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蝶好き令息神聖帝国へ行く(後編)⑤

「そうか、弟は移住も推薦入学もしないのか」

「アルベルト君……」

「……」

「兄上、宰相閣下、ヨハンさん、そう言う訳ですので僕は真っすぐ帰国します。住み慣れた母国が一番ですからね」


 アルベルトは傍で自分の決断を聞いていた三人に移住はせず自国へ帰る事を伝え笑顔を向けた。


「お前の気持ちは分かった。分からないのは何故グートルーネ達を呼んだのかだ。誘いの返事をするだけなら連れて来る必要は無かった筈だ」

「それには理由が二つあります。一つはお二人に僕がジーク様を利用する野心が無い事を示す為です。そして二つ目は……ジーク様にお二人をお許し頂きたいからです」

「何だと!?」

「「!?」」


 罪人である二人を許して欲しいという驚きの願いにジークリードが仰天したのは勿論グートルーネとローゼンハイムも顔を上げ目を丸くしていた。自分達の身勝手で危険な目に合わせた男が自分達を庇おうとしてくれているからだ。


「馬鹿な!あの二人がお前にした事を忘れた訳では無いだろう!何故許せと……!」

「ジーク様、僕はお二人の事はもう許しています。それにお二人共処罰して遠ざけるには惜しい人達だと思うのです」

「何?どういう事だ」

「例えばローゼンダールさんは……」

「だーからローゼンハっ!……いえ、もう何でもいいです」


 またしても名前を間違えられたローゼンハイムはカッとなり声を張り上げそうになるがもう訂正を諦めたのか投げやりになって黙りこむ。アルベルトは話を続けた。


「失礼、あの方は長い間ジーク様に尽くし解雇されるリスクを背負ってでも僕を過剰に贔屓しすぎるのを諫められました。それに誘拐した際僕に提案を断らせようとなさったのは左遷された後のジーク様の事を案じられたからだと思います。そうでなければ身銭を切ってまで僕を遠ざけようとはなさいません。何より去年の襲撃事件の時も僕と違い無魔力なのに勇敢に戦われたではないですか。そんな働き者の秘書官さんをクビにするなんて勿体ない事です」

「だがっ……!」

「皇太子妃様だってジーク様の為に僕を遠ざけようとなさいました。ジーク様は過去に地位目当てのご令嬢に襲われ女性を信用なさっておられないのですよね。でも皇太子妃様はジーク様をご幼少の頃からお慕いされています。皇太子妃様は地位が大事だからでは無くジーク様ご自身を愛しておられるからどれだけ冷たくされても妃としてお支えしようとなさるのです。こんなに一途な奥様はいらっしゃいませんよ」

「アルベルトさん……!うっ、うぅ……」

「うぅ……アルベルト殿、我々はあんな酷い仕打ちをしたのに!……でも名前だけは憶えて頂きたい」


 恨まれてもおかしくない事をした自分達を許すばかりか必死に弁護までしてくれる寛大なアルベルトにグートルーネは両手で顔を覆い噎び泣きローゼンハイムも袖で目を拭う。それでもジークリードは頑なに態度を改めようとはしなかった。


「アルベルト!お前は少し人が良過ぎるぞ!どうして自分を傷つけた奴らをそう簡単に許せる!私には二人を許す事など出来ない!!!」

「恐れながらジーク様、僕は変わらない僕のままでいる為に母国へ帰ります。でもジーク様は変わられるべきです。変わって敵を作らないようなさるべきです」

「私に変われだと?」

「僕から見てジーク様は他人を信頼せず経験に基づく偏見で何でも決めつける極端な方だと思います。宮廷で自分を守り悪い貴族に騙されないようにする為には仕方ない事かも知れません。でもそれが行き過ぎているのです。女性だから自身の奥さんも信じない、秘書官さんは絶対服従だから意見を聞き入れない、その結果今回の騒動を招いたとは思いませんか?」

「そっ、それは……」

「人はどこで生きていくにも心から信頼出来る味方が必要です。ここは僕に免じてお二人をお許しになり今後は寛容に接するようになさってみませんか?ご自身の偏った考えだけに捉われずお妃様や秘書官さんの言葉にも耳を傾けてみて下さい。そうすれば周囲の印象はより良い方に変わるでしょうし必要以上に敵を作らずに済む筈です」

「わっ、私に説教をしているつもりか!?私は……」

「説教では無く友人としての説得です。どうかお聞き入れ下さいませんか?」

「……つ!」


 皇后を思い出す優しい眼差しと声で諭すように説得するアルベルトに我の強いジークリードも流石に反論出来なかった。傍で聞いていたヴェンツェルもアルベルトに同調した。


「彼の言う通りかもしれませんな。第二皇子殿にしても今回の内乱で即位を要求されても固辞したと新聞に書かれておりました。彼もまた皇太子殿が考えておる程野心的な人物でもないのでしょう。兄弟同士一度腹を割って話し合うのもありかも知れませんぞい。それにお二人を処罰して新しい妃や秘書官を迎えるより許して機会を与える方が手間も掛からんでしょうしな」

