未来へ羽ばたく家③
「もしあの時、俺がちゃんと封筒をもらっていれば。
迫間さんの善意を拒否せずに受け取っていれば、迫間さんは今も生きてたんじゃないかって。
自殺なんかしなかったんじゃないかって、ずっと後悔してるんです」
松永の目からは、一粒の涙がこぼれていた。
「迫間さんが亡くなったのは、君のせいじゃないよ」
藤堂は松永の肩に手を置いてそう言った。
「・・・ちょっと待ってくれ。今、自殺って言ったか?」
「すいません。迫間さんは事故で亡くなったんですよね」
迫間が交通事故に遭った当時、警察が迫間の話を聞くためにコンビニに来たことがあった。
その時、松永は迫間が事故に遭った当時の状況について、
警察から少しだけ話を聞いていた。
迫間が事故に遭った時、信号は赤だった。
加えて、彼の体内からアルコールは検出されず、
彼の持ち物はポケットに入っていた小銭だけであった。
つまり、彼は酔っていたわけでなければ、携帯などでよそ見をしていたわけでもなかった。
迫間は信号が赤である事に気付いていたはずなのに、道路に飛び出したのだ。
「刑事は君にそう話したのか?」
「間違いありません。
だから、もしかしたら迫間さんは事故じゃなく自殺したんじゃないかって思って。
でも、結局は事故という事になったと聞きました」
「・・・そうだったのか、それは知らなかったよ。わざわざ話してくれてありがとう」
それから藤堂は車のドアハンドルに手を掛けると、
「迫間さんが亡くなったのは、君のせいじゃないよ。それだけは確かだ」
松永の方を見ながらそう言い、車に乗り込んだ。
藤堂が『凪』に着く頃には、日はすっかり落ちていた。
「迫間さんのことを忘れるわけが無いじゃない。
あんなに物静かで優しい人、そうそういないわよ」
「迫間さんについて覚えていることを話してくれませんか。
どんな些細なことでも良いので」
藤堂は凪のママに言った。
「覚えていること?藤堂さんの方から何かを話すって事は滅多に無かったし、
逆に私の話を聞いてもらうことがほとんどだったわ」
「迫間さんの奥さんのことはご存じですよね?」
「ええ、迫間さんから聞いたわ。病気で亡くなったんでしょ?」
「ええ、そうです。それでは、息子さんについて何か聞いたことはありますか?」
「息子?息子って、迫間さんの?迫間さん、息子さんいたの?」
やはり迫間義則は、息子についてだけは誰にも話していないようだった。
「何も聞いていなければいいんです。お仕事中にお邪魔してすいませんでした」
机の上に置かれた水を一気に飲み干した藤堂が席を立ち上がろうとしたその時、
「ああ、そういえば」
ママが何かを思い出したようにそう口にした。
「どうしました?」
「今思い出したんだけど、そういえば一度だけ、迫間さんが酷く酔っぱらった時があったのよ」
いつもは二、三杯だけしか飲まない迫間が、その日は足元がふらつくほど酒を飲んでいた。
「その時、妙なことを言ってたのよ」
「妙なことですか?」
「『全部自分のせいだ。借金が無くなって家族までできたのに、
僕はたった一人の家族を見捨てたんだ』って、泣きながら言ってたわ。
あの時は、てっきり奥さんのことを言っているとばかり思っていたけど、
もしかしてあれは息子さんのことを言っていたのかしら」
迫間義則に借金があったことを知ったのは、ママからその話を聞いた時が初めてだった。
「迫間さんは、それ以外には何か言ってませんでしたか?」
「あの時に迫間さんが言ってたのはそれだけよ。
私が何度尋ねても、それ以上の事は話してくれなかったわ」
迫間義則にいくら借金があったのかは分からないが、
その事実は迫間義則の過去を知るうえでの重要なヒントになるに違いないと藤堂は思った。
「お疲れ様です。何か良い情報は掴めましたか?」
藤堂が署に戻ったのは、午後十時を少し過ぎた頃だった。
「まだ帰ってなかったのか」
「ええ、藤堂さんに見てもらいたいものがあって」
そう言うと、松野は机の上に置いてあるノートパソコンの画面を藤堂の方に向けた。
「このマンションがどうしたんだ?」
画面に映っていたのは、タワーマンションのホームページだった。
「迫間鉄平が幼い頃、両親と住んでいたマンションです。
母親が亡くなり、父親に捨てられるまで、彼はこのマンションに住んでいたんです」
それを聞いて、藤堂は迫間義則が抱えていた借金のことを思い出した。
彼がいくら借金を抱えていたのかは知らないが、画面に映っていたタワーマンションは、
借金のある人間が到底住めるようなマンションではない。
「藤堂さん?そんな怖い顔してどうしたんですか?」
「迫間の父親には借金があったらしいんだ。
そんな奴が、こんな高級そうなマンションに住めると思うか?」
凪のママから聞いた、『借金が無くなって家族までできた』という発言に、
藤堂はずっと引っかかっていた。
「借金を返済して」でも「借金をなくして」でもなく、
「借金が無くなって」と迫間は言っていたらしい。
その事に藤堂はずっと引っかかっていたのだ。
それに加えて、彼が家族と共に住んでいた高級そうなマンション。
やはり、迫間義則の過去には何かがある。
「悪いが、このマンションについて詳しく調べてくれないか。
どうしても引っかかるんだよ」
それから一週間、藤堂と松野は迫間鉄平だけではなく、彼の両親の過去についても調べた。
そこで分かった事が二つあった。
一つは、迫間鉄平が幼い頃に両親と住んでいた例のタワーマンションについてだ。
あのマンションの持ち主は、財前信一郎だったという事が分かった。
あのマンションは、財前が不動産経営のために建てたものであった。
もう一つは、迫間鉄平の母であり、迫間義則の妻である迫間紗南についてだ。
彼女は『コスモス』という児童養護施設で働いていたのだが、
実はその児童養護施設が財前の出資で成り立っていた施設の一つだという事が分かった。
財前の建てたマンションに住んでいた迫間家。
財前の出資で成り立っていた児童養護施設で働いていた迫間紗南。
財前の出資で成り立っていた児童養護施設で育った迫間鉄平。
これは、単なる偶然の一致に過ぎないのだろうか?
「藤堂さん?どこか行くんですか?」
デスクで作業をしていた藤堂が立ち上がるのを見た松野が言った。
「ああ、ちょっとな」
背もたれに掛けてあったスーツのジャケットを着た藤堂は、
そのまま一人で何処かへと行ってしまった。
「なぁ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
藤堂は透明のアクリル板を挟んだ反対側に座っている男に向かってそう言った。
「お前の事、色々調べさせてもらったよ。お前だけじゃなく、お前の両親についてもな」
藤堂が一人で向かった場所は、迫間鉄平が収容されている刑務所だった。
「お前、財前信一郎とどんな関係だったんだ?」
藤堂がそう言うと、今まで一度も言葉を発さなかった迫間が初めて口を開いた。
「霧島はどうしてる?」
「霧島ってのは誠さんの方か?それとも勇太君の方か?
お前が勇太君を誘拐したおかげで、えらいことになってるよ」
すると迫間は、
「刑事さんも驚いたろ。まさか、あの二人が実の親子じゃなかったなんてな」
笑いながらそう言った。
「・・・お前、どうしてその事を知ってるんだ?」
「刑事さん、遅すぎだよ。今からじゃもう間に合わないよ」
「お前、さっきから何を言ってるんだ?いったい、何の話をしてるんだ!?」
何度そう尋ねても、迫間はただ笑って藤堂の顔を見ているだけだった。




