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蝶好き令息神聖帝国へ行く(中編)①

「兄上の言う通り世界中の蝶や蛾の図鑑が沢山ありますね!僕一日中ここにいられるかも!」

「喜んでくれてお兄ちゃん嬉しいぞ♡連れて来た甲斐があった」


 国立図書館に入ったアルベルトは広々とした内装に圧倒されながら兄と共に図鑑が置いてあるエリアへ進み膨大な数の蝶や蛾の図鑑が並べられた棚を前に感激した。


「沢山図鑑が読める場所に連れて来て頂いてありがとうございます兄上!あっ、アンナも読みたい本があれば僕に構わず自由に探してきて良いからね?」

「ありがとうございますアルベルト様。私は小説でも探しに行こうかしら」

「アンナちゃん!女の子一人で館内を回るのは不安だから俺がついて行ってあげるよ!俺もこの図書館に詳しいし!」

「どっ、どうも……でも私エルンスト様とご一緒の方が良いかもです」

「えぇ!?世界一可愛い弟から一時間一分一秒も離れたくないのに!!!」


 小説を探しに行こうとしたアンナにベドリッヒが同行を提案するとアンナは苦笑いししてエルンストを付き添い役に選んだ。弟から離れたくなかったエルンストだがアンナを同僚と一緒にさせるよりましだと思い最終的に渋々同意した。


「あーあ、つれないメイドちゃんだな。そんじゃ弟君、俺席で座ってるから読みたいの取ったら来なよ」

「はいベドリッヒさん」


 アンナが小説を探しにエルンストと行った後ベドリッヒは不満げにそう言ってアルベルトから離れた。一人になったアルベルトはウキウキ気分でどの図鑑を読むか考える。


(どうしよっかなぁ~正直まだ持っていない図鑑は買ってからのお楽しみにしたいけれど今すぐ読みたい気もするから悩ましいや……あっ!これはエキゾチックなる世界の鱗翅目の最新版だ!極東イースシア森林地帯の種だって!?うぅ読んでみた過ぎる!)


 アルベルトはまだ自分が持っていない図鑑シリーズの最新作を発見し興味を惹かれて手を伸ばした。その時同じ図鑑を読もうとした別の人物と手が重なった。


「「あっ!」」


 アルベルトともう一人の人物は互いに気がつき顔を合わせる。アルベルトはその人物を見た途端目を丸くして驚いた。黒髪に茶色の瞳の如何にも東洋人の青年である事に加えて紺の井桁絣の着物に灰色の縦縞模様の袴に下駄と見た事の無い姿だったからだ。


「どうもすいません。あなたが取ろうとなさった本を……」

「いっ、いえ!あの……お聞きしますがどこの国の方ですか?」

「やはり気になりました?まぁこんな姿していますからね。僕はフソウ国からの留学生なんですよ」

「フソウ国ですか!」


 フソウ国の留学生と聞きアルベルトは更に驚く。アルベルトと同じ背丈でまた同じく童顔の可愛い青年はかけた丸眼鏡の端を指で上げ自己紹介をする。


「僕はマツジロウ・ササキと言います。フソウ国の読み方だと姓と名が逆でササキマツジロウです。神聖帝国には害虫となる鱗翅類の最新研究を学ぶ為留学しています」

「そうなんですね!僕はアルベルト・ベルンシュタインです!帝国では無く隣国のボナヴィアという国に住んでいます!」


 初めて出会ったフソウ人の青年マツジロウにアルベルトは上機嫌で握手を交わし自己紹介をした。


「僕フソウ国には興味があるんです!僕の住む国より昆虫採集が盛んで蝶や蛾の研究をする人が多いと聞きますから!」

「そうなんですか!母国に興味を持って貰えるのは嬉しいですね。良かったら少しお話しませんか?」

「勿論ですマツジロウさん!」


 話に誘われたアルベルトは嬉しそうに承諾し二人で図鑑を数冊持って席に向かった。既に席にいたベドリッヒやエルンストやアンナはアルベルトが連れて来た奇妙な青年の姿に当然ながら驚いた。


