宰相との出会い②
「これはこれは宰相閣下!!!よく我が屋敷にお越しになりました!いやぁ五年前からお手紙を送っていた甲斐があった!ガッハッハ!」
「久しぶりじゃなフランク殿。今日はたまたま時間があったのでお前さんの屋敷で昼食を取りつつ昔の話でもしようかと思うての」
愛車を走らせてベルンシュタイン伯爵邸に着いた宰相と秘書官ヨハンは早速門前で待っていたフランクから熱烈な歓迎を受けた。フランクは手を擦り合わせ笑顔を必死に作っている。
「いやぁ懐かしいですなぁ閣僚時代!ささっ、立ち話も何ですからお屋敷の中へ!昼食も用意してございますぞ!」
「うむでは早速。ところでワシの車はどこに停めておけば良いかな?」
「敷地内の厩舎近くにスペースがございます!屋敷の者に案内させましょう!」
「おぉそうか。すまんがヨハン君車をそこまで移動させておいてくれんか」
「畏まりました!」
宰相はヨハンに車を移動させるよう指示を飛ばすとフランクに促されつつ屋敷へ入っていく。そして食堂で昼食を食べながら昔の事から最近の事まで様々な話をした。
「いやはや閣下、女王陛下はお元気でいらっしゃいますかな?ワシはもう長い事謁見を許されていないので……」
「うむ、陛下は相変わらずじゃ。寧ろ王女であられた時代よりお転婆……いや活発になられた気がするのぅ。元気と言えばお前さんには亡くなった奥方との間に息子が二人おったな。二人とも息災かね?」
「えっ、えぇまぁ……上のエルンストは閣下もご存じの通り隣国の大使館で一応真面目に働いておりますが下のアルベルトはその……お世辞にも立派に育っておるとは言い難く……」
「ほぅ?それはどう言う事かね?」
宰相は次男アルベルトについて苦々しい顔で言葉を詰まらせるフランクの様子が気になり詳しく尋ねた。
「閣下にお話するのは大変恥ずかしいですがアルベルトは実に下らん趣味に耽ってばかりいる放蕩息子なのです。閣下もお噂でご存じかも分かりませんが」
「下らん趣味とは?」
「蝶や蛾の採集ですよ。アルベルトは幼い頃から蝶や蛾が好きでしてねぇ。大きくなれば飽きるだろうと思っていたのですが飽きるどころか年々趣味に耽る時間が増える始末で。おまけに屋敷の裏の森に研究室などという建物まで作りそこで標本や蝶を呼ぶ為の花壇や芋虫毛虫を呼ぶ畑なんてものを作っているのです。屋敷の裏口から毎日のように通い長い時だと朝から晩まで籠っているのです……」
「ほぅ……」
顔を赤らめ恥ずかしそうに話すフランクとは対象的に宰相は興味深そうに顎に手を当て話を聞いていた。
「しかしまぁフランク殿、誰にでも周りに理解されずとも楽しくてやめられない趣味はあるものじゃよ。フランク殿とて東洋の骨董品集めが趣味じゃろう?」
「しかし閣下!アルベルトの趣味がワシのように他に楽しむ貴族がいる趣味ならまだしもこのボナヴィアには他に蝶や蛾を収集する趣味の貴族は殆どおりません!しかもあいつは趣味に没頭するあまり貴族の茶会には顔を出さず令嬢達からも遠巻きにされているのです!折角取り付けた婚約も一体何件破棄になった事か!!!」
「あーフランク殿、少し冷静にじゃな……」
「しっ、失礼致しました!ともかくアルベルトの趣味はこの国では変わり過ぎているのです。他の貴族との交流にも支障をきたしております。エルンストと違い強い魔力も突出した才能も無く出世株では無いので地方領主として育てる事にしたのですが……今日も宰相閣下にご挨拶させる為屋敷に残るよう言ったのに領内の村へ採集へ出かけてしまいましてな。全くあの馬鹿息子は……」
「……」
フランクは話しているうちにヒートアップしたのを宰相に窘められながらもアルベルトへの不満をぶつくさと述べ続けた。その後も静かに話を聞いた宰相はカップに少し残っていた食後のコーヒーを飲み干すと懐からタバコ用のパイプを取り出した。
「まぁ確かにワシが来るのに挨拶をしようとせんのはちと問題かもしれんのぅ。じゃがワシとて昔は……おおっと!そう言えばお前さん煙草の煙は苦手じゃったのぅ。すまんすまん」
「いっ、いえ……まぁ閣下にこのような事を言うのは畏れ多いですがお吸いになるのであれば外でお願いしたいですな」
