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(番外編)老宰相ヴェンツェルのお忍び街歩き①

ヴェンツェルが主人公の特別番外編を作りました。

時系列的には(伯爵領の夜盗虫)と(ボナヴィアの聖女)の間の出来事です。

「ブレノの街を歩くのは久しぶりじゃな。さて、妻に買う土産物を選ぶとするかのぅ」


 王都フラウから東南の方角に離れたボナヴィア王国第二の都市ブレノ。赤い屋根とレンガの商店が並ぶ活気ある街中をこの日ヴェンツェルはやや身なりの良い紳士風に黒いスーツとシルクハットを被り歩いていた。ヴェンツェルは地方視察に行くとこうして一人お忍びの散策をする事があるのだ。


「ブレノ市長との会談と陸軍駐屯地の視察が重なって時間が取れないのではと思ったが無事に街歩きが出来て良かったわい。じゃが夕方までには滞在しておるホテルに戻らなくてはヨハン君に怒られてしまう」


 ヴェンツェルは一人で街を巡りたいと滞在先のホテルに残して来たヨハンに怒られないように気をつけようと考えつつ商店に売られているお菓子や雑貨などを見て回り屋敷にいる妻に日頃の感謝を伝える為のお土産探しをする。


「うーむこの色ガラスのグラスはよく出来ておるのぅ。ご主人、これはいくらじゃな?」

「へぇ、500グローネになりやす」

「おおそれなら買える。それじゃあ……」

「おっ、あんたヨゼフ爺さんじゃねぇか?」


 ヴェンツェルが雑貨屋で購入しようとした時、馴染みのある声を聞いて思わず振り返った。するとそこには短い赤褐色の髪の中年男がニコニコ笑いながら立っていた。


「おぉ、お前さんはシュタール商店の!」

「そうデニスだよ!久しぶりだなぁ!一年前に南方大陸のフタオチョウの標本を購入してくれて以来か!」


 デニスと名乗る男はそう言ってヴェンツェルの肩をバシバシ叩き再開を喜んだ。実はデニスとは顔馴染みで前に同じく公務でブレノへ来た時経営する店にたまたま入ったのが縁で知り合った。彼は様々な輸入雑貨を取り扱う店の主人だが外国産の昆虫標本を収集する趣味も持ち一部をマニアに販売するこの国では珍しい標本商でもある。因みにデニスには自分の正体は明かしていない。


「それで?こんなところで何やってんだ?」

「久しぶりにブレノに来たから妻への土産物を買って帰ろうと思ってのぅ」

「それじゃウチにも寄ってくれよ!良い蝶の標本が手に入ったからよ」


 デニスは笑いながらそう誘うがヴェンツェルは乗り気ではなかった。


「あーすまんが無理じゃ……生憎手持ちが少ない上に妻から当分高い標本は買わないよう言われておるんじゃよ」

「そんなつれない事言うなよ!シボリアゲハの仲間が入ったんだぜ!爺さんいつか手に入れたいって言っていたじゃんよ!」

「何じゃと!?」


 蝶の名前を聞いたヴェンツェルは驚きデニスの顔を見た。それはヴェンツェルが長い手に入れたくて仕方のなかった蝶だったからだ。


「種類はタイカシボリアゲハだ!大華国(たいかこく)帰りの商人から手に入れたんだ!気になるだろ?」

「確かに気になるが……しかし高いのじゃろう?」

「勿論さ!だがよぅ爺さん。これ逃したらもう買える機会はないんじゃねぇか?歳いくつか知らねえけどもしかしたら生きている間には拝めなくなるかもしれないぜ?」

「ううぅむ……」


 ヴェンツェルは迷った。タイカシボリアゲハは非常に貴重な蝶でこのチャンスを逃せばもう二度と手に入らないかもしれない。しかし買ってしまうと妻との約束を破る事になる。


「なぁ爺さんどうするんだ?」

「……一応見るだけ見ておこうかのう。買うかどうかは別じゃ」

「またまたぁ。どうせ見るだけじゃねぇだろう?とりあえずウチに来いよ!」


 デニスに肩を叩かれながらそう言われたヴェンツェルは雑貨屋の主人にグラスを返しすまないと言ってからシュタール商店へと向かった。


「おぉ……これは美しい……」

「どうだい爺さん、欲しくなったんじゃねえか?」


 シュタール商店に来たヴェンツェルは店の奥にある標本部屋に通されるとデニスにタイカシボリアゲハの標本箱を手渡された。やや細めの薄い翅に黒と黄色の筋模様、そして下翅に赤と緑の斑紋と左右の翅ニ本ずつの長い尾をもった美しい標本にたちまち魅了された。


