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蝶好き令息神聖帝国へ行く(中編)②

 遡る事一日前の真夜中、使用人達も業務を終わらせ静寂に包まれた帝国宮殿の廊下を鼠色のカールしたかつらを被った丸眼鏡の男が速足で歩いていた。皇太子秘書官をクビになったローゼンハイムだ。


(全く殿下はどうかしておられる!このままでは本当に解雇されてしまう!かくなる上は皇帝陛下に掛け合い殿下を説得して頂く他は無い!)


 ローゼンハイムは皇帝ジギスムント二世に掛け合ってどうにか秘書官に復帰しようと考えたのだ。やがて皇帝の寝室前まで来たのだがその扉前で思わぬ人物と出会った。


「ん?こっ、これは妃殿下!なぜこちらに!?」

「ローゼンハイムさん!?私は個人的な事で陛下にご相談を……ローゼンハイムさんこそなぜ陛下の寝室前に?」

「皇太子殿下から不当な解雇を受けたので陛下に説得して頂きに来たのです!おい君!我々を通してくれ!」

「そっ、それが今……」


 寝室前にいたのは皇太子妃グートルーネであった。ローゼンハイムは事情を説明した後自分達を寝室に通すよう扉前の衛兵に言うが何故か通そうとしない。その時部屋の中から皇帝の怒号が聞こえて来た。


「とぼけるなジーク!!!どれだけ重大な事をしたか分かっておるのか!?」


 病身の皇帝のものとは思えない大声に扉前の一同は体を震わせた。そして皆で僅かに開いていたドアの向こうに聞き耳を立てる。


「陛下!怒られてはお体に障ります」

「そちは静かにしておれ!ジーク!なぜマグレブ王国を訪問した!あの国は内陸海と西大洋を隔てる海峡に位置しガロワやヒスパニアが支配権を争う南方大陸の重要地点だ!そこにお前は突然訪問した上王族と会見し領土保全を約束する発言をしたそうだな!グートルーネが伝えてくれたから朕が対応する事が出来たものを!」


 ジギスムントは体調を心配する老執事を制止しジークリードが起こした外交上の問題を厳しく追及する。ジークリードは表情一つ変えず冷静に事情を説明した。


「あれはガロワを牽制し国際会議に持ち込む為にした事です」

「それなら何故事前に朕に相談しなかった!外交は慎重にせねばならん!対応を誤れば武力衝突に発展するかもしれんのだ!」

「そうなったなら仕方無いでしょう。女の腐ったようなガロワ軍相手に我が神聖帝国の忠実で強靭な軍が負ける筈がございませんが」

「馬鹿者!戦争は敵を侮ってやるものでは無い!ゴホッゴホッ!」

「陛下!もうこれ以上は……」


 ジギスムントは激高し怒鳴りつけたが体が限界に達し咳き込んだ。老執事は慌てたもののジークリードは眉一つ動かさずベッドの皇帝を見下げた。


「陛下は変わられましたね。かつては獅子の如く勇ましくガロワに対しても強硬な態度をとっておられたのに病気に倒れられてからはまるで猫のように弱々しく軽武装だ国際協調だと仰るようになった」

「はぁ……はぁ……何だと!?」

「我が神聖帝国は工業化に成功し長くユーロッパ経済を牽引してきたブリトニアに追いつく勢いで経済成長をしています。しかし成長を続けるには資源が要りますし人口も膨張しこのままでは本国だけで養いきれない。それ故植民地が必要ですが我が国は統一に手間取った分遅れを取り戻さねばなりません。ならば他国と衝突してでも世界進出を急ぐべきですしだからこそ海軍増強を図っているのです。軽武装や国際協調による均衡と平和など幻想にすぎない。世界の本質は生存競争、強く進化し続ける国だけが生き残るのです」

「お前は独善的過ぎる!他国と積極的に対立し余計な問題を起こし自分の方針に反発する大臣や軍人も言い分を聞かず次々解任させている!妃であるグートルーネも本人が望むにも関わらず信頼出来ないからと政治から一切遠ざけておるそうだな!なぜお前はそこまで極端なのだ!」

「お言葉ですが私は陛下の厳しい教育を受けて育ってきたのです。今の私の人格は全て陛下の教育の賜物ですよ」

「……っ!」


 ジギスムントは独り善がりなジークリードの姿勢や性格を批判したがそれは他でもない皇帝の教育によるものだと言い返され何も返せなくなってしまった。


「そもそも陛下は私に摂政として殆どの権限を委ね隠居なさっておられるではないですか。私のやり方にあまり横やりを入れないで頂きたい。では私はボナヴィア宰相との会談の準備がありますので」

