蝶好き令息神聖帝国へ行く(前編)③
中央駅からヴェンツェルとジークリードが出てくると駅前で待ち構えていた記者団に囲まれた。適当な対応でやり過ごした二人は幌付きオープンカーに乗り馬に乗った護衛に守られながら帝国宮殿へ向かう。アルベルトやアンナ、秘書官二人は別に用意されたバスに乗りこんだ。窓がカーテンで閉め切られた暗い車内に入るとローゼンハイムが掛けている丸眼鏡を指で上げて全員に告げた。
「これより皇帝陛下に謁見する為宮殿へ参ります。くれぐれも皆さん粗相の無いようお願い致します。と・く・に!アルベルト殿は特別ゲストとして宰相殿と共に陛下にご挨拶なさる事になるでしょうから注意して下さい!」
「はっ、はい!ローゼンベルクさん!」
「アルベルト様!ローゼンハイムさんですよ!」
「あっ!」
ローゼンハイムに睨まれながらきつく注意されアルベルトは緊張気味に返事をしたが前回同様名前を間違えた事でローゼンハイムの怒りを買い両頬をつねられ引っ張られる。
「だぁーかぁーら私はローゼンハイムだ!!!二度と間違えるなと前にも言った筈だこのガキぁ!」
「ごめんなひゃい!いだいでふ!」
「全く……良いですか!殿下もそうですが皇帝陛下も本来ならあなた如き伯爵令息がお話しできる方では無いのです!自己紹介と簡単な受け答え以外無駄なお喋りは控えるように!」
「イタタ……わかりました」
ローゼンハイムはアルベルトの頬を放すと続けて皇帝との会話に関する忠告をした。同時に内心ではアルベルトを見下し不満を漏らしていた。
(チッ!殿下は何故こんな下級貴族の小僧をお気に召したんだ?私の方が遥かに爵位も上で献身的に殿下をお支えしているというのに!)
やがて二台の車は宮殿の中へと入った。帝国宮殿は夏の離宮と同じく正面に青銅色のドーム屋根があるが壁は砂岩で薄褐色をしており赤い屋根も無かった。宮殿へ入った一行は早速皇帝の部屋に案内された。
「ボナヴィア王国宰相殿、遠路はるばるよく来てくれた。謁見の場が謁見室では無く寝室になってしまった事を先にお詫びしたい」
「勿体無きお言葉ですぞい。陛下は大病を患っておられると聞いておりましたが想像よりもお元気そうで安心致しました」
ベッドに腰かけた白い髪髭の皇帝ジギスムント二世はボナヴィアからの国賓に挨拶と謝罪を述べる。ヴェンツェルは病身の皇帝を気遣う言葉を掛けた後ヨハンに命じて親書を手渡した。
「こちらが我が国の女王陛下からお預かりした親書でございます。どうぞお読み下さいませ」
「確かに受け取った。後ほど読ませて頂こう。ところで今回は貴国で我が息子を助けた青年が来ているそうだが?」
「えぇ。その青年が彼でございます。ほれ、挨拶じゃ」
「はっ、初めまして皇帝陛下!アルベルト・ベルンシュタインと申します!」
アルベルトはヴェンツェルに促されると前に進み出て緊張気味に挨拶をした。
「ふむ、中々穏やかそうな青年ではないか。重傷を負った我が息子を保護し命を救ってくれた事、父親として礼を申すぞ」
「あっ、ありがとうございます……」
「そちの話は息子から聞いておる。蝶や蛾の標本収集が好きだそうじゃな。朕は蝶や蛾の収集には特に興味は無いが以前旧知の王族からモルフォ蝶の標本を見せてもらった事がある。まるで宝石の如く美しかったのを覚えておる」
ジギスムントがモルフォの話を口にした途端アルベルトはいつもの蝶好きスイッチが入り目を輝かせて喋り始めた。
