【5-1】記者への疑念
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【記者への疑念】
本来であれば、別室で一人ずつ個別にアリバイを聞いていくのがセオリーだ。
しかし、この緊迫した状況で彼らを一人ずつ自室に戻すことはかえって危険だと私は判断した。
だが、どうやってこの局面を乗り越えるべきか。
悩んでいる私に、
「まずは、遺体を冷蔵室に運んだ方が良いのではないですか?」
と医者が言った。
たしかに大富豪をこのままにしておくわけにもいかないが、
もし私がこの場から一瞬でも離れてしまえば、その隙に最悪の事態が起きる可能性だって十分にある。
「このままでは大富豪さんが見世物みたいで可哀そうです。まずは彼を冷蔵室まで運びましょう」
何故だか妙に焦っている医者も気になるが、彼の言う事も尤もだ。
それでもこの場を離れるのは良くないと思った私は、
メスを握っている記者にこの場で話を聞くことにした。
彼に話を聞くことで皆の不安が少しでも消えるようなことがあれば、
その隙を狙って大富豪を冷蔵室に運ぶことにしよう。
「記者さん、その手に握っているメスはどうされたんですか?」
私は記者にそう尋ねた。
「悲鳴が聞こえて慌てて部屋から出たんです。
そうしたら、部屋の前にこのメスが落ちていたので、訳も分からず拾ってしまって」
この状況で記者が一番に怪しまれているという事は、記者自身も十分に理解しているはずだ。
「あなたが部屋の前に落ちていたメスを見つけた時、
その血のような赤い液体は既に付いていましたか?」
「悲鳴に気を取られていて、わけもわからず拾ったので・・・。
でも、恐らく最初からついていたと思います。
・・・そうだ、メスが落ちていた場所を確認すれば、床にも赤いシミが残っているかもしれません。
もしシミが残っていれば、最初から血が付いていたことになりますよね?」
記者はおどおどしているように見えたが、頭の中は意外と冷静のようだ。
「たしかに記者さんのおっしゃる通りだ。
念のためお伺いしますが、パーティーが終わり自室に行かれてからは一度も部屋を出ていませんか?」
「はい。パーティーが終わった後は、ずっと自分の部屋にいました」
私の質問に記者が淡々と答えていると、
「部屋の前に落ちていたですって!?名探偵さん、本当にそんな話を信じるつもりですか?
そんなの嘘に決まっているじゃない!早くその人を拘束してよ!」
突然女優が声を荒げて言った。
「犯人が誤って彼の部屋の前で落としてしまったメスを、
偶然彼が拾った可能性だって十分にあります。
それに、今はまだ記者さんが握っているメスが凶器だという証拠すらないんです。
現段階では、記者さんが大富豪さんを殺したという証拠は全く無いと言ってもいいでしょう」
私は興奮している女優をなだめるように言ったが、
記者が大富豪を殺したと思い込んでいる彼女は、私の話に聞く耳を持たなかった。
「ねぇ、俳優さん。記者さんが大富豪さんを殺したに違いないわ!あなたもそう思うでしょ!?」
女優に泣きつくように言われた俳優は、
「でも、名探偵さんの言う通り、
それだけじゃ記者さんが犯人だという証拠にはならないんじゃないかな?」
彼女の気迫に押された俳優は、自信なさそうに答えた。
「もういいわ!このままじゃ、ここにいる全員が彼に殺されてしまう!
私はこんなところで死にたくないのよ!」
女優はそう言いながら、俳優のズボンのバックポケットに手を突っ込んだ。
そして、女優が俳優のバックポケットから取り出したそれを見た記者は、
その場で尻もちをついた。
「やめなさい!今すぐそれを下ろすんだ!」
私は手のひらサイズの小型拳銃の銃口を記者に向けている女優にむかって言った。
だが、彼女はまるで何かに取り憑かれているかのように、
なんの躊躇もなく記者に向かって引き金をひいた。
なんという事だ。
記者という新たな被害者だけでなく、女優という新たな加害者まで生んでしまった。
記者の握っていたメスが、大富豪を殺した凶器だったのかは分からない。
だが、この状況では皆がそれを凶器と判断するだろう。
そして、その凶器を握っている記者が犯人だと皆が思い込む可能性が高いことは、
名探偵であれば十分に予測できたはずだ。
それにもう一つ。
この状況で、まず初めに記者に話を振ってはいけない理由がある。
一番初めに話を振られた人物というのは、
それはつまり私が一番怪しいと思っている人物だと〝誤解〟をする可能性が高い。
私が記者のことを犯人だと思っていなかったとしても、私から一番初めに話を振られた記者は、
自分が犯人だと疑われているのではないかと勘違いをする可能性が非常に高い。
仮に記者がそのような勘違いをしてしまったとしたら。
凶器になり得るものを持っている人物に対して、
不用意に一番初めに話を振るということは、名探偵として一番やってはいけない行為である。
今回は女優の手によって殺されたが、場合によっては自分が一番に疑われているという恐怖に耐え切れずに自害を図る可能性だって十分にあった。
そうなれば、直接手を下していないとはいえ、
彼を追い詰めた名探偵である私自身が彼を殺したと言っても過言ではないだろう。
念のために、もう一度だけ言っておこう。
凶器になり得るものを持っている人物を問い詰めるような真似は、絶対にしてはいけないのだ。
もしこの場で誰かに話を聞くのであれば、
それはこの場で最も冷静に見える人物からまず初めに話を聞くのが最善である。
この場で記者に話を聞くというのは、誤った選択である。
残念ですが、この選択肢は不正解です。。。