「弟の新しいお友達か!名前は何て言うんだ?」

「マツジロウ・ササキです。フソウ国出身の留学生です」

「へぇ~留学生ですか。いつから滞在しているんですか?」

「三年前からです。後半年ほど滞在して学位を取得した後一旦帰国する予定です」

「遠い国からご苦労なもんだ。大変だろ異国の生活は」

「確かに最初は言葉も習慣も分からず大変でしたがもう慣れました」


 アルベルトは三人に新しい留学生の友人を紹介すると三人は興味津々に色々と質問した。マツジロウはそれら全てに丁寧に答える。


「しかし驚きましたよ。まさか図書館へ資料探しに来たら僕と同じ蝶や蛾が好きな隣国の方に出会えるなんて。エルンストさんの弟さんでしたよね」

「そうとも!俺の自慢の世界一可愛い弟だ!!!」

「ちょっと兄上恥ずかしいですよ!それに声が大きいです!」


 エルンストが立ち上がり大声で叫ぶとアルベルトは恥ずかしそうに顔を赤らめ自制を促した。周囲の者達はうるさいエルンストに一斉に冷ややかな視線を送る。それに気づいたエルンストはすまなそうに腰を下ろした。


「いやははは……失礼。弟が好きすぎてつい」

「いえ、兄弟仲が良いのですね。僕にも兄がいて仲は悪くないですが大好きと言って貰える程では無いので羨ましいです」

「そうですか?結構鬱陶しいですよ」

(弟に鬱陶しく思われていたのか俺!?)


アルベルトの発言に内心傷つくエルンストだがアルベルトはそんな事は知らず話を続ける。


「ところで害虫について学んでいると言っていましたがどんな内容ですか?」

「今は数年おきに起こる森林害虫の大発生の原理や影響について研究しています。さっきアルベルトさんと同じ図鑑を取ろうとしたのは代表的な森林害虫であるマイマイガについて調べる為です。もっと具体的に聞きたいですか?」

「えぇ!よろしければ是非!」


 アルベルトはマツジロウの研究に強く興味を惹かれ耳を傾け時に質問や疑問も投げかけた。その後アルベルトは声の大きさに気をつけつつ新しい友人と蝶や蛾について語らい合った。



★★★



「いやぁマツジロウさんとお話し出来て楽しかったです!おかげで知らなかったフソウ国の蝶や蛾の生態を知れました!特にユーロッパには少ないゼフィルスの仲間のお話を聞けたのは良かったです!」

「僕もユーロッパの蝶や蛾の生態について新たな知識が得られて良かったです。しかし殆ど独学とは。観察眼が優れておられますね」

「いやぁそんなぁ~あははは」


 すっかり意気投合したアルベルトとマツジロウは二時間後に図書館を出た後も楽しそうに会話をしていた。するとエルンストは頬を膨らませアルベルトに構って欲しそうに後ろから抱き着いた。


