【5-2】医者への疑念
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【医者への疑念】
本来であれば、別室で一人ずつ個別にアリバイを聞いていくのがセオリーだ。
しかし、この緊迫した状況で彼らを一人ずつ自室に戻すことはかえって危険だと私は判断した。
だが、どうやってこの局面を乗り越えるべきか。
悩んでいる私に、
「まずは、遺体を冷蔵室に運んだ方が良いのではないですか?」
と医者が言った。
たしかに大富豪をこのままにしておくわけにもいかないが、
もし私がこの場から一瞬でも離れてしまえば、その隙に最悪の事態が起きる可能性だって十分にある。
「このままでは大富豪さんが見世物みたいで可哀そうです。まずは彼を冷蔵室まで運びましょう」
何故だか妙に焦っている医者も気になるが、彼の言う事も尤もだ。
それでもこの場を離れるのは良くないと思った私は、医者にこの場で話を聞くことにした。
彼に話を聞くことで皆の不安が少しでも消えるようなことがあれば、
その隙を狙って大富豪を冷蔵室に運ぶことにしよう。
なぜ医者に話を聞こうと思ったのか。
それには理由があった。
この場にいる人物の中で、私の次に冷静なのが彼だったからだ。
そして、彼が冷静に見えたのにも二つの理由があった。
一つ目の理由は、この状況において、
『大富豪を冷蔵室に運ぶ』
という適切な判断が出来ているからだ。
彼は、
「このままでは大富豪さんが見世物みたいで可哀そう」
という思いから遺体を冷蔵室に運ぼうと言い出したのかもしれない。
たしかにそれも一理あるが、遺体の調査という観点からしても、
早いうちに大富豪を冷蔵室に運んでおくというのは最良の判断だ。
人間の遺体というものは、いとも容易く腐り始めてしまう。
遺体の腐食は、遺体の調査をするうえで最も避けたい事項の一つである。
しかも、明日の昼頃までは嵐のせいで誰もこの孤島に近づくことは出来ない。
衛生面や他の招待客達の精神面から考えても、
十二時間近く大富豪の遺体をこのままにしておくことは良くないだろう。
二つ目の理由は、彼の職業が医者だからだ。
恐らく今この場にいる者の中で、最も遺体を見慣れているのは医者である彼だろう。
予期していない事態であればあるほど、
遺体を見慣れているのと見慣れていないのでは冷静さは格段に異なってくる。
その証拠として、彼は、
『大富豪を冷蔵室に運ぶ』
という最善の選択を導き出すことが出来ているのだから。
「記者さんが持っているメスは、あなたのメスで間違いないですか?」
私は医者にそう尋ねた。
「ここにいる者でメスを持ってきている人物なんて、私以外にいるはずが無いですから。
でも、どうしてあなたが僕のメスを持っているんですか?」
医者は記者にそう尋ねたが、それを聞いていた女優が、
「そんなの、大富豪さんを殺すために決まっているじゃない。
そうでなければ、彼がメスを持っている理由が無いわ。
それでも殺していないと言い張るのなら、どうしてあなたが医者さんのメスを持っているのか言ってみなさいよ!」
記者を睨みつけながら声を荒げて言った。
「女優さん、どうか落ち着いてください。それを今まさに記者さんに聞こうとしているんです」
私は興奮している女優をなだめるように言ったが、
記者が大富豪を殺したと思い込んでいる彼女は、私の話に聞く耳を持たなかった。
このままでは最悪の事態が起きてしまうと一抹の不安を感じたその時、
「・・・もしかして、拾ったのかい?」
医者が記者にそう言った。
「そうなんです。悲鳴が聞こえて慌てて部屋を出たら、ドアの前にこのメスが落ちていたんです。
悲鳴に気を取られていたので、わけも分からず拾ってしまって、そのままここに持ってきてしまったんです」
記者は自分がなぜ医者のメスを持っているのかを必死に説明した。
「じゃあ、そのメスについているのは何よ!その赤い液体のようなものよ!血でしょ!?
