ボナヴィアの聖女再び②
(お屋敷中探したけれどアルベルト様の姿が無いわ……一体どこに行っているのかしら)
ベルンシュタイン伯爵邸に降り立った霊体のアグネスは早速邸宅内のアルベルトの部屋と裏の森にある研究室を捜索したが肝心のアルベルトを見つけられず屋敷内の廊下で困り果てていた。
(もしかしたら見回り?だとしたら領内を探さなくてはならないのだけど……)
「何ぃ!?バカ息子は北の村に行っただと!」
(!)
「はっ、はい旦那様!教会で農民の子に読み書きを教えるからと……帰りは夕方になるようです」
「ふざけるな!今日隣領の昼食会に連れて行くつもりだったのに!参加する令嬢と顔合わせさせるつもりだったのにあのバカ息子が!」
アグネスが伯爵領全体を探そうか迷っていたその時応接室から怒鳴り声が響いた。屋敷の主であるフランクがアンナの報告を聞き激怒する声だ。それを聞いたアグネスは二年前初めて偵察した時のアルベルトとフランクの会話を思い出す。
(領内の教会で読み書き……そう言えば初めてアルベルト様を偵察した時もそんな会話を聞いたわね。中に入ってよく聞いてみないと)
アグネスは更に話をよく聞く為壁をすり抜け応接間に入った。
「旦那様には朝食の時に伝えたと言っておりましたが?それに子供達に教育を施す行為は悪い事では無いのでは?」
「うるさい!メイドが口答えするな!何が読み書きだ!農民のガキ共に余計な教養与えるより社交パーティーに参加してコネを増やす方が遥かに生産的だ!あいつには貴族としての品位と意識が足りんのだ!」
アンナの言葉を遮り農民を下に見る発言をするフランクにアンナのみならずアグネスもムッとした表情をする。
「全く毎度毎度思うが完全に育て方を間違えてしまった!貴族らしさを幼い時から徹底的に叩き込んでいればいい歳して蝶や蛾を追いかけたり平民とばかり関わって社交を疎かにするような令息には育たなかった筈だ!あれは失敗作だ!息子としても貴族としてもな!」
(まぁ!?アルベルト様が失敗作ですって!彼のどこが失敗作だと言うの!フランク様は何を見ているのかしら!)
アグネスはフランクの目に余る物言いに憤慨し心の中で怒りを露わにした。
「旦那様!そんな言い方言い方あんまりです!アルベルト様が聞いたら傷つきます!」
「やかましい!失敗作の息子を失敗作と呼んで何が悪い!大体あいつは……っ!?」
度が過ぎた発言に苦言を呈するアンナに更に言い返そうとしたフランクであったがアンナの背後のアグネスの影に気づき固まった。フランクは恐怖に駆られ顔は徐々に血の気が引き青くなり体はガタガタと激しく震えそして悲鳴を上げた。
「ギャアアアァァーーーッッッ!!!」
「旦那様!?一体どうなさったのですか!?」
アンナは突如大声を上げたソファから転げ落ちた主人に驚き呆然とした。フランクは床に落ちるとそのままアンナの方に向けて土下座した。
「申し訳ありません聖女様!!!どうかお許しを~~~!!!」
「せっ、聖女様ぁ???」
自分に土下座をした主人に益々困惑するアンナだがその背後にいたアグネスは慌てて壁をすり抜け応接間から出て行った。そして気まずそうな顔で反省する。
(しまったわ……また透明化させるのを忘れていたわ。フランク様以外に見つからなくて良かった。だけどこれでアルベルト様の居場所が分かったわ。北の村にすぐ行かなくちゃ)
アグネスは体を透明化するとすぐアルベルトがいる北の村の方向へ向かう事にした。だがその移動中またしても自分の抱いた感情について悶々としていた。
(でもどうしたのかしら私……アルベルト様が貶められた時にあれほど感情的になってしまうなんて……)
やがてアグネスは領内を北上し北の村にある小さな教会に着いた。
(ここが例の教会ね。アルベルト様は中にいらっしゃるかしら)
アグネスは早速教会の敷地に入ると窓から中を眺める。教会内では小学校低学年ほどの子供十人が長椅子に座りその前でアルベルトが設置された小さな黒板にチョークで文字を書き神の御前で授業をしていた。
「……という訳でこの綴りはこう書くんだよ。覚えておいてね」
「「「はーい!」」」
「アルベルトせんせー!ルドルフ君が居眠りしてまーす!」
「それは残念だなぁ。真面目に授業を聞いた子には僕のメイドさんが焼いたジンジャークッキーをあげようと思ったんだけどな」
「「「ジンジャークッキー!?やったー!!!」」」
