嫌いなのに怖がらせてごめんね、アンナ」
アルベルトはアンナに頭を下げて謝った。外を見張る為窓のそばにいるヴェンツェルが続けて話をする。
「本当は君が虫嫌いだというので屋敷まで運ぼうかアルベルト君と悩んでいたのじゃが、何者かに見張られておる状況ではそれも出来なくてな。研究室内のソファで休ませる事にしたのじゃ」
ヴェンツェルの話を聞いてアンナは少しづつ自分が倒れるまでの記憶を思い出す。
「私は……アルベルト様の様子を知る為研究室に……はっ!!!」
全ての記憶を思い出したアンナはガバッと起き上がりアルベルトに問いただした。
「全て思い出しました……アルベルト様!どうして宰相閣下と一緒におられるのですか!!!」
「「!?」」
アンナの思わぬ質問に驚きうろたえる二人。焦ったアルベルトはアンナにそれは間違いだと説明した。
「ひっ、人違いだよアンナ。ここにいるヨゼフさんは確かに宰相閣下に似ているけど僕が雇った農夫の方で……」
「そんな嘘私には通用しないってアルベルト様も分かっているはずですよね!私、三日前に来た宰相閣下の顔の特徴、ちゃんと覚えているんですから!そこにいらっしゃるのは宰相閣下で間違いないです!」
アンナは強い口調でアルベルトに反論する。アルベルトはアンナが屋敷のメイドの中で一番人の顔を覚えるのが得意である事を思い出し苦しい表情になった。
「さあアルベルト様!本当の事を答えてください!そこにいらっしゃる宰相閣下もです!どうしてお二人は一緒におられるのですか!!!」
アンナに詰問され、互いに困り顔で顔を合わせるアルベルトとヴェンツェル。しばらく沈黙した後ヴェンツェルはため息をついて口を開く。
「……どうやら本当の事を言わなければ納得してもらえない様じゃ。話すしかあるまい」
隠し通す事は不可能だと悟ったヴェンツェルはこれまでの経緯を全てアンナに説明する事にした。
「………という訳なんじゃ。ワシとアルベルト君は同じ蝶や蛾の趣味を持つ友達同士なんじゃよ。宰相という立場上伯爵家令息の彼と仲良くしておると変な噂がたって大変な事になる。じゃから秘密にしておったんじゃ」
「今日は僕の畑仕事を手伝いに来てくれたんだよ。分かってくれた?」
「そうだったのですね……無理やり聞き出すような事をしてしまい申し訳ありませんでした」
ヴェンツェルとアルベルトから事情を聞いて冷静になったアンナは恥ずかしそうに二人に頭を下げ謝罪した。
「いやいや。ワシもヨゼフに変装していればバレはしないと甘く考えすぎた。それよりアンナ殿、ワシからのお願いじゃがアルベルト君とワシの関係については誰にも話さないでおいて欲しい。ここにおるワシら三人だけの秘密という事にしておいてくれ」
「はっ、はい」
「それと今後はアンナ殿もワシと出会った時にはヨゼフさんと呼んでほしい。ワシもこの呼ばれ方が個人的に気に入っておるからな。ハッハッハ」
ヴェンツェルはユーモアを含んだ言い方でお願いし高らかに笑った。アンナに自分達の関係が分かってもらえてホッとしたアルベルトはずっと気になっていた事を聞いた。
「ところでアンナは僕達が草むしりしているのを見たって言っていたけど森の藪から覗いていたの?」
「え?はい、お二人から見えないよう隠れて様子を観ようと思いまして……」
アンナは自分が隠れていた藪を窓から指差す。それはちょうどヴェンツェルが気配を感じた方向だった。
「宰相閣下、ひょっとして監視されていると感じたのはアンナが隠れていたからではないですか?」
アルベルトに言われたヴェンツェルはどうも納得いかない顔で首を傾げる。
「うぅ〜む……しかしワシが感じた視線と気配はこの子のものでは無かったような気がするが……」
「きっとアンナですよ。だってそれ以外に僕達を隠れて観ようなんて思う人いませんよ」
「そうじゃろうか……」
アルベルトの推理に頭の中に疑問符を浮かべるヴェンツェルの横でアンナは安堵の表情で胸を撫で下ろす。
「だけどお二人の関係が分かって良かったです。てっきり男同士のアレな関係かと……」
「?アレな関係って?」
アンナの不可解な発言についてアルベルトが問いかけるとアンナは顔を赤くして恥ずかしそうに両手を振り否定した。
「えっ、あっ、なっ何でもないです!そこは忘れてください!!!」
アルベルトとヴェンツェルは意味がわからず顔を合わせて怪訝な表情を浮かべる。その後暗くなってからヴェンツェルがランプ片手に研究室から出て確かめると森の中からの気配は無くなっていた。三人は暗い道を歩きヴェンツェルは迎えの車に、アルベルト達は屋敷へと戻る事になった。
「うぅ不味いぞい!ヨハン君には夕方に迎えを頼んだがもう夜になってしまっておる!」
ヴェンツェルは秘書官との約束に大分遅れてしまった事で焦っていた。やがて約束のベルンシュタイン邸側の木の下に行くとヨハンが腕を組み車を停め待っていた。
「すまんヨハン君!遅くなってしもうた!」
「遅くなったではありませんよ!何時間待ったと思っているのですか!」
ヴェンツェルに待たされ怒り心頭のヨハンは謝罪するヴェンツェルに苦言を呈する。
「本当にすまなんだヨハン君、しかしこれには訳が……」
「やはりこの間の訪問でアルベルト様と親しくなられたのですね。それでこんな時間まで蝶や蛾について語らい合っていたのでしょう」
「!?それは……」
ヨハンにアルベルトとの関係について言い当てられヴェンツェルは戸惑った。その反応でヨハンは鋭く察した。
「今の反応で確信致しました。全く貴方というお方は……さぁどういった経緯でアルベルト様と交流を持ったかお話して頂きますよ!お車で王都に帰りながらですが」
「うぅ……仕方あるまい。君ならまだ信用出来るから正直に打ち明けるとしよう」
ヨハンにせっつかれ観念したヴェンツェルは愛車で王都まで戻る道中に全ての詳細を話した。こうして秘密になる筈だったヴェンツェルとアルベルトの関係はこの一日で二人もの人間にバレてしまったのであった。そしてヴェンツェルの知らぬ間に更にもう二人……
「調査から戻ったか。入るが良い」
ヴェンツェルらが帰路に着いた頃、王宮では女王マルガレーテが自室の椅子に座りくつろいでいた。そこへノックする音が聞こえマルガレーテが入るよう促すとドアを開けたのは今朝ヴェンツェルを物陰から見ていた金髪翠眼のメイドであった。
「アデリーナ、ヴェンツェルの様子はどうであった」
「宰相閣下は陛下が予想しておられた通りある人物と内密に接触しておりました」
アデリーナと言われたそのメイドはまるで人形のように表情を変えず淡々とした声で答えた。女王はやはりと呟きアデリーナに聞いた。
「してアデリーナ。その人物とは誰じゃ」
「……元外務大臣フランク様の次男、アルベルト様です」