蝶好き令息神聖帝国へ行く(後編)①
帝都から西に二百キロにある街に黒い屋根瓦と石造りの荘厳な古城があった。かつてこの地を治めた国王が妃の為に建てたと言われる城だが街がヴィルクセン王国に併合され王国の管理下に置かれた後さる公爵によって購入された。公爵はここを居城にすると同時に地下に複雑で仕掛けだらけの空間と牢屋を作り気に入らない者を幽閉、粛清した……
「交代の野郎遅っせえなぁ。もう夜になっちまったじゃねえかよ」
「そうだな。しっかし公爵様もこんな城に娼婦なんて侍らせて何考えてんだろうな。金貰って門番やってる俺には分かんねぇけどよ」
「まぁな。全くお貴族様はこんな城も女も好きに出来て羨ましいねぇ……ん?おい、橋の向こうに誰かいないか?明かりが見えるぞ」
アルベルト達がこの古城に連れ去られてから数時間たった頃、城門に繋がる石橋の手前に設置された鉄の縦格子の門前では二人の護衛が錆びた格子に寄りかかり交代が来ない事を愚痴っていた。すると一人が門まで繋がる薄暗い林道の先で怪しい赤色の明りが光るのを見つけた。
「本当だ!一体誰だ……!?」
もう一人の護衛も明りに気づき銃を構えようとしたその時、明かりの見えた方向から二つの大きな火球が二人に向けて勢いよく飛んで来た。直撃した二人は瞬く間に全身に火が回りもだえ苦しむ。
「うわあちゃちゃちゃちゃ!!!火傷しちまうよぉ!」
「もうたまらん!麓の川まで行くぞぉ!」
護衛達はたまらず任務を放棄し麓を流れる川まで走って行ってしまった。その直後林道の向こうから二人の男が駆け足でやって来た。エルンストとヴェンツェルだ。
「これが弟達の囚われている古城か……しかしよくあんな遠くから見張りに火球を命中させられましたね」
「歳は取ったが目は良い方じゃからのう。しかし殿下から急遽支給してもらったこの魔剣はミスリル合金……ワシの魔力に耐えうるかちと心配じゃ。兎に角エルンスト君、扉は頼むぞい」
「はい閣下。危ないので離れてください」
道の向こうの明かりの正体はヴェンツェルが魔剣の先から魔力で作った火球を発射する際に出た魔法陣の光だったのだ。そして今度はエルンストが林道まで下がり石橋前の格子扉と城門の大きな木製の扉に向け魔法の杖先を向ける。そして水色に輝く大きな魔法陣と共に巨大な氷塊を出現させた。氷塊は二つの扉に向け勢いよく発射され鉄格子の扉は瞬く間に破壊されその先の木製の門も吹っ飛ぶ。城の内部にいた護衛達は突然の事態に目を丸くする。
「おい何だあの氷の塊は!門を破壊しやがった!」
「侵入者だ!銃を構えろ!」
護衛達は侵入者だと判断し戦闘準備を始めた。そして数人が扉を破り門の前を塞いでいる氷塊に銃剣付きの銃を構え恐る恐る近づくと魔剣を持ったヴェンツェルと魔法の杖を軸に氷でコーティングした剣を持ったエルンストが氷塊の陰から現れた。
「なっ!?ぐあっ!!!」
「うぎゃあっ!!!」
二人は城内の広場に現れるや否や接近した護衛を直接切りつけ薙ぎ倒す。一通り制圧すると互いに背中を合わせ周囲を見渡した。
「兵隊の数は思ったより少ないようじゃのう」
「えぇ。ですが塔の上や高層階からも銃で狙っています。気をつけて内部へ入りましょう」
「敵は二人だ!高層階の連中は銃か魔法の杖で狙え!すぐ近くにいる奴らは接近戦用の武器で迎え撃て!護衛隊長の俺の指示に従え野郎どもぉ!」
塔から事態に気づいた護衛隊長を名乗る禿頭の男は下階の手下に侵入者の排除を命じる。二人は城の広場を疾走し飛んでくる弾丸を上手くかわしつつ剣と魔力で攻撃し敵を次々撃退する。
