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蝶好き令息神聖帝国へ行く(前編)②

「誰かと思えばガロワの警察官だと?私は世界の民族の内でガロワ人が最も嫌いなのだ」


 来客がガロワ共和国の人物だと知ったジークリードは通した事を後悔し冷ややかに吐き捨てた。アレニエールはその態度にムッとしながらも改めてパピヨンの脅威を訴える。


「恐れながら皇太子殿下!民族の好き嫌いを気にしておられる場合ではございませんぞ!貴国に侵入したのは世界を股に掛ける大泥棒!奴はつい先日もビタリア国王の所有するダイヤを盗み出したばかり!貴国の皇室の財宝が狙われている可能性もあるのです!」

「パピヨンが入国したという情報は既に帝国情報院から聞いている。我が神聖帝国が誇る最強の諜報機関だ。後は警察隊に捜索は任せるつもりだ。安心してガロワに帰りたまえ」

「私は過去に奴の師匠ファレーヌ・デュパンの追跡もしておりました!このユーロッパで私ほどパピヨンに詳しい刑事はいないでしょう!実は貴国の警察から協力を断られたので殿下から捜査の許可を与えて頂きたいのです!必ずお役に立つ事を約束いたします!ですのでどうか……」


 アレニエールが捜査協力を願い出るがジークリードは眉を顰め鋭い視線をギロリと向けた。アレニエールはその威圧感にゾクッと身震いを起こす。


「帰れと言ったのが聞こえなかったのか?我が神聖帝国の警察隊は勤勉かつ忠誠心の高いドルツ人の若者で構成されている。お前達ガロワ人より優秀だ。それ故何も心配は無い。我が国の問題は我が国だけで解決する」


 皇太子の不遜な態度に顔を引きつらせながらもアレニエールは食い下がる。


「しっ、しかし奴は優れた知能犯である上に変装の名人ですぞ!どこの国でもその変装術と頭脳で警察を翻弄してきたのです!」

「この私に口答えするつもりか!さてはお前はパピヨン逮捕を名目に入国したガロワのスパイか?それならば一切容赦はしな……」

「殿下、刑事さんを信用なさってみた方がよろしいのでは?」

「ん?」


 ジークリードが警告している最中部屋に入って来た女性が落ち着いた口調で話に割り込む。女性はクリーム色のふんわりとした長髪に空色の瞳に白い肌の如何にも上品な淑女であった。


「アレニエール警部のお噂は聞いた事がございますわ。とても優秀で真面目な刑事さんだと伺っております。折角ガロワから我が国までいらして下さったのでしょう?捜査協力の許可をお与えになれば良いではありませんか」

「グートルーネ、皇太子妃のお前はこの問題に口を挟まなくて良い。そもそも何をしに私の部屋へ入って来た」

「わっ、(わたくし)は妻として首脳会談に臨まれる貴方を見送りたくて……それより警部さんに操作のご協力を……」

「口を挟まなくて良いと言っている」

「……っ!?」

「殿下!妃殿下の仰る事も一理あるかと思いますが……」

「お前も黙れローゼンブラッド!衛兵!その刑事を力づくでも追い出せ!」

(ろっ、ローゼンハイムですってぇ……)


 話を遮った妻のグートルーネにもジークリードは鋭い眼光を向け黙らせた。ローゼンハイムの説得も当然の如く聞き入れられずアレニエールは衛兵に腕を掴まれ部屋を追い出されてしまった。


「どわぁ!!!痛てて……何と乱暴な。こうなったらワシ一人でも奴を追跡する他は無いな」


 宮殿の門前に放り出されたアレニエールは打った腰を摩って立ち上がり止む無く一人でパピヨン追跡をする事を決めた。するとアレニエールに鼠色のコートを着たハンチング帽の男が駆け寄って来る。アレニエールに同行しついて来た同僚だ。


「警部!?大丈夫ですか!?」

「ワシは心配いらん!それより何か動きはあったか?」

「えぇ!帝都から離れた公爵家にパピヨンから予告状が届いたとの情報が……」

「何ぃ!?それは本当か!」


 アレニエールは同僚から聞いた情報に反応し届いた予告状の内容と公爵家の事について詳細を聞き出した。


「場所は帝都から西に二百キロにある公爵家所有の古城だな!帝国警察の介入を拒んでいるというが何とか直談判して協力を取り付けよう!パピヨンめ今日こそその両手にわっぱをかけてくれるわ!!!」


 拳を握り声高々に宣言したアレニエールは早速同僚と共に自動車に乗り目的地の古城へと向かった。その頃宰相一行は……


「どうじゃねアルベルト君、アンナ殿、人生初めての汽車に乗った感想は?」

「思っていたより揺れなくて乗り心地が快適ですね!ソファもふかふかですし窓も大きくて外の景色が綺麗です!」

「本当に乗り心地良いですね。因みにいつ頃帝都に到着するのですか?」

「順調に進めば正午には到着する予定じゃ。特別な線路を走っておるから通常の汽車より早く着くぞい」


 専用客車でお気に入りのパイプ片手にくつろぐヴェンツェルは初めて汽車に乗る二人に乗り心地を聞くと共に満足そうな笑みを浮かべて答えた。


「この客車は王族や宰相などの要人を乗せる特別車両じゃ。皇太子殿の計らいで帝国鉄道公社より譲り受けたんじゃよ。移動中快適に過ごせるよう揺れが少なく設計されとるだけでなく光学魔法を応用した特殊ガラスによって外側からは中の様子が見えんようになっておる」