「モルフォの美しさがお分かりになるのですか!いやぁあの美しさは一度見たら忘れられませんよねぇ~。でもあの青色は色素では無く特殊な形の鱗粉に光が当たって出来る構造色なんです!」
「ほぅ、それでは元の翅の色では無いのか」
「そうなんですよ!他にも……」
「アルベルト殿!!!陛下に馴れ馴れしく喋り過ぎです!」
話が止まらなくなったアルベルトを見かねたローゼンハイムは大声で注意を促した。アルベルトはハッとして話を止める。
「すいませんローゼンクランツさん!つい……」
「ローゼンハイムだいい加減にしろ!バスの中で注意した筈ですぞ!自己紹介と簡単な受け答え以外は控えなさいと!立場をわきまえていただ……痛っだぁ!!!」
ローゼンハイムがアルベルトを叱っていると隣にいたジークリードがローゼンハイムの足を思い切り踏みつけ中断させた。ローゼンハイムは涙目で踏まれた足を押さえ蹲る。
「お前こそいい加減にしろ。私の友人の話を遮りやがって」
「でっ、殿下!?しかしですねぇ……」
ジークリードに見下ろされながら睨まれローゼンハイムは不服を訴える。見かねたジギスムントは二人を宥めた。
「やめなさいジーク。ローゼンハイムも気を遣い過ぎだ。とにかく我が息子を助けた事は感謝しておる。近くそちの家に褒美を送らせよう」
「ありがとうございます!」
「さて、この後は昼食会だな。朕は同席出来ぬが宰相殿には是非とも料理を囲み政治的な話を抜きにして我が息子と親睦を深めて欲しい……それとジークよ、お前は今晩再び寝室に来なさい。例の件で話がある」
ジギスムントはジークリードの方を向くと真剣な目つきで夜に再び寝室に来るよう伝えた。ジークリードは話の内容が何であるかを察したのか不愉快そうにしつつも了承した。
「……分かりました」
こうして皇帝との短い謁見は終わり昼食の時間となった。しかしジークリードは一行を再び車に乗せどこかへと案内する。そして着いた場所は……
「凄い数のバラが咲いてる!もしかしてここは……!」
「そうだ、帝都郊外の私の庭園だ。元は皇后様の庭園であれが昔皇后様と過ごした別邸だ。あそこでは趣味の一つである花の栽培と品種改良を行っていて今咲いているのは晩秋に咲くファフニールという私が作り出した赤バラだ」
ジークリードはアルベルトを右腕で自分の傍に抱き寄せ庭園に咲く自作のバラを見せる。
「殿下が品種改良したお花ですか!確かに深い赤色が綺麗ですね。でもジーク様?昼食会はどうなさるんですか?」
「昼食会はここで行うんだ。あの西洋菩提樹の大木がある池のほとりでな」
ジークリードが指差した先には水面に睡蓮が茂り白鳥達が泳ぐ池がありその傍に菩提樹の巨木とガゼボがあった。ガゼボの横では食事を乗せたワゴンと給仕が控えている。
「うわぁ、綺麗なお庭を眺めながらご飯を食べられるんですね!」
「喜んでくれたなら私も嬉しい。共通の趣味である園芸の事やお互いの最近の出来事などを食事しながら話し合う事にしよう」
「あはは、是非そう致しましょう!」
美しい庭での食事に気分が上がるアルベルトとその反応を見て嬉しそうにするジークリード、身分を超えた二人のやり取りは微笑ましいものであったがその背後では微妙な表情をする二人の姿もあった。
(気のせいか皇太子殿の中でワシの存在が薄くなっておる気がするぞい。アルベルトくんとの距離感もやたらに近いのぅ……)
(キィィ!あの小僧!田舎伯爵令息の分際で殿下に贔屓されやがって!)
