【14-1】小さな紙切れ
【小さな紙切れ】
二階にある十部屋の客室とは異なり、正面玄関や裏口は誰でも利用することが可能だ。
そのため、別荘から出たのは誰なのかという個人を特定することは不可能に近いだろう。
このトラップを仕掛けた意図は、
『〝何者〟かがこの別荘から出たかどうか』
という個人の特定ではなく、
『何者かがこの〝別荘から出た〟かどうか』
という事象を確かめるためである。
犯人が逃げるために〝別荘から出た〟か。
凶器を海に捨てるために〝別荘から出た〟か。
何かを確認するために〝別荘から出た〟か。
事件はこの別荘の中だけで留まっているのか、
それとも孤島全体を調べる必要が出てくるのか。
そのどちらかを事前に把握しておくだけでも、
今後の推理における精神的な負担は大きく変わってくる。
結論から言うと、私が仕掛けたトラップは作動していなかった。
つまり、誰もこの別荘からは出ていないという事だ。
この場合の『誰も』というのは、当然大富豪の遺体も含まれている。
トラップを仕掛けるうえで重要な点はいくつかあるが、
トラップの存在自体を犯人に知られてはいけないというのが最も重要な点になるだろう。
客室の扉の前に置いた十脚のワイングラスも、
部屋の中からその存在を認識することは不可能であった。
今回も同様に、トラップの存在を犯人に知られるわけにはいかない。
以上のことを踏まえたうえで私がトラップの道具として選んだものは、小さな紙切れだった。
恐らく犯人はいつも以上に五感を研ぎ澄まし、様々な部分に注意を払っているに違いない。
犯人の五感を刺激することのない、犯人の五感をかいくぐるようなトラップが必要だ。
そこでまず注意しなければならないのが『聴覚』だろう。
犯人は音に敏感になっているはずだ。
そして聴覚と同じくらい注意しなければならないのが『視覚』だ。
先程も言ったように、犯人にトラップの存在を知られてしまっては意味がない。
小さな紙切れの使い方は非常にシンプルだ。
扉を閉める際に蝶番側に小さな紙切れを挟んでおくだけでいい。
もし何者かが扉を開ければ、挟んでいた小さな紙切れは床に落ちるだろう。
紙切れが床に落ちた時の音なんてものは、ほぼ無音だ。
紙切れが床に落ちた音のせいで犯人がこのトラップに気付くことはまず無いと考えていい。
音がしないといっても、犯人が床に落ちた紙切れの存在に気付く可能性はあるが、
挟んである状態を確認していなければ元の状態に戻すことは出来ないだろう。
だが、小さな紙切れを蝶番側に挟んでいる状態で、犯人がその存在に気付いてしまったとしたら。
そうなれば、このトラップはトラップとしての意味を成さなくなってしまう。
それほど犯人が細部にまで注意を払っている可能性は十分にあるだろう。
正面玄関や裏口から出ようとしている犯人は、
当然のことだが二階の客室から出た人物という事になる。
つまり、犯人は私が仕掛けたワイングラスのトラップを知っている。
もしかすると、ここにも何かしらのトラップが仕掛けられているかもしれない。
勘のいい犯人ならそう思うだろう。
だからこそ、何重にもトラップを仕掛けておく必要がある。
何重にもトラップを仕掛けておくことで、一つ一つのトラップの欠点を補う必要があるのだ。
誰もトラップを仕掛けるために使用した道具が一つだけだとは言っていない。
小さな紙切れを道具として使用すること自体は正解だが、
これだけでは完璧とは言えない。
もしあなたが小さな紙切れだけで十分だと判断したうえでこの選択肢を選んだのだとしたら、
それは詰めが甘すぎる。
私が使用したのは、この小さな紙切れと、もう一つある。
私が三つの道具を提示した際に、
その中にある二つの道具を使用するという選択肢を導き出せた者こそが本物の名探偵だ。
私がワイングラスのトラップを仕掛ける際に言ったアドバイスをもう忘れてしまっているようなので、
もう一度だけ言っておこう。
何事も、『念には念を』入れることが大切だ。
二つの道具を使用するという選択肢を導き出せた者か、
もしくはもう一つの道具が残り二つあるうちのどちらか分かった者のみ、
【15-1:大富豪の想い】へと進んで欲しい。




