(閑話)女王の動揺と第二皇子の苦悩
「あー暇じゃ。おいアデリーナ、余は狩猟に行きたい」
「目の前に書類の山作っておいて何言っているんですか陛下」
ヴェンツェル達がヴィルクセン帝国へ行った二日目の夕方、王宮内の国王執務室でいつもの濃い紫色のロングドレスを身につけた女王マルガレーテは書類の積まれた仕事机に肘をついてつまらなそうな顔でアデリーナに愚痴を零していた。アデリーナは仕事せず現実逃避する主君に冷たく返事を返す。
「黙れ!!!余はもう仕事に飽きた!外に出て兎か雉でも撃ちに行きたいのじゃ!」
「飽きる飽きない関係無くノルマは達成して下さいよ。陛下がきちんとして下さらないと最終的に国民が困るんですから。ほら新法案の署名がまだありますし議会演説の原稿作成と地方貴族からの嘆願書確認もしなきゃいけないでしょう」
「ええぃ煩わしい!!!なぜこんなにも沢山の仕事を片づけねばならんのじゃ!」
「喚こうが何だろうが政務は減らねぇんですからとっととやりやがって下さい。また期限ギリギリになって涙目でやっつける事になったら私が一番面倒なんです」
駄々っ子のように喚き怒るマルガレーテにアデリーナはうんざりとした気分になり段々口調が荒くなる。その時恰幅の良い禿頭の男が慌てた様子でノックもせず執務室に入って来た。
「陛下!一大事でございます!」
「あぁ!?何じゃヨハネス!ノックもせず入ってきおって!」
「ひっ!?一大事故お許しを!宰相閣下が来訪されておられるヴィルクセン帝国で内乱が発生し帝国政府が戒厳令を出したとの情報が入りました!」
「「!?」」
入って来た副宰相ヨハネスから知らされた隣国の内乱という一大事に執務室全体に緊張が走った。マルガレーテは真っ先に帝都の状況を案じた。
「それは誠か!帝都は大丈夫なのか!」
「内乱が発生しておりますのは帝国南部のバイヤルン王国ですので帝都はまだ大丈夫だそうです。ですが反乱勢力は帝都進軍を予告しているそうで……」
「何じゃと……帝国政府から事前に警告は無かったぞ!」
「わっ、吾輩も先程外務大臣より帝都大使館からの電報を受け取ったところでして……」
「帝国政府も察知出来なかったというのか……直ちに危険は無いとはいえ反乱勢力が帝都に入れば在外邦人やヴェンツェルにも危険が及ぶ。いやあやつは強いから良い。危険なのは……アルベルト!」
マルガレーテは反乱勢力が帝都に侵攻した際自国民やヴェンツェルのみならず自分の好きな男も危険に巻き込まれる可能性に気づき背筋が凍った。
(アルベルトは魔力も弱く力も足りない。もし帝都で市街戦にでも巻き込まれたら……!)
「陛下!」
「!?」
マルガレーテは愛しの男が内乱に巻き込まれる事態を想像し青ざめるがヨハネスの声が聞こえてハッと意識を取り戻す。
「そっ、そうじゃ……手を拱いておる暇は無い!緊急会議じゃ!ヨハネス!大臣らを直ちに会議室に集めよ!」
「緊急会議ですか!?しかしまだ反乱軍は帝都には向かっておりませんし時期尚早……」
「帝都にはヴェンツェルのみならず我が国の民も多数滞在しておる!帝都が混乱する前にその者らの保護や避難を考えねばならぬであろうが!とっとと召集しろこれは王命じゃ!!!」
「ひっ!かかかしこまりましたぁ!!!」
マルガレーテは女王としてやるべき対応を即決し緊急会議の為閣僚の招集を命じた。マルガレーテもヨハネスが出て行った後会議室へ向かう為アデリーナと共に執務室を後にした。
「これより緊急会議を始める。各自詳細は聞いておろう。余は帝国政府の対応を注視しつつ帝国への国民移動を抑制する為渡航禁止令を発し国境封鎖と公共交通機関の運行停止をすべきと考えておるが皆の意見を聞きたい」
「急な国境封鎖と鉄道等の運休は物流を停止させ経済に支障をきたします。我が国から帝都に行く旅客車両から段階的に止めていくのが良いかと」
「鉄道の運行停止につきましては我が国の鉄道公社のみならず帝国鉄道側にも通達する必要がございます。また駅馬車の停止措置も同様の対応が必要です」
「なるほど……おいヨハネス!まず一般市民に向け帝国への渡航禁止令を全土に通達せよ!また国境付近の領主に対し国境封鎖を指示しろ!宰相代理として他の大臣と連携し必要ならば会議の招集や余への進言を迷わず行え!」
「かっ、かしこまりました陛下!」
「クラウス!内務大臣のそなたは運輸大臣ウルリッヒと連携し両国の鉄道公社、ならびに駅馬車の運行会社に対し運行停止措置を通達せよ!それと国境警備隊による監視強化を実施するのじゃ!ただし帝都の在外邦人が避難してくる事を想定し避難民受け入れの準備もしておけ!」
「はっ!」
