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蝶好き令息宰相家へ行く②

「廊下にも沢山立派な肖像画が飾られていますね……うわっ!甲冑まで!」


 アルベルトはヴェンツェルのコレクションルームに行く途中の長い廊下に飾られた数々の肖像画や銀色に光る甲冑に目を奪われる。


「この廊下に飾られておる肖像画は歴代のシュメルテンベルク家の当主じゃ。遠い昔ワシらの家はオストライヒの有力貴族でそのうちボナヴィアに移り住み土着した分家がワシらの直接の先祖じゃよ。今も西南部に領地を所有しておる。兄一家が継いでおるがの」

「へぇー、由緒ある家系なのですね。それでこんな沢山肖像画が」

「アルベルト君の家にも同じような肖像画は飾られておるじゃろう?ベルンシュタイン家もかなり古い家柄だったはずじゃぞい」

「あるにはあるのですが父上も僕もご先祖様の事とかそれほど興味がなくて物置にしまっていまして……一部の肖像画は状態が悪くなって処分してしまいました」

「……」


 ヴェンツェルはベルンシュタイン家の先祖に対する畏敬の念の薄さに何とも言えない表情になる。その顔を見たアルベルトは気まずくなり謝罪した。


「何かすみません閣下……ご先祖様にもう少し興味を持つようにします」

「いやまぁ君の家の事じゃからワシがどうこう言うつもりもないが……あとこの家でもワシの事はヨゼフと呼んで構わんぞい。さてそんな話をしておる間についたぞい。自慢の標本を所蔵したコレクションルームじゃ」


 廊下で歩きながら話している間に二人はコレクションルームの前まで到着した。アルベルトは扉の向こうに広がっているであろう楽園に胸を躍らせる。


「何だかドキドキしてきましたよ僕……」

「フフフ、期待してくれて良いぞいアルベルト君。それでは中に入るとしよう」


 ヴェンツェルは期待に満ちたアルベルトの表情に満足げな笑みを浮かべて扉をゆっくりと開ける。そして二人はコレクションルームへと入っていった。


「わぁ……」


 コレクションルームの内部はアルベルトの研究室と称する建物以上に美しく整理されていた。世界の美しい蝶や蛾の仲間の標本がシックな壁紙を張った壁に規則正しく綺麗に見えるように掛けられ標本棚も埃一つかかることなく綺麗に保たれている。更に物が雑に置かれた研究室とは違いほとんどの標本や図鑑が棚に収容されており床には高級絨毯まで敷かれていた。標本特有の匂いこそ漂うが上位貴族の部屋らしく上品に整理された部屋であった。


「僕の研究室よりずっと整理されてますね!それに全然埃っぽくない!」

「使用人達に留守の間も清掃するように言ってあるからのぅ。それと前も言ったようにワシはアルベルト君と違って研究よりも美しく珍しい蝶や蛾を集める事が好きじゃから顕微鏡とかは置いておらんぞい」


 ヴェンツェルは部屋をキョロキョロ見渡すアルベルトにそう言いながら部屋の奥へと進み掛けてある標本を紹介した。


「早速じゃがこの壁に掛けてあるのがモルフォの仲間じゃ。ワシは数ある美しい蝶の中でもこのモルフォの仲間がお気に入りなんじゃよ。青くメタリックに輝く羽が美しいからのぉ」

「分かります!分かりますよヨゼフさん!!!僕もモルフォの仲間を初めて標本で見た時この世にこんな美しい蝶がいるのかと感激しましたから!あっ、これはネプトヌスモルフォですね!数あるモルフォの中でも特に美しいと言われる!」

「ちょっと興奮しすぎじゃぞいアルベルト君。でも無理はないか。ワシもモルフォを初めて見た日の夜は眠れなかったからのぅ。ようやく寝た時に南フォルディア大陸に採取しに行く夢を見たぐらいじゃ。ハッハッハ」


 モルフォを見て鼻息を荒くし興奮するアルベルトをヴェンツェルは注意しつつその気持ちに理解を示した。アルベルトは続いてモルフォの横に飾られた蝶に目をやると更に大興奮した。


