未来へ羽ばたく家①
「勇太!」
霧島誠は病室に入るなり、
ベッドの上で休んでいる息子のもとに駆け寄り、彼のことを抱きしめた。
病室には勇太の他にも、彼をここまで運んできた藤堂と松野、それに勇太の担当医もいた。
「今日から明日にかけて、念のため精密検査をしようと思います。
今日一日はこの病院に入院してもらうことになりますが、よろしいですか?」
勇太の担当医が誠にそう尋ねると、「よろしくお願いします」と言い誠は医師に頭を下げた。
勇太の担当医が病室を出た後も、誠は息子の手をずっと握っていた。
「ちょっと飲み物でも買ってきますね。刑事さんたちも何か飲まれますか?」
「私達は大丈夫ですから気を使わないでください」
遠慮する松野に対し、
「それじゃあ、コーヒーでお願いします」
藤堂は間髪を入れずに言った。
「わかりました。松野さんもコーヒーで良いですか?」
誠にそう聞かれた松野は、すいませんと言いながら頭を何度も下げた。
「ちょっと藤堂さん、遠慮ってものを知らないんですか?」
松野は小声で藤堂に言った。
「何かいるか聞かれたから答えただけだろ」
藤堂の返答を聞いた松野は、呆れた顔をしながらハァとため息をついた。
すると、病室を出ようとしていた誠が、突然その場で倒れた。
「霧島さん!霧島さん!」
藤堂は何度も誠の名前を呼び続けたが、彼は意識を失っているようだった。
幸いにも、誠は軽い貧血だった。
息子を誘拐されたストレスから解放され、緊張の糸が切れたのだろう。
勇太の担当医の提案で、誠も勇太と同様に精密検査をすることになった。
これで今回の事件も一先ずはひと段落したかと安心していた藤堂と松野だったが、
それから更に一週間が経ったその日、誠と勇太に関する衝撃的な事実が判明した。
「藤堂さん!電話で言っていた話って本当ですか!?」
松野は署へ出勤するなり、藤堂の耳元で大声でそう言った。
「うるさいな、そんなデカい声出さなくてもちゃんと聞こえてるよ。
本当だよ、俺があんな冗談思いつくわけが無いだろ」
「霧島さんは?」
「勇太君と一緒に病院にいるよ。念のためにもう一度検査するってさ」
精密検査の結果、二人の身体に異常は見つからなかった。
身体に異常は見つからなかったが、
その代わりに二人についての驚くべき事実が判明した。
『霧島誠と霧島勇太の二人に、血縁関係は無い』
なんと、誠と勇太の二人は血のつながった親子ではないという事が判明したのだ。
「藤堂さん、私達はどうしたらいいんですか?」
「その件については、俺らは何もできないだろ。
そっちの件は病院側に任せて、俺たちは引き続き迫間が勇太君を誘拐した動機を調べるぞ」
霧島勇太を誘拐した迫間鉄平が逮捕されてから一週間が経ったが、彼はずっと黙秘を続けていた。
「そうだ、これ見てください」
松野は資料が挟まれたファイルをカバンから取り出し藤堂に手渡した。
「迫間の過去について調べていたんですが、このページを見てください」
松野が開いたページには、『未来へ羽ばたく家』という文字が記載されていた。
「おい、これって」
「そうです。迫間と勇太君がいた、あの児童養護施設です。
迫間は、あの児童養護施設で育った孤児だったんですよ」
迫間は五歳の時から、児童養護施設で孤児として育てられた。
十八歳になった彼が施設を出るまでの十三年間、
彼はずっと『未来へ羽ばたく家』にいたのだ。
さらに、あの児童養護施設についてわかった事があった。
『未来へ羽ばたく家』は、児子原島殺人事件で亡くなった財前信一郎の出資で成り立っていた。
「あの児童養護施設が閉鎖されたのは、たしか二年前だったよな?」
「そうです、出資者の財前が亡くなった半年後に閉鎖されてますから」
「迫間が勇太君を誘拐したのは、あの養護施設や財前と何か関係があるってことか?」
「そこについてはまだ何とも言えないですね。
迫間はとうの昔に養護施設を出ていますし、
勇太君の誘拐と養護施設に何かしらの関係があるとしても、
