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宰相との出会い①

「アルベルト!お前また汚い格好のまま屋敷の中に入ってきおって!!!」


高い煉瓦の塀の周りを緑豊かな畑と森に囲まれた古びた貴族屋敷に怒号が響く。屋敷の当主であり小太りで横がカールした榛色の髪をした伯爵フランクが一階の応接間で農作業用の作業着姿のままソファに座る自身の息子アルベルトを叱る声だ。


「畑仕事中に父上が早く来いって呼び出すからですよ。それに僕この後蝶と蛾の採集に行くつもりなんですが」


 叱る父に対してアルベルトは不満げに反論する。


「だったらせめてソファに座るな!!!土で汚れるだろうが!!!あぁ全く今日は来客があるというのにまた掃除をしなければならなくなった!」


 フランクは勝手な息子の言動に頭を抱え厳しい表情をした。東ユーロッパの内陸国ボナヴィア王国の王都に程近いベルンシュタイン伯爵領。王都の近くながら猫の額ほどの領地しか無いこのど田舎に今日ある客が訪ねてくる事になっていた。一方で蝶や蛾を採集したり標本にするこの国では変わった趣味を持つアルベルトが不安の種であった。


「それと蝶や蛾を集める趣味もいい加減卒業しろ!お前の歳で箱に虫の死骸を詰めているような貴族の男はこの国にはおらんぞ!」

「父上死骸じゃありません!標本です!」

「うるさいこのバカ息子!!!死骸にゃ変わり無いだろうが!!!」


 反論するアルベルトに更に語気を強めて叱るフランク。この屋敷では日常茶飯事になっているこの光景を応接間のドア横にいる二人のメイドが横目に見ながらヒソヒソと話をする。


「またアルベルト様が叱られているわ。旦那様も心労が絶えませんね」

「本当にね。それにしてもアルベルト様ももったいないお方ですよね。亡くなられた奥様に似て栗色のふわふわした髪に琥珀色の瞳に童顔の可愛らしいご令息なのに蝶の採集や標本作りばかりで社交の場にあまり出席されないから全然お見合いの話が無いんですもの」

「長男のエルンスト様ほどではなくても語学堪能ですし将来領主を継ぐのが確実なんですから少しくらいそんな話があっても……」


 メイドの一人がそう言いかけた時、応接間のドアが開きピンク色の髪をしたメイドが入ってきた。そしてメイド達に近づき叱りつける。


「貴方達、そこで噂話をしているのは結構だけど庭の掃除の方は終わったのかしら?」

「あっアンナ様!」

「すみませんすぐに掃除してきます!」


 二人は慌てて応接間から出ていった。アンナと呼ばれたメイドはため息をついた後、叱られているアルベルトを見て顔を赤らめながら小さく呟く。


「お見合いの話なんか無くていいのに……」

「いいかアルベルト!今日は非常に重要な来客がある!この後蝶の採集にもどこにも行くんじゃないぞ!お前も挨拶するんだ!」

「えぇ!?折角北の村の村長さんが見た事ない蝶を見たって聞いたから採集に行くつもりだったのに!」

「やかましい!!!いいか絶対に外に出るなよ!おいアンナ、ワシは用事で少し応接間を出るからちゃんとアルベルトを見張っておくんだぞ!!!」

「わ、わかりました旦那様!」


 そう言ってフランクは応接室から出て行く。アルベルトはその直後ソファから立ち上がり窓を全開にして庭に出ようとした。


「いけませんアルベルト様!旦那様に叱られます!」


 アンナが止めようとするとアルベルトはアンナのいる方に振り向いていたずらな笑みで舌を見せ言った。


「大丈夫。北の村まで採集に行くだけだよ。すぐ戻って来るから」


 そして駆け足で庭を抜けて門を開け、門番に手を振り出て行ってしまった。しばらくして屋敷全体にフランクの怒号が響いた。


★★★


「はぁ全く……父上に縛られてばかり生きていたく無いよ。日がな一日蝶や蛾を追いかけている生活をしたいのになぁ……」


 屋敷を抜け出たアルベルトは不満げにぼやきながら体に採集した昆虫を入れるブリキの胴乱(どうらん)を、手には持ち手の長い虫取り網を持って青い空の下、雪化粧をした峰々が遠くに横たわり春を告げる花々や若芽が生える美しい田舎道を散策する。ふと畦道に咲いた一輪のタンポポに止まる蝶を見つけた。


「あっ!あれはヒノコシジミじゃないか!今シーズン初めてだ!捕まえよう!」


 アルベルトが見つけた蝶ヒノコシジミは広げた表の翅に黒い縁取りがあり鮮やかな赤の地が美しい小さな蝶だ。後ろ羽には小さな尻尾のような突起がついている。アルベルトは早速近づいて網を構える。


「よーし、お願いだから逃げないでね……」


そう呟いて網をタンポポの側まで近づけ振りかざしたアルベルトであったが直前にヒノコシジミが気配に気づいたようでサッとタンポポの花から飛び去ってしまった。


「あぁっ!?しまった!」


ヒノコシジミはアルベルトから逃げるように空へ舞っていく。その時羽からチリチリッと赤い火の粉を撒き散らした。


「あーあ飛んで行っちゃった。折角捕まえた昆虫が大人しくなる新品の魔力捕虫網を早速使おうとしたのに。だけど火の魔力で小さな火の粉を出して舞う姿はいつ見ても美しいなぁ」