大富豪さんの血なんでしょ!」
記者がメスを持っている経緯は明らかになったが、それだけでは女優の興奮は収まらなかった。
すると今度は医者が、メスに付着している血について話し始めた。
「その血は、きっと私の血です。
パーティーで大富豪さんがお酒をたらふく飲んでいたので、
心配で彼のもとへ行こうと思っていたんです。
それで薬など必要な道具だけ持って部屋を出ようとしたら、ちょうどその時に悲鳴が聞こえました。
ただ事ではないと思い慌て部屋を出たのですが、記者さんの部屋は私の部屋の真横ですから、
きっとその時にメスを落としてしまったんだと思います。
僕も多少動揺していたので、今の今まで自分でも気づかなかったのですが
、その時に誤って自分の手も切ってしまっていたみたいです。
僕の手を見てください。ここです、血が出ているでしょ?」
医者はそう言いながら、私に自分の右手を見せた。
医者の右手に付着している血を見た私は、喉元まで出かかっていた言葉を慌てて飲み込んだ。
「たしかに、メスに付着している血は医者さんのもので間違いないようですね。
皆さん、これで記者さんの持っているメスの謎は解けました。
どうか落ち着いて、まずは自室に戻ってください。
そして、しっかりと鍵をかけるように。
鍵をかけてしまえば、犯人も部屋の中まで入ってくることは出来ないでしょう。
もし無理矢理にでも他の人の部屋の鍵をこじ開けようとしている者がいれば、それこそ自分が犯人だと言っているようなものです。
だからどうか落ち着いて、鍵をかけて絶対に部屋から出ないでください」
先程まで随分と取り乱していた女優も、
メスの謎が解けたおかげか、だいぶ落ち着いている様子に見えた。
この隙に大富豪の遺体を冷蔵室まで運び、
その後は各々の自室で一人ずつアリバイの聴取をすることにしよう。
招待客達が自室に戻るのを確認すると、私は医者と共に大富豪の遺体を冷蔵室まで運んだ。
冷蔵室の扉には南京錠がかけてあったが、
先程までメイドがパーティーの後片付けや翌日の朝食の準備をしていたためか、錠は開いたままの状態になっていた。
「念のために、錠をかけておきましょうか」
冷蔵室の扉を閉めている医者にそう言うと、
「たしかにその方が良いかもしれませんね」
彼はそう言いながら、冷蔵室の扉の南京錠を閉めた。
「やはり、あなたに一番初めに質問して正解でしたよ」
私は医者に言ったが、彼は何のことか分かっていない様子だった。
「あの状況で私が一番初めに話を振るという事は、
それはつまり私がその人物を一番怪しいと考えていると勘違いする人もいる。
だから、あの場で一番冷静な方に話を振る必要があったんです。
だから、あなたに一番初めに話を振ったんですよ。
さすがは医者というべきか、あの中で遺体を一番に見慣れているのはあなたでしょうからね」
それを聞いた医者は、「なるほど、そういう事でしたか」と感心したように言った。
もしあの時、医者ではなく記者に一番初めに質問をしていたとしたら。
記者は必死になって、自分が握っているメスについて説明しようとするだろう。
だが、彼がどれだけ必死に説明したところで、誰も彼の話を信じようとはしなかったはずだ。
そこでまず初めに医者に話を振ることで、
あの状況において医者にも当然発言権があるのだという事を意図的に医者自身に分からせた。
そのおかげで、医者はあの時、
「・・・もしかして、拾ったのかい?」
と、自分の所有物であるはずのメスを持っている記者にそう尋ねたのだ。
記者が何を言おうと誰も信じようとはしなかったはずだが、
医者の方からメスについて言及することで、皆が記者の話を聞く気になり、
彼の話を信じることが出来たのだ。
「それで、これからどうするんですか?」
医者は私にそう尋ねた。
「まずは各々のアリバイを確認しなければなりません。もちろん、あなたのアリバイもです。
ですがその前に、医者さんには私の聴取を手伝っていただきたい」
私は三つの選択肢の中から、見事に正解の一つを選ぶことが出来た。
さて、これから少しの間は聴取に集中することにしよう。
だが、この聴取には、いずれ私の前に再び訪れるであろう数多の選択肢のヒントが隠されている。
だから、どうか気を抜かないで欲しい。
それからこれは、ここまで辿り着いたあなたへ私からのアドバイスだ。
『聴取から得られるヒントは重要だが、聴取を行っているという事実も、同じくらい重要なものである』
自分以外の誰かが、今まさに聴取をされている。
そして自分もいずれは、名探偵にアリバイを話さなければならない時が来る。
私が聴取を行っているという事実を犯人に分からせること自体が、
聴取を行う最大の理由の一つでもある。
大富豪を殺した犯人は、自分のアリバイを証明するために頭を巡らすだろう。
何を隠すべきが、どう嘘をつくべきか、犯人は必死に考えるはずだ。
だが、人は考えれば考えるほど、大きな綻びを見落とすものだ。
その綻びは、事件を解決するうえでの最大のヒントとなる。
それでは、まずはメイドからだ。
【6-1:メイドのアリバイ】へと進もう。
お見事です!
この選択肢を選ぶとは、さすが名探偵!
さてさて、次の物語である【6-1:メイドのアリバイ】へと進みましょう。