「うむ、そうさせて貰おう。仕事柄ストレスが多くて吸わんとやってられんのじゃ。それじゃフランク殿、ヨハン君、ワシは外で一服してくるから待っておってくれんか」
宰相はそう二人に告げると屋敷の外に出て愛用のパイプでゆっくりタバコを楽しんだ。だが暫くしてフランクのアルベルトに関する話をふと思い出した。
(そう言えばフランク殿は屋敷裏にご子息の研究室へ繋がる裏口があると言っておったな……)
宰相は話を思い出しながら屋敷の裏側の方へ目を向けた。そして好奇心からこのように考えたのである。
(その裏口とやら……少し見に行ってみようかの)
★★★
「おぉ!これが裏口の扉か」
好奇心にかられた宰相は早速屋敷の裏へ周り塀を探ると木で作られた扉があった。どうやら鍵を忘れているようで半開きになっている。
(ん?うっかり鍵をかけ忘れておるようじゃな。この向こうがアルベルト殿の研究室……まぁ本人も留守じゃろうし少し覗くだけなら良い……かの)
宰相は心の中でそう呟き扉を開けそして裏の森の小道に出た。森内はブナの雑木林で枯葉が腐り腐葉土となる特有の匂いが鼻をつく。しばらく宰相が小道を進むと小さな広場に出た。
「むっ、ここが話にあった研究室か……」
出てきた広場には白壁に赤褐色の瓦屋根の小さな家のような建物が佇んでいた。またその家の手前には畑があり多数の野菜やハーブや育てられ側の花壇には蝶が好きな花々も植えられていた。どうやらここがかの研究室のようだと宰相は察する。
「なるほど確かに畑や花壇もあるようじゃ。さて、一体どんな花や植物が植えられどんな蝶や蛾がやって来ておるのかのぅ」
宰相は畑と花壇がある場所を興味深そうに見つめ植えられた野菜や花を観察する。
「うーむ花壇にはブットレアにデイジーと様々な種類の蝶や蛾が好む花が植えてある。この畝にはアブラナも植えてあるがシロチョウ類の幼虫用かのぅ……ん?」
すると畑の方にある赤紫の広い葉を持つ作物の上で赤い翅を広げる蝶を発見する。
「おぉヒノコシジミではないか!翅の鮮やかな紅色と縁の黒色のコントラストが美しいのぅ。そして止まっておるのは食草のレッドマンドラゴラじゃな?という事はこれから卵を産むところか」
見つけたヒノコシジミの産卵が見られるのではと期待して宰相は懐から出した眼鏡をかけて膝を曲げてしゃがみ観察した。予想通りヒノコシジミは腹部を曲げて葉の裏側に小さな白い卵を産みつけ始めた。
「おぉ思った通りじゃ!ヒノコシジミの産卵をじっくり見たのはワシも初めて……」
「あの、貴方は誰ですか?僕の畑で何をしているんです?」
「!?」
突然背後から呼びかけられ宰相は驚き目を丸くしたまま振り返る。そこには土の付いた作業着姿で栗色のくせ毛と琥珀色の瞳の少年が呆然とした顔で立っていた。少年は背が低く童顔で丸い目や髪色も相まってまるで小動物かと思わせる出立ちである。
「おっ、お前さんは?」
「僕はこの地を治める伯爵家の次男でアルベルトです。お爺さんは一体どなたですか?」
(これはまずい!どう言い訳しようかの……)
まさか領内の村に行った筈のアルベルトが戻るとは思わなかった宰相は上手い言い訳が中々思いつかず動揺した。暫くの沈黙の後宰相は口を開いた。
「わっ、ワシは宰相殿の御者をしているヨゼフと言う。フランク殿にお会いする為にこの領地に来た宰相閣下をお屋敷にお送りして馬を繋いでから暇つぶしに周辺を散策しておったのじゃがついこの森に迷い込んでしもうた訳じゃ。何ぶん慣れない土地でのぅ」
宰相はどうにか即興で考えた苦しい嘘をアルベルトに説明した。アルベルトはポカンとしたままで宰相は不安を覚えた。
(やはり怪しまれたかのぅ……)
「なるほどそういう事だったのですね!まぁ不慣れな土地では迷ってしまいますよね!」
(良かった……単純な子なのか信じてくれたようじゃ)
「だけど今日父上に会いに来たお客さんって宰相閣下だったのか。挨拶しないで出て行ったのは流石に不敬だったかなぁ。まぁ仕方無いや」
(なっ、仕方ないやって……ワシへの不敬をそれで済ますでない!)
