微笑みの意味
習作です。
暇つぶしにどうぞ。
――去年の教室に行ってみよう。
僕がそう思ったのは、高3の夏休み初日の夕方だった。
忘れ物をしたので探しに来たのだが、結局見つからず諦めて立ち上がったときだ。
何か理由がある訳でもなく、言いようの無い感傷に突き動かされた結果だ。強いて理由を挙げるならば、忘れたものが去年から使っていたお気に入りで貰い物のボールペンだったのが理由といえるだろう。
場所は、別棟の2階。
回り道どころか、逃げ場の無い袋小路に行くようなものだ。
学生すら居ない、物音一つ聞こえない。
何でこんな事しているのか、場違い感が半端ない。
帰ろうか考えながら、結局教室の前に立ってしまった。
引き戸を開けると、後方の席に誰かが座っているのが見えた。
「すみません、」
「あれ? 麻木君?」
まさか、人が居るとは思っていなかったので、曖昧に謝罪を口にしながら引き戸を閉めようとすると、意外な人物の声が俺の動きを止めた。
「東條さん? 何でここに?」
「それはこっちの台詞だよ、麻木君こそ何で?」
去年、この教室で同じ授業を受けた東條麻衣子が座っていたのだ。
まさかのご同輩が居るとは思っていなかった、変な気まずさを感じつつ、去年は毎日通っていた教室に足を踏み入れる。
東條麻衣子は、去年と同じ席に座っていた。
僕も、それに習って窓際の席に座る。
夏の茹だる暑さに、去年と同じく窓を大きく開けた。
「ありがと」
東條麻衣子が穏やかな声で礼を言った。
「流石に、ちょっと暑かったんだ」
「どう致しまして」
礼に応じながら、横目で彼女を見る。後方廊下側の席に座る彼女は、同級生であったにも関わらず、色々別世界の人物であった。
成績は中の上だが、綺麗寄りの美貌に加え、人当たりがよく明るい性格は男女問わず多くの人を惹きつけた。
去年と今年、僕も彼女も図書委員となったため、事務的とは言え比較的会話を交わした仲だが、陰キャな僕とは当然だけどそれ以上の接点が生まれる筈もなく、3年に進級して教室が別になった今、縁が生まれる事もなく卒業を迎える筈だった。
「それで、」
口火を切ったのは、彼女からだった。
「麻木君は、如何してここに?」
気恥ずかしさから見栄を張って一瞬、誤魔化そうかとも思ったが、隠す意味も無いことに思い至り、正直に口を開いた。
「偶然だよ。今年で卒業だろ? 思い返してみたら、高校の記憶ってあんまり無いなと思ってさ」
「そっか」
「東條さんは?」
「私もおんなじだよ。受験が本格化する前に、高校の思い出を思い返してみたくて」
横目でこっそりと彼女を眺める。
最初に見たときと変わらず、背筋を伸ばして黒板の方を真っ直ぐに見つめる彼女に目が奪われた。
他の大多数の男子と同様に、遠巻きに憧れた去年の毎日が記憶に蘇る。
「東條さんは、いい思い出たくさんあるだろーな。みんなから好かれてたし、知っているだけでも、これぞリア充って感じだったじゃん」
愚痴めいた独白に、抑えた笑いが起きた。
「私だって、そこまでいい思い出ばかりじゃないよ。
――麻木君は? 何かいい思い出ある?」
問われて、去年を思い起こす。
良くも悪くも、起伏の無い1年間だった。数年後には、記憶にかけらも残ってない程には、ありふれたつまらない日々の連続だった。
「…つまんない毎日だったよ。
修学旅行だって記憶に残って無いぐらい」
「そう? 麻木君は、見た目結構悪く無いじゃん。
…彼女とかさ。居なかったの?」
思わず、は、と自嘲気味の嗤いが漏れた。
自分自身の見た目には、とうの昔に見切りをつけている。
女性の言う「悪くない」は、露骨なダメ出しのフレーズである事くらい、知っている。
「恋愛は諦めているよ。あーいうのは、遠目に憧れてる位置っていうのが分相応だと思ってる」
「恋愛に分相応も何も無いでしょ?
