蝶好き令息宰相家へ行く④
「ヨゼフさんが政治家になったのはご子息の死がキッカケ……?」
エレオノーレの発言がよく分からないアンナは首を傾げる。エレオノーレは優しい微笑みを見せながら詳細を話した。
「お屋敷に篭ってしまった夫を見かねた上官さんや親戚の皆さんが頻繁に夫を訪ねて励まそうとしてくれた。勿論私もね。でも中々立ち直れなくて皆心配したわ」
「そうなのですね……」
「そんな時お義兄さんの息子さんが訪ねて来て夫を虫取りに誘ったの。彼はアダムと仲良しで夫の事も叔父さんと呼んで慕っていたのだけど特に蝶や蛾に興味がある子では無かったの。だからどうして誘うのかと尋ねた夫に彼はこう言ったのよ。(叔父さんはアダムと蝶や蛾を採集しに行っていたから誘ったら元気になると思った)てね。夫はその気遣いに涙を流したわ。そして彼と日が暮れるまで蝶や蛾の採集をして遊んだ。その翌日、夫は私に朝食の席で(自分は軍人から政治家になる)と宣言したの」
「……」
「突然の宣言に驚く私に夫はこう続けたわ。(私はアダムの分まで今を生きる子供達を守ってあげたい。子供達の為に病気や飢餓や災害や戦争の恐怖など一切無縁の世の中を実現したい。だから前線の軍人から父と同じ政治家となる。いつまでも蛹のように閉じこもらず新たな目標に向け翅を伸ばし羽ばたく時が来たんだ)と」
「ヨゼフさんそんな事を……」
「そこからは早かったわ。夫は前宰相閣下の主催する政治サロンに参加して徐々に頭角を表したの。やがて夫を気に入った前宰相閣下と前国王陛下から後継者に指名され宰相にまでなったわ」
エレオノーレは夫が政治家になった理由を全て話し終えるとカップの残りの紅茶を飲み干した。
「元々別荘だったこのお屋敷に移住したのも公爵領より王都に近いのもあるけれどアダムとの思い出の場所でもあるからよ。夏にここへ泊まりに来ては二人で湖畔の森や野原で頻繁に蝶や蛾の採集をしていた。とても楽しそうだったわ……これは想像だけれどきっと夫はアルベルトさんにアダムの姿を重ねているわ。だから普通のお友達以上の思いを抱いていると思……アンナさん!?」
エレオノーレは話の最中ふとアンナの顔を見て驚きの声を上げた。アンナは感動の余り滝のような涙を流して両手で必死に拭いていた。
「どうなさったの!?大丈夫!?」
「ぐすっ……ぐすっ……すいまぜん奥ざま……ぞの……感動して……つい涙が……!」
「そっ、そうなのね……ありがとうアンナさん。このハンカチ使って涙を拭いて」
エレオノーレは先程とは反対にアンナにハンカチを渡した。アンナはハンカチで涙をふくと落ち着いて話し始めた。
「ありがとうございます奥様……えへへ、すみません私こういうお話に弱くて……でも私初めてヨゼフさんの事を尊敬しました」
「あら、これまでは主人を尊敬していなかったのかしら?」
「あっ!?すみません奥様!やだ私ったら……!」
アンナはヴェンツェルに対し失礼な事を言ったと思いオロオロしながら謝るとエレオノーレは上品に笑った。
「ウフフ、良いのよ。夫は仕事以外ではどこにでもいる陽気で気の良いお爺さんだからあんまり尊敬するって人ではないものね。だけれど私はそんな夫を誇りに思っているし今でも愛しているわ。心から愛した男性は後にも先にも夫だけよ」
「素敵!一人の男性への愛を貫く奥様も本当に素敵です!正に真実の愛だわ!私も結婚したら奥様みたいな女性になりたいなぁ……」
「それはアルベルト様と結婚したらって意味かしら?」
「!?」
エレオノーレの思わぬ言葉にアンナは驚愕し目を丸くした。そして同時に耳の先まで真っ赤になって頭から湯気をモワモワとたてた。
「あの奥様……ななななぜ私の好きな方がアルベルト様と……!」
「ウフフ、図星だったみたいね。アンナさんの行動を見ていたら大体分かるわよ。あぁアルベルトさんに恋をしているのだってね」
「……まさかバレていたなんて」
「ねぇアンナさん?アルベルトさんのどこがお好きなの?よろしければ聞かせてくれないかしら?」
心に秘めた想いを全てを見透かされ観念したアンナはエレオノーレにアルベルトの好きなところを話し始めた。
「アルベルト様は蝶や蛾の事ばかり考えておられますがとてもお優しくて身分を気にせず接してくれます。でも優しいだけじゃなくて勇気もあります。初めて会った時も身分が上の貴族様に立ち向かって奴隷同然の状態だった私を救ってくれました。私はそんな優しさと勇気を兼ね備えたアルベルト様が大好きなんです」
「奴隷同然の状態?アンナさん何があったの?」
「実は……」
アンナの過去について気になったエレオノーレにアンナは自身の生い立ちやアルベルトとの出会いについてを説明した。するとエレオノーレは驚愕した表情になった。