「うわっ!急に何するんですか兄上!」

「お前にお友達が増えるのは嬉しいが少しはお兄ちゃんにも構ってくれよぉ!お兄ちゃん寂しいぞ!」

「そんな事言われましても……あっ」


 兄に抱き着かれ頬擦りされ迷惑そうなアルベルトだがふと空腹でお腹が鳴り顔を赤くする。


「すみません兄上、お腹の音を出しちゃって……」

「そういえば正午も近いですし私もお腹が空きました」

「おいエルンスト、昼メシならこの近くの店行こうぜ。帝国の料理を出す店だし始めて来た弟君達にゃピッタリだろ」

「無論そのつもりだ。マツジロウ君も来るかい?」

「はい!ご迷惑でなければご一緒したいです」


 そして一行は図書館のある通りに面したレストランで昼食をとる事になった。アルベルトは運ばれてきた皿にジャガイモやザワークラウトと共に乗った骨付きの肉塊に驚く。


「兄上、この料理は?」

「帝都名物のアイスバインさ。塩漬けの豚すね肉を香味野菜や香辛料で長時間煮込んだ料理だ。この店のは柔らかくて美味しいぞ」

「ソーセージの盛り合わせとニシンのマリネも頼んだからな!俺はビールと頂くぜ!アンナちゃんも遠慮しなくて良いぞ!」

「お気持ちは嬉しいですが食べ過ぎないようにしているので……」

「お前もアンナを見習って食事制限しろよ。だから太るし女にモテないんだろ」


 ビールジョッキ片手に注文した料理をガツガツ食べるベドリッヒにエルンストが釘を刺すとベドリッヒは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。


「女にモテねぇは一言余計だろうが!男は見た目以上に中身だ!!!」

「あの、失礼ですけど見た目が整った男性の方が中身もしっかりしている事が多いですよ」

「ぐふぉ!!!アンナちゃんハッキリ言わないでぇ……」

「ぷっ!アンナ結構直球で言うなぁ」

「おい笑うなエルンストぉ!」


 アンナから現実を突き付けられたベドリッヒはショックを受け泣きそうになる。エルンストはそれを見て笑いを堪えアルベルト達は苦笑いしていた。


「ふぅ……ところで弟よ、まだ聞いていなかったが昨日皇太子殿下と会ったんだろ?どうだったんだ?」

「えっ、まっ、まぁ楽しい時間を過ごせましたよ。綺麗なバラ園でお食事も頂きましたし博物館で珍しい標本も沢山見せて頂きました」


 笑うのを止めた兄から昨日の事を質問されたアルベルトはジークリードと価値観の違いでモヤモヤした事は伏せ無難な返答をした。一方マツジロウは会話を聞いて驚き声を上げた。


「えっ!?アルベルトさんって皇太子殿下から特別招待されたというあの青年なんですか!?」

「シーッ!声が大きいです!何でマツジロウさんが知っているのですか?」

「今朝の新聞に載っていたからですよ。ボナヴィア国宰相閣下と共に殿下の命を助けた勇敢な青年来たるって」

「それ俺も見たぜ?ホント運に恵まれてるよなぁ弟君。あの気難しい殿下のお気に入りになるなんてさ。ヒック!」


 新聞を見たベドリッヒも酔っぱらいながらアルベルトを称賛する。しかし当のアルベルトは複雑な表情をしていた。


「どうしたんだ弟よ?もしかして何かあったのか?」

「いえ……実は殿下からあるお誘いを受けているのですが少々悩んでいて……」

「ご提案?良ければお兄ちゃん達に話してくれないか?」


 エルンストから促されアルベルトは帝国への移住と名門大学への推薦入学を提案された事を話した。話を聞いたエルンスト達は驚きつつも迷うアルベルトの心境を理解する。


「そんな提案をされたのか……確かに悩ましい話だな」

「そっ、それでアルベルト様はどうお考えなのですか?」

「僕には長い間他の蝶や蛾の研究が進んでいる国で学びたいという願望があったので絶好の機会だとは思います。ですが残される父上や領地の事も心配ですしそれに殿下の推薦で入るのは何だかズルい気もして……かと言って殿下のお誘いですから断りづらいですし」


 アルベルトは帝国で学びたい気持ちと故郷や贔屓されすぎる事への不安から決断出来ずにいる事を話した。


「贔屓でも何でもこんな機会滅多にねぇんだからすれば良いだろ移住も入学も!俺ならそうするけどな……ヒック!」

「俺の弟はピュアで繊細なんだ!ガサツなお前と違うんだよ」

「何ぃ!?言いやがったなこの野郎!」

「ちょっと!ここお店なんですから喧嘩はお止めください!」


 ベドリッヒはエルンストからの一言に怒り立ち上がると口論を始めた。アンナは呆れながら二人の間に立ち仲裁する。そんな中マツジロウは留学している身としてアルベルトに助言した。


