蝶好き令息の肉体改造①
「まさか本当に年明けまでタダ働きさせられるとは……やっと三連休が取れたぞい」
年が明け一月となり真冬になったベルンシュタイン伯爵領、木枯らしの吹く領内の道を鼠色のコートを羽織って眼鏡を掛け(ヨゼフ)に変装したヴェンツェルはくたびれた顔をして歩いていた。アルベルトらを伴ったヴィルクセン帝国への外遊を終え約一ヶ月程経ったが休暇を取れていない様子であった。
「陛下にはワシの言い分を聞き入れて貰えんし散々じゃ全く……」
ヴェンツェルは一人愚痴りながら田舎道から分かれた伯爵邸の裏の森へ繋がる小道へ進む。何故ヴェンツェルが疲れているのか、話は帰国直後に遡る……
「何ぃ!?アルベルト!そなた誘拐されておったのか!?」
「えぇ、色々ありまして反乱に協力していた公爵様に……でもパピヨンさんと宰相閣下と兄上が救出しに来て下さったので助かりました」
「おいアデリーナ……ヴェンツェルを呼べぇ!!!」
「かしこまりました(面倒な予感しかしねぇ……)」
帰国したヴェンツェル達は王宮で開かれた慰労パーティーに招待された。その際アルベルトはマルガレーテの意向で二人きりの別室に案内され食事をしたのだがそこで自分が誘拐された話をしたのだ。報告を受けていなかったマルガレーテは驚きそして激怒してヴェンツェルを呼び出した。
「ヴェンツェル!アルベルトが誘拐されておったとは聞いておらぬぞ!どういう事じゃ!あぁ!?」
「恐れながらお伝えすれば陛下がどのような行動をなさるか分からんからですぞい!ですから事後報告にと……」
(まぁ別邸ぶっ壊した件やアルベルト様に婚約者が出来た時の反応を考えれば妥当な判断ですね)
詰問されたヴェンツェルは女王の行動が予測不能になるから黙っていたと言いアデリーナも過去の騒動を思い出し納得したがマルガレーテは更に憤慨しヴェンツェルを怒鳴り散らした。
「黙れ!!!よくもアルベルトの誘拐を許した挙句余に報告を怠ったな!罰としてこれから年明けまで無休かつ給料無しで働いてもらうぞ!これは王命じゃ!」
「そっ、そんな!?」
ヴェンツェルが無慈悲な処罰を下されギョッとしているとアルベルトが慌ててマルガレーテに処罰しないように庇った。
「陛下!閣下は誘拐された僕を助けに来て下さいました!どうか処罰しないでください!」
マルガレーテは好きな男から可愛い顔で懇願され心が動いてしまったがどうにか自制した。
「うっ……そっ、そんな可愛い顔してもダメじゃアルベルト!ヴェンツェルには職務を遂行しなかった分のケジメをつけさせねばならぬ!」
「普段から政務をサボる人がケジメとかよく言うよ」
「何 か 言 っ た か アデリーナぁ!?」
「ナンデモナイデース」
こうしてヴェンツェルは年が明ける一月一日までの間殆どぶっちぎりで仕事をやらされそしてようやく年明けに三連休が取れたのである。
(イタタタ……全く働き過ぎでまた腰の痛みが再発してしもうた……ん?何じゃあの声は?)
