ボナヴィアの聖女再び①
「いやぁ今日の礼拝は為になったなぁ。特に大神官様の聖典の一節に関するお話は良かった」
「ホントな。久々に聖典を読んでみる気になったぜ……ん?(女性の為の懺悔室)何だこの立て札?」
四月になり春の穏やかで温かな風が吹くようになったボナヴィア王国のある日曜日、王都フラウ中心部の大聖堂ではイリス教の日曜礼拝が行われ参加した町人の男二人が大神官の説教に満足した様子で外へ出て行こうとしていた。すると一人が見慣れない立て札を堂内で発見し首を傾げる。
「知らないのか?教会が新しく始めた取り組みだよ。ほら懺悔室ってあるだろ?信者が神官様に罪を告白する為の個室よ」
「それは知ってるよ。俺も懺悔した事あるし」
「懺悔室って普通は男の神官様が聞き手に回るんだけど大神官秘書のアグネス様が男性相手だと懺悔しづらい女性信者も多いんじゃ無いかって事でアグネス様含め修道女が懺悔を聞く女性専用の懺悔室をご提案されたんだと。教会内でも賛否両論だったらしいがお試しって事で時間を限定してやっているそうだ」
「はぇ~流石聖女様と呼ばれているお方だけあるなぁ。俺達には無い視点を持っておられるぜ。折角だしどのぐらい女達が懺悔しに来ているか気になるし様子を見に行こうぜ」
立て札に首を傾げていた男はもう一人から大神官秘書を務める修道女で聖女と呼ばれるアグネスの発案だと聞き感心した。そして興味本位で立て札の向こうへ進んでみるとその先にあった二つの懺悔室に女性の列が出来ていた。
「うわっ!?結構並んでやがんな!」
「こいつは噂以上の盛況ぶりだぜ。女も皆懺悔したい事を心に抱えているんだな」
男達は懺悔室に並ぶ女性達を見て驚いた様子であった。丁度その内の一つの部屋では若い女性が顔が見えないよう室内を仕切る壁の向こうにいるアグネスに向け懺悔をしていた。
「シスター、どうか私のお話を聞いて下さいますか?」
「大丈夫ですよ。ここはあなたのように神官様には罪を告白し辛い方の為の懺悔室です。どのような罪もお聞き致します。聞いた事を他の方々に漏らす事もありません」
「有難うございます……私は夫のいる身でありながら他の男性を好きになり不倫をしていました。結局不倫相手とは疎遠になったのですが今でも彼への思いを断ち切れずにいます。夫に言える筈も無くかと言って神官様にも告白出来ずずっと苦しんでいたのです。この愚かな私を神様は許して下さるでしょうか……」
女性は自身が胸に抱える罪を打ち明け不安げに体を震わせた。そんな相手にアグネスは優しい声で諭すように返事を返した。
「正直に告白して下さりありがとうございます。誰にも打ち明けられずさぞお辛かったでしょう。神様は慈悲深いお方です。二度と不倫はせず彼への想いを断ち切ると誓うならば神様はお許しになります。ですから教会で改めて懺悔しその上で旦那さんとのご関係を大事になさって下さい。また辛くなれば相談に来てくださいね。お待ちしていますから」
「うぅ……優しいお言葉ありがとうございます……彼への思いは今日限り断ち切ります」
アグネスの回答に女性は涙を流し感謝をしていた。そして懺悔が終わり晴れやかな顔で外へ出て来た女性を見た男達は自分達もアグネスに懺悔したい気持ちに駆られた。
「あの姉ちゃんかなりスッキリした様子だったな。いやぁ俺も出来れば神官じゃなくてアグネス様相手に懺悔したいぜ」
「ホントにな。同性の声じゃなくて聖女様の優しいお言葉で慰めて貰いたいよなぁ。ついでに妻に関する愚痴についても百個ぐらい聞いて頂きたいぜ」
「へぇ、私に対してそんなに不満があるのかいアンタ」
「あるに決まってんだろ?例えば……って母ちゃん!?体調良くないから礼拝休むって言ってた筈じゃ!?」
アグネスに妻の愚痴を聞いて貰いたいと言った男は後ろからの声に驚き振り返ると小太りで髪を団子状にした自分の妻が立っており鬼の形相をしていた。
「二度寝したら調子良くなったからお祈りだけでもしようと思って来たんだよ!ついでに女性の為の懺悔室も利用しようと思って来てみりゃアンタがいてしかも私の事を愚痴ってるから頭に来たよ!ちょっと来な!私のどこにどう不満があるのか具体的に聞かせて貰おうか!」
「痛だだだ!!!母ちゃん耳引っ張んないでよ!」
妻は夫である男の左耳をつまんで引っ張り大聖堂の外まで強制連行する。礼拝に来た他の客達もその様子に驚く中もう一人の男は涙目で引きずられていく相方にどこか既視感を感じ呆れた顔をしていた。
「なんかこの流れ二年前もあったような気がするなぁ……」
★★★
「おやアグネスさん、ここで出会うとは奇遇ですね」
「パウル様、私は猊下から懺悔室の業務が終わった後に来るよう言われましたので。パウル様も猊下のお部屋に?」