「何で外から見えなくなっているんですか?」

「暗殺を防ぐ為じゃよ。アンナ殿も去年の今頃に起きた皇太子襲撃事件を覚えているじゃろう」

「あっ……思えばあの事件でアルベルト様は皇太子様と親しくなったんですよね」


 アンナは去年領内で起きた皇太子襲撃事件を思い出しヴェンツェルの説明に納得する。


「アルベルト君が普通の伯爵令息として過ごしておったらこの車両には一生乗る事は無かったじゃろう。旅の良い思い出にするだけでなく皇太子殿にも出会ったらきちんと感謝を述べ……」

「あっ!窓に蛾が止まってる!翅の裏側だけじゃはっきり種類は分かんないけどエダシャクの仲間かな?」

「閣下、アルベルト様はお話を聞いておられないようです」

「……」


 ヴェンツェルが話を続けている最中にもかかわらず窓に止まった蛾に夢中になり話を聞いていないアルベルトにヴェンツェルは呆れてしまいため息をついた。


「ちょっとアルベルト様!ヨゼフさ……じゃなくて宰相閣下がお話ししている最中ですよ!」

「あっ!ごめんアンナ!窓の蛾につい夢中になって……」

「アルベルト様はこれから皇太子殿下と会談されるのですよ?今から気を引き締めて頂かなくては困ります」

「ヨハンさんにまで怒られちゃった……すいません」


 アンナだけでなくヨハンからも叱られたアルベルトは恥ずかしそうに顔を赤くし頭の後ろをかいて反省した。


「しかし噂には聞いておりましたが本当に蝶や蛾がお好きなのですね……そういえばアルベルト様は学者などは目指されないのですか?」

「えっ?学者?」


 ヨハンはアルベルトの蝶や蛾への熱意が本物である事に感服すると同時にふと気になった事について質問した。アルベルトは質問の意図が分からず戸惑う。


「いえ、それほど蝶や蛾がお好きなら昆虫学者を目指されないのかなと思いまして。我が国では大学でも虫の研究は盛んではありませんがこれから行くヴィルクセン帝国など昆虫学が盛んな国は沢山あります。そうした国には留学されないのですか?」


 ヨハンの純粋な疑問にアルベルトは少し複雑そうな表情で答えた。


「正直に言えば留学して蝶や蛾の学者になろうと考えた事はあります。僕の夢であるナナイロマダラの捕獲の機会も今以上に得られますし大好きな蝶や蛾の研究を本職に出来ますから。でも僕は将来領主を継ぐ立場にありますし父上は地方領主に余計な学問はいらないからと留学を許してくれません。無理に家出して留学したとしても領地経営に不真面目な父上と領民が心配ですからね」

「なるほど、家督を継ぐ事を優先したと」

「そうです。ただもしそうした心配をしなくて良いなら留学を考えるかもしれません。或いは国内の大学で蝶や蛾の研究が始まれば国内で学者を志すと思います」


 アルベルトは留学して学者になる事をまだ諦めきれていない事を打ち明ける。するとヴェンツェルは口髭を触りながら考え込んだ。


「ボナヴィア国内に蝶や蛾の研究拠点を……か」

「閣下、ご友人が留学されてしまうかもしれないのが不安でも私情で研究施設を設立しようとなさるのは如何かと」

「ギクッ!ただワシは我が国に自然生物の研究機関を設けるのも悪くはないかとじゃな……」

「顔に書いてますよ。ご友人が留学してボナヴィアを去ったら寂しいと」

「うっ……」


 内心を見透かしたヨハンから小声で釘を刺されヴェンツェルは参ったように項垂れた。アルベルトとアンナには二人の会話は聞こえなかったようで首を傾げている。宰相と特別ゲストを乗せた汽車は国境の山脈地帯のトンネルや谷間の鉄橋を超え途中の帝国領邦ゼクセン王国で石炭を足した後再び帝都へと走り出した。そしてボナヴィアの王都から五時間程かけて汽車は帝都ビュルム中央駅へと入ったのであった。



★★★



「わぁ!ここが帝都中央駅かぁ。広いなぁ……」

「王都の駅の二倍はありますね……」


 正午丁度にプラットホームに入った汽車からヴェンツェル達に続き降りたアルベルトとアンナは物珍しそうに広く近代的な駅舎を見渡した。丈夫な鉄骨で作られたアーチ状の天井に大理石のホームではボナヴィアから来た国賓を出迎えんと大勢の棘鉄兜ピッケルハウベを被った帝国軍兵士らが銃剣や両国の国旗を持って赤いカーペットの傍で一列に並んでいる。その向こうでは沢山の勲章を飾った黒い礼服と裏地が金色のマントを身に纏う皇太子が佇んでおり秘書官ローゼンハイムの他側近である太った大臣らと待機していた。客車内で赤いサッシュ付きの礼服に着替えていたヴェンツェルは音楽隊の演奏が流れる中堂々とした態度で歩き始めた。