横を見るだけだったら、当然そうなるよね。
――恋したかったら、行動しなきゃ」
そういえば、東條さんにも浮いた話を聞いたことが無かった。いつも、クラスカーストの上位メンバーと、楽しげに会話している記憶しかない。
「東條さんは? 誰かと付き合ってるの?」
「いいね、その台詞」
「ヘ?」
思い切って聞いたクラスアイドルの恋愛事情は、とんちんかんな返答になって返ってきた。
「青春っぽい」
続いて返ってきた返答に、気の利いた台詞は出ず、苦笑の形に唇が歪んだだけだった。
「彼氏はいないよ。みんなに囲まれているからって、恋愛まで理想通りって、スクールカーストに夢見過ぎだよ。
女子はね、全員に親近感を持たれる為には、常に微妙なポジションをキープしなきゃなんないの。シンプルな男子のカーストよりドロドロしてるんだから」
「へ、へぇ。意外だな。東條さんは自然体で“そう”だと思っていた」
聞きたくもない女子サイドのカースト事情を聞かされ、僕の口調が僅かに震える。
大丈夫かな? 明日から女子にハブられるなんて考えたくないんだけど。
だけど、結構貴重な情報を聞かされた気もする。
特に、東條さんの“彼氏いない”宣言は、超貴重な情報の気がする。
この情報が他の男子に漏れた場合、思い出作りの為に、サカった男子の猛アタックが彼女に殺到するのは想像に難くない。
――よし、聞かなかった事にしよう。
扱いきれない情報は、持っていないのと同じ事。
活用する度量もない。速やかに捨てるに限る。
「麻木君はさ、恋愛は告白したい派? されたい派?」
こっちの逃げ腰に気付いてない訳無かろうが、彼女は遠慮無く火種を放り込んできた。
――確信犯かよ!
不満を口にしたいが、そうすると何か負けた気がする。
『何? 僕と付き合いたいの?』
なんて定番文句を挟める程、僕に自信がないのは彼女も承知の上だろう。
かと言って、調子良くはぐらかすのはタイミング的にももう無理だ。
「告白したい派かな。
陰キャだから経験ないけどさ、漫画とかだと大抵そうじゃん。正直言ってああいうのは憧れるよ」
悩む暇も隠す意味もなかったため、本音がダダ漏れになる。
なるほどねぇ、などと訳知り顔で頷く東條さんが少しムカつく。
なんだか負けた気がするのは、決して幻覚なんかではないだろう。
「東條さんは?」
「私は、告白されたい派だよ。麻木君とは相性ピッタリだね。
私も、そういう漫画に憧れを持っているから」
「東條さんなら大丈夫だろ。告白には困っていないように思うけど」
「残念でした。さっきも言ったでしょ。カースト上位に居続けるためには、微妙なポジションをキープし続けなきゃなんないんだって」
「ふうん?」
言っている事がいまいち要領不明なため、曖昧な返答しか出なかった。
「納得いかないって顔だね。
――じゃあ、コツを教えてあげる。女子のカースト上位には2通りあるの」
右手の人差し指が、ぴんと立つ。
「女王様になる。味方もできるけど、敵もできる。要は、派閥を作る訳。海外ドラマでよくあるでしょ? 海外ドラマのチアリーダーのグループ。勝てば親の総取りができるけど、負けたら全部失うやつ。意外と普通に存在するよ」
中指がぴんと立つ。
「二つ目が、中立でい続けること。女王様はね、敵対に敏感だけど、いつでも潰せる便利な第三者には結構寛大なの。
可愛すぎない、注目されすぎない、当たり障りのない会話で場を濁して、成績を中の上程度に留めておく。私がやっているのは、二つ目のほう」
正直、どん引いた。僕がそれをやるとしたら、毎日がストレスの嵐だろう。