「アルベルトさん、大学は学びたい分野を専門的に学べる場である一方色んな立場の人達と生活する空間でもあります。仲には苦労して入学した者も少なくありません。そこに皇太子殿下の推薦という形で隣国の貴族令息が入学するとなれば当然注目を浴びますし苦学生から反感を買う恐れもあるでしょう。僕の場合は東洋人という理由で注目を浴びましたし格下に見る人から反感を買いました」

「うっ……」

「教授は殿下推薦のアルベルトさんを贔屓するでしょう。ただ学生との仲は悪化するかもしれません。それにジギスムント大学は僕の通う大学以上の名門です。講義が難解でついていけなくなる可能性もありますし殿下から学者として国に尽くす事を求められているのであれば精神面で負担は重いでしょう。移住となると祖国にも容易に帰れなくなりますからね。殿下のお誘いで断りづらい気持ちは理解できますが入学後の事もお考えになった方が良いと思います」

「たっ、確かにそうだね……」


 マツジロウの丁寧な助言をアルベルトは真剣に聞いて深く頷く。


「とはいえやはり大学は楽しいですよ。課題作成や卒業論文は大変ですが専門的に鱗翅類の研究が出来ますし野外に出て研究対象の鱗翅類を採集する時もありますから研究室に閉じこもりっぱなしでも無いです。アルベルトさんがどんな決断をなさるか分かりませんがお互い学者を夢見る身として頑張りたいですね……あっ!もう大学に戻らないと講義に間に合わない!皆さん今日はありがとうございました!」


 マツジロウは最後に大学で学ぶ楽しさも話した後腕時計を見て講義を受ける時間だと言ってアルベルト達と別れた。


「マツジロウさんから最後に帝国とフソウ国両方の住所を書いた紙を貰えて良かった。だけれど殿下のお誘いを受けるべきか否か迷うなぁ……」

「お兄ちゃんは帝都に弟が来てくれれば嬉しいけどな♡でも最終的にはお前の判断だからお兄ちゃんからは何も言わないでおくさ」

「もしお断りするとしても伝え方に気をつけなくてはなりませんね」

「そうなんだよねぇ……ところで少し席を外したいのですが。お手洗いに行きたいので」

「この店のトイレは確か故障中だったぜ。店を出て右の通りに公衆トイレがあっからそこに行ってきな」

「ありがとうございますベドリッヒさん!」


 入学の事で悩むあまり尿意を催していたのを忘れていたアルベルトは一旦席を外し店の外にある公衆トイレに駆け込んだ。そしてすっきりしてから出てくると街路樹の落ち葉がビル風で舞い人や馬車や自働車が石畳の路地を行き来する光景を眺めた。


(もし殿下のお誘いを受ける事になったらこの都会で生きていく事になるのか……ワクワクする気もするけど伯爵領の緑豊かな田園風景も忘れ難いなぁ)


 アルベルトは自分が移住し大学に通う姿を想像し心の中でそう呟く。その時サングラスをかけた黒ずくめの男が一人アルベルトに近づいた。


「失礼、アルベルト・ベルンシュタイン様ですね」

「えっ?はいそうですが……」

「皇太子殿下がお伝えしたい事があると仰せです。大至急我々と宮殿にお戻りください」

「えっ!?殿下がですか!でも兄上達に一言言わないと……」

「お連れの方々には我々から事情を説明致します。さぁ急ぎ馬車に!」


 黒ずくめの男からの説明を受けてあっさり信じたアルベルトは案内に従い停めてあった黒塗りの馬車に乗り込む。そして馬車が動き出した途端共に乗り込んだ男が突如アルベルトの口に白い布を押し当てた。


「!?んぐ!うぐぐ……ん……」


 突然の事でアルベルトは抵抗出来ずまた白い布には眠り薬が染み込ませてあったのか段々と意識が遠のいていく。やがてアルベルトは意識を完全に失った。



次回投稿予定:23日

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