「うっ……」

「それと余談ですが僕は幼い頃から南ガロワの別荘によく遊びに行きました。その関係で地元のガロワ人の方々と仲良くしていますが皆陽気で信心深く良い人達です。僕を助けたパピヨンさんも紳士的な人でした。敵国人だからと一括りにして悪く言って欲しくありません。それもまた偏見だと思います」

「……」


 アルベルトはおまけにそう付け加え話を終えた。ジークリードはここまで言われても中々納得せず重苦しい表情で黙っていたがその時彼を呼ぶ小さな声が聞こえた。


「殿下……」

「グートルーネ……何だ」


 声の主はグートルーネだった。グートルーネはどこか不安げな顔を向け尋ねる。


「私は殿下をお慕いしております……例え殿下のお心に私への愛が無かったとしても……ですが一つだけどうしてもお聞きしたい事がございます。殿下は……アルベルト様に恋慕の情を抱いておられるのですか?」

「なっ!?」


 妻からの予想だにしない質問にジークリードは仰天し固まった。


「ひっ、妃殿下!?何という事をお聞きになるのですか!」

「ローゼンハイムさんは黙っていて下さいませ!アルベルトさんは殿下をご友人だと言っておられますが殿下はどうなのです?庭園でお見かけした際の殿下の距離感やアルベルトさんの頬のクリームを指でとった行動はまるで恋仲の男女のようでした。正直なところをお聞かせください」

「クリームの事は僕も驚きました。僕は同性をその……そういう対象には見れないのですが僕をどうお思いなのですか?僕も知りたいです」


 グートルーネ同様にアルベルトも気になり追求した。ジークリードは動揺し汗を掻きながらも必死に弁解する。


「ごっ、誤解だ!確かに距離が近すぎたかも知れない!だが別にアルベルトに邪な感情など抱いてはいない!クリームを取った行動も幼い頃皇后様にして頂いた事を親愛の情を示す為にしただけだ!」

「信じてもよろしいのですか?」

「私はアルベルトをあくまで友人だとしか思ってはいない!」


 弁解を傍で聞いていたローゼンハイムはもしやと思い尋ねる。


「もしやアルベルト殿と距離が近かったのも親愛の情からですか?」

「あっ、あぁそうだ。アルベルトと接しているとどうしても亡き皇后様の優しい声や笑顔を思い出し気持ちが落ち着くのだ。それでもっと側に居たいと思ってしまった。誤解を与えたようで済まない」


 ジークリードは自身の行動が周りを誤解させた事を謝りそれから間をおいてからようやくグートルーネ達の罪を許す決意した。


「……お前達二人の事はアルベルトに免じて許す事にする。私は……確かに私は偏った見方でお前達に接していたようだ」

「殿下……!」

「殿下……ローゼンハイムでございます」


 許しを得られた二人はホッとしたようで表情から曇りが消え明るくなった。そしてグートルーネがジークリードの前に歩み出て両手を握り視線を合わせあるお願いをした。


「どっ、どうしたんだグートルーネ」

「殿下が女性に対し強い不信感を抱いておられるのは存じております。ですが私は妻である以上あなたから愛されたいのです。今後も妻の務めは誠心誠意果たしてまいります。ですから可能ならばどうか私をお飾りの妃では無く妻として……一人の女として愛して頂けませんか?」

「グートルーネ……」

「愛の無い結婚生活などもう嫌なのです。何年かかろうとも構いません。私を心から愛して下さる日が来るならばいつまでも待ちます。私はあなたの妻なのですから」


 忌避してきた妻から今にも泣きそうな潤んだ瞳で上目遣いに懇願されジークリードは戸惑ったがアルベルトが間に入りグートルーネの想いを受け入れるように言った。


「ジーク様、これは女性嫌いを克服する良い機会です。皇太子妃様と少しずつご関係を深めてトラウマを払拭しましょう。国民だって未来の皇帝陛下と皇后様が仲睦まじい夫婦である事を望んでいる筈ですから」

「アルベルト……お前には敵わないな。グートルーネ、私もお前を愛する事が出来るように努めよう。これからも良き妻として……どうか傍に居てくれ」

「殿下……!えぇ勿論です!」


 アルベルトの説得に完全に折れたジークリードは恥ずかしさでグートルーネから目線をやや背けつつも夫婦関係を深めていく事を誓った。グートルーネは自分と皇太子を改めて結び付けてくれたアルベルトに感謝を述べた。