「確かに喉から手が出るほど欲しいが……因みに値段はどのくらいじゃね?」

「そうだなぁ。200万グローネぐらいか」

「にっ、200万グローネ!?」


 ヴェンツェルは200万グローネと聞いて目が飛び出さんばかりに驚いた。ボナヴィアにおいて高級シルクのドレス一着が買えるような値段である。


「流石に200万グローネは無理じゃ……妻に怒られてしまう」

「おいおい、奥さんに頭が上がんねぇ男ってのは情けないもんだぜ?買っちまえよ。なっ?」


 デニスはニヤニヤしながらヴェンツェルの肩を叩きそそのかした。ヴェンツェルは険しい顔になって迷い唸る。


「別に今一括で払ってくれとは言わねぇよ。手持ちが少ないんだろ?」

「それはそうじゃが……値引き交渉は出来んかのう?」

「そいつは出来ねぇ相談だな。200万グローネより下には下げられねぇよ」

「むむむぅ……」


 値引きを要求するヴェンツェルにデニスは首を横に振って拒否する。ヴェンツェルは高い蝶を取るか妻との約束を取るか究極の選択を迫られたのだった。



★★★



「はぁ……結局妻との約束を守って諦めたが今になってもの凄い後悔が襲ってきたわい」


 シュタール商店に行ってから一時間後、ヴェンツェルは中央広場近くの居酒屋で肩を落としてしょんぼりとしていた。最終的に妻との約束を優先しタイカシボリアゲハを諦めたヴェンツェルだったがもう手に入らないかもしれない蝶を逃したショックは尋常なものではなかった。


「じゃがまぁ仕方ない。運命だったと思い受け入れるしかないのぅ。気晴らしにタバコでも吸うか」


 ヴェンツェルはそう言って肩掛けカバンからパイプを取り出そうとする。だが


「あっ、あれ?おかしいのぅ。ワシの愛用のパイプが見当たらないぞい」


 バッグの中に入れたはずの愛用のパイプが見当たらなくなっていたのだ。ヴェンツェルは机に肘をつき二重に落ち込む。


「これが東洋のことわざにある(泣きっ面に蜂)というやつかのぅ……」


 すっかり落ち込み負のオーラを放っていたヴェンツェル。するとディアンドル風の服を着た長い赤髪をした若い女性が近づいて来て声をかけた。


「どうしたんだい爺さん!そんな落ち込んでさぁ」

「ん?君は誰かね?」

「あたいはレオナ。この店で働いてるんだ。それで爺さんは?」

「ワシはヨゼフという。王都から来たんじゃがちと後悔した事があってのぅ……」


 ヴェンツェルはレオナに蝶を買おうとした事は伏せつつ買い物を諦め後悔した事とパイプがなくて二重に落ち込んだ事を話した。


「なるほどねぇ。でも立派じゃないか!奥さんとの約束を守ったんだろう?」

「そう言えば聞こえは良いのじゃが……」

「ほーらくよくよしないの!後悔していたって余計へこむだけだし幸せが逃げちまうよ!よしヨゼフさん!ちょっと待ってな?」


 レオナはそう言って店の奥に行った。しばらくして黒ビールが入ったジョッキと赤い料理の入った皿を持って来てヴェンツェルの前に出した。


「これは……?」

「うちの名物黒ビールと牛頬肉と豆のトマト煮セットさ。これで元気になりな。あたいからの奢りだよ」

「すまんなレオナ殿。ワシの為に……」

「気にしなくて良いって!ビールのおかわりが欲しかったら声をかけなよ!もう一杯だけ奢ってあげるからさ!」


 レオナはにっこり笑ってヴェンツェルを元気づける。そして他の客から声がかかったのを聞いて離れていった。


「うむ、この黒ビールはスッキリした苦味と香りが何とも言えん味じゃ。この料理も辛いが中々美味じゃのぅ」


 ヴェンツェルはレオナからサービスしてもらった黒ビールと料理のセットに舌鼓を打つ。少し機嫌の上向いたヴェンツェルに周りの男性客達が話しかけてきた。


「よぅ爺さん!良かったな看板娘のレオナちゃんに慰めてもらえてよ!」

「親父のデニスと違って気立てが良くて明るい可愛い子ちゃんだからな!全く羨ましいぜ」

「ん?デニス殿と言うとシュタール商店のかね?」


 男性客からデニスという名を聞いて気になったヴェンツェルは男性客に質問した。


「おっ?何だ爺さん知ってたのか!そうそうあの情けねぅ親父だよ。いっつもカミさんに稼ぎが少ないって叱られてばかりなんでさぁ。レオナちゃんその親父の分までこの店で頑張ってんだとよ」