「まっ!待てジーク!ゴホッゴホッ!」


 ジークリードは皇帝に苦言を呈すると踵を返し寝室を出て行こうとする。すると言い忘れた事を思い出し立ち止まった。


「あぁそうでした。お伝えし忘れておりました」

「なっ、何だ!」

「陛下が私につけた秘書官のローゼンクロイツ?でしたか。あれは解雇致しました」

「!?」

「私に対して一々余計な事を喚く喧しい男でしたので。ただ仕事は出来るのでニューギネアに派遣し精神錯乱を起こした副総督ホフマンの後任にするつもりです。では」


 扉の向こうのローゼンハイムは皇太子が自分を本国から離れた植民地に左遷させる予定である事を知り愕然とした。やがてジークリードが扉に接近したのを察しグートルーネ共々素早く傍の陰に隠れ護衛に対し口に人差し指を当て黙っておくようジェスチャーをした。気の毒になった護衛は扉を開け皇太子を通した際もローゼンハイムやグートルーネと盗み聞きした事は伝えなかった。寝室内ではジギスムントが頭を抱えている。


「すべて朕のせいだ!朕が次期皇帝として厳しく躾け過ぎたせいだ!過激で冷酷な子に育ってしまった……」

「陛下……」

「だがディートリッヒより賢く軍や貴族からの支持も厚い!せめてもう少し寛容さや冷静さというものを学んで欲しい……ゴホッ!」


 ジギスムントはジークリードへの過去の教育を後悔してただただ嘆いた。一方隠れたローゼンハイムは自身に降りかかった理不尽に怒り震えていた。


「何故だ!何故私が未開人の土地になぞ飛ばされなくてはならん!ボナヴィア人のあの小僧は過剰なまでの好待遇を与えられたというのに!屈辱だ!こんな理不尽があるか!」

「……」


 ローゼンハイムは顔を屈辱で歪めながら喚いた後全てを諦めたか寝室に入る事無く立ち去ろうとした。するとその腕をグートルーネが掴み引き留めた。


「妃殿下?」

「ローゼンハイムさん、殿下からあのアルベルトという男を引き離す方法が一つだけあるわ」

「!?」

「あなたさえ良ければ……私に協力して下さらない?」



★★★



「ん……んん……あれ?ここどこだろう?」


 黒服の男に眠らされたアルベルトは何時間か経った後に意識を取り戻した。ゆっくり目を開けるとどこかの薄暗い廃洋館の個室でボロボロのソファの上で寝かされていた。窓は木の板で塞がれて外の様子は見えず両手には逃亡防止と魔力制御の為であろう手錠が嵌められている。


「そうか僕誘拐されたんだ!でも一体誰が……!?」


 アルベルトが自身の置かれた状況を思い出し起き上がったその時部屋のドアの向こうから足音と鍵がぶつかり合うような音が聞こえて来た。そしてガチャガチャと鍵を開ける音がしてドアが開かれ一人の男が入って来た。男の顔を見たアルベルトは驚愕する。


「あっ、あなたは……ローゼンフェルトさん!」

「ローゼンハイムだ馬鹿もぉん!!!」


 部屋に入って来たのはローゼンハイムだった。アルベルトにまた姓を間違えられ入って早々大声で怒鳴り散らすと部下らしき黒服が耳打ちする。


「ローゼンベルク様!いくら郊外とは言えそんな大声を近隣住民に聞かれたら通報されま……痛ぁ!」

「お前まで間違えるなぁ!!!ここは住宅地から遠いから問題無い!」


 ローゼンハイムはアルベルト同様姓を間違えた黒服を涙目で殴りまた喚き散らした。だがすぐ冷静さを取り戻しアルベルトに視線を向ける。


「いかん落ち着かねば……ゴホン!アルベルト・ベルンシュタイン!移動中に抵抗されないようにする為強引に眠らせたのは謝罪しよう。この廃屋に君を連れてきたのはあるお方の命令だ」

「あっ、ある方?」

「そのお方はまだご到着なさっていないが君が殿下のお側にいる事をよく思っておられない。そしてそれは私も同じだ。そこで単刀直入に言おう。殿下からの永住と推薦入学の件だが断って頂きたい」

「!?」


 アルベルトはローゼンハイムから告げられた要求に驚き目を丸くした。


「詳しい話はあのお方からなされるが勿論タダで断れとは言わん。この二つの鞄に2000万ベルクが入っている。私がこれまで稼いだ分に加え陛下や殿下に下賜された宝飾品などを売り用意した。貴国の相場なら暫く遊んで暮らせる額だ。あの方も私同様に手切れ金をご用意なさっている筈だ。その代わりに殿下のご提案をお断りしろ。ただし口頭では無くこの場でお断りする旨の手紙を書くのだ。急用で本国に帰るという理由もつけてな」

「ローデンバッハさん!なぜそんな大金を用意してまで僕にそのような……」


 アルベルトが再び姓を間違えながらそう聞いた瞬間ローゼンハイムはまた感情的になり地団太を踏みながら叫んだ。


「ローゼンハイムだいい加減にしろぉ!!!お前のせいで私の人生計画は台無しになったんだぞ!貴族の癖に属性魔力無しの無能と馬鹿にされどうにか見返してやろうと宮廷に入り皇太子秘書官まで上り詰めたのに!後十年は秘書官として勤めて稼ぎまくって見下した奴らを嘲笑ってやろうと考えていたのに!お前が殿下に寵愛されやがったせいで私はクビどころか植民地に左遷される事になったんだ!」