どうして閉鎖から二年が経った今なのかというのが謎です。
それに、財前は『未来へ羽ばたく家』以外のいくつかの児童養護施設にも出資をしていたみたいですが、
彼自身が養護施設を訪れることはほとんど無かったそうです」
財前の死により、『未来へ羽ばたく家』以外の彼が出資していた児童養護施設も、
次から次へと閉鎖された。
財前の出資で成り立っていた養護施設にいた子供たちは行き場を失い、
他の養護施設をたらいまわしにされていたのだ。
「財前が出資していた他の養護施設についても調べてみてくれ。
俺は迫間の両親について調べてみるよ。迫間の親は二人とも死んでるんだよな?」
「母親は迫間が五歳の時に、父親は今から四年前に亡くなっていますね」
「四年前っていうと、迫間が二十八の時か。
迫間の父親が最後に住んでいた場所は分かってるんだよな」
「神奈川の相模原です」
「相模原か。思ったより近いな」
松野を署に残した藤堂は、相模原へと車を走らせた。
藤堂がまず初めに向かったのは、署から車で一時間半ほどの場所にある、
迫間の父親が最後に住んでいたアパートだった。
「迫間さんなら覚えてるわよ。
愛想も良くて感じのいい人だったから、交通事故で亡くなったって聞いた時はショックだったわよ」
迫間鉄平の父である迫間義則が最後に住んでいたアパートの大家は、彼についてそう話した。
「迫間さんがこちらのアパートに住んでいたのは、
たしか一年程だったと聞いたのですが」
五年前、迫間義則がこのアパートに住み始めてからちょうど一年が経った頃に、
彼はアパート近くの交差点で交通事故に遭って亡くなった。
「仕事関係で、いろんなところを転々としていたらしいわよ。
ここに住み始めた時も、二年も経てばまた別の場所に引っ越すことになるだろうって話してたから」
迫間の父がここに住んでいた時、彼はコンビニで夜勤のアルバイトをしていた。
恐らく彼は仕事の関係で色んな場所を転々としていたわけではなく、
息子に自分の居場所を知られないために、短期間で引っ越しを繰り返していたのだろう。
「そうですか。
迫間さんについて何か気になったことなどはありませんでしたが?
様子がおかしかったとか、何か変なことを言っていたとか、些細なことでも良いんですが」
「気になったこと?
特に無いわね。
いつも笑顔で挨拶してくれるし、私の部屋の電球が切れたときなんかは、
わざわざ交換しに来てくれたりもしてね」
「迫間さんのご家族については、彼から何か聞いたことはありませんか?」
「たしか奥さんが病気で亡くなったのよね?
結婚してまだ五年しか経ってなかったって聞いたから、気の毒にと思ったわ」
「息子さんについては、何か言っていませんでしたか?」
藤堂がそう尋ねると、大家は何のことかさっぱり分からないといった顔をした。
「息子さん?迫間さん、息子さんいたの?」
大家は迫間義則に息子がいたこと自体知らなかった。
「べつに、何も聞いていなければいいんです。突然お伺いしてすいませんでした」
アパートを後にした藤堂は、次の場所へと車を走らせた。
藤堂が次に向かったのは、迫間義則が夜勤で働いていたコンビニだった。
「仕事も丁寧だし人柄も良かったから、皆から好かれていましたよ」
藤堂は迫間が勤めていたコンビニの店長に話を聞いていた。
「迫間さんがこちらで働き始めたのは、五年前で間違いないですか?」
「うちでは交通事故で亡くなる一年前から働いていましたから、五年前で間違いないですね」
「当時の迫間さんについて何か覚えていることはありますか?」
「迫間さんは本当に真面目で、アルバイトの子たちともとても仲が良かったですね。
バイトの子たちだけじゃなくて、
彼と世間話をするためにうちのコンビニまで買い物に来てくれるお客さんもいたくらいですから」
店長は迫間がいかに皆から好かれていたかを話した。
するとその時、藤堂と店長が話をしているバックヤードに誰かが入ってきた。