「……という訳なんです奥様」
「まぁアンナさんにそんな過去が……辛い事思い出させてごめんなさいね」
「いえ、昔の事ですから。それにあの時代があったから私はアルベルト様と出会うことが出来ましたしね」
「私達よりずっと辛い経験をしたのに……強いのねアンナさんは」
話の流れで辛い過去を思い出させてしまった事を申し訳なさそうに謝るエレオノーレにアンナは首を横に振った。
「私はそれからずっとアルベルト様をお慕いしているんです。でもアルベルト様は恋愛に関しては鈍くて……私も正直奥手でまだデートはおろか手も繋げていないんです」
「そうなのね……」
「それに最近女王陛下やウェルナー家のクラウディア様がアルベルト様と親しくなりまして……他にもヨゼフさんを含めて高貴な方々と交流を持つようになったのでいつか他のご令嬢に先にアルベルト様を取られてしまうのではと不安なんです」
「……」
アンナは想い人に対する自身の不安を吐露して不安な表情で俯いた。そのアンナの顔をエレオノーレは黙って見つめた後口を開いた。
「確かに使用人であるアンナさんが伯爵令息のアルベルトさんと結婚するのは容易ではないわ。貴賤結婚というのもあるけれど大体は同じ貴族の場合が多い。そもそもこの国では平民と貴族の結婚は原則禁じられているの」
「やはりそうなのですね……」
「例えアンナさんが爵位を得て結婚出来ても貴族の妻になるというのは生易しい事では無いわよ。社交界の細かいルールを覚えなくてはいけないしダンスもマナーも勉強も出来なくてはいけない。時には元平民である事で中傷されるかもしれない。愛だけでどうにかなるものではないの。それでもアルベルトさんの奥さんになりたいのかしら?」
「そっ、それは……」
エレオノーレから厳しい現実を突き付けられたアンナは戸惑い言葉に詰まった。だがすぐに覚悟を決めに椅子から立ち上がり大きな声で宣言した。
「それでも……それでも私アルベルト様を愛しているので絶対結婚したいです!ダンスもマナーも努力して覚えます!悪口言われても平気になれるように心も鍛えます!爵位だってどうにかします!アルベルト様の横にいて恥ずかしく無い妻になりたいですっ!!!」
アンナの大声にエレオノーレは驚き固まったがすぐにその意志の強さを認め微笑んだ。
「……本気なのね。気に入ったわ。私がアンナさんのマナーとダンスの教師になってあげる。爵位の事も含めて面倒を見る事にするわ」
「えっ!?本当ですか!」
「実は昔家庭教師をやっていた時期があるから人に教えるのは好きなの。それに辛い過去を持ちながらも強く生きているアンナさんを後押ししてあげたくなったのよ。私達みたいな中央政治に関わる上位貴族だと難しいかもしれないけど小さな地方領主の奥様であればアンナさんもなれなくは無いと思うしね」
「奥様……!」
エレオノーレが自分の教師になってくれると聞いてアンナは目を潤ませ感激する。
「でもまずアルベルトさんに異性として意識してもらわないと駄目よ。最低でも手を繋いだりするのは早めにしておかないと」
「でっ、ですよねぇ……はぁ」
「だから今後は積極的にアピールしなさい。そうしたらきっとアルベルト様の心に響くわ」
「奥様……私頑張ってアルベルト様の心を射止めて見せます!」
「ウフフ、これから暇が出来たらこのお屋敷にお泊まりに来てね。アンナさんを指導してあげるから。頑張りましょう」
「はい!ありがとうございます!」
アンナからの感謝の言葉にエレオノーレは満足そうに微笑む。
「さっ、そろそろお屋敷に戻ってお夕食の支度をしましょう」
「えっ!?お夕食も奥様がお作りになるのですか?」
「今日はアルベルトさんも来ているから丁寧にもてなしたいの。またお手伝いしてくださらない?」
「えへへ、もちろんです奥様!」
恋バナを通じてすっかりエレオノーレと打ち解けたアンナは夕食の手伝いを笑顔で引き受けた。そうして二人は庭の東屋から屋敷へと戻っていった。
「アルベルト様!!!どうされたのですか泥んこになって!」
「あはは……森で熊に押されてぬかるみに倒れちゃって……」
夕方になり屋敷へと帰ってきた泥だらけのアルベルトを見てアンナは驚愕する。アルベルトは申し訳なさそうに苦笑いしながらその訳を説明するとアンナは更に目を丸くして青ざめた。
「熊ですって!?だだ大丈夫だったのですか!」
「熊はアルベルト君になついておったから危害は加えられんかったのじゃがすっかり服が汚れてしもうての。生き物に好かれすぎるのも大変なものじゃのう」
「ごめんねアンナ。汚れた靴と服で屋敷に上がらないって約束したのに……」
熊に襲われたのではないと知るとアンナはホッとしたが同時に約束を破った事に対し怒りを見せた。