…と言うか、男の僕が聞いていい情報だったんだろうか。
「私が告白されない理由はそれ。女王様は、クラスと部活のいいとこをアタックかけられる。告白でもされたら、女王様はたちまちに敵に回る。その面倒と比べられたら、目立たないというくらい何でもない」
「…悪いんだけどさ、それ、僕が聞いていい話?」
「別にいいよ。麻木君は言いふらしたりしないだろうし、知っている人は知っているし。」
それに、と続ける。
「今年で卒業なんだから、知られたところで問題も無いよ」
そんなものかな。と首を傾げつつも納得する。所詮、僕には関係ない話だし。
下手にヤブヘビ突つく真似は好みじゃないし。
「麻木君は進学志望だっけ」
話題を変えてくれた。正直ほっとした。
全力で、変えてくれた話題に乗っかる。
「うん。親は一浪まではいいって言ってくれるけど」
「私もそう。第一志望は法基大」
「すご、理想高いね」
「麻木君なら、充分圏内だと思うけど?」
「僕は、安全パイ狙い。進学に高望みは禁物だと思ってるから」
「ってことは、三洋?」
「当たり。何で解ったの?」
「麻木君はさ、県外に行きたくないタイプに見えるから。県内で法基大の下は三洋でしょ」
図星を指され、頬が熱を持つ。何となく逃げ腰になっている自分自身を嗤われている気がした。
――いや、きっと気なんかじゃない、明確に嘲笑われている。
「法基大も受けなよ。麻木君の性格から考えたらB+は貰ってるんじゃない?」
正解。どうしても自信が持てなかったから、先日第一志望を下げたのだ。
「麻木君なら、推薦もできるでしょ?」
「出来ると思うけど、流石に高望みが過ぎるよ」
美人に褒められて、悪い気はしない。
心が揺らぐが、目標を上向きに変えるとなるとかなりの勇気が要る。
「チャレンジは悪いことじゃないよ。それに、三洋と法基じゃネームブランドが全然違う。今後を考えたら、迷う必要ないと思うけど?」
「…そう、だね。考えておくよ」
僕は、そう返すので精いっぱいだった。
かなり気持ちが揺らいだのは事実だが、ここで考えを翻すのは、浮薄な男とみられるかもしれないというちゃちなプライドが、行動に移すのをためらわせたのだ。
気付けば、ずいぶんと日が落ち始めている。
永い間、話し込んでいたようだ。
「帰ろっか」
「そうね」
僕は、彼女に先んじて立ち上がった。
「ねえ」彼女の前を通り過ぎようとした時、彼女に不意に声を掛けられた。
彼女の方に向き直ると、何処までも透明な微笑みが、僕の瞳を射抜く。
「ちゃんと考えてね」
「うん。東條さんに勧められて、ちょっと自信がついたよ。ありがとう」
「そう? なら、嬉しいな」
微笑みが親しみやすい笑顔に変わり、彼女も横に置いてあった鞄を取って立ち上がる。
示し合わせるでもなく、肩を並べて僕達は廊下に出た。
異性と肩を並べるなんて、初めての経験に僕は少し浮足立つ。
隣にいるのがクラスアイドルなんて言うのが、特にだれかれ構わず自慢したい事実だ。
だからこそ、少し口も軽くなっていたのだろう。
「そう云えばさ」僕の問いかけに、東條さんが軽く首を傾げた。
「さっきの話だけど、女王様が総取りっていってたろ? だけど、肝心の男子の意思はどうなんだよ」
「何が?」
「告白だよ。男から告白されたら、他の女子と付き合ってしまうだろ? お手つきだったら、女王様だって狙ってる男子に手が出せないんじゃない?」
当然の話だが、男にだって選ぶ権利くらいあると思う。
僕みたいなモテない男には縁のない話だが、女王様が選ぶくらいのハイスペック野郎だったら、周りにいる女子は選り取り見取りなんじゃなかろうか?