「えっ、植民地!?」

「しかもニューギネアだぞ!マラリアと原住民の襲撃が多発する恐ろしい場所に行くんだ!ジャングルでターザンを見たとか気の狂った報告をした男の代理でな!」


 ローゼンハイムの衝撃的な告白にアルベルトは呆然として固まるしかなかった。ローゼンハイムは全てをぶちまけると息を荒くして暫く沈黙する。やがて落ち着き話を再開した。


「私は問答無用で植民地に送られる。出世競争に全てを賭けてきた私の人生はもうお終いだ……かと言ってお前だけが殿下のお傍で厚遇されるなど許せん!だから我々が用意する金と引き換えに殿下のお傍から身を引け。私が用意した金額だけとっても帝国で大学教授になって定年まで稼ぐよりも多い。欲しくは無いか?」


 ローゼンハイムは用意した金額の多さを強調してアルベルトの心に揺さぶる。そして心の中ではこれで上手くいくと確信していた。


(いくら蝶や蛾が好きと言えど所詮貴族の小僧、これだけの大金を見せれば心変わりして殿下の要求を諦め受け取る筈だ!受け取った後は余計な事を言わないよう手紙だけ書かせて汽車で本国へ帰らせる。もし殿下にバレても殿下は金に目が眩んで自身の提案を断り勝手に帰った小僧に失望し寵愛しなくなるだろう……殿下は不誠実な貴族を嫌悪されておられるからな)


 しかしそんなローゼンハイムの思惑とは裏腹にアルベルトは金を受け取るのを頑なに拒否した。


「申し訳ありませんが僕は永住も推薦入学も自分の意志でどうするか決めます。誰かに強制されて決めたくはありません!」

「何ぃ!?かっ、金が欲しくないと言うのか!?」

「例えどれほどのお金を渡されたとしても僕は自分の人生に関わる決断に関して他の人からの指図は受けたくないです!」

「なっ……!?」


 予想外に強情なアルベルトにこれまで金に汚い貴族ばかり見て来たローゼンハイムは戸惑いを隠せなかった。


(こっ、この小僧本気で言っているのか!?私がこれまで出会って来たような連中ならこれだけの大金を見せればすぐに要求を呑む筈だ!クソッ!なぜ心が揺らがない!)

「何を勝手に交渉しているのローゼンハイムさん。大体その男がお金如きで殿下から離れる訳無いわよ」

「「!?」」


 自分の思い通りにならないアルベルトに苛立つローゼンハイムだったがその時背後のドアから何者かが声を上げその場にいた全員が驚いて声のした方に顔を向けた。


「妃殿下!?ご到着なさったのですか!」

「皇太子妃様!?」


 声の主は皇太子妃でありローゼンハイムがあの方と言った誘拐の首謀者であるグートルーネだった。グートルーネはソファにいるアルベルトを睨むと恨み言を呟く。


「伯爵令息の分際で私から殿下を奪うなんて許さない……」

「妃殿下!妃殿下はこの男を皇太子殿下から引き離すと仰いました!ですので私は指示通りこの男を誘拐し大金を用意して交渉するのだと思っていたのですがお金では離れないとはどう言う事ですか!」

「貴方本当に分かっていないのね……あれだけ殿下の傍にいながら何も察する事が出来なかったと言うの?」

「は?」

「殿下はこの青年をご友人として見ておられ無いわ……恋人・・として見ているのです!」

「「えぇっ!?」」


 グートルーネの突拍子もない主張にアルベルトとローゼンハイムは二人揃って仰天し声を上げた。


「この青年もまた殿下の心の内を察して秘密の愛人関係になろうと画策しているのよ!この無駄に愛くるしい顔を利用して!そうに違い無いわ!」

「おっ、お待ちください妃殿下!いくら妃殿下であっても皇太子殿下を同性愛者と決めつけるような発言は余りにも……」

「お黙り!!!あなたもこの青年に対する夫の異常な距離の近さと溺愛ぶりをはっきり目撃した筈でしょう!」

「うっ!それは……」

「私だって信じたくなかった……でも庭園で見た殿下の青年に向けた眼差しを見た時確信致しましたの。あれはご友人を見つめる目では無く愛しい恋人を見つめる目よ!」


 ローゼンハイムはグートルーネの言い分に心当たりが多く反論する事が出来なかった。そしてグートルーネは水色のドレスに隠していた魔法の杖の先をアルベルトの額に突き付けた。


「皇太子妃様!?一体何を!」

「あなたのような小国の貴族が殿下を篭絡して神聖帝国を陰から支配しようなんて浅ましいにも程があるわ!素直に白状なさい!さもないと私の魔力で頭を吹き飛ばすわよ!」

(お知らせ)

・予定より早く仕上がったので投稿しました。



次回投稿予定:8月1日

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