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第7話 親房との確執と父の遺言

帯刀たてわき


 吉野の行宮で北畠親房に呼び止められたのは、父の十三回忌に思いを馳せていた時であった。

 正行の横で正時がほんの一瞬、眉間に皺を寄せる。

 親房と楠木兄弟の相性は良くない。

 正時との相性は最悪と言えた。

 会えば必ずなにがしかの嫌味を言われるのが常だった。

 しかし、この時の親房は違った。


「もうじきそこもとの父の十三回忌であったのぅ」


 ぽつりとこう言うとそのまま去って行ったのである。


「珍しいこともあるものですな、兄者。あの北畠卿が戦のことに触れず、我らの元を去るなど明日は雨になるやも知れません」


「うむ……」


 親房の口から父の話題が出たことなどこれまで一度としてなかった。

 彼の中では使い勝手のよい武士、いやしき悪党の一人くらいに思っていたのではないかと思われる父の十三回忌を、なぜいまさら持ち出してきたのか。

 正行は言い知れぬ不安が胸の内に拡がって行くのを感じていた。

 数日後、楠木氏は先代当主の十三回忌追善の法要を行うを名目に行宮あんぐう警護の任を解かれた。


「これか」


 と、正行は思った。

 公家衆が京に郷愁を感じている事は知っている。

 その気持ちは人として判りはするが、そのために勝ち目のない戦を仕掛けてあたら多くの命を奪っていいと言うことにはならないはずだ。

 このまま吉野で暮らして行くのではいけないのだろうか。

 この頃はそのようなことばかり考えている。

 そんな正行の思いを反映して、楠木党は帝の警護を理由に吉野と河内だけを守備範囲にただひたすら守勢を貫いてきた。


「母をたすけ弟たちを養い、帝をお護り致せ」


 それが桜井で別れた父の最後の言葉である。

 その遺言を拠り所に勤めていたことを知っていて、警護の任を解いたと言う一事をもって親房の心底が知れると言うものだ。

 帝が正行を、楠木党を心の拠り所にしていると彼は感じている。

 実際、親房が幾度となく上奏した「楠木党出撃」は、正行ではなく帝御自らが「吉野警護」を理由にその都度却下してくださっていた。

 そこには楠木党への絶対の信頼がある。

 正行は父に倣って常に穏やかな微笑を浮かべるように心掛けていた。

 意見を求められぬ限り発言することもせず、大言も吐かず、その言は必ず実行してきた。

 それが帝の安心感に繋がっていたのだ。

 いや、そのような正行だからこそ親房も策を弄してまで戦場に追い立てようとしているのかも知れない。

 正行ならば足利幕府を討ち倒し、再び京を回復できると思っているのかも知れなかった。

 そこには公家一流の冷たい計算が働いているに違いなかった。

 事実、彼は吉野の行宮を離れる正行をわざわざ見送りに出て来てこう念を押してきた。


「そこもとの父は湊川にて足利方に討たれたのだ。これを討ち、霊前にけるのが何よりの供養となろうぞ」


「これか……」


 正行の耳の奥に父の別れの言葉がまざまざと甦ってきた。


「父は此度の戦で死なねばならぬ。帝の為に死なねばならぬのじゃ」


「これか……」


 我知らず呟いていたらしい。

 正時が馬を寄せて来たことで正行は初めてそれを知った。


「いや、なんでもない。すまん」


 鎌倉討伐の折、父は「正成一人未だ生きて世にあると聞こえる限り、聖運は必ず開くと思し召し下さいますよう……」そう言ったと伝えられている。

 だから死なねばならなかったのか。

 死をもって忠義をまっとうし、勝ち味のない争いであると気付いて欲しかったのではないか。

 考えれば考えるほど、その結論は正行の中で確信へと変わってゆく。

 父は、此度の争いを望んでいなかった。

 それは足利氏を九州に追い落とした直後に尊氏との和睦を奏上した事をもっても明らかではないか。

 和睦。

 それは今となっては不可能と言えた。

 父の献言した折とは時勢が違う。

 今、和睦となれば足利方に有利どころか吉野朝の皇統が守れまい。

 父の遺言は「帝をお護り致せ」だった。

 その折の帝であった後醍醐帝は身罷られ、後村上帝が継いでおられる。

 今や「帝を守る」とは「皇統を守る」と言うことに変わったのだと正行は考えているのだ。

 正行は法要の前日、弟二人と共に父の霊前に手を合わせてこう言った。


「正時、正儀。楠木党とは如何いかに」


「河内の悪党にございます」


 正儀が答えた。


「違うな」


「では正時兄は楠木は武士だと言われるのか」


「それも違うな」


 正行は黙って二人の問答を聞いている。


「楠木党は皇城の守護者であり既に権力の側にある。もはや悪党ではない。しかし、兄者と俺はなるほど武者としてその任にあるが、そなたは散所の長者であって河内の領主ではない」


「では、一体なんだと言われるのですか」


「決まっていないのだよ」


 そこでようやく正行が口を開いた。


「決めかねていたのだ、正儀」


 正儀は兄二人の顔を交互に見比べた。

 正行の表情には清々しい決意が浮かび、正時の表情には厳しい覚悟が浮かんでいた。


「お二人で話し合われたのか」


 正儀の問いに正時はかぶりを振った。


「いや、俺は初めて吉野へ伺候したあの日から、どのようなことがあっても兄者について行くと決めている。ただそれだけだ」


 長い沈黙が続いた。

 やがて消えかけた燈明の光の中に正儀の諦念の表情が浮かんだ。


「すまんな、正儀」


 その詫びを背に、正儀は無言で部屋を出て行くよりなかった。

 燈明の消えた暗闇の中、正行は闇の奥にいる弟に向かって優しく声をかけた。


「本当に私と共に往くと言うのだな」


「俺には他の道はありませぬ。父の元までご一緒しますぞ」


 正行にはもう返す言葉はなかった。

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