第1話 父の首級
正しく行くと書いて「まさつら」と読む。
この楠木正成の嫡男は今、桜井の駅で父の遺言に接していた。
「正行。そなたは河内へ帰れ。…いや、河内へ戻ってくれ。父は、此度の戦で死のうと思う。帝のために死のうと思うておるのじゃ」
父の眼差しは優しげで、慈しみの情が滲み出ている。
清々しい決意と覚悟が表れているのだが、その時の正行には読み取れていない。
ただ、出陣前から死のうとしていたと言うことだけは理解出来た。
その父が、この正行には生き残れと言う。
初陣を志願してここまで従軍してきた健気な嫡子にだ。
正行は挑むように父を見上げ、抗弁の言葉を紡ぎだそうとしていた。
父は穏やかにこれを制す。
「言うな正行。この戦が、楠木一党の為の戦であるなら連れても行こう。楠木ただ一党の戦であるなら、どんな手段を使ってでも生き延びて、そなたらと河内へも帰ろうが……此度の戦は帝の為の御戦じゃ。父は此度の戦で死なねばならぬ。帝の為に死なねばならぬのじゃ」
父は腰に佩びていた太刀を正行に差し出してこう続ける。
「そなたにこれを渡そう。往にし時、笠置にて菊水の御旗と共に賜ったものじゃ。今生の形見にそなたに渡そう。もう一度言う。正行……河内へ帰れ。河内へ戻って母を扶け、弟たちを養うてくれ。そして……帝をお護り致せ。判ったな」
穏やかに、諭すような優しい語り方だった。
正行ははたと気付いた。
出立前に既に死を決していた父の行軍が、なぜに足取りも重くゆるゆるとここまで来たのかを。
それは父の、息子や郎党たちへの愛情だったに違いない。
死に臨む事を決したのは父であり正行ではない。
その昔、笠置に召された折に「望まぬ者を徴兵したくない」と言った男は倒幕後の、この欲望の時代にあってもなお、初志を貫徹しているのである。
男の望みは万民の幸せであり、理想はあくまでも争いのない世の中なのだ。
愛しい息子を、覚悟のつかない者を死地に連れて行きたくなかったのだ。
正行の視線の先には目を細め、穏やかに微笑む父がいる。
彼の見たそれが最後の父だった。
あとは溢れ出す涙でなにもかもが滲み、正行は泣きながら陣中を飛び出した。
日本文学の傑作「太平記」のクライマックスの一つ「桜井の別れ」と呼ばれているこの父子の別れの場面は、小学校唱歌にもなっている。
日本人好みの誠に劇的な別離として描かれているが故に史実ではないとする説が一般的だ。
太平記以外にこの場面の記述がないことが主な理由だ。
何より正行が幼い。
確たる史料がある訳ではないが、太平記によれば時に正行十一歳。
早熟な時代にあってもこれはやはり幼い。
このような少年を初陣させようとするのだろうか。
風雲の時代、男児と生まれて血の滾りを抑えかね、叔父の正季に無理を言ってついてきたものかもしれない。
あるいはもう二つ三つ年上であったかもしれない。
しかし、その後の楠木党の動きのなさから考えれば、少年であったことは間違いないものと思われる。
河内に戻った正行は、父の決意を母に告げるのをためらった。
だが、その事を告げた母は「さもありなん」と覚悟していた風であった。
やがて父が湊川で全滅戦を展開し、自決したとの報せが敵方である足利方から届けられた。
時をおかず、父の首級が届く。
汚れがきれいに拭われ、化粧まで施されてはいたが、生前の面影が偲べないほどに朽ちているその表情とも言えなくなった首級の向こうに、正行は微かに滲む無力さ、諦念のようなものを確かに感じ取った。
彼は無言のうちに父の前から離れると一人、持仏堂に向かった。
薄暗い中で形見にもらった太刀を抜き、黙念と時を過ごす。
(父は、なにを想い生きてきたのだろう)
彼の記憶の中の父は、およそ戦場とは結びつかない生活の中にしかいない。
百姓の中に混じって田畑を耕したり、樵と共に木を切っている。
あるいは息子たちと川魚を獲ったり角力を取ったりしてくれていた姿ばかりだ。
父の後を追えば、刹那でも父の想いに触れることが出来るのだろうか。
そう考えた時である。
堂の戸が勢いよく開かれ、血相を変えて駆け寄ってきた母が、手にしていた太刀を奪い取った。
思い詰めていたその表情から、父の後を追い自害するものと思われたようだ。
正行は知らずに詰めていた息を深く吐き、自らにも言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「今はまだ死にはいたしません。あの日、桜井の駅で遺言されたのです。……帝をお守りいたせと。母を扶けて弟たちを養うてくれと」
正行は興味深げに様子を伺う弟たちに視線を向けると、なおも心配そうな母の手から太刀を取って鞘に収めて母に手渡した。
「それに私は武士ではありません。河内の悪党楠木正成の子、正行です」
その日から、正行は正式に楠木氏の当代当主となった。