「あぁーー!!!こっちはニューギネア島に生息するトリバネアゲハの仲間じゃないですか!しかもアトマストリバネアゲハの雄!!!僕も持ってないのに!」

「おぉ、気づいたかアルベルト君。トリバネアゲハ類も実はお気に入りなんじゃ。人類最初の光の王アトムの名を冠するアトマストリバネアゲハ、美しいじゃろ?」

「ええもう素晴らしいですよ!しかも隣にあるのはローズフィールドトリバネアゲハの雄!僕もう一日中この標本だけ眺めて過ごせますよ!」


 壁に掛けられた珍しく美しい蝶の標本をアルベルトは琥珀色の瞳をキラキラと輝かせながら見つめ続ける。


「モルフォやトリバネアゲハ以外にも色々標本があるから好きに見て良いぞい。あぁ、あそこの棚にはワシが直接採集して作ったボナヴィア産の蝶や蛾の標本が入っておる」

「ヨゼフさんが直接採集されたものですか!ぜひ!ぜひ見させていただきます!」


 アルベルトはヴェンツェルに勧められ手作りの標本にも興味を持ち棚の前へと移動する。そんな具合に二人は部屋の中で充実した時を過ごし気が付けば一時間半が経過していた。


「はぁ……僕はこんなに幸福な時間を過ごして良いのかなぁ……」

「本当に幸せそうじゃのう。君のその顔を見るとワシも連れて来た甲斐があったと思えるぞい。じゃが満足するのはまだ早いぞい。とっておきの蝶を見せておらんからの」


 ヴェンツェルは恍惚の表情でソファに座るアルベルトにそう言うと近くの棚の錠前を外し中から小さな標本箱を取り出した。


「えぇ……もうやめてくださいよヨゼフさん……僕興奮しすぎて死んじゃいま……!?これはまさか!」

「そのまさかじゃよ。タイカシボリアゲハじゃ」


 アルベルトは渡された標本箱の中を見て目を見開きガクガクと震える。標本箱の中には鈍い黒地の細めの翅に黄色の繊細なすじ模様、下翅に赤と緑の小さな紋がある美しい蝶が入っていた。


「ナナイロマダラと並ぶ珍蝶シボリアゲハ類の一種じゃ。ワシのコレクションの中で一番貴重かつ高価な蝶じゃよ。アルベルト君は持っていなかろう?」

「持っていませんよ!!!すごい!イースシア大陸の大華国南部の限られた地域にしかいない珍しい蝶だ!シボリアゲハ類は貴重過ぎて一種も持っていないから感激だ!」

「ハッハッハ!予想通りの反応をしてくれてワシは嬉しいぞい。本当ならより珍しい(シャングリラシボリアゲハ)を手に入れたかったがのう」


 ヴェンツェルは予想通りの反応をしたアルベルトに満足しつつもっと珍しい種類だったら良かったとも呟く。


「あはは、それは高望みですよ。シャングリラシボリアゲハはヒマヤナ山脈のドゥルック王国で五頭しか採集されていないのですから……ところでこれはどこで手に入れたのですか?」