二十代後半くらいであろうか、彼はバックヤードにいた藤堂と店長を見て、
二人に軽く会釈をした。
「松永君、おはよう。今日の夜勤は松永君だったか。
そういえば、松永君って迫間さんと仲良かったよね?」
「迫間さんですか?たまに二人で飲みに行ったりはしてましたけど」
それを聞いた藤堂は、
「迫間さんとどんな話をしたか聞かせてもらってもいいかな?」
彼にそう尋ねた。
店長から松永君と呼ばれていた彼は、
怪訝そうな顔をしながら突然話しかけてきた藤堂の方を向いた。
松永のそんな様子に気付いた店長が、
「こちら、刑事の藤堂さん。迫間さんが亡くなった交通事故について調べてるんだって」
藤堂の代りにそう説明した。
世間に公表していなかった手前、
迫間義則が誘拐事件を起こした犯人の父親なので話を聞いて回っていますとは言えなかった。
「交通事故って、もう四年も前も話ですよね?どうして今になって、
またあの事故のことを調べているんですか?」
「実は、ここ数年で起こった交通事故について改めて調査しているんですよ。
交通事故を減らすために、過去の事故から何か改善できることは無いかという理由で
色々と調べたり話を聞いて回ったりしていまして」
藤堂は苦し紛れにそう嘘をついた。
「それで、当時迫間さんとどんな話をしていたか教えていただいても良いですか?」
「どんな話と言われても、他愛のない話ばかりでしたよ。
迫間さんとは歳も離れていましたから、何か話題を見つけて話すというよりは、
よく僕の愚痴を迫間さんに聞いてもらうって事が多かったですね。
あとは、将来の事について聞いてもらったりもしました」
「将来の事ですか?」
「はい。僕、当時からずっと漫画家を目指してたんです。
でも、なかなか上手くいかなくて。
将来どんな漫画を描きたいかとか、
どんな漫画家になりたいかって話をよく迫間さんに聞いてもらってました」
松永は迫間とたまにしか飲みに行かなかったと言っていたが、
彼の話からすると二人はどうやら頻繁に飲みに行っていたようだ。
「迫間さんとは非常に仲が良かったんですね。
ところで、ご家族のことについては何か聞いていたりしませんか?」
「奥さんが病気で亡くなったのは聞きました」
「息子さんについては?」
それを聞いた松永は、「息子?」と藤堂に聞き返した。
「息子さんのことについては、何も聞いていないですか?」
「何も聞いていないというか、そもそも迫間さんに子供がいた事すら知りませんでした」
すると、二人の会話を横でずっと聞いていた店長も、
「迫間さんに息子さんがいたのは、僕も知りませんでした」
ボソッとそう口にした。
迫間義則は仲の良かった松永にも、自分に息子がいることは話していなかった。
「松永さんの他に、迫間さんと仲の良かった人を知りませんか?」
「迫間さんと仲の良かった人ですか?」
迫間の交友関係を必死に思い出そうとしている松永に、
「あのお店、何て名前だったっけ?」
と店長が言った。
「あのお店?・・・ああ、もしかして凪のことですか?」
「そうそう、凪だ。迫間さん、よくあそこに行ってたよね」
それを聞いていた藤堂が、「凪っていうのは?」と二人に尋ねた。
「迫間さんがよく通っていたスナックの名前ですよ。
たしか松永君も迫間さんと一緒に何度か行ったことがあるって言ってたよね?」
「三、四回くらいですけど、迫間さんに連れて行ってもらいました。
よければ、場所教えましょうか?」
藤堂は松永から、迫間が頻繁に通っていたというスナック『凪』の場所を聞いた。
「ありがとうございます。お仕事中に失礼しました。」
コンビニを出た藤堂が駐車場に停めてある車まで歩いていると、
「刑事さん!」と言いながら松永が後ろから追いかけてきた。
「どうかしましたか?」
「・・・あの、迫間さんは本当に交通事故で亡くなったんでしょうか?」
「松永さん、それはどういう意味ですか?」
松永がそう口にしたのには、ある理由があった。




