蝶好き令息神聖帝国へ行く(中編)⑤
「食事の時間だ」
地下牢に閉じ込められてから二時間後、アルベルト達に固い丸パンと冷めた野菜スープだけの質素な食事が運ばれてきた。グートルーネはその食事内容に怒りを隠せず運んできた看守に文句をつける。
「これは一体何ですか!私は皇太子妃なのよ!もう少しまともな食事を出しなさい!」
「……」
「黙っていないで何か言いなさいっ!!!」
「皇太子妃様、この際仕方ありませんよ。諦めて頂きましょう」
「アルベルト殿の言う通りです。どう騒ごうと我々は囚われの身ですからな」
憤るグートルーネをアルベルトとアレニエールは何とか宥める。グートルーネは二人の説得に仕方なく観念したがその表情には悔しさが滲んでいた。
「どうして私がこんな目に……」
「皇太子妃様……ん?どうしたの?もしかして僕のパンが欲しいの?」
アルベルトはグートルーネを気の毒そうに見てから食事にありついたがふと足元にネズミの親子がいるのに気づいた。ネズミ達はアルベルトのパンが欲しいらしくそれを察したアルベルトはパンを半分にちぎりスープに着けてからネズミ達に差し出した。
「ほらお食べ。君達もお腹が空いているんだよね」
差し出されたパンに親のネズミが真っ先に噛り付くと子ネズミ達も続いて食べ始める。大変な状況にも関わらず思いやりを見せるアルベルトを見たグートルーネは自身が大変な勘違いをしていたのではないかと気づき始める。
(囚われの身で自分も大変だというのにネズミを思いやるなんて……あの女に対する毅然とした態度と言いもしかして私はこの青年を誤解していたのかしら……だけどまさか……)
「あはは、そんなに急いで食べなくても取らないから……あれ?パンの中に丸まった紙きれが入ってる。何だろ?」
アルベルトは自分がちぎったパンに中に小さな丸まった紙が入っているのを見つけその内容を確認する。
「(私の愛しい人へ。これからこの陰鬱な籠の中から解放してあげる。帝国警察とボナヴィア大使館にも仲間を通じて連絡したから安心してね)一体誰だろう……ん?この青と赤の蝶のマーク何処かで見たような……」
アルベルトは紙切れにあったマークに見覚えがあり俯き脳内の記憶の棚を探った。そしてハッと顔を上げた。
「もしかして……!」
「気づいてくれた?君を助けに来たよ」
「!?」
アルベルトが気づいた直後看守が檻越しに囁きかけてきてアルベルトは驚いた。金髪に紫目のその看守は微笑みながら自分の顔をサッと右手で隠すと一瞬で赤と青の半分ずつに分かれ金の飾り模様がある蝶のアイマスクをつけた。
「パピヨンさん!?」
「何ぃ!パピヨンだとぉ!?」
「久しぶりだねアルベール。まさかこんなところに囚われているとは思わなかったよ」
看守の正体は変装した快盗パピヨンだった。パピヨンと聞いたアレニエールは即座に反応し檻から看守を見る。グートルーネもまた驚きを隠せない様子であった。
「あなたが噂の……我が国に入国しているとは聞いておりましたけれど」
「ごきげんよう妃殿下。私を存じておられるようで光栄でございます」
「パピヨンさん、どうしてここにいるの?」
「私は元々この古城の主が持っている春精石らしき宝石を頂きに来たんだ。君もメラニー嬢から話を聞いただろう?それで使用人に変装して潜入したのだけどたまたま妃殿下と共に君が囚われたと知ってね。居てもたってもいられず看守に成りすまして救出する事にしたんだ」
「あなたとこの青年はどう言うご関係ですの?」
「それは言えません。一つだけ言えるのは私が彼を愛している事だけです」
「えぇいそんなのはどうでも良い!ここを出て貴様を逮捕してやる!」
パピヨンはアルベルト達に古城の地下牢に来た経緯を話すがパピヨン逮捕に全てを掛けているアレニエールは激しく興奮しながら逮捕してやると息巻いた。
「一体どうやってお出になるおつもりですムッシュ・アレニエール?牢の鍵はあのウルバンという男が持っていますしこの檻はアダマント合金製で頑丈な上抗魔力加工が施されておりますから魔力攻撃も通用しませんよ?」
「くっ……!」
「ただ鍵の構造は簡単ですからこの針金さえあれば開けるのは造作も無いのですがね」
パピヨンはそう言って懐から一本の針金を取り出すとアルベルト達の牢屋の鍵穴に差し込みいじくる。するとものの数秒でカチャンと鍵が開き牢の扉が開いた。
「扉が開いた!」
「出ておいで私の愛しい人。この地下牢には他に看守はいないから大丈夫だよ。妃殿下もどうぞ」
「えっ、えぇ……」
パピヨンに促されアルベルトは開いた扉からパピヨンに手を取ってもらいつつ通路に出て行く。グートルーネもやや遠慮がちになりながらも恐る恐る出て来た。