ヴェンツェルが痛む腰を摩って森を歩いていると研究室が見えて来たがふと奇妙な声が聞こえてきた。そして研究室の庭に入ったヴェンツェルはその声の正体に驚いた。
「ふんっ!!!やぁっ!!!はぁ……はぁ……これで計五十回は降り終わったかな。あっ閣か、いやヨゼフさん!お久しぶりです!」
「アルベルト君!どうして木剣の素振りなんぞしておるんじゃ!?」
奇妙な声の正体は研究室の畑の前で木剣の素振りを行っていたアルベルトの声であった。白い息を吐きながら木剣の素振りというらしくも無い事を行っていたアルベルトにヴェンツェルは不思議そうに尋ねた。
「あはは、驚きました?実は僕体力作りを始めたんです」
「体力作り?それはまた何故じゃね?」
「僕ヨゼフさんとお友達になって以降色々な事件に巻き込まれてしまいましたがその中で気づいたんです……僕は弱いままではいけないのでは無いかと」
「なっ、なるほどのぅ……」
「去年ジーク様が襲撃された時も僕はろくに戦えませんでしたし帝国で危ない目にあった時もパピヨンさんやヨゼフさん頼みで何も出来ませんでした。僕はC級の地の魔力で土を盛り上げたり小石を動かす事しか出来ません。三歳の頃に魔力を判定した先生からは『これ以上伸びしろが無い』と言われてしまっています。なので筋肉を増やすところから始めようと思ったんです。もう自分の事でヨゼフさんにも陛下にもご迷惑をかけたく無いんです」
「確かにあれだけ騒動に巻き込まれておればそうも考えるじゃろうな。しかし伸びしろが無い、とはまた直球で言われたのう」
「僕の家は軍人の家系という訳では無いですし自分の事より蝶や蛾に興味あったのでそこまでショックでも無かったですが……」
「アルベルト様ー、お風呂が沸きましたよ……ヨゼフさんいらしていたのですか!」
「おぉアンナ殿!久しぶりじゃな」
二人が話を聞いているとアンナがアルベルトにお風呂が沸いた事を知らせる為庭にやって来た。ヴェンツェルはこれまた久しぶりに会うアンナに挨拶する。
「ありがとうアンナ、体力作りの後はどうしても汗で冷えちゃうから助かるよ」
「あまり無理しないで下さいねアルベルト様。あっヨゼフさん!アルベルト様は今……」
「いや話は聞いた。体力作りをしておるのじゃろう?しかしアルベルト君、闇雲に木剣を振るだけでは基礎体力は付いても自己防衛には役立たんぞい。敵を倒すには技術も必要じゃ」
「うっ……それは薄々気づいていたんですが剣術などの教師を雇うとなるとケチな父上が良い顔をしないので……」
「そんな事じゃと思ったわい。よし、ここは一つ従軍経験のあるワシが剣と護身術の稽古をつけるとしようかの」
「えっ!?良いんですか!」
アルベルトは武術の家庭教師をつける事が難しい事情を話すとヴェンツェルは自身が稽古をつける事を提案してきた。
「君とは友達じゃからな。助けられる部分は助けてあげたいんじゃ。ただしワシも暇では無いから月に一、ニ度の特訓になるがそれでも構わなければ指導するぞい」
「構いませんよ!嬉しいなぁ軍隊にいたヨゼフさんから指導を受けられるなんて!」
「それから魔力についても三歳の頃は兎も角今はどうなっとるか分からん。成長して変わる場合も稀にあるからのぅ。君の血液を少しくれんか?それで改めて判定してみよう」
「えっ!?魔力判定って魔水晶の玉に手をかざすのでは?」
「それもあるが最近は血液検査で調べる方法もあるんじゃよ。じゃから……」
「おいバカ息子!やっぱりここにいたか!」
「「「!」」」
ヴェンツェルが最新の属性魔力の検査方法について話していると聞きなれた声が屋敷側の森の出入口から聞こえ皆一様に振り返る。そこには毛皮のコートを着て種々の宝石が嵌められた指輪をつけたフランクの姿があった。