「何じゃ。結局デニス殿も妻に頭が上がらん男だったんじゃな。ワシはさっきそのデニス殿の店に行ったばかりなんじゃ」


 ヴェンツェルは奥さんに頭の上がらない男はダメと言っておきながら人の事を言えないデニスに苦笑しつつ自分が店の客である事を伝えた。


「おぉそうかデニスの店の客か!爺さんも物好きだねーあんな蝶と蛾の標本ばかり置いてある場所に行くなんてさぁ」

「まぁ物好きには違いないのぅ。ハハハ」

「まっ、観光で来てんなら王都に帰る前にこの街たっぷり楽しんでいきな!ガハハハ!」


 男性客達はそう言って自分達の席に戻って行った。ヴェンツェルはそんな男性客達と居酒屋全体を見渡して


(賑やかな庶民の居酒屋で旨い酒を飲む楽しみ……王都で政務に忙殺されて久しく忘れとったな……)


 そう心の中で呟きまた黒ビールを飲もうとした。ちょうどその時だった。


「このクソアマァ!!!」

「キャアッ!!!」


 突然店の中に男性の怒鳴り声と女性の悲鳴が響いた。ヴェンツェルが声のした方を見つめると黒と茶の短髪の男二人が金髪の女性従業員を押し倒し詰め寄っていた。


「ケツ触ったくらいで睨みつけやがって……あぁ!?」

「そっ、そういう店では無いんです……」

「姉ちゃんよう?俺達を舐めない方が良いぜ?後で後悔する事になるからな」


 男達はそう言って女性従業員を恐喝している。するとレオナが割って入ってきた。


「ちょっとあんた達!?うちの店員に何やってんのよ!!!」

「あぁ!?何だお前?やんのかコラ!」

「ちょっと待て!ほぅ……お前も中々可愛い顔してんじゃねえか?名前は何だ?ん?」

「レオナだけど?文句ある?」

「レオナちゃんか。なぁ?そこの生意気な女の代わりに俺達と遊ばねぇか?なーんてなぁ!ギャッハッハッハ!!!」


 男達のうち黒い短髪の男がレオナに近づき下品な笑みを浮かべながら誘った。するとレオナは睨みながら黒髪の男が自分に伸ばして来た手を振り払って断る。


「嫌に決まってるじゃない!それよりうちの店員に謝りなさいよ!!!」

「なっ!やりやがったなテメェ!!!」


 黒髪の男は逆上して鉄の魔力で拳を黒く補強しレオナに殴りかかった。レオナは恐怖で動けなくなり周りの客も動揺して助けられずにいた。しかし次の瞬間


「なっ……!!!」


 黒髪の男の腕は割って入ったヴェンツェルに掴まれ止められた。


「女の子に暴力を振るうのは同じ男として関心せんぞい。それに一般市民相手に魔力を使うとは。レオナ殿、大丈夫かね?」

「このジジイ!腕を放しやが……グアアァ!!!」


 ヴェンツェルは炎の魔力で掴んだ腕を熱して黒髪の男を火傷させた。もう一人の茶髪の男は火傷の痛みと熱さで右腕を下ろして押さえる相方を見て怒りを滲ませながらヴェンツェルに怒鳴った。


「おっ、おいジジイ!てめぇ誰にイチャモンつけてんのかわかってんのか?あぁ?」

「さあな。誰じゃと言うのかね?」

「俺達は軍人だ!!!役立たずのテメェみてえな耄碌ジジイと違って国の為に働いてんだよ!」


 茶髪の男はそう言ってヴェンツェルに対してイキり散らした。ヴェンツェルは眉にシワを寄せ男達に注意する。


「軍人であるならば尚更一般人に信頼される行動をするべきじゃろう。酒場で女の子にセクハラをしてその上暴力を振るうのは言語道断じゃ!」

「黙れジジイ!おい表に出やがれ!口を聞けなくしてやるからよぅ!」

「良いじゃろう。話が通じないようじゃからな」


 茶髪の男はそう言って黒髪の男と店の外に向かった。レオナと男性客達は男達と対決しようとするヴェンツェルを心配して口々に言った。


「ヨゼフさんやめておくれよ。あたいの事は大丈夫だからさ」

「そうだよ爺さん!相手は軍人だぜ?爺さんじゃ無理だよ」

「悪い事は言わねぇから謝りなって……」


 しかしヴェンツェルは引き止める皆に見せながら言った。


「ワシはまだまだ現役じゃから心配いらん。それに(上官)としてあの連中を指導しなくてはならん」


 そして一番心配そうな表情を浮かべていたレオナにハンチング帽を預けてにこやかな表情を浮かべた。


「レオナ殿、これは落ち込んでいたワシを励ましてくれたお礼じゃ。待っていなさい」

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