「おいパピヨン!まさかワシだけここに置いて行く気じゃあるまいな!」
「ムッシュがそれを望まれるならそうしますけど?」
「望む訳あるか馬鹿もん!!!ワシも出せ!」
「ならここは一度休戦としましょうか。そうすれば出して差し上げますよ?」
アレニエールはパピヨンに牢屋から出す代わりに休戦しようと持ち掛けられ難色を示したものの最終的に了承した。
「うぅむ仕方あるまい……ただし古城から脱出するまでだ!外に出たらまた敵同士だ!それで良いな!?」
「えぇ勿論。では休戦の握手を。同じガロワ人同士協力致しましょう」
パピヨンは檻越しからアレニエールに手を差し出し握手を求めた。しかしアレニエールは両腕を組み不機嫌そうに鼻を鳴らしながら拒否した。
「ワシは刑事だ!死んでも悪党と握手はせん!」
「おやおや、つれないお方だ」
意地っ張りなアレニエールにパピヨンは呆れつつも約束通り檻の鍵を開けアレニエールも開放した。そして三人はパピヨンの誘導で慎重に廊下を歩きだした。
★★★
「帝国政府からまだ何も報告がございませんね。閣下」
「うむ、反乱勢力側もあくまで皇帝陛下と皇太子殿の退位という要求が通らん限りは人質について何も話す気がないのであろうな」
その頃帝国宮殿の一室ではヴェンツェルとヨハンが不安な表情を浮かべながら人質に捕られたアルベルトの最新情報が来るのを待っていた。外は既に夕日が沈み夜の帳に包まれ暗黒の空には冷たい光を放つ月だけが寂しげに浮かんでいる。ヴェンツェルは誘拐犯達からの新たな要求などが無い限り動けないもどかしさから部屋をうろうろしていたがふとソファに目をやると泣き疲れて眠ってしまったアンナに掛けてあげた毛布がずり落ちていた。
「アンナ殿も気の毒じゃな。自分の主人が誘拐されたショックでずっと泣きっぱなしじゃった……ちゃんと毛布を掛け直してやらんとな」
ヴェンツェルは毛布を掛け直してやると傍の椅子に座り気分転換にパイプ煙草をふかした。
「しかし閣下、何故アルベルト様が誘拐された事を本国に伝えないよう大使館に通知なさったのです?国賓の誘拐という大事件なのですからお伝えした方が良いと思いますが……」
「深い理由は無い。本国の協力を仰ぐタイミングでは無いだけじゃ」
「はぁ……」
(まぁ本当のところは陛下の暴走を防ぐ為なのじゃがな。アルベルト君が誘拐されたと知ったら我を忘れて帝国に乗り込んで来かねんからのぅ……)
ヨハンはヴェンツェルが本国にこの大事件を報告しない表向きの理由に納得がいかず訝し気な顔をする。その時ドアをノックする音が聞こえヴェンツェルが入るよう促すと大使館から戻って来たエルンストとベドリッヒが入って来た。
「エルンスト殿!ベドリッヒ殿!どうしたのかね!?」
「宰相閣下!実はつい先ほど大使館に帝国警察から連絡がありまして皇太子妃様と人質に捕られている我が弟の居場所を知らせる匿名の手紙が届いたそうです!」
「「!?」」
アルベルト達の行方を知らせる手紙が帝国警察に届いたと知りヴェンツェルとヨハンは反応し椅子から勢いよく立ち上がった。
「それだけではありません!その連絡から間もなく大使館にも同じような内容の手紙が届きまして……それがこれです」
エルンストの後ろにいたベドリッヒは懐から大使館宛に届いたという手紙を見せた。念の為ヨハンが受け取り開くとそこには人質のいる場所とパピヨンが人質を保護している事が記されていた。
「(……皇太子妃と国賓の青年は帝都西二百キロの街にある古城に囚われり。我が主パピヨンが両名とも保護せり。されど敵の見張りが多く脱出困難なり。至急救援を求む)……パピヨンじゃと!?」
「パピヨンと言えば今年の春に我が国に密入国したあの盗賊ですね閣下」
「うむ。この書式に赤と青の半分ずつに分かれた蝶のマーク、パピヨンに間違いないぞい。大使館にも手紙を届けたのは警察が万が一動かなかった際の対策かも知れん。しかしまさか盗賊であるパピヨンがアルベルト君達を救出してくれるとはな……」
ヴェンツェルはまさか盗賊であるパピヨンがアルベルト達を保護してくれるとは思わず意外そうに呟いた。
「閣下、私はこの後準備をしてから帝国警察と共に古城へ向かいます!愛する弟の為なら例え敵と交戦する事になろうと行くつもりです!」
「何と!?」
「弟をあらゆる脅威から守ると亡き母上に誓いましたから……!」
弟を愛するエルンストは自分も警官隊と共に古城へ救助に向かうと宣言した。その強く固い意志が籠ったエルンストの眼を見たヴェンツェルは感銘を受けそして同行する事を決意した。