「えぇそうですよ。それにしてもアグネスさんのご提案された女性の為の懺悔室、大好評ですね。今日の上級神官会議で常設する方向で検討する事になりましたよ」
「ありがとうございますパウルさん。私も同性の皆様のお役に立てているのでとてもやりがいがあります」
大聖堂での日曜礼拝の時間が終わり懺悔室から出たアグネスは大聖堂の隣にあるボナヴィア教会庁に移動し自分と同じく大神官秘書を務めるパウル神官と話しながら大神官執務室に繋がる廊下を歩いていた。
「アグネスさんの仕事ぶりには本当に驚かされますよ。この間もアグネスさんが怪しい噂があるとして調査された神官もマフィアと繋がり教会を麻薬密売の拠点にしていた事が発覚しましたからね。それ以外にも様々な不正を暴いていますが一体どのように調べておられるのですか?」
「えっ!?それは……守秘義務がありますので詳しくはお話出来ません」
パウルはアグネスの不正調査の手腕を称えた上でどのような手段で不正を調査しているのか不思議に思い尋ねた。しかしアグネスは少し動揺した様子で守秘義務を理由に答えなかった。
「そうですか……気になりますが仕方ありませんね。おや、そろそろ執務室ですね」
不正調査の手法を聞けなかった事をパウルはやや残念に思いながらもそれ以上は追及しなかった。やがて目的の大神官執務室に到着しその扉を叩いた。
「失礼致します猊下、パウルです。上級神官会議の議事録をお届けに参りました。アグネスさんもおります」
「!?」
室内にいた口元に立派な白髭を蓄えた大神官グレゴールは扉を叩く音が聞えた直後何故か動揺した様子で執務机の上に置いていた小箱を慌てて引き出しに隠した。そして一息ついて落ち着いてから二人の入室を許可した。
「ゴホン、よろしい入りなさい」
グレゴールから入室許可を得たパウルとアグネスは部屋に入ると執務机を挟む形で椅子に座るグレゴールと対面した。
「猊下、こちらが議事録です。内容をご確認下さい」
「うむご苦労、しかしアグネスも一緒とは思わなんだ。今日の懺悔室は無事に終了したようじゃな。女性信者の評判は良いみたいじゃがどうじゃな懺悔を聞く側になってみて」
「はい猊下、来る途中パウルさんにもお話しましたが同性の役に立てている事にやりがいを感じています。それに世間の皆さんが様々な罪を抱えて生きている事を知る事が出来て勉強になります」
「なら良いが罪の告白を聞きすぎて気分が落ち込むようなら無理はせんで欲しいと思っておる。お前さんの心の健康も大切じゃからな」
グレゴールは女性の為の懺悔室についてアグネスから感想を聞き出すと同時に無理しないようにと気遣った。
「お気遣い頂き有難うございます。ところで猊下、私にご用というのは?」
「おぉそうじゃったな。すまんがパウル君は外してくれんかね?」
「はぁ、しかし業務に関わる事でしたら私も聞いておいた方が良いのでは?」
「これはアグネスのみに関わる話でな。ワシとアグネス以外秘密であるべき事なんじゃ」
「分かりました……では私はこれで」
パウルはアグネスに関わると言う秘密の話が気になりながらも大神官の意を汲んで退室した。そしてグレゴールは複雑な表情で要件を話し出した。
「アグネス、お前さんはこれまでその特別な霊魔力を使って教会内部の様々な不正を暴き汚職防止に多大な貢献をして来た。この間の地方教会の麻薬取引の件についても感謝しておる。ところがその事で少々心配な噂を耳にしておる」
「心配な噂……というのは?」
「お前さんが沢山の不正を短期間で暴いた事でどうも社交界や教会内部の一部の者達がお前さんを不審に思っておるらしいという噂じゃ。不審に思う者の中には政府もおるという。これ以上変に噂が広がれば王国政府が我が教会、ひいてはお前さんを調査しようとするのでは無いかと心配しておるんじゃ」
「そのような噂が……確かに不正を暴く事ばかり考えて疑われる事を想定しておりませんでした。迂闊でした」
アグネスは自身の魔力を生かした行動が疑惑を生んでしまっている事を知り自身の軽率さを反省する。
「お前さんのせいでは無い。しかし王国政府に目を付けられた場合どう出るか分からん。その気になれば政治上の重要機密をも盗み見出来る力を持つ者を放ってはおかん筈じゃ。お前さんの監視活動が教会の腐敗撲滅の助けになっておる事は事実じゃ。しかしそれが原因でお前さんの身に危険が迫るのであればワシはこれ以上無茶をして欲しくない。これはお前さんを実の子のように思っておる……養父であるワシからの願いじゃ」
グレゴールは養子として育てた立場としてアグネスが危ない仕事を続ける事を心配している事を告げる。しかしアグネスは微笑み自分は大丈夫だと言って密偵を続ける決意を示した。