「氷塊豪雨!」
「火炎柱!」
ヴェンツェルが放った火の魔力は忽ち敵と銃を焼き焦がしエルンストの氷の魔力は敵の体を氷柱で射抜き戦闘不能にしていく。ふとエルンストは上階の窓からヴェンツェルを狙い撃ちしようとする敵を発見した。
「閣下危ないっ!!!」
エルンストは咄嗟に氷の剣先を上階の窓に向け白い冷気弾を発射した。冷気弾は敵に命中し敵は銃を構えたまま凍り付き動かなくなる。
「助かったぞいエルンスト君……むっ!?」
ヴェンツェルは狙撃から助けられた例をエルンストにするが直後一筋の青白い雷が自身に向け落ちて来た。石畳の床を転がり間一髪避けたヴェンツェルの前にひと際屈強そうな護衛が現れた。褐色の軍服を着た筋骨隆々の大男で顔に斜めの傷があり赤髪碧眼の如何にも軍隊上がりらしい男であった。その手には鈍く輝く巨大なハンマーを持っている。
「今の雷はお前さんが落としたのかの?危ないところじゃったぞい」
「侵入者がどんな面かと思えば白髭生やした老人と若い眼鏡野郎とはな。てめぇら何者だ」
「ボナヴィアからの使者とだけ言っておこう。ここに囚われておる同胞を返してもらいに来たぞい。だが来たのはワシらだけではない。皇太子妃殿下をお助けする為警官隊も駆けつけておる。降伏するなら今の内じゃ」
ヴェンツェルは目的を語ると同時に警官隊も来ている事を告げ降伏を促す。間もなく城外からはサイレンの音が鳴り響いた。だが大男は不敵な笑みを浮かべる。
「人質の事がもうバレたのか。だが俺にはどうでも良い事だ」
「何?」
「お前ただの爺じゃねぇな。元陸軍大佐としての勘だが相当魔力の強ぇ男みてぇだ。俺は強者と一戦交える事が大好きでな。金で護衛を受けたがまさかお前みたいな強者がやって来るとは思って無かったぜ。お前と戦えるなら公爵が捕まろうが人質が奪われようが知った事じゃねぇ」
男はそう言いながらハンマーの先をヴェンツェルに向けてギラリと睨みつけてくる。
「お前さん生粋の戦闘狂という訳か。しかし巨大なハンマーは随分原始的な武器じゃな」
「俺は強い雷魔力と腕力が武器なのさ。舐めるなよ」
「エルンスト殿!この場はワシが引き受ける!君は先に城内へ入りアルベルト君達を探してくれ!」
「はい閣下!」
エルンストは指示に従い襲い掛かった護衛らを凍らせて倒した後一階の窓を蹴破り侵入した。時を同じく城門から黒い服を着た警官隊が雪崩れ込んで来た。
「続けぇ!歯向かう者達は皆逮捕だぁ!!!」
警官隊の隊長が勇ましい声を上げて氷塊を避け中庭に入って来ると警棒とピストルを握った隊員達もそれに続き侵入し護衛達と乱闘になる。塔の上の護衛隊長は予想外の状況に頭を抱えた。
「馬鹿な!?何故人質の事がバレたんだ!こうなりゃトルステンに警官隊連中を一掃させるしかねぇ!」
護衛隊長が広場を見るとトルステンと呼ばれた例の大男がハンマーを振り回しヴェンツェルと渡り合っている様子が見えた。
「おいトルステン!爺だけに夢中になってねぇで警官隊も雷魔力で片付けろ!」
護衛隊長は塔の上から大声で命じたがトルステンは言う事を聞く様子を見せない。護衛隊長は額に青筋を立て憤る。
「クソッ!あの野郎聞いちゃいやがらねぇ!おい公爵様に外の状況をお伝えしろ!早く退避なさるようにとな!」
「はっ!」
護衛隊長の指示で部下が老公爵のいる下階の部屋まで走って行く。一足先に城内へ入ったエルンストは氷の剣を溶かして再び魔法の杖に戻し発砲してくる護衛らと交戦しつつアルベルト達を捜していた。
(待っていろよ弟よ……お兄ちゃんが必ず助けに行くからな!)