「父上、一体どうなさったのですか?」
「どうなさっただと?大事な用事に決まっとろうが!お前に縁談だ!相手はクラール男爵家の次女だ!場所は男爵邸、日にちは先方の都合で三月の第二月曜日の午後一時になった!当日は王都で十時の列車に乗るぞ!」
フランクはアルベルトにハイデマリーの件以来の新たな縁談が舞い込んできた事を伝える。縁談を面倒くさがるアルベルトと縁談が来て欲しくないアンナは顔をしかめた。
「また縁談ですか……勘弁してくださいよ」
「やかましいバカ息子!お前は貢ぎ物勝負や帝国の首脳会談に同行した事で以前より注目されているがそれでもご令嬢からの評判は最悪だ!趣味だけで無くこの間の離婚の件が尾を引いとるのだ!今回の見合いは貴重なチャンスだぞ!」
「お見合いなんか別にしたくないのに……それに何なんですその恰好?また皇帝陛下から頂いた五百万グローネで無駄買いしたんですか?」
「無駄買いとは何だ!ワシの金なんだからどう使おうが勝手だろうが!」
「あれはジーク様を助けたお礼に賜った伯爵家への報奨金でしょう。僕に分けもしないで独占するんですから……」
「家の金は当主の金だ!文句があるなら結婚して領主を継いでから言え!」
望まない縁談に加え皇帝からの報奨金を独占する父への不信感からアルベルトは顔をしかめるがフランクは横暴な主張で逆ギレした。そしてヴェンツェルの方へ眼をやると不遜な態度で鼻を鳴らす。
「フン!またいたのかジジイ、貧乏人の癖に無駄に高そうなコートなぞ着おって生意気な」
「なっ!?」
「見ろ!このミンクのコートにルビーやエメラルドをはめた純金の指輪!そしてワニ革のローファーを!お前みたいな貧乏ジジイとはレベルが違うんだ。お前なんぞ一生手が出ない真の王侯貴族のファッションだぞ」
「うぬぅ!おのれ言わせておればっ!」
「ヨゼフさんよしてください!父上!縁談の事は分かりましたから!」
「チッ、いいか三月の第二月曜日の午後一時だぞ!男爵は時間にうるさい人だ!一分でも遅れないように事前準備をしておけ!」
アルベルトはフランクの過剰な挑発に憤慨したヴェンツェルを止めつつ縁談を渋々承諾した。去ってゆくフランクに対しヴェンツェルは怒りが収まらない。
「全くけしからん!あの男報奨金のせいで傲慢さに拍車が掛かっておるようじゃな!」
「我が父親ながら情けないですよ……へっくしょん!」
「アルベルト様、早くお風呂に行かないとお風邪を引きますよ」
汗で体が冷えくしゃみをしたアルベルトを心配しアンナは改めてお風呂に行くよう促した。アルベルトはヴェンツェルに温かいお茶を運ばせるので研究室で待っていて欲しいと言うと急いで屋敷まで入浴しに行ったのであった。
★★★
一方王都から離れた国内のある国境沿いの山岳地帯、そこの人が立ち入らない森の奥にまるでダンジョンの入り口のような古い炭鉱跡の穴があった。そこに黒いローブを被った男が一人やって来て周囲をキョロキョロと警戒するように見回してから穴に入った。入り組んだ内部の道を白い光を放つ白光石のカンテラ片手に男は進んでいき奥にある広間に入る。広間には鮮やかな柄の絨毯が敷かれておりそこに複数の同じローブを纏った数人の者達と屈強そうな軍服の男、そして複数の蝋燭に照らされた玉座を模した椅子に座る黒い短髪の赤い瞳の男がいた。入って来たローブの男は頭のフードを脱ぎ顔を見せる。瞬間紫の後ろに纏めた長髪が露わになる。そう、男の正体は王弟派の幹部アドルフ・ウルバンであった。
「……で?目当ての春精石も手に入れられずお前はのこのこ戻って来たと言うのか?」