「お二人共、あまりキョロキョロしていると不審に思われますよ」

「あっすみませんヨハンさん!」

「すいません!」


 周囲を見渡していたアルベルト達はヨハンから注意を受け慌てて背筋を伸ばしヴェンツェルの後ろをやや緊張した面持ちでついて行く。待機していたジークリードもヴェンツェルの方へ歩み寄り両者は早速握手し帝国語で挨拶を交わした。


「いやはや一年ぶりですな皇太子殿。皇太子殿自ら駅までお迎え頂き嬉しく思いますぞい」

「お久しぶりです。あなたや貴国の女王陛下にお会いしたのも去年の今頃でしたね。今回は両国間の課題や今後の関係について話し合いたいと思います。ただ本日は初日ですので政治的な話は抜きにして親睦を深めましょう。ところでアルベルトも来ている筈ですがどちらに?」


 ジークリードは硬さの残る笑顔でヴェンツェルと事務的な挨拶を交わした後一番合いたい人物の事について尋ねた。


「彼ならワシの後ろにおりますぞい。ほれ、挨拶をせい」

「はっ!おっ、お久しぶりですジークさ……いえ皇太子殿下!」


 振り向いたヴェンツェルから促されアルベルトはジークリードに向かってにこやかに挨拶をしたがジーク様呼びは周囲の目を気にして控えた。一年ぶりにアルベルトと対面したジークリードは硬い表情から一転して優しく穏やかな表情に変わりアルベルトの元へ駆け寄ると……


「えっ!?でっ、殿下!?」

「アルベルト!あぁ会いたかった。元気にしていたか?」


 一番会いたかった男に再開出来た興奮からジークリードはアルベルトに両腕を伸ばし優しく抱擁したのだ。アルベルトは突然胸に抱かれ琥珀色の目を丸くして驚いたがそれ以上に驚いたのは周囲であった。


「一体誰だあの青年は?皇太子殿下とどのような関係なんだ?」

「あの殿下が出会っていきなり抱擁するとはどういう事だ?」


 傍に居たヴェンツェルとヨハンは仰天して固まり大臣達や兵士達は皇太子の異様な対応に動揺し口々に話し合った。アンナに至っては持っていたアルベルトの荷物を落とし顔を真っ赤に染めている。


(はわわ……いいいきなり抱き着くなんて!やっぱり殿下はアルベルト様の事がソッチの意味でお好きなの???だとすると複雑だけど……可愛い少年と国宝レベルに美しい青年が抱き合う光景は眼福だわ!キャ~!!!)


 アンナは興奮のあまり危うく鼻血を出すところであったがどうにか抑えこんだ。やがて動揺を収める為ローゼンハイムが周囲に必死に説明する。


「皆様!皆様どうか落ち着いてください!あの青年はアルベルト・ベルンシュタインというボナヴィアの伯爵令息です!去年のボナヴィア訪問の際殿下が毒殺されかけたところを助けた人物であります!彼は今回特別ゲストとして呼ばれました!抱擁されておられるのは命の恩人への感謝の気持ちが溢れたからでしょう!」


 ローゼンハイムの言葉に周囲はあまり腑に落ちないながらも一応は納得する。その間に一番側にいたヴェンツェルが皆を騒がせる行為に出たジークリードを諫めた。


「殿下!なぜアルベルト君にいきなり抱き着かれたのです!周囲が困惑しておりますぞい!」

「あぁすまない宰相殿。気持ちが高ぶってしまってな。苦しくなかったか?アルベルト」

「いえ、僕は別に……」

「なら良かった。お前の顔を見ると本当に大好きだった皇后様を思い出して落ち着く。髪色も目の形も優しい性格もそっくりだ。どうかこれからも変わらないお前でいてくれ」

「はっ、はぁ……」


 ジークリードはアルベルトの頭を撫でながら優しく微笑んで目を合わせアルベルトに亡き母親を重ねる。アンナの目にはその周囲に赤い薔薇が見えたらしく茹で蛸のように顔から湯気を立てて息を荒くしている。


「ごほん!殿下!皇帝陛下がお待ちですしとにかくお早めに宰相閣下とアルベルト様を帝国宮殿へお連れ致しましょう!」


 ローゼンハイムは場を仕切り直す為に咳をしてからジークリードに宮殿へ早く二人を案内するよう進言した。


「ん?あぁそうだな。では宰相殿、各大臣との挨拶が終わりましたら共に宮殿へ参りましょう」

「うっ、うむ……そうですな」

「それとアルベルト、以前約束した通りお前を帝国博物館に案内してやるからな。期待して良いぞ」

「本当ですか!ありがとうございます!」


 ジークリードはアルベルトの肩に腕を回しながら優しく言うとアルベルトは期待に満ちた表情になった。そうして少々トラブルはありながらも宰相一行は宮殿へ向かった。

(お知らせ)

色々ありまして一日投稿が遅れました。申し訳ありません。



・次回投稿予定:13日

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