「うむ、ブレノにあるシュタール商店という店じゃよ。そこのデニスという男が珍しい昆虫を集めるのが好きで蝶や蛾の標本も沢山持っておるんじゃ」

「へぇーそんな店がブレノにあるんですか!行ってみたいなぁ……」


 アルベルトはヴェンツェルから標本を手に入れた店の事を聞きつつ箱の中のタイカシボリアゲハを食い入るように眺め続ける。


「あぁこの黄色と黒の美しく繊細な模様!後ろ翅の赤と緑のアクセント!スリムで滑らかな翅!あぁ生まれてきて良かった!はぁ……最高♡」

「アルベルト様、ヨゼフさん、昼食が出来ましたよー」


 ちょうどその時ドアの向こうからノックと共にアンナの昼食を知らせる声が聞こえてきた。ヴェンツェルはアルベルトに標本を返すように促す。


「おぉもう昼食か。すまん、眺めておるところ悪いが標本を返してくれんかね」

「あっ!すみませんヨゼフさん。つい見入ってしまって……」

「いやいや別に構わんが……アルベルト君大丈夫かね!!!」

「えっ?」


 ヴェンツェルはアルベルトの顔を見てぎょっとしながら大きな声を上げる。しかしアルベルトは無自覚なのか呆然とした表情をしていた。


「いったいどうなさったのですかヨゼフさん!アルベルト様に何……キャアアアァァ!!!」


 ヴェンツェルの大声を聞き慌てて部屋に入ってきたアンナもアルベルトの顔を見た瞬間絶叫した。何と幻の蝶に興奮しすぎて沢山の鼻血を出していたのだ。



★★★



「いくら珍しい蝶に興奮したからって鼻血まで出すなんて……もう好きを通り越して変態ですよ」

「変態って……そんな言い方はないでしょアンナ」


 昼食の時間になり食堂で食事を始めたアルベルトにアンナは辛辣な言葉を吐く。アルベルトはアンナの言い方に対しムッとしながら言葉を返した。


「まぁまぁもう良いじゃない。それよりアルベルトさん、そのポテトパンケーキは美味しいかしら?」

「えっ?あっはい!とても美味しいです!」


 エレオノーレに尋ねられたアルベルトは目の前の皿にあるニンニクやスパイスを使ったボナヴィア風ポテトパンケーキを頬張り満足そうに答えた。


「フフフ、なら良かったわ。実はそのポテトパンケーキはアンナさんが作ったものなのよ」

「えっ!?そうなんですか!」


 アルベルトはポテトパンケーキを作ったのがアンナだと聞いて驚いた。


「アルベルトさんの好物だから作りたいって言って張り切っていたわ」

「そうだったのですね。ありがとうアンナ、とても美味しいよ」

「えへへ……アルベルト様の為に愛情を込めて作りましたから……」

「ウフフ、良かったわねアンナさん。となりのお皿にあるソーセージとサラダも地元でとれた食材を使った自家製よ。いっぱい食べて頂戴ね」


 アンナはアルベルトにお礼の言葉をかけられて照れながら笑顔になる。一方ヴェンツェルは何故か浮かない顔をしていた。


「うーむ、ポテトパンケーキか……」

「あなた何かご不満でも?」

「いや不満はないのじゃがポテトパンケーキならワシがアルベルト君に作ってやりたかったぞい。以前アルベルト君が作ったものを食べさせてもらったお返しにな」


 ヴェンツェルがそう残念そうにぼやくとエレオノーレは呆れた表情で言った。


「あなたお料理苦手なんですからおやめになった方が良いわよ」

「何を言う。ポテトパンケーキくらいならワシでも作れるぞい」

「目玉焼きを火の魔力で作ろうとして厨房でボヤ起こしたのは誰だったかしら?あなたの魔力は戦いには向いても細かい作業には向かないんですから」

「むぐぐ……」


 エレオノーレから注意されたヴェンツェルは何も言い返せずうなだれる。アルベルトは元気をなくしてしまったヴェンツェルを気遣うように声をかけた。


「僕はヨゼフさんのそのお返しをしたいという気持ちだけでも嬉しいですよ。だから元気を出してください」

「……君は本当に優しいのぅ」

「いえいえ、それに今日沢山の蝶や蛾を見せて頂けただけでも十分です!あぁ、いつか大陸の外の国に行って今日標本で見たような蝶や蛾を採集して研究したいなぁ」


 アルベルトの呟きを聞いたヴェンツェルは頷きながら親友の気持ちに理解を示した。


「分かるぞいアルベルト君。ワシも一度は標本でしか見れない蝶や蛾達が羽ばたいておる姿を見てみたいものじゃ」

「うんうん、そうですよねぇ」

「じゃがもし行けたとしても危険な冒険になるじゃろうな。モルフォやトリバネアゲハのいるジャングルには危険な猛獣や食人族がいるという話じゃからな」

「えっ!?そうなんですか!」

「噂ではあるがのぅ。実はワシの兄が家督を息子に譲ってから世界中を気ままに旅しておるのじゃが散々危ない目に遭ったと聞いておる。海賊に襲われたり崖から落ちそうになったりな」

「うへぇ大変ですね……というかお兄さん世界旅行をしているんですね」


 ヴェンツェルが自身の弟の話を交え外の世界の危険について語りアルベルトを怖がらせているとエレオノーレが止めに入った。


「あなたそんな恐ろしいお話はおやめなさいな。アンナさんも怖がっているわ」

「!すまんアルベルト君、アンナ殿、怖がらせるつもりはなかったんじゃ……」

「ウフフ、だけれどあなたとアルベルトさん蝶や蛾の話をしている時は本当に生き生きしているわねぇ。見ていると仲良しのお爺さんと孫みたい」

「いやぁワシもアルベルト君と話しておると自分でそういう気分になってくるぞい。欲を言えば本当・・の子や孫とも蝶や蛾の話をしたかったがの……」


 ヴェンツェルはそう言うとどこか寂し気な表情で目線を下に向ける。その様子を見たアルベルトは首をかしげながら尋ねた。


「どうしましたかヨゼフさん。暗い顔になって」

「いやな、実はワシらは……」

「ゴホッ!!!ゴホッゴホッ!!!」


 不思議そうに尋ねるアルベルトにヴェンツェルが説明しようとしたその時、食後の紅茶を飲んでいたエレオノーレが急に大きくむせだした。


「!?エレオノーレ!大丈夫か!」


 急にせき込みだしたエレオノーレにヴェンツェル達が慌てて駆け寄る。しかし喘息持ちのエレオノーレの咳は止まらずどんどん苦しそうな表情になっていく。


「まずい!呼吸が苦しそうじゃ!どうにか落ち着かせんと酸欠になってしまうぞい!」

(お知らせ)



・次回投稿予定:15日

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