★★★
「料理は美味しかったか?アルベルト」
「えぇとっても!このホイップクリームが添えてあるアプフェルクーヘン(りんごのケーキ)も最高です!」
昼食を一通り食べ終えデザートだけになった時ジークリードはアルベルトに味の感想を聞き満足げに頬を緩める。昼食会は終始穏やかムードであったがヴェンツェルは相変わらずモヤモヤしていた。白いクロスの敷かれた円卓の席でヴェンツェルとジークリードは向かい合い食事をしていたがアルベルトはジークリードのすぐ左隣りに席が用意されていた上にジークリードはアルベルトにばかり話題を振りヴェンツェルとは三つ程の短い会話を交わしただけだからだ。傍に立ち控えていたヨハンもまた違和感を覚えた。
「皇太子殿下のアルベルト様への距離感が異常な気がするのは私だけでしょうか……アルベルト様をやたらご自身の方に寄せようとしておられる。アンナさんもそう思いませんか?……アンナさん?」
ヨハンはアンナに話を振ったがその時アンナは眼前の美男子二人のイケない妄想に耽り上の空になっていた。ヨハンは語気を強め再び呼びかける。
「アンナさん聞いてますか!?」
「ふぇ!?何ですか!?」
「ですから殿下のアルベルト様との距離感が変だという話ですよ」
「そうですよね!?妄想が捗りますよね!」
「はい???」
「あっ間違えました!おかしいですよね!」
頓珍漢な返答にヨハンは怪訝な表情を浮かべ正気に戻ったアンナは恥ずかしさで火を噴きそうになりながら言葉を訂正した。
「それにしてもお前の周りには沢山の小動物達が寄って来るな。先ほどから小鳥やリスがお前の周りに屯っているぞ」
「実は僕昔から何故か生き物に好かれるんですよ」
「フッ、獣や鳥どもにもお前の優しさが分かるのだろうな。ところで頬にクリームが付いているぞ?」
「え?本当ですか……!?」
アルベルトの頬にケーキのクリームがついている事に気づいたジークリードは右人差し指で直接拭きとりそれを舐めた。想わぬ対応に周囲もアルベルトも仰天する。
「殿下!?一体何をなさって……!」
「何だ。友人の顔のクリームを拭きとる事の何がいけない」
「その拭きとったものをなぜ口にされるのです!そのような行為は恋び……!」
ローゼンハイムがジークリードの行動を窘めた傍で突然バタンと何かが倒れる音がした。音のした方を皆が見るとアンナが鼻血を流して地面に倒れている。
「アンナ!!!」
「アンナ殿!?大丈夫かね!」
「貧血で気を失っただけのようです!苦しそうな顔は……しておられないので大丈夫かと」
ヨハンは驚くアルベルト達に大丈夫そうだと伝え落ち着かせる。アンナはジークリードの行動で興奮が頂点に達し倒れたのだ。やがて担架で運ばれたが気を失っていながらもどこか幸せそうな顔をしていた。
「アンナ……大丈夫かな」
「宮廷医に処置は任せたから心配無い。それよりこの後園内を散策しないか?私の自慢のバラ達をもっと見せたい」
「ありがとうございますジーク様。でもその前にあの西洋菩提樹を側で見ても良いですか?」
医師にアンナを任せた三人はデザートを食べた後園内を散策する事にした。ジークリードは自慢のバラ達をもっと見せようと思ったがアルベルトは先に西洋菩提樹を傍で見たいと提案したのだ。
「何故この巨木を傍で見てみたいと思ったんだ?」
「僕昔から大きな木が好きなんです。傍で見ていると何だか懐かしい気分になりますし触れると良い力を得られる気がするんです」
「そうなのか。だがその気持ちは私も分かるような気がする」
「本当に立派な木ですなぁ。いつから生えておるんで?」
「私が幼い頃から既にあった。皇后様曰く樹齢五百年だそうだ」
巨木の大きさに圧倒されたヴェンツェルの質問にジークリードは自慢げに答えた。アルベルトは樹齢を聞いて驚く。