「ご心配して下さり有難うございます猊下。でも私は大丈夫です。そもそも猊下に保護されていなければまともに生きてはいられなかった立場ですからこの体と命を教会を正す為に使うのであれば惜しくありません。これからも密偵は続けます。猊下の為にも教会の為にも、です」
「アグネス……」
決意の固いアグネスにグレゴールはそれ以上止めて欲しいと言う事は出来ず諦め黙るしかなかった。
「では猊下、この後も霊魔力を用いて教会の要注意人物の偵察に行って参りますので失礼致しますね」
「まっ、待ちなさい!要注意人物の偵察というとベルンシュタイン伯爵家のアルベルト殿の偵察かね?」
「えぇ、そうですが何か?」
「いや……何でもない。くれぐれも気をつけるんじゃ」
アルベルトの偵察をしてくると聞いたグレゴールは何か言いたげに引き留めたが結局何も言わなかった。アグネスが出て行った後グレゴールは一人悩ましそうにしていた。
(……以前破門騒ぎがあって以来アグネスにはアルベルト殿の偵察を任せておるがよりにもよってアグネスは彼に無自覚の恋愛感情を抱いてしまっておる。このまま偵察を任せて大丈夫なものか……アグネスが自分の気持ちに気づいて苦しんでしまわんだろうか……)
アグネスがアルベルトに無自覚な恋愛感情を持っている事を懸念していたグレゴールは天井を見上げてこのまま偵察をさせて大丈夫なのかと心の中で自問する。しかしすぐに考えるのを止め机の引き出しに隠していたあの小箱を再び取り出した。
「いや、心配ではあるがこれ以上考えるのはやめよう。それよりこの箱を開け……」
「失礼致します猊下、一つお伝えする事を忘れておりました」
「!?」
ところが箱を取り出した途端に先程部屋を出て行ったアグネスが戻って来てドアを開けた為グレゴールは咄嗟に箱を背後に隠す。
「なっ、何じゃねアグネス!?」
「私に隠して食べておられるチョコレートですがこの間お掃除に入った際に減らしました。甘い物が大好物なのは存じておりますが食べ過ぎは健康を害しますからほどほどになさいませ。では」
アグネスは大神官が隠していた大好物のチョコレートを掃除の際に減らした事を伝えるとまた扉を閉めた。ぎょっとしたグレゴールが小箱を開けると沢山入っていた筈の色付き銀紙に入ったチョコレートが半分近く無くなっていた。
「うぅ……アグネスめワシの事まで偵察しておったとは……」
グレゴールは勝手にはこのチョコレートを減らされた事に憤りは感じつつも健康の為の配慮である事も理解し怒れず椅子に腰かけ項垂れたのであった。
「では私はこれから自室で日々の行いの懺悔をします。終わって中から私がノックするまで誰も入らないよう見張っていて下さい。貴方達も決して開けては行けません。良いですね」
「「はっ、はいアグネス様!」」
教会庁から隣接する女子修道院に戻ったアグネスは早速信頼する修道女二人を自室の前に集めて部屋の中で懺悔をするからと言って見張るよう伝えた。アグネスは部屋に入り鍵を閉めると室内にあるベッドに胸の前で手を組み仰向けに横たわった。それから深く深呼吸して目を閉じるとアグネスの元の身体から半透明のもう一人のアグネスが起き上がった。自身の霊魔力で作り出した霊体である。
(呼吸も血色も異常無しね……それでは早速監視に出発しなくては)
横たわったままの自身の本体の確認をしたアグネスは霊体で壁をすり抜け早速空を飛行して目的地のベルンシュタイン伯爵領へと向かった。
(アルベルト様はどこに居らっしゃるかしら。屋敷内か研究室と呼んでいる離れの小屋かしら。この間偵察した時は丁度お食事中だったけれど……そう言えばあの時は食後にメイドさんが焼いたジンジャークッキーを幸せそうに頬張っていたわね。本当に笑顔を見せると男性なのに子供みたいに可愛らしくて見惚れてしまいそ……!?)
アグネスは飛行中監視対象であるアルベルトがどこに居るか考えながら飛行していたが頭の中で段々とアルベルトに対し個人的に抱いた気持ちへと話題がそれそうになり頭を振って考えるのを止めた。
(いけない!監視対象に個人的な好意を持つような事はあってはいけないのに……でもどうしてかしら?アルベルト様の笑顔がずっと頭を離れないのは……最近じゃ監視している時以外も頻繁に思い出してしまって困るわ)
アグネスはアルベルトの笑顔に好感を抱きそうになりそうになった自分自身を戒めつつも何故か頭を離れないアルベルトの笑顔に悶々とした。そうこうしているうちに目的地であるベルンシュタイン伯爵邸の真上に到着したのだった。
(お知らせ)
個人的にスランプになり少々小説から離れていましたが再開する気持ちになったので再開します。投稿頻度は不定期です