「はぁ……全くなんで私から言われた事を守らないんですか!」
「ごめんってば……でもほら、蝶や蛾はお屋敷に持ち込んでいないよ!」
「当たり前です!持ち込んだらビンタですよビンタ!」
「まぁまぁアルベルトさんも反省しているみたいだから。着替えるなら浴室を使ってくださいね」
「すいませんエレオノーレ様……浴室を借ります」
アンナ同様玄関まで来たエレオノーレに促され泥だらけのアルベルトは屋敷に上がり込む。するとヴェンツェルがアルベルトの背中を見てあることに気づく。
「ん?アルベルト君背中に何か……!?おいアルベルト君!カミナリスズメがついて来ておるぞい!」
「えぇ!?本当ですかヨゼフさん!」
アルベルトの背中には黄色と黒の模様が特徴的な雷魔力の蛾カミナリスズメがくっついて来ていた。
「森からそのままくっついて来たのじゃな。そっととるからそのまま動かんでくれ」
「電流に気を付けてくださいヨゼフさん……!」
「君を感電させんように善処するぞい」
ヴェンツェルはカミナリスズメを安全に取る為そっと手を伸ばし捕まえようとする。ところがそれを察したのかカミナリスズメは羽を広げ凄い勢いで飛び立った。
「!?しまったカミナリスズメが!!!」
カミナリスズメは玄関先の天井をぐるぐると旋回しながら高速で飛び回るが急に方向転換してアンナの顔に一直線に向かって来た。
「あぁアンナ!!!危ないっ!!!」
「アンナ殿!!!」
アルベルト達が叫んだがもう手遅れであった。カミナリスズメはアンナの唇に頭を上にして止まった。そして初めてヴェンツェルと研究室で出会ったあの日のようにカミナリスズメに唇を奪われたアンナは見る見るうちに顔面蒼白になり沈黙したまま白目をむいて気を失った。
「アンナあああぁぁぁーーー!!!」
その瞬間宰相家の邸宅にアルベルトの絶叫が響き渡った。
★★★
「……ねぇアンナ、まだ怒ってる?」
玄関先の悲劇から一夜明け、アルベルト達は王都方面に向かう駅馬車に乗って帰宅の途についていた。隣に座りそっぽを向くアンナに気まずそうな顔で尋ねるアルベルトの両頬には赤い手形の跡がついている。
「怒ってますよ!!!泥だらけで帰ってきた挙句でっかい蛾まで持ち込んで!おかげで今朝まで気を失ったまま過ごす羽目になったんですからね!ビンタ十発で済ませてあげただけでもありがたいと思ってください!」
「本当にごめん……あぁまだヒリヒリするし跡も残ってる……」
「お隣にいた奥様が支えてくれたおかげで倒れずに済んだんですよ!全くもう……」
申し訳なさそうに謝るアルベルトにアンナは怒りを爆発させた。そして呆れた表情で深いため息をついた。
「だっ、だけれどヨゼフさんのお宅に遊びに行けて楽しかったね!僕も標本コレクションを見せてもらえたしアンナもエレオノーレ様と仲良くなれたみたいだしね!」
「それは……そうですけれど」
アルベルトは悪くなった空気を払拭しようと慌てて話題を変えた。アンナはあからさまな話題変えに納得いかない様子ながらも怒りを鎮める。
「私、奥様のお話を聞いて感動しちゃったなぁ。お子様の死を乗り越えてそれをきっかけに政治家を志すなんて。ヨゼフさんを一途に愛し続ける奥様も素敵だったわ」
「ん?それ何の話?」
「あっ、アルベルト様は聞いていませんでしたっけ?実はかくかくしかじかで……」
アンナはエレオノーレから聞いた話をアルベルトに話した。
「そっかヨゼフさんにそんな過去が……今を生きる子供達を守る為に政治家になるなんて格好良いなぁ」
「そうですよね!フフフ」
アンナは話を聞いて深く感心したアルベルトに同意するように微笑む。そしてアルベルトの顔を見つめ頬を淡く染める。
「どうしたのアンナ?」
「ねぇアルベルト様、私アルベルト様の為に努力して淑女らしくなりますからね」
「え?どういう意味?」
「今は分からなくて良いです。フフフ」
「?」
アンナの言葉の意味が分からず首をかしげるアルベルトにアンナはそう言ってそれ以上を語らず微笑みながら窓を眺めた。そんな二人を乗せた駅馬車はゆったりとベルンシュタイン領に向けて進んでいったのだった。その頃王都では話好きの平民の男達がカフェでくつろぎながら近頃の情勢を語らい合っていた。
「おい聞いたかあのニュース。朝刊読んでびっくりしたぜ」
「ん?(パピヨン)がボナヴィアに入国したかもってあれか?それともバーデンベルク王国の(婚約破棄)騒動か?」
「あー違う違う。それらも驚いたが一番衝撃だったのがあんだよ」
男の一人はそう言うと新聞を取り出して一面を飾る写真に指を刺した。
「元王弟殿下のレオポルト様がこの国で一番厳しい監獄から脱獄したんだとよ」
(お知らせ)
次回更新予定:30日