「ふぇ!?ジンジャークッキー!?どこどこ!?……あれ?」
「あっ、ルドルフ君起きましたー!」」
眠っていた子が起きたと同時に教会内には笑い声が響く。寝ていても厳しく叱らず子供達に慕われるアルベルトにアグネスは感心する。
(授業を見たのは初めてだけれど子供達はとても楽しそうに勉強しているわ。アルベルト様は先生としても慕われているのね……)
★★★
やがて授業は終わり教会から子供達が元気よく出て来た。アルベルトは門前で一人一人にリボンで結んだジンジャークッキーの包みを手渡した。
「皆んな今日はよく頑張ったね。これを食べたら来週のテストに向けて予習をするんだよ」
「「「はーい先生!さようなら!」」」
「はいさようなら、あはは」
家に帰ってゆく子供らにアルベルトは門前から笑顔で手を振った。
「さて、今日の授業は終わったしこの後は先生のお手伝いをしないと。それから帰ったら標本の整理と小テスト作りを……」
「おや、授業が終わったようですね」
「先生!新しい巣箱作りは終わったのですか?」
アルベルトが伸びをして一人予定を呟いた時背後から黒い服と灰色の髪に黒縁眼鏡をかけた高齢の男性神官が話しかけて来た。アルベルトはやや驚き気味に振り返る。
「えぇ無事に終わりましたよ。後は新しい女王のコロニーを移動させるだけです。そう言えばこの間の礼拝の際村の奥様方がアルベルトさんに感謝していましたよ。子供達が進んで読み書きをするようになったと」
「いやぁ僕は感謝されるほどの事はしていませんよ。ただ領内の子供達が出稼ぎに出ても大丈夫になって欲しいなと思っているだけで」
先生と呼ぶ神官に子供の親から感謝されていると聞いたアルベルトは謙遜しつつ照れ臭さそうに頭を掻く。アグネスは教会の入り口近くに生える木の下からアルベルトと話す神官の顔を見つめた。
(あの方は確か貴族学園で神学を教えていたトマス・ウンガー神官様よね。アルベルト様は先生と呼んでいらっしゃるけどどんな関係なのかしら?)
「素晴らしい志です。思えばアルベルトさんは貴族学園で教えていた頃から優しい生徒でしたね。三年前教師を辞め祈りと養蜂に専念したいと思って教会を探していた私をアルベルトさんは快く迎え入れてくれましたし」
「僕の方こそ先生に感謝しています。趣味が原因で孤立していた僕を先生だけは受け入れてくれましたから。一緒に学園の花壇や庭園を蝶達が来る花園に変えたのは良い思い出です。あはは」
「そうでしたね。私は校舎裏で育てていた蜂の為、アルベルトさんは蝶や蛾の為に花を植えて。楽しかったですねぇ」
アルベルトは神官トマスとどうやら学園時代からの仲だったらしく昔の思い出を笑顔で語らい合う。アグネスはその様子を見て先程感じた疑問が晴れて納得した。
(成る程、お二人は教師と生徒のご関係だったのね。それで今でもアルベルト様は先生と呼んでいる訳ね)
「ところでそろそろ村長さんが所有するリンゴ園に置く蜜蜂の巣箱を受け取りにいらっしゃると思いますが来ませんね……はて」
「そうか、もうリンゴのお花が咲く季節ですね!いやぁ今から収穫が楽し……」
トマスが学園の話から別の話に切り替えたその時突如アルベルトの真横から大きな若い娘の声が響いた。
「アルベルト様ぁーーー♡♡♡!!!」
「なっ!?その声はカリーナ!おわぁ!!!」
嬉しげな顔で猛突進して来た北の村の村長の娘カリーナにアルベルトは驚きそして次の瞬間強く抱きしめられ苦しげにする。
「いやぁアルベルト様が教会にいらっしゃるとは思わなかったべ♡数話ぶりに会えて嬉しいべさ♡」
「くっ、苦しいよカリーナ!キツく抱きしめすぎだって!」
「アルベルト様があのへーでまりーとかいう女と離婚したって聞いておらがどれほど嬉しかったか分かるべか!?おらぜーったいアルベルトのお嫁さんになるべ!」
「分かった!分かったから離れてってば!」
苦しげなアルベルトの声を無視してカリーナは抱きしめ続ける。監視を続けるアグネスは突然の事態に驚き唖然としていた。
(あっ、あの方は農民の娘さんなのかしら?カリーナさんってお名前みたいだけど……領主のご子息であるアルベルト様に抱きつくなんてなんて大胆なの。それを許しているアルベルト様も……)
カリーナを大胆と評したアグネスだがその時胸にチクリとした痛みに近い感覚を覚える。
(えっ……?何故か胸が痛い……それに今のアルベルト様を見ていると何だかモヤモヤするわ……一体この感情は何なの……?)