「ランベルト!そなたは外務大臣として大使館に帝国政府の対応をこちらに伝えるよう命じよ!また帝都におる邦人に警戒を促し万が一の場合保護と避難を速やかに行えるように指示する事も忘れるな!」
「はっ、はい!」
「今すべき対応はこのくらいか。他に意見は無いか?」
「陛下ぁ!もし反乱が拡大した場合帝国側から我が国に援軍を求められる可能性がございますぞ!」
「確かに我が国は同盟国じゃからな……よしグスタフ!有事に備え国境付近の陸軍部隊を速やかに出動出来るよう事前計画を練り余に報告せよ!」
「了解致しました陛下ぁ!!!」
珍しく完全仕事モードのマルガレーテは大臣らの助言を聞きつつ指示を飛ばし先程までの怠惰振りからは考えられない程まともな君主らしさを見せた。
「後は……そうじゃランベルト!」
「何でございますか!?」
「大使館を通じヴェンツェルに伝えよ……アルベルトを必ず護れとな」
マルガレーテからの思わぬ指示にランベルトはポカンとするが緊急事態故追求せず了承した。
「りょっ、了解致しました!」
「緊急会議は一旦終了する!全員すぐ対応せよ!何かあれば余は執務室におる!」
「「「「ははっ!!!」」」」
会議が終了すると各大臣は女王の指示に従い会議室を後にした。室内に一人残り玉座に腰かけた主君を後ろから見ていたアデリーナは呆れた様子でボソッと呟いた。
「全く好きな人絡みだと仕事が早いんですから」
「聞こえておるぞアデリーナ!!!よっ、余は別にアルベルト絡みだから仕事が早いのではない!断じてな!」
アデリーナの呟きにマルガレーテは振り返り顔を真っ赤にして反論したがアデリーナは更に冷めた視線を向ける。
「ホント分かりやすい人ですね陛下は」
「ええぃ黙れ!そんな事より秘密情報局に帝国情報院と連携し反乱勢力の動きを注視するよう伝えてこい!!!とっとと行かぬか!」
「はいはい、普段からこのくらい真面目に仕事してくれれば良いのに……」
恥ずかしさを誤魔化すように指示を出した主君にアデリーナは毒づきながら会議室を出て行く。一人残ったマルガレーテは深く息を吐きながら不安そうに天井を見上げた。
★★★
「断る!俺は兄上の事を敵視している訳でも無ければ皇帝になりたい訳でもない!」
「しかしながら南ドルツの同胞は皆第二皇子殿下に好感情を抱いておるのです。祖国を再び偉大にする為どうかお立ち下さいませ」
同日の夜、バイヤルン王国の王都ミュッセンに到着したヴィルクセン帝国の第二皇子ディートリッヒは汽車が停車した直後客車に乗り込んできたカイゼル髭に軍服と棘鉄兜を被った老軍人から新皇帝即位を勧められていたがそれを頑なに拒んでいた。
「ヴィルクセン王国主導のドルツ国家統一以降も政府は北ドルツの貴族に独占され南ドルツ諸国は不満を募らせております。かくいう吾輩もヴィルクセンの地主貴族出身ではあるがより強力で統一された祖国を実現する為には南北が一枚岩にならなくてはならんのです。しかし皇太子殿下が摂政になられてから南ドルツ側の不遇は続くばかり。このバイヤルンには北からの分離独立の噂さえ燻っておるのです。更に民衆の一部は急成長した経済に取り残され貧困に喘いでおります。帝国の分断を防ぎ中央政府を一新する為には南ドルツでも支持の高い殿下のご即位が肝要なのです」
「祖国祖国としつこいぞルンゲンドルフ将軍!俺は帝位には興味無いんだ!人質にした宰相や王族達を早く解放してやれ!」
「解放するか否かは殿下の返答次第ですな。自分で言うのも何ですが吾輩は帝国陸軍内ではかなり影響力を有しておりました。南ドルツ諸国の警官隊などにも陸軍出身者は多い。彼らを味方につけバイヤルンを占拠し帝都へ行進すれば必ずや革命は達成されるでしょう」
杖を持ち椅子に腰掛けそう自身ありげに語る老軍人の正体は反乱を起こした張本人であるルンゲンドルフ将軍であった。将軍はこの数時間前に第二皇子到着後に歓迎パーティーを開く為王国宰相や王族が集まっていたビアホールを反乱勢力を率いて占拠、宰相と王族を人質に捕りバイヤルン政府に対し反乱に協力するよう脅迫していた。ディートリッヒは即位を勧める将軍の誘いを拒否し続ける。
(俺が歓迎会を王宮では無く平民を交えて下町のビアホールで行いたいと言ったばかりにこんな事に……皆には申し訳ねぇ事をしちまった。大体俺は帝位なんかに全く興味ねぇっての!……と言っても兄貴には信用されねぇだろうな)
ディートリッヒは自分の本心を兄に信用されないであろう事を心の中で嘆いた。
(俺は兄貴と仲良くしたいのに兄貴は俺を疑ってばかりだ。幼い頃母上と一緒に遊んだ時の兄貴は優しかったのにどうしてああなっちまったんだろうな……)
更に心の中でそう呟きディートリッヒは遠い過去の思い出に想いを馳せた……