「アルベルトさんには改めて感謝致します。愚かな私の罪を許して下さり殿下を説得して下さった事、一生忘れません」

「いえ、僕は大した事はしていませんよ。では僕はこの後宰相閣下と共に母国へ帰国致します。ご機嫌ようジーク様」


 アルベルトは二人の傍を離れヴェンツェル達に合流し部屋を出ようとする。するとジークリードは大きな声でアルベルトを引き留めた。


「待てアルベルト!永住権や推薦入学は撤回したがそれでもお前には何か礼はしたい!何でも構わない!望むものを言って欲しい!」


 ジークリードから望むものを問われアルベルトは少し考え込んだ後に振り返りこのように答えたのであった。


「……ジーク様が全ての帝国領に目を配りそこに住む人々の本当の幸福を考えられる皇帝陛下になられる事、それだけが僕の望みです」



★★★



「うっ、うっ、アルベルトざまぁ……生ぎでがえっでくだざって本当によがっだぁ!」

「ごめんねアンナ、心配かけたね。ほらこのハンカチで涙と鼻を拭いて」


 その日の夕方、王都へ向かう帰りの汽車内でアルベルトは大好きな主人が無事戻ってきた喜びで顔をぐしゃぐしゃにしたアンナを優しく抱きハンカチを手渡した。


「ぐずっ、ありがどうございまじゅ……えへへ、アルベルト様大好き♡」

「えっ?何か言ったアンナ?」

「あっ!?なな何でも無いですぅ!!!忘れてください!!!」


 アンナは胸の奥にしまった好意が優しくしてもらった弾みに出てしまった事に気づき顔を真っ赤にして誤魔化す。ヴェンツェルとヨハンは微笑ましい二人を温かな目で見守っていた。因みにエルンストは汽車を見送った後帝都の大使館に戻った。


「アンナ殿、無事にアルベルト君が戻って来て今度は嬉し泣きしておるぞい。ハッハッハ」

「ご自身のメイドにも慕われているとはアルベルト様は本当に恵まれておりますね。しかしながら惜しい気も致します」

「何じゃ惜しいとは?」

「アルベルト様がお誘いをお断りした件ですよ。折角自国より進んだ国で学者として活躍出来る絶好の機会だったというのにお断りしてしまったのは勿体無いなと思いまして」

「まぁ……それもそうじゃのう」

「まぁ閣下は内心ご友人が帝国に行って寂しい思いをせずに済んだと思っていらっしゃるかと思いますがね」

「うっ、余りワシを揶揄うでないぞいヨハン君」


 ヨハンに揶揄うような口調で本心を見抜かれたヴェンツェルは眉に皺を寄せムッとする。しかしヴェンツェル自身もアルベルトが果たして後悔していないのか気になりアンナの背中を摩っていたアルベルトに問いかける。


「アルベルト君、君は提案を断った事を後悔しておらんのか?」

「えっ?」

「色々考えての決断とは言え夢を叶える二度と無い機会を君は手放したのじゃから悔いは無いかと思ってな」


 ヴェンツェルからの問いにアルベルトは少し複雑そうに微笑み正直な気持ちを明かした。


「そうですね……正直少しだけ勿体無い事をしたかなぁとは思っています。でもこれで良かったんです。実のところ短期だけの留学なら、とも考えましたがきっとジーク様は僕が帝都にいると色々理由をつけて傍に居たがるでしょう。今後ジーク様は皇太子妃様と仲を深められるべきですから僕がいては邪魔になってしまいます」

「後悔はあるが適切な判断をした、と思っておる訳か」

「それに今回の訪問で僕とジーク様とでは立場も考え方も大分異なると痛感しました。余り側にい続けるより友人として付き合いながらも距離を置こうと考えました」

「なるほどのぅ……」


 アルベルトはジークリードから距離を置いた理由として皇太子妃との関係や植民地などの考え方の違いで関係が破綻しないようにする為だと打ち明けヴェンツェルも理解を示す。


「まぁ領主になっても学者さんほど専門的とはいかないまでも蝶や蛾の研究は続けられますし僕が一番採集研究をしたいナナイロマダラだってボナヴィアでも捕まえるチャンスはあります。何より前と違って今はヨゼフさんという最高の趣味友がいて寂しくありませんからね。あはは」

「アルベルト君……そうじゃな!ワシも君のお陰で充実した良い日々が送れておるぞい!ハッハッハッハ!」


 最高の趣味友と改めて言われたヴェンツェルは嬉しさに顔を綻ばせ大笑いした。汽車はその日の深夜に王都の駅へ到着し予め電報で知らせを受け待っていた女王や閣僚らの出迎えを受けた。


「ただいま帰りましたぞい女王陛下」

「陛下、帝国から無事に戻って参りました」

「おぉアルベルト!ヴェンツェル!内乱の一報を聞いた時は気が気では無かったぞ!無事に戻って来て余は安堵した。そなたらの為に王宮で慰労会の準備をしてある。この後存分に楽しむが良い」


 アルベルトとヴェンツェルが客車から降りるとマルガレーテはすぐさま近づき無事に戻った二人を労った。更にヴェンツェルは閣僚らからも無事を喜ぶ声を掛けられ穏やかに微笑む。かくしてアルベルトは帝都から帰還し母国での牧歌的な日常へと戻ったのであった。

(お知らせ)

予定より一日遅い投稿になりました。ヴィルクセン帝国編はこれで完結です。少しの休載期間を挟み再開いたします


次回投稿予定:25日

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