我儘女王マルガレーテ③
「へぇーそれじゃあマルゴットさんは狩猟の為にこのワンちゃん達、ロムルスとレムスを連れて来たんですね」
「あぁ。だがその犬どもが勝手にそなたの方へ走り出したせいで狩猟どころでは無くなったがな」
アルベルトは切り株に座り直し犬達を撫でながらマルガレーテが森に来た理由を聞いた。マルガレーテも近くに転がっていた倒木に腰掛け話を続ける。
「それにしても犬どもが随分と懐いておるな。そやつらは普段見慣れない人間には吠えて噛みつこうとする程凶暴なのだが」
「僕は昔から何故か動物に好かれやすいんですよ。とても可愛い犬達ですね。あはは」
アルベルトに撫でられ嬉しそうな犬達。レムスに至ってはお腹を見せ服従の姿勢までしている。自分の猟犬が信用していない男に懐いているのが面白くないマルガレーテは更に不機嫌そうにアルベルトに言った。
「フン!動物達に好かれても貴族達に好かれないなら世話無いではないか。それにそなた、余の話を聞いて内心軽蔑したであろう」
「えっ?どう言う事ですか?」
「余は普通の貴族の女とは違う。狩猟を好み軍馬に男のように跨る。そんな余の事をどうせ粗野で淑女らしく無いなどと内心馬鹿にしているのであろう」
アルベルトを睨みつけ棘のある物言いをするマルガレーテ。アルベルトは不思議そうな表情をして
「あの、どうしてマルゴットさんを軽蔑する必要があるんですか?好きな趣味に女かどうかなんて関係無いですよ」
「!?」
と言った。マルガレーテはまた自分が予想したのと違う反応が返って来た事に戸惑う。アルベルトは微笑みながら更に続けて言った。
「それに僕だって蝶や蛾を採集する変わり者です。人の趣味を馬鹿にする資格なんかありません。狩猟をされるマルゴットさんの方がよっぽど貴族らしいですし自分の好きな趣味を堂々と楽しめる素敵な方だと思いますよ」
アルベルトに素敵な方と言われたマルガレーテは少し顔を赤くして大声を出す。
「なっ、そなた余を口説いているつもりか!?余はそなたよりもずっと高貴な身分なのだぞ!」
「???僕はただ思った事を言っただけですが……それとマルゴットさんは伯爵より位が高い方だったのですね。失礼しました」
マルガレーテが何故顔を赤くし大声になったのか分からずアルベルトは困惑しながらとりあえず非礼を詫びる。マルガレーテは落ち着いてこほんと咳払いをした。
「まあ良い。それよりずっと気になっておったがそこにあるランプと白いカーテンはなんじゃ?」
「ああ、それはライトトラップです」
「らいととらっぷ???なんじゃそれは」
「蛾を捕まえる為の装置ですよ。ほらよく夜に火を焚いていると誘き寄せられる蛾がいますよね。あれは蛾が光に寄ってくる習性があるからなんです。それを利用して夜にランプを灯し布に反射した光に寄ってくる蛾を捕るつもりなんですよ」
「なるほど。つまりこれもそなたが好きな蛾を捕らえる為の装置という訳か」
嬉しそうにライトトラップの説明をするとアルベルトはすっと立ち上がり
「ですがまだ夜までには時間がありますから僕はこれから森を散策して蝶を採集しに行くつもりです。マルゴットさんはどうしますか?」
と聞いた。マルガレーテは一瞬顎に手を当て考えたがすぐ立ち上がると言った。
「狩猟の続きをやろうかと考えたがもう少しそなたの事を知りたい。その蝶の採集とやらに余もついて行っても良いか?」
アルベルトは笑顔で即答した。
「えぇどうぞ!一緒に蝶を探してくれる人がいる方が僕も楽しいですから。それじゃあ出発しましょう」
肩掛けカバンを持ち焚き火を消してから犬達と一緒に森の小道へややスキップしながら歩いて行くアルベルト。その後ろからマルガレーテは猟銃を手について行った。
「わぁ!見てください!美しいカゼアオテングが飛んでいますよ!」
アルベルトが森の中を飛んでいる表翅が瑠璃色に輝く蝶を興奮しながら指差す。マルガレーテは呆れた顔でアルベルトの様子を見つめながら聞いた。
「そなた少し騒ぎすぎじゃぞ。それで?なんじゃあのカゼ何とかと言うのは」
「カゼアオテングですよ。テングチョウと呼ばれる蝶の仲間で頭部が長く伸びるのが特徴です。カゼアオテングは風の魔力を持っています。それで小さなつむじ風を起こして敵から身を守るんですよ」
アルベルトは持っていた虫取り網を振るいカゼアオテングを見事捕まえると魔法の網の効果で大人しくなった蝶を掌に乗せてマルガレーテに見せる。
「ほら見てください!瑠璃色と焦げ茶色の綺麗な羽根!変わった頭部!あぁこの美しい造形に出会えただけでも僕は生まれてきて良かったと……」