「エルンスト殿、君の弟に対する情の厚さには関心したぞい。ワシも同行しよう」
「閣下……!」
「ワシはS級魔力保持者じゃ。警察隊と共に敵陣に乗り込むならワシ程心強い味方もあるまい?ではヨハン君、ワシはこれから準備をして古城へ向かう。君は皇太子殿にこの件を報告してくれ。それが終わったら大使館へ行き全権大使と共に本国からの指示を仰ぐのじゃ。恐らく邦人保護などの命令が来るじゃろう」
「分かりました!」
「おいエルンスト、俺はどうしたら良い?大使館に戻るか?」
「それで良い。魔力が弱くて太ってるお前が来ても足手まといだからな」
「そんな言い方はねぇだろ!?怒るぞマジで!!!」
ベドリッヒに辛辣な言い方で返したエルンストにベドリッヒは顔を真っ赤にして怒り出す。怒る同僚を無視してエルンストはヴェンツェルと共に古城へ向かう為各々準備を整え辻馬車に乗り帝国宮殿を出発した。
「しかし閣下、今更ですが何故閣下は私と共に同行なさって下さったのですか?確かに閣下はS級魔力保持者ですので戦闘になっても大丈夫だとは思いますがそれでも下級貴族の子弟である弟の為に閣下がわざわざ敵地に出向かれるとは……」
馬車の中でエルンストは身分の高いヴェンツェルが自分と一緒に古城に同行した理由について聞いた。ヴェンツェルは馬車から夜の街道を眺めつつ答える。
「逆じゃよ。例え下級貴族の令息であっても自国民である以上宰相として自ら出向いて助けるべきじゃ。それだけの理由じゃよ……それにワシとて大事な友人を失いたくないからのぅ」
(大事な友人?……!?)
ヴェンツェルが最後に小声で呟いた一言にエルンストは疑問を覚えそしてヴェンツェルの横顔を見てハッとした。去年帰郷した際に弟と共にいたあの(ヨゼフお爺さん)と来ている服や眼鏡などを除き人相が瓜二つである事に気づいたからだ。
(まさか……宰相閣下がヨゼフお爺さんなのか!?)
「ん?どうかしたかの?ワシの顔を凝視して」
「いっ!いえ何でも!」
ヴェンツェルに視線を向けている事に気づかれたエルンストは慌てて視線を逸らし誤魔化した。やがて馬車は帝国警察庁に到着し警察の協力を仰ぐ為二人は急ぎ庁舎内へと入って行ったのであった。
「ねぇ公爵様♡あのパピヨンとかいう泥棒さんからの予告時間はとっくに過ぎたのだから見せて下さっても良いでしょう?公爵様の春精石♡」
「ん~んふふふ、どうしようかのぉ~。あれは大事な物じゃからなぁ」
一方古城の最上部にある部屋では紫のランジェリードレスを着たメラニーがソファに座るあばたと皺だらけで頭頂部の禿げた醜い老公爵の腕に豊満な胸を押し当て所有する春精石を見せてくれとせがんでいた。公爵は誘惑するメラニーにまんざらでもなさそうにニヤニヤしつつも迷っている様子であった。すると傍に控えていたウルバンが更に説得する。
「私も一目見てみたいですね。公爵様に絶大な幸運と栄光をもたらすその石達がどれほど美しいか気になります」
「仕方が無いのぉ~ならお前達には特別に拝ませてやろう。ふぉっふぉっふぉっ」
公爵はメラニー達の催促に根負けし拝ませてやると言って室内のクローゼットまで杖をついて歩み寄った。そして扉を開けその中にある古ぼけた金庫のダイヤルを回し開くと中から黒光りする小箱を取り出しそれをメラニーとウルバンの前で開けて見せた。
「まぁこれが……!凄く綺麗ですわぁ♡」
「そうじゃろう。これが伝説の春精石じゃ」
小箱の中に収められていた春精石はいずれもオーバルカットで大きさはそら豆程もある黄、紫、ピンクの石でその輝きは電光の如く眩しくメラニー達を魅了した。
「ワシも生きておる間に全て手に入れられるとは思わんかった。春精石を手に入れ皇帝をも凌ぐ権力者となる事がワシの長年の夢じゃった。ルンゲンドルフ達が革命を達成し新皇帝がご即位された暁にはワシが富も権力も全てを手に入れ陰の黒幕として帝国を思いのままにするのじゃ。ふぉっふぉっふぉっ!」
「素晴らしい事ですわ!私も公爵様の愛人として存分に贅沢が出来ますのね!ねぇウルバン♡」
「えぇ、公爵様が出世なさる事こそ執事たる私の一番の幸せでございますから……」
公爵がギラギラと野心に満ちた目で野望を語るとメラニーは興奮気味に歓喜しウルバンにも同調を求めた。ウルバンは共に喜んでいるような笑顔を見せていたが獲物を狙う狼のような眼光を小箱に向けており表情も徐々に何かを企むような歪んだ笑みに変わってゆく。そして後ろに組んだ両腕のうち右手には自身の氷魔力で作ったであろう鋭い氷柱が握られていた。
(お知らせ)
12月13日:春精石の設定を最初の設定に戻しました。
・次回投稿予定:9月2日