★★★
「まだ見張りが居るから慎重に進もう。足元は大丈夫かいアルベール?」
「うん、大丈夫だよ」
「それなら良かった。皇太子妃は如何です?」
「私も大丈夫です。お気遣い痛み入ります……」
その頃古城の古い煉瓦造りの地下通路ではパピヨンがアルベルト達を引き連れて慎重に一列で進んでいた。パピヨンを先頭にアルベルトとグートルーネと続き最後尾にはアレニエールが続く。
「しかしジメジメしてカビ臭くて嫌な所だ……ひっ!!!」
「お静かにムッシュ。敵に見つかりますよ」
「すっ、すまん。雫が首に落ちてきてな(何で警部のワシが泥棒に謝っとるんだ?)」
「この地下空間は現当主の公爵が城の下の岩盤を削り作ったです。通路が複雑なので迷わないよう気をつけ……おや?一旦止まりましょう」
曲がり角に差し掛かったパピヨンは後ろの三人を静止して角の先を注意深く見つめた。見張りの男達が二人慌てた様子で何か話し合っているようだ。
「ふむ、どうやら地上では警官隊が突入を開始して大騒ぎになっているようですね。私の狙い通り事が運んだようだ」
パピヨンは見張り達の口を凝視しその動きから会話を解読すると警官隊が来た事への期待から曇りがちであったグートルーネの表情が初めて明るくなった。
「警官隊が来てくださっているのですね!良かった……」
「皆さんここで待機して下さい。あの方々を眠らせて参りますから」
パピヨンは後ろの三人にそう言うと二人の護衛達に接近した。護衛仲間の振りをしたパピヨンは地下牢の見張りの交代を探しているだのと会話をしてから腕時計を確認するそぶりをする。実はこの腕時計に睡眠ガスを噴射する超小型装置を仕込んであるのだ。
「うわっ!?何だこの煙……は……ぐぅ」
腕時計から発射された白い煙を吸い込んだ護衛二人はすぐに眠たくなり気絶したように倒れこんだ。それを曲がり角から隠れながら眺めていたアルベルトは感心していた一方アレニエールは悔しそうな顔で拳を握りしめる。
「凄いなぁパピヨンさん……腕時計にまであんな仕掛けを仕込んでいるなんて!」
「ぐぬぬ……奴めまた新しい催眠ガス発射装置を開発しおったな!」
「さぁ安全ですよ。先へ進みましょう」
パピヨンの一言で一行は再び歩き出す。迷路のように入り組んだ地下通路は護衛でさえ地図が無くては迷子になる広さであったが風魔力保持者のパピヨンは通路の中を吹く風向きを手掛かりに殆ど迷う事無く正確に案内する。やがて一見すると行き止まりのような空間へ辿り着いた。
「あのパピヨンさん、ここは行き止まりでは?」
「だと思いますよね。ですが実はここが地上へ繋がる階段がある唯一の出入口なのです。地下牢からの脱獄者を出さないよう隠してありますがね」
「それでどうやって入り口を開くんだ?ひらけごま!なんて魔法の言葉で開く訳じゃあるまい」
「童話じゃあるまいしそんな訳無いでしょうムッシュ。何処かに扉を開くスイッチがある筈ですが……」
パピヨンは空間内をキョロキョロと見まわし隠し扉を開くスイッチを探すが中々見つからないようであった。その時アルベルトのズボンの裾を下から何かが引っ張った。
「ん?あれ?君達はさっきの鼠さん達じゃないか。どうしたの?」
ズボンを引っ張ったのは牢屋にいたあの親子鼠であった。アルベルトが気づいたのを確認した鼠達はズボンから離れると左壁の下側にある一つだけ壁から突き出た煉瓦に集まった。そして親子力を合わせそれを壁側に押すと塞がっていた煉瓦の壁が大きな音と共にスライドして開き石の階段が現れたのだ。
「かっ、壁が開いて階段が……!」
「凄いわ!こんな仕掛けでしたのね」
「君達もしかしてパンのお礼に開けてくれたの?ありがとう鼠さん!あはは」