「分かった分かった!!!そなた距離が近すぎるぞ!!!もう少し離れて見せよ!」
前のめりになって大興奮で蝶を見せるアルベルトをマルガレーテは叱った。アルベルトはハッと自分が近づき過ぎていた事に気づいて謝りながら後退りし捕まえたカゼアオテングを採集した蝶を包む三角紙という紙に挟み肩から下げた鞄に入れた。
「すいませんマルゴットさん……」
「そなたどうやら蝶や蛾の事になると周りが見えなくなるようじゃの。楽しい気持ちは伝わるが程々にせよ」
そうマルガレーテがたしなめていた時マルガレーテの目の前に何かが糸にぶら下がりながら落ちて来た。
「何じゃ?余の前に何か黄緑の物が……ひっ!!!」
「あっ、シャクガという蛾の仲間の幼虫ですね!」
マルガレーテは目の前にぶら下がってきたのが蛾の幼虫と聞いて驚き顔を青くしながら後ろに下がり早く振り払うようにと指示する。
「よっ、余は芋虫は嫌いじゃ!!!気持ち悪い!!!早く余の前から取り除け!潰してしまえ!」
「何てこと言うんですか!幼虫だって生きているんですよ!むやみに潰すなんて言わないでください!」
マルガレーテの発言に怒りを見せるアルベルトに気圧されたマルガレーテはむっとしながらも大人しくなる。アルベルトは糸にぶら下がる幼虫を引き寄せて自分の左掌に乗せた。
「この子はミズウスバアオシャクの幼虫ですね。シャクガと呼ばれる蛾の仲間で普段は若い木の枝に化けて敵から逃れますがそれでも見つかってしまった時には水の魔力を使って身を守るんです。ほら、見ていてください……」
アルベルトはそう言うと掌の上で尺を取るように這いまわる芋虫を指でつついた。すると体を上に上げて水色の頭部の上に大きな水滴をぷくーっと作り始める。次の瞬間水滴は弾けアルベルトの顔をびしょびしょに濡らした。
「あはは、ほらっ、こうやって敵を驚かせてから糸を吐いてぶら下がり逃げるんです。面白いですよね」
「そなたよく芋虫を手に乗せておれるな……しかも水までかけられたにも関わらず笑っておるし……」
幼虫を掌に平気で乗せた上に水魔力の攻撃を浴びても笑っているアルベルトを見てマルガレーテはやや引き気味に呟いた。
「魔法を持った蝶や蛾の仲間は身を守る為に魔法を使います。ミズウスバアオシャクも生きるのに必死なんです。だから攻撃されたぐらいで怒ったりしませんよ。それにしてもどうしてマルゴットさんの目の前に落ちてきたのかな?おや……?」
アルベルトが上を見上げると木の枝の間を小鳥が飛び回っている。アルベルトはこの幼虫は鳥に襲われ落ちたのだろうと理解した。
「なるほど。なら元の木ではなくそこのまだ若い木に移しておきましょう」
近くの藪に生える若い木に幼虫を移す。幼虫はシャクガ特有の尺を取る動きで急いで葉っぱの裏に移動した。
「そなたは確か捕まえた蝶や蛾を標本にすると聞いているがその幼虫は標本にはせぬのか?」
幼虫を逃す様子を見ていたマルガレーテは気になって質問をするとアルベルトは葉っぱの上を歩き始めた幼虫をにこやかな顔で眺めながら答えた。
「ミズウスバアオシャクの標本は十分標本を持っているので獲りません。自然のバランスを考え不必要な殺生はしないのが僕が採集する際のポリシーです。それに鳥に追われて落ちてきた幼虫まで標本にしてしまうのはいくら何でも可哀想ですからね」
アルベルトはマルガレーテの方に振り返って笑顔を見せる。マルガレーテはその笑顔につられ口角を上げ微笑みながらアルベルトの考えに感心した。
「……無駄な殺生はしないか。余も狩猟をする際は子連れの個体は狙わずかつ必要以上に狩り尽くさぬようにしておるから。立派な心掛けじゃな」
「あはは、ありがとうございます。ですが僕は結局標本の為に蝶や蛾を沢山殺していますからあまり立派な人間ではありませんよ」
褒められたアルベルトは照れつつも謙遜の言葉を返す。マルガレーテは内心でここまでのアルベルトの様子を見て思った事をまとめた。
(……フランクのドラ息子故性格も同じだと思っておったが女の趣味を固定観念で縛る事無く蝶や蛾相手にも必要以上の殺生はしない良い青年ではないか。やはりヴェンツェルの言った通りかも知れぬな……いやまだ分からぬか。もう少し話をしてみよう)
その後暫く二人と犬達は森を散策した後陽が傾き始めたのを見てライトトラップのある場所に戻り採集の準備を始めた。一方森の外では夕方になったと言うのに戻らないマルガレーテに兵士達は動揺してヒソヒソと話し合いアデリーナは苛立ちの表情を見せていた。




