勇太くん誘拐失踪事件①
「霧島さん、こちらを見ていただいても良いですか」
刑事の藤堂総司と松野楓は、ノートパソコンの画面を霧島誠の方へ向けた。
「ここを見てください。ここに映っている男の子です。
見えづらいかもしれませんが、勇太君にそっくりだと思いませんか?」
パソコンの画面には霧島家の近所にある商店街の映像が映っており、
松野はその映像の右端に映っている男の子を指さしながら言った。
「間違いないです。服装も似ているし、背負っているリュックも勇太が持っているものと一緒です。
勇太のお気に入りのリュックです」
防犯カメラの映像は非常に荒いものではあったが、そこには確かに勇太の姿が映っていた。
その日、彼の息子である小学三年生の霧島勇太が失踪した。
友達の家へ遊びに行くため昼過ぎに家を出た勇太は、十八時を過ぎても家に帰ってこなかった。
心配になった誠が勇太の友達の家に電話を掛けると、
勇太は最初から友達の家に行っていなかったことがわかった。
友達の母親の話によると、
「今日は用事が出来たので遊びに行けなくなった」
という旨の電話が、十三時頃に勇太本人から直接かかってきたという。
友達の家へ行くためには商店街を通る必要があったことから、
恐らく勇太は友達の家へ向かう途中に何かしらの事件に巻き込まれた可能性が高い。
「やはり勇太君で間違いないですか。では、この男性に見覚えはありますか?」
松野は勇太の隣に映っている男を指さして言った。
防犯カメラに映っていた勇太は、
黒のパーカーに灰色の帽子を被った男と手を繋ぎながら歩いていた。
「顔が見えづらいのではっきりとは言い切れませんが、見たことの無い顔です。
もしかして、この男が勇太を攫ったんですか?」
誠は興奮した様子で松野に尋ねた。
「落ち着いてください。
まだ断定はできませんが、私達もこの男が勇太君の失踪に何かしら関係していると考えています」
勇太が防犯カメラに映っていた時刻は十二時三十六分。
仮に勇太がその男に誘拐されたのだとすれば、
捜査を遅らせるために男が勇太に友達の家へ電話をかけさせたという可能性は十分にある。
「・・・なんてことだ。私は、私はどうすればいいでしょうか!?」
誠は明らかに動揺していた。
すると、松野と誠の会話を横でずっと聞いていた藤堂が、
「霧島さん、まずは落ち着いてください。
仮に身代金目的の誘拐であれば、いずれ犯人から連絡があるはずです。
私達は引き続き勇太君の足取りを追いますが、
霧島さんは今日のところはしっかり身体を休めてください。
明日の朝になったら、またこちらに伺いますので」
誠の肩をグッと掴み、彼の目を真っ直ぐ見ながらそう言った。
時刻は既に午前零時を過ぎていた。
署に戻った藤堂と松野は缶コーヒーを片手に、
隣同士に並べられた自分たちのデスクに腰を掛けた。
「防犯カメラに映っていたあの男が、勇太君を誘拐したと思いますか?」
松野が缶コーヒーを口に近づけながら言った。
「どうだろうな。まぁ、小学二年生にもなって家の近所で迷子になるってことは無いだろうからな」
「それじゃあ、やっぱり勇太君は誘拐されたってことで間違いないですかね」
「今のところはその可能性が一番高いだろうな」
すると、松野はおもむろに自分のデスクの引き出しから一冊の小説を取り出し、
それを机の上に置いた。
「それ、例の小説か?」
松野の机の上に置かれた小説を見た藤堂が言った。
「ええ、そうです。藤堂さんも小説とか読むんですか?」
「俺は小説は読まないよ。ずっと文字を見てると、なんだか眠くなってくるんだ」
「まぁ、藤堂さんらしいと言えばらしいですね。
藤堂さんがじっと本を読んでいる姿なんて、
想像するだけで何かあったんじゃないかと心配になりますから」
「読んだことは無いけど、その小説のことくらいは知ってるさ。
『夕殺人の這う範囲』だろ。
それが発売された当時は、えらく盛り上がってたからな。
街中がその小説の広告で埋め尽くされてたのを覚えてるよ。
まぁ、あんな事件が起きた一年後にそんな本を出せば、そりゃ世間も大いに注目するだろうよ」
それを聞いた松野は、
「違いますよ。『ゆう』じゃなくて、『ゆ』です。
『夕』と書いて『ゆ』と読むんですよ。
『ゆさつじん』です」
丁寧に藤堂の間違いを訂正した。
その推理小説は、『夕殺人の這う範囲』というタイトルだった。
架空の孤島にある別荘を舞台に、殺された大富豪の謎を名探偵が解いていくという内容だ。
大富豪が殺害されるという事件が起きたのは、日が沈んだ後の深夜の事であった。
タイトルの夕殺人の夕は、日が落ちた後の事件が起きた時刻を意味している。
這うという言葉には、自分の思いを相手に届かせるという意味があり、
それは殺害された大富豪の心情を現していた。
そしてこの物語は、十名の登場人物だけで話が進んでいくという点や、
孤島の別荘という閉鎖された空間で事件が起こるなど、
何かと限られた範囲で物語が進んでいくことから、
『夕殺人の這う範囲』というタイトルがつけられた。
「・・・お前、随分詳しいんだな」
小説のタイトルを事細かく説明してくる松野に、藤堂は少しだけ引いていた。
「そりゃあ、あんな事件が起きた後に書かれた小説ですからね。
しかも、その事件の当事者であり唯一の生き残りである人物が書いた小説とあれば、
普通なら興味が湧くと思うんですけど」
「でも、その小説の内容はあくまでフィクションなんだろ?
結局最後は全員が生き残るって、妻にそうネタバレされたことを覚えてるよ」
「そうです。
孤島の別荘で起きた事件という設定や、物語に出てくる十名の登場人物の職業は、
『児子原島殺人事件』と完全に一致しています。
ですが、結末は全く違うんです。あの事件の生き残りは、霧島さん一人だけでした。
ですが、この小説の最後は全員が生きているという結末なんです」