鼠の親子はアルベルトのお礼を理解したのかチュウと一声鳴いてから通路の向こうへ去って行った。それを見たパピヨンは不思議そうに尋ねる。
「アルベール、君はもしや動物と話す力でもあるのかい?」
「ううん、言葉は分からないけど昔から動物達に好かれるんだ。僕が危ない時に守ってくれる事もあるよ」
「ふっ、動物にも君の優しさが分かるんだね。では階段へ急ぎましょう」
パピヨンに促され石の階段を上り始めると隠し扉はゆっくり閉まった。階段内は壁の窪みにランプが設置されており以外にも明るめであった。
「熱を加えると光る白光石を使ったランプか。蝋燭だけより二倍明るいから助かった」
一行はパピヨンの先導の元足元を気にしつつ階段を登ってゆく。ところがグートルーネは皇太子妃という立場故体力が無いのか何段か上ると息を切らし始めた。
「はぁ、はぁ、もう限界だわ。皆さんお先に上って下さいませ」
「皇太子妃様、そういう訳には……」
グートルーネはとうとう限界が来たようで階段の途中で手すりのロープを掴みへたり込んでしまった。するとアルベルトが数段降りて駆け寄り右手を差し伸ばしてきた。
「えっ……」
「皇太子妃様、途中の踊り場まで頑張りましょう。地上までもう少しの辛抱です!僕も手を引いてお手伝いしますから」
「でっ、でも私あなたを殺そうとした女よ?そんな私を……」
「関係ありませんよ。動けなくなった人を放ってはおけません」
アルベルトはグートルーネを助ける為手を伸ばしたのだ。その優しい言葉や思いやりはアルベルトへの不信感で固まっていたグートルーネの心を溶かしたようであった。
「アルベルトさん……私あなたを誤解していたのかも知れないわ」
「?」
「あなたの事をずっと殿下のずる賢い愛人だと思っていたけれどここまでの振る舞いや言動を見聞きしていたら想像とかけ離れているのに気づいたの……あなた本当に殿下の愛人では無いの?」
「何度も言っていますが違いますよ!ジーク様とはお友達です」
「信じて良いのかしら……」
「信じて下さい!僕は蝶や蛾を採集したり研究したりするのが好きなただの伯爵令息です!」
アルベルトは自身に野心など無い事を分かって貰おうと真剣な表情でグートルーネと目を合わせる。
「……あなたを信じるわ。嘘をついているお顔には見えないから。今までごめんなさいね」
「皇太子妃様に分かって頂けて良かったです。さぁ手を握って下さい」
グートルーネはアルベルトをようやく信じる気になり両者は和解した。二人を眺めていたアレニエールは壁に寄りかかり葉巻をくわえた。
「ワシには何だかよく分からんが仲直りしたみたいだな」
そう言ってマッチを取り出そうとした時、ガゴンと大きな音が聞こえ続いて巨大な何かが上から転がり落ちる音が響き渡った。そして階段の上を見上げた四人の目前に巨大な丸い岩が現れた。
「「「「!?」」」」
岩は階段を転がり落ちながら迫って来る。四人は目が飛び出さんばかりに仰天し階段を駆け下り始めた。
「きゃあぁぁぁ!あの岩は一体何なのーーー!!!」
「ちょっとパピヨンさぁん!?岩が落ちて来るなんて聞いてないんだけどぉぉぉ!」
「言い忘れていたけどこの階段には色んな仕掛けがあるから壁を不用意に触らないようにね!」
「パピヨン貴様ぁ!それを先に言わんかぁぁぁ!!!」
四人は必死に駆け下りると一度通り過ぎた別の踊り場まで戻り岩を回避した。しかしその後も槍が天井から降ってきたり毒蛇が壁の穴から這い出てきたりと恐ろしい仕掛けに悩まされながら階段を上がる羽目になったのだった。
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