「五百年ですか!長生きだねぇ君は……あぁっ!!!」
「どうした!?何があったアルベルト!」
アルベルトが急に大声を出したのでジークリード達は驚いた。アルベルトは幹を指さし嬉しそうに目を輝かせる。
「見てください!ほら!ユーロッパシモフリエダシャクの暗化型ですよ!僕が見て見たかった蛾です!晩秋のこの時期に成虫がいるなんて珍しいなぁ」
「ほうこれが話しておった。確かにボナヴィアで見たものとは全然色が違うのぅ」
「まさかここで観察出来るなんて!網と毒ビンがあれば採集したかったなぁ」
アルベルトは興奮気味に幹の蛾を見せる。ボナヴィアで見た淡色型と異なり全身炭の如く真っ黒で翅に薄い波状の線が僅かに入っているのみだ。
「暗化型がいるという事はやっぱりヴィルクセン帝国は工業化が進んでいるんだ。でもこの木の樹皮は汚れていないから黒すぎて目立つなぁ。これじゃあ簡単に鳥に食べられちゃうし自然淘汰説の真実味が実感できたよ」
「アルベルト、その蛾はお前の国では珍しいのか?」
「正確に言えばこの色が珍しいのです。ボナヴィアにいるのは淡色型と言って色が白っぽいんです」
「どうして我が国とお前の国で色が違うんだ?」
「実はこれこれこういう訳でして……」
アルベルトはヴェンツェルにしたのと同じ話をジークリードにも話した。ジークリードは興味深そうに頷き聞いている。
「なるほど、環境の変化によって生き残る個体の体色が違うという事か。確かに面白い話だ」
「そうですよね!人間が蛾の体色にまで影響を与えるなんて思いもしなかったです!」
「しかし自然とはよく出来ている。原始的な生物である蛾が人間という優越種が作った環境に自ら合わせ進化するとはな」
「えっ?」
自分が面白いと感じた話が受け入れられアルベルトは喜んだが直後に理解のズレた事を言い出したジークリードに違和感を覚える。
「あのジーク様、それは違いますよ?蛾が自ら姿を変えたんじゃ無くて偶然変化した特性がたまたま環境の変化に適応したか否かです。それに生物間に優劣はありませんよ」
「何を言っている。優れた支配種族である我々の作った環境に合うよう進化したのが暗化型だろう?環境の変化に合わせ適応出来た優秀な種のみが生き残り原始的で変われない劣った種が淘汰されるのは神の意思であり運命だ。太古の愚鈍な原人が消えて知的で優れた魔力を持った我々が生き残ったようにな」
「神様の意思は無関係です。これは……」
「これアルベルト君!そのお話はそれまでにしておきなさい!」
「閣下!?ですが……」
議論が白熱しかけた時ヴェンツェルは口論になるのを防止しようとアルベルトを制止する。同じくローゼンハイムもジークリードを窘めた。
「殿下!蛾の進化などという与太話をしておられる暇はございません。次の目的地である博物館に行かねば夕食会に間に合わなくなります!」
ジークリードは友人との話を与太話扱いされた事とこれまでの口煩さに我慢出来なくなりローゼンハイムに向かって怒りを表した。
「与太話だと?私はアルベルトと極めて高等な議論をしているつもりだ!大体さっきからお前は口喧しくて腹が立つ!お前は秘書官なのだから無駄口を叩かず私に黙って従っていれば良いのだ!」
「っ!?殿下それは……!」
「殿下!そのような言い方はあんまりではございませんこと!?」
「!?グートルーネ!なぜここにいる!」
ジークリードがローゼンハイムを罵倒したその時傍にあるバラの茂みから一人の令嬢が姿を現しジークリードは驚いた。何故なら茂みから出て来たのはクリーム色の長髪に空色の瞳の皇太子妃グートルーネであったからだ。
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・次回投稿予定:23日