アグネスは感じた事の無い胸の痛みと謎の感情に困惑する。一方アルベルトに抱きついたままのカリーナを荷馬車と共に遅れてやって来た北の村の村長エリックが嗜めた。
「こらカリーナ、おめぇまーたアルベルト様に迷惑かけてるだか!不敬でねぇか全く!」
「迷惑とは何だべ爺様!好きな男には積極的になった方が良いって聞いたから精一杯アピールしてるんだべ!」
「だーから農民の娘のオメェじゃアルベルト様の嫁は勤まんねぇだ!」
「そんなの結婚しねぇと分かんねぇべ!」
「まぁまぁ村長さん。カリーナさんもアルベルトさんが苦しそうにしていますから離してあげて下さい」
「神官様がそう言うなら仕方ねぇべ」
アルベルトを巡り揉めるエリックとカリーナを見かねたトマスは間に入りエリックを宥めカリーナにはアルベルトから離れるよう優しく諭す。カリーナは渋々ながらもアルベルトの体から腕を解いた。
「村長さん、今日はリンゴ園に置く巣箱を取りに来たのですよね。準備は出来ていますからどうぞ」
「いやぁ毎年すまねぇだなぁ神官様ぁ。リンゴが収穫出来たら真っ先に教会に持って来るだよ」
「あぁ苦しかった……そう言えば村長さん、今年のリンゴの花の咲き具合はどうですか?豊作は期待できますか?」
「問題ねぇだ!まだ咲き始めだが沢山収穫出来そうだよ!勿論アルベルト様のお屋敷にも沢山届けるから期待して欲しいだ!」
「あはは、ありがとうございます。そうだ!これからリンゴ園に行っても良いですか?下草を刈るお手伝いもしますから!」
「勿論良いだよ!草刈りを手伝ってくれるなら大歓迎だ!」
「おらもアルベルト様と一緒に手伝うべ♡さっ!そうと決まったら出発するべ!」
「焦るでねぇカリーナ!まだ巣箱を受け取ってねぇだ!」
エリックは急かすカリーナを嗜めつつトマスから蜜蜂の巣箱を数箱受け取り荷馬車の荷台に乗せる。そして積み終わると鞭を振りゆっくり馬を出発させた。アルベルトも教会の側に繋いでいた愛ロバルーカスに跨りそれに続いた。
「あれ?先生もついて行くのですか?」
「えぇ、先にリンゴ園に置いた巣箱の様子を確認したいんですよ」
リンゴ園にはトマス神官も同行する事になり一行は教会から離れていく。だがアグネスだけは自身が抱いた感情と胸の痛みに動揺しボーっとしたままだった。
(この痛みとモヤモヤした感情は何なのかしら……私何かの病気なの?思えば前にアルベルト様を監視した時もメイドさんと仲良くしているのを見た際同じ痛みと感情があったような……!?)
アグネスは悶々としながら立ち尽くしていたがふと我に返った時にアルベルト達がリンゴ園に向かい教会の門前からいなくなっているのに気づいた。
(しまったわ!?考え事をしていたらアルベルト様達を見失ってしまったわ!一体どちらに向かわれたのかしら!探さなきゃ!)
アグネスは急いで教会の真上へ飛び立つと慌てた様子で地上を見渡した。そしてアルベルト達を発見するとすぐさま急降下してその後を追跡したのだった。
思うところがあり内容を変更して書き直しました。