「あにうえ!あのりんでんばうむのきまできょうそうしましょう!」
「いいぞ!かったほうがさきにははうえにおはなのかんむりをぷれぜんとすることにしよう!」
まだディートリッヒ達が幼かった頃のある日、今は皇太子のバラ園となっている皇后の花園でディートリッヒは兄ジークリードに湖のほとりの西洋菩提樹まで駆けっこで勝負する事を提案した。ジークリードは勝った方が事前にクローバーの花で作った花の冠を皇后にプレゼントするという条件を付けて勝負を受けた。
「二人共、気をつけて走るのですよ」
「わかってますははうえ!それじゃいきましょうあにうえ!」
ディートリッヒの合図でスタートした駆けっこであったがジークリードの方が早くあっという間に離されてしまった。ディートリッヒはムキになるが途中で小石に躓き転んでしまう。
「うわああああぁぁぁん!!!」
「まぁ大丈夫!痛かったわねぇ可哀そうに……」
転んで出来た傷の痛みでディーは大泣きしてしまった。皇后はすぐ傍に駆け寄りディートリッヒを慰める。すると既にゴールの木にいたジークリードが戻って来てディートリッヒの足の傷に右手をそっと当て光の魔力で癒し始めた。
「ぐずっ……あにうえ……」
「けがはなおしてやったからなくなディー。ほらたてるか?」
弟より強い魔力で傷を癒したジークリードは泣き止んだディートリッヒの手を取り立ち上がらせる。皇后はジークリードの優しい対応を穏やかな笑顔で見ていた。
「偉いわジーク、弟の事をちゃんと思いやれる良い子ね」
「きょうだいはたすけあうべきだとははうえはいつもおっしゃっていますからとうぜんです!」
「そうよ、いついかなる時も兄弟同士で助け合う事を忘れないで。ジークが将来皇帝になってもディーと仲良く協力して国を治めなさい。ディーもお兄さんを傍でしっかり助けるのよ」
「はいははうえ!」
「わかりましたははうえ!」
大好きな皇后の教えにジークリードとディートリッヒは素直に返事を返した。その後も二人は休みの時間に共に遊び交流を重ねたが皇后が亡くなった後から二人が顔を合わせる時間は少なくなっていった。
「兄貴!たまには俺と狩猟に行かないか?」
「私は忙しいんだ。お前と違って遊んでいる暇は無い」
成長してからはディートリッヒが遊びに誘ってもこのように冷たく断られるのが恒例となりまたジークリードは自身が立太子された頃から周囲への深い猜疑心を抱くようになった。そしてディートリッヒをより遠ざけるようになり二人の関係は修復されないまま現在まで至っている……
(結局のところ兄貴の心は父上の厳しすぎる皇太子教育のせいで冷たく凍っちまっているんだ。兄貴の疑い深く寛容さが無い心をほんの僅かでも溶かしてくれる太陽のような奴が兄貴の傍に居てくれたら良いんだが……優しいグートルーネでも兄貴を変えられなかったからなぁ)
ディートリッヒは閉鎖的で冷たい兄の心に変化をもたらす存在が現れてくれる事を内心で強く願うと同時にグートルーネの立場を気の毒がった。
(グートルーネも可哀そうだ。慕っていた兄貴と婚約して皇太子妃になったというのに愛して貰えねぇなんてよ。兄貴じゃなくて俺の女になっていればあんな目には会わせなかったのにな……)
丁度その時客車に一人の兵士が乗り込んで来てルンゲンドルフ将軍に何やら耳打ちをした。
「何?知り合いである公爵様が別に人質を捕えておられるだと!?」
「はい!グートルーネ皇太子妃殿下とボナヴィア王国からの国賓であるアルベルトという青年だそうで」
「何だと!?」
ディートリッヒは公爵側の人質について耳にした途端激しく動揺した。昨日皇太子のバラ園で共にいた二人が囚われたからである。
「そうか妃殿下を人質に!流石は公爵殿だ!さて第二皇子殿下。我々の最大の支援者であられる公爵殿が極めて重要な方々を人質として捕らえております。これで状況は我々により有利となりましたな。さぁ殿下!ご即位されるか否かご決断を!」
将軍は満足げな表情で改めてディートリッヒに皇帝への即位を求める。ディートリッヒは人質が増えてしまった事でより迷い苦しむ。そして将軍に対し力無い声で言った。
「時間を……考える時間をくれ」
「ふむ、良いでしょう。ただし明日の明朝までですぞ」
ディートリッヒは将軍の許可を得て皇帝即位を決断するか否か決める為隣の皇太子専用に作られた寝台車に移動してベッドに座り込んだ。そしてお付きの者にコーヒーを淹れるよう頼んだ後深いため息をついて両手で頭を抱えながら項垂れたのだった。
(お知らせ)
今回は小説で書ききれなかった裏話を閑話にしました。予定より一日早い投稿です。
次回投稿予定:11日