「申し訳ございません国王陛下。この次は必ずやご期待に添えるよう善処致しま……っ!」
ウルバンは玉座に座る自分の主レオポルト・アインブルクに跪き帝国での作戦が失敗した事を報告する。レオポルトは途端に気分を悪くしグラスに入れていた赤ワインをウルバンにぶっかけ口汚く罵り始めた。
「この次だと?俺は一刻も早くマルガレーテをぶっ殺して王座に就きたいんだ!内戦後も裏から支援していた貴族共は先の誘拐作戦失敗で一掃され女王一派からは指名手配されている!王位簒奪がより絶望的になったこの状況で唯一縋れるのは強運をもたらしどんな不利な状況でもチャンスを呼ぶ春精石しかねぇ事ぐらいてめぇも分かるだろうが!あぁ?」
「おっ、仰る通りにございます……ぐふぉ!!!」
「その春精石候補をパピヨンとか言う野郎の手下に奪われた挙げ句偽物だったと知って何の収穫も無しに帰還だぁ?舐めてんじゃねぇよこの野郎!このっ!このっ!!!」
レオポルトは怒りが更にヒートアップしウルバンを蹴り飛ばすと更に持っていた鞭で何度も叩きつけた。ローブを被った部下達は冷や汗をかき緊張の面持ちで眺める。
「チッ、辛うじて残った裏社会とのコネでどうにか探し当てた情報だったが偽物だったとはな……また新しい情報を探すしかねぇ。暫く反省していやがれ!」
「……はい陛下」
ウルバンは傷だらけになった体を起こして主の命令を受け入れる。その時屈強そうな軍服の男は腕を組みウルバンを挑発した。
「ゲハハハハ!情けねぇなぁウルバン!折角帝国へ苦労して密入国したというのに国王陛下の期待に応えられねぇなんてな!え?」
「ゲオルク……てめぇ」
「春精石の情報がまた出たら今度は俺が行ってやろうか?人間休養も大事だからなぁ!」
「なっ!この野郎ぶっ殺してやる!」
「仲間割れするな馬鹿共が!今は協力しなきゃならねぇ段階だろ!」
軍服の男はもう一人の幹部である元軍人ゲオルク・ベルンハルトであった。ゲオルクは以前のヴェンツェルとの戦いで負った大火傷の跡が残る顔をニヤつかせながらウルバンに喧嘩を売るとウルバンは逆上しゲオルクに飛び掛かろうとした。レオポルトはすかさず声を荒げ二人を止める。
「次の春精石の情報を掴んだらまたてめぇらのどちらかに動いてもらう事にはなる。それまでは組織維持の資金集めに動いてろ!分かったな!」
レオポルトはそう指示を出すとウルバンとゲオルク達に対して広間からの退室を促す。苛立ちに満ちた顔をするウルバンとは対照的にゲオルクは満足げな様子であった。
(全くイイ気味だぜ!ウルバンの野郎ちょっとばかり頭が切れるからって俺より贔屓にされてムカついていたんだよなぁ。良い機会だ!ここらで更に俺の株を上げるのも良いかもなぁ!ゲハハハ!)
ゲオルクは内心でそのように考えながら洞窟内のある部屋に入る。そこは武器庫らしく暗く岩がむき出しの空間内に銃剣やピストルやダイナマイトなど軍事物資が保管されていた。それを眺めながらゲオルクはニヤリと笑みを浮かべた。
「数は少ないが裏社会を通じて陸軍から横流しされた武器がある。これらを持たせりゃ魔力の弱い平民のゴロツキでも大きな計画に動員する事が出来る……そうだ!近頃派手な銀行強盗で名を上げた(ヴェスピナ)とかいうギャングがいたな。奴らに大規模な略奪をさせて資金を確保するか!そうすりゃ国王陛下もウルバンより俺を信用なさるようになるだろう……ゲハハハハ!!!」
ゲオルクは気にくわないウルバンを出し抜く為に平民のギャングを使った強盗計画を企んだ。そしてそれを決行する日を楽しみにしながら声高々に笑ったのであった。
(お知らせ)
・話に悩んで一日遅れました。今回から暫く短話が続きます。
・次回投稿予定:未定(決まり次第掲載)




