2 どっちが怖い?
文中の神様は、日本のそこここに在る、主に小さな神社の神様と思ってください。
そして太夫さん…この呼び方は余所では一般的でないのかな?良かったら教えて欲しいです。とりあえずニュアンスが伝わらない場合は神官や神主と読み替えていただければ。それもちょっと違うので、そのうち説明回を入れたいと思います。
私の相方は、生きている人間が一番怖いと言い切りました。
田舎の小さな街では車が必須だ。大抵の家庭では大小複数台を所持していて、使い分けていることが多い。
高校を卒業する頃には普通免許を取得するのが一般的で、葵も親から譲り受けた軽自動車を日々使っていた。
行動範囲が広がると、物珍しさも手伝って、用も無いのにうろうろと東西南北ドライブをしてしまう。
深緑に囲まれた山間の曲がりくねった道を走るのも悪くないが、晴れた日に海沿いの国道を走るのが葵のお気に入りだった。
その日の気分で曲をかけてハンドルを握る。キラキラ輝く海面を横目に一本道をひたすら走るのだ。
ただ、国道と言っても冠に田舎の、とつく。少し街を離れると追い越し車線なんて無いから、制限速度が50kmの道を40kmなんかでのんびりと走られると、後をぞろぞろと何台もがついていく羽目になる。そしてそんな車がざらに居たりするから困ってしまう。
その日も、高齢者マークをつけた軽トラックの後を、葵は渋い顔をして走っていた。見通しの良い追い越しポイントで、タイミング良く対向車が来なければと狙っていたのだが、どうにも前の車がふらふらして危なっかしい。車線を右へ左へとはみ出しそうになりながら走るのだ。
そういえば、対向車にサイドミラーを破壊されて逃げられたと嘆いていた先輩の話を思い出した。
片側一車線の国道を走行中、一瞬のすれ違い際にセンターラインをオーバーしてぶつかってきたらしい。60kmは速度が出ていたから、あと少し寄ってこられていたら大事故だったろうと聞いてぞっとしたものだが、きっとこの軽トラックみたいなドライバーだったんだろうなと葵は思った。
このままついて走っていてもストレスが溜まる一方だしと諦めて、左にウィンカーを出して自動販売機が並ぶスペースに停車させ、ひと息つくことにした。
「お願いだから事故を起こす前に免許返納してよね」
ふらふらと遠ざかっていく軽トラックを見送りつつ葵は無意識のうちに呟いていた。
この国道をずっと道なりに走っていくと不思議な社がある。
川の中洲のように西向きの車線と東向きの車線に挟まれて、木々に守られてちんまりと建っているのだ。
割合交通量が多いので参拝するにも危なくないかと、そもそもこのように古びて小さな社に人が訪れるのかと不思議に思うのだが、ずっとそこに在るらしい。
道を整備する時に移転させそうなものだけれど、よくあるお約束のように、木を切ろうとした作業員がケガをしたなどという、本当かよく分からない話が出てくる。
そういえばさっきの所は道が広がっていたなと、葵は今更ながらに気付いた。
県道から国道へと出る手前に、以前は小さな神社があったよう記憶している。そこだけ車一台分ほどしか道幅がないので、対向車と行き合うと、どちらかが延々とバックする羽目になる。地元の住人は慣れたもので、手前で待っていてくれたりして有り難く思ったものだ。
「あそこの神様は力が強いから、なかなか動いてくれないみたいね」
と、母が言っていた。
ではやっと神様が了承してくれたのか、と考えてから疑問に思った。
道幅を広げる時に、昔からの住人と揉めてなかなか話が進まないことがあるという。県の担当者が何度も足を運び、ようやっと金銭面など折り合いをつけて移転してもらったり土地の一部だけ買い取ったりするそうだ。
では、神様相手ではどうやって交渉するのだろう。太夫さんに取り持ってもらうのだろうか。
県庁の人が太夫を連れて神社へ向かう姿を想像して、葵は可笑しくなって一人笑ってしまった。
だがそもそも神様とはどうやって意思の疎通を図るのだろう。というか、図れるのだろうか。なぜダメとか良いとか分かるのだろう。
これは聞いた話だが、娘が手術することになり無事をお願いしたら、祈祷していた太夫さんが途中で止めて「あんたは前に頼んだことを解いてないだろう」と言ったそうだ。
そういえば、と思い至ることがあって慌ててお礼をしたらしい。
どうやら神様にお願いをして叶ったら、叶わなくても一段落着いたら、きちんとお礼をしなくてはいけないようだ。
人付き合いと同じ理屈かと、葵は認識している。
ただ疑問に思うのは「何故解いてないと分かったか」ということだ。
話してくれた人は当たり前のように言っていたが、太夫なら当たり前に分かることなのだろうか。
神様が、まだお礼をしてもらってないのにと不満に思ったり、絶対引っ越しをしないと突っぱねたりすると、関係者に病気やケガが降りかかるのか。
しかしそれが神様が起こしたことだと普通は思わない。思わないままに災難に会うのでは、たまったものではないだろう。
「神社仏閣に猫が入り込んで悪さをしたとして、猫にバチは当たらない。何故なら神様に対して不敬だとか猫は気にしないからだ。人間も同じで、気にしない人に障りはない」
そう太夫さんから聞いたことがあるから、私は気にしないことにしてるのだ、と、母は胸を張って言っていた。威張るほどのことではないが、気に病んで変なものにお金や労力を注ぎ込むよりは断然良いと、葵は思っている。
レベルが違うからとか、チャンネルが合ってないからだとか、いろいろ言い方があるようだが、全部本当かどうか分からない話である。
先ほどの軽トラックのドライバーの場合は明らかに危ないと周囲は警戒できるだろうし、実際に事故は起こり得るだろう。運転免許証を返納すれば怖いことはなくなるという対処法もある。なかなか返納してくれないのが難点だが。
神様の場合は、うっかり機嫌を損ねてしまったとして、分からないままに災難が降り続いてしまうのか。しかし気にしない人には障りが無いのなら、何も起こらないということか。
そもそも、を言い出したらキリがない。不確かなことをいくら考えても、結局のところ分からないのだ。
神様とのコミュニケーションの取り方を、誰か知っている人が居たら聞いてみたいと思う葵だった。
読んでくださってありがとうございます。
書きたい思いはたくさんあるのですが、遅筆のため、次の投稿までお時間をいただくと思います。
気長にお付き合いくださいね。
よろしくお願いします。