アルベルトは宰相の嘘をあっさり信じた。その上で大事な客が宰相だと知り自分の判断を軽く後悔したがその軽い言い方にヴェンツェルはむっとする。しかしすぐ気を取り直して話を再開する。
「ゴホン、それで迷った末にこの小屋を見つけて様子を見ておったのじゃよ。それでアルベルト殿は何をしておるんじゃ?」
「領内の村で沢山蝶を捕まえたので標本にしようと思いましてね!ここは研究室と言って蝶や蛾の趣味の為に狩猟小屋を改装した場所なんですよ。あっ、これが今日の収穫です。包んである紙は三角紙という蝶を傷つけないよう包む紙です!」
アルベルトは胴乱の中から三角紙に包まれたいくつかの蝶を取り出す。宰相が一つ一つ開いて確認すると紫の蝶に赤い蝶、橙色の蝶と様々な種類の蝶がいた。
「なるほど、これはユーロッパコムラサキか。紫の構造色が見事じゃのう。おっ!これはマンダリンモンキチョウではないか!我が国では温かい季節しか見られん火の魔力のモンキチョウの一種じゃ!そしてこっちはヒノコシジミか……」
宰相は蝶の種類を見事に当てそれを聞いたアルベルトは驚いた顔になり宰相を見つめる。
「よく分かりましたね!全部正解です!ヨゼフさんもしかして蝶がお好きなんですか?」
「!?あぁいやワシはただたまたま知っていただけというか…… 一応蝶や蛾の標本を集めてはおるので何となくそうでは無いかとな……」
宰相はつい種類を言い当てた事でアルベルトから蝶好きなのかと問われ少し戸惑い気味に自身も蝶や蛾に明るい事を話した。青年はその瞬間琥珀色の美しい瞳を更に輝かせ宰相の両手をとる。
「では僕と同じ趣味をお持ちなんですね!何て幸運なんだろう!このユーロッパの片隅の国に蝶や蛾を集める趣味を持つ人間なんて僕くらいだと思っていたのにまさかこの場所で出会えるとは!感動だ!」
「そっ、そうか、それは光栄じゃな……君顔が近いぞ」
いきなり両手をとられて目の前に近づかれた宰相はたじたじになる。
「ヨゼフさん!出会えた記念にこの蝶と蛾の研究室の中に案内しますね!」
「何と!良いのかね!」
「えぇ!一緒に蝶や蛾の魅力を語らい合いたいですから!中にはこれまで僕が集めた標本が沢山ありますよ!」
「ほほぅ、それは楽しみじゃ!」
アルベルトは国内で初めて自分と趣味の合う人を見つけた感動からその勢いのまま宰相を自身の研究室に誘った。宰相も研究室に入れるとは思っていなかったようで期待で胸をワクワクさせた。こうして宰相はアルベルトと共にドアを開け研究室内へ入って行った。