 アルベルトは捕まえ損ねた事を悔やみながらもヒノコシジミが飛び立っていく姿を見て微笑む。それから暫くアルベルトはそのまま空を眺め続けた。


「それにしても絶好の採集日和だ。こんな日に外に出ないなんて勿体無いよ!太陽はポカポカで気持ちいいしお花も沢山咲いているし。あはは」

「おーい!アルベルトお兄ちゃーん!!!」

「ん?あっ!村の子供達だ。どうしたんだろう?」


 春の爽やかな風や暖かい日の光にアルベルトが癒されていると領内の村に住む三人の子供達が駆け寄って来た。子供達はお手製の虫取り網を持ちその内一人は片手に捕まえた大きな蝶を持っていた。


「どうしたの皆んな?もしかして虫取りしているの?」

「んだ!アルベルトお兄ちゃんもそうだか?」

「うんそうだよ。珍しい蝶が北の村にいたそうだからね!丁度今ヒノコシジミを追いかけていたんだ。それで僕に何か用かな?」


 アルベルトが子供らに要件を尋ねると蝶を持っていた子供がその蝶をアルベルトに見せた。


「おっきなアゲハ蝶を捕まえたからアルベルトお兄ちゃんに見せようと思っただよ!これは何てアゲハ蝶だか?」

「それはユーロッパキアゲハだね。一般的に見られる弱い風魔力の蝶々だよ」

「なーんだ。珍しいアゲハじゃないだか」

「そうだね。でもアゲハ蝶は風魔力を使って空高く素早く飛ぶ蝶だから意外に捕まえるのは難しいよ。よく捕まえられたね。凄いね」

「へへ、そうだか?お兄ちゃんに褒められておら嬉しいだ」


アルベルトは珍しい蝶でなくてガッカリする子をフォローするように励ますと子供は鼻を擦って照れる。


「それから蝶を持つ時は人差し指と中指で翅をそっと優しく挟むように持つと良いよ。あと毒や魔力を持つ蝶や蛾には気をつけて採集するんだよ」

「分かってるだ!お兄ちゃんが前に教えてくれた危険な蝶と蛾は網で採らないようにしているだ!」

「なら良かった。それじゃあ僕と一緒にこの畑の周りで蝶や蛾を探そっか!」

「「「うん!」」」


 アルベルトは子供達と共に畑の周りの草むらや林で蝶や蛾の採集を始めた。途中で他の村人とも出会い気さくに挨拶を交わす。


「アルベルト様!子供達の面倒見て下さってありがたいだ!」

「ボジェクさん!いえいえ、僕も一緒に蝶や蛾の採集が楽しめて満足していますから」

「そうだか!おいおめぇ達あまりアルベルト様にメーワクかけるでねぇぞ!」

「分かってるだよおじちゃん!」


 こうしたのどかな領内での村人とのやり取りや子供らとの採集の時間がアルベルトにとって至福の時間なのだ。しかし一方でアルベルトには内心満足出来ない部分もあった……


(村の子供達と蝶や蛾を採集するこの時間は確かに楽しいけど僕としては同じ貴族同士でも蝶や蛾の趣味を楽しむ時間を作りたいんだよなぁ)


 アルベルトは子供達が畑の畦で小さなシジミチョウを追いかける姿を見つめつつ心の中でボソッと呟く。


(西側諸国には蝶や蛾を採集する貴族が居るけどこの国には余りいないからなぁ。父上も兄上も僕の趣味に興味は無いしかと言って国外に留学して友達を作るのも許されない。貴族のお茶会で仲間を増やそうにも趣味に加えて父上の汚職のせいで家自体の印象も良く無いから呼ばれないし……やっぱり楽しさを分かち合える同じ身分の友達が欲しいなぁ)


 自身の趣味が同じ貴族には理解されず寂しさを胸に抱えていたアルベルトは空を見上げたまま友を欲する願望を心に呟いたのであった。その願望が思わぬ形でこの日叶う事になるとは知らず……


★★★



「ベルンシュタイン伯爵邸までは後もう少しかのぅ。フランク殿と出会うのは五年前以来か。懐かしいのぅ彼が大臣になったばかりの頃まだワシは副宰相じゃったな」


一方その頃アルベルトがいる畑の畦道から離れた王都へ繋がる街道を一台の黒い二人乗りの自動車が走っていた。その左の席に座る黒いコートにシルクハットを被り立派な白髭を蓄えた老紳士はベルンシュタイン家当主フランクと会うのが久々だと懐かしさを感じ呟いた。


「しかしフランク様は汚職事件で政界を追放され女王陛下からも嫌われておられるお方です。なぜお会いしようと思われたのですか?」

「うむ、実はあの男からは追放後も何度か面会したいという手紙を貰っておってのぅ。ワシから陛下に口添えしてもらい再び貴族議会議員になり大臣に返り咲こうという魂胆じゃろうから無視しておったがあんまりしつこいので一度話くらいは聞いてやろうと思った訳じゃ。付き合いもそれなりに長いしのぅ」

「なるほどそういう事でしたか」


 右の席で操縦桿を握り運転する赤茶ショートヘアで若い糸目の青年の質問に老紳士はやや困り顔で答える。


「まぁ実はそれ以外にも目的はあるのじゃがな……」

「ん?」

「あぁいや何でも無い。それよりフランク殿との約束の時間が迫っておるぞい。もう少しスピードを上げてくれヨハン君」

「そう言われましても宰相閣下(・・・・)のベンクヴィクトリア号は最新の車ではありませんからあまりスピードが出ませんよ」


 老紳士は約束の時間に遅れそうだと言って運転する青年を急かした。そう、実はこの老紳士の正体はこの国の宰相閣下でフランクの重要な客とは宰相の事だったのだ。自身の愛車ベンクヴィクトリア号を秘書兼専属運転士のヨハンという男に運転させ今まさにベルンシュタイン伯爵邸に向かっている最中であった。

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