まあ、2番手、3番手を選んで付き合うくらいはあるだろうが、女王様なんてポジションをキープする女子が格落ちで我慢出来る何て思えない。
純粋な疑問に、東條さんはころころとのどを鳴らして笑った。
「麻木君は、かわいいわね。男子に恋愛の自由があるなんて勘違い、まだしてるんだ」
邪気を感じない笑みと口調に、思わず背筋が震えた。
「事、恋愛に関しては、男が女に勝った試しなんてないんだよ?」
「断言したね」
「事実だし。結局のところ、男が女を選ぶんじゃないの。女が男を選ぶんだよ」
「あんまり、信じられないな。東條さん、さっき告白はされたいって言ってたじゃんか。
――それって、男に選ばれたいってことなんじゃないの?」
「告白されたい派なのはホント。でもね、告白の場所、タイミング、シチュエーション。こういったものは、女が決めるものなんだよ」
彼女は、窺うようにこちらの方を睨め上げた。何処か蠱惑的な表情が僕の心を支配する。
――彼女になら自分の持っているもの全部捧げても、後悔はしないだろう。
普段なら考えもしないような、馬鹿な考えが脳裏をチラつく。
「狙った男子を手に入れるためには、女子はどんな手だって使うよ?
例えば、髪型を彼好みにして、化粧を重ねて、彼の気分に合わせて衣装を変えるなんて当たり前」
カーストトップのイケメンならそうだろう。繋ぎ留める為のそういう苦労も、理解できなくもない。
だけど、男も女もトップの一組しか存在しない訳ではない。
その下にだって存在しているし、カップルだって成立している。
見透かしたように、東條さんは頷きながら続きを口にした。
「私たちは、もうちょっと大変かな。トップの男子はいないもの。
けど、やりようはあるよ。理想の男子はね、作るものなんだよ」
「作る⁉」また、凄い台詞が来た。
「元からハイスペックな男子なんて、そんなにいないもの。無ければ作る。当然だよね。
相手に気があるなんて思わせない。当然会話だって事務的なものしかしない。
――だから、相手も注目されない。だけど、私の所有物って傷跡は確実に残す」
聞いてるだけで怖いが、興味のほうが勝る内容だ。
「サインって?」
「笑顔。滅多にない会話の中に、彼だけにしか見せない笑顔を残すの。
特別な笑顔は、彼の中に絶対に残る。私を忘れることは無くなる
印象が残れば、後は簡単だよ。会話で思考を誘導するの。成績の順位の調整をして、趣味と嗜好を彼好みに合わせる」
昏さが増す廊下を抜け、渡り廊下に出る頃に、東條さんの笑顔ははぐらかす様な曖昧なものへと変わっていった。
肩を並べたまま、それでも熱に魅せられたかのように会話は続く。
「相手の好みに自分を染め上げる。自分の好みに相手を染め上げる。
告白の場所も時間も女が決めるもの。男は、決められたシナリオを演じればいいの」
「そんなに都合よくいくかな?」
あまり認めたくなくて、そう反発した。
「いくよ?
――だって、世の中の漫画は、大抵、男から告白するよね。夢があると私も思う。
でも、裏を返せば、それってつまりホントに男から告白するっていうシチュエーションがそれだけ少ないってことなんじゃないかな」
言われて、あぁ、と納得のため息を溢した。
僕だってそうだ。今、目の前にいる東條さんに憧れて、告白すればはっきりするのに、いつまでもウジウジと悩んで結局行動を起こすことさえなかったのだ。
ぶっちゃけ、僕を含めて草食男子なるものは、存外以上に多いのだと実感した。
「確かにね。うん、認めるよ。
間違いなく、僕も草食男子ってやつだし。
自分から、女の子にアクションを起こすのは、苦手以前に別世界の行動に思えてくるから。」
自分の意見が認められたのに、東條さんは、ううん、と微妙な表情を見せた。
微妙に狙いが外れた、なんて言いそうな表情に、あれ? と僕は内心で首を傾げた。
意見が通るというのは、何であれ、純粋にうれしいものだ。東條さんだって笑顔を見せてくれるだろうという迎合の下心は、多少なりともあったものだから、当てが外れて残念さが先に立った。
「…一押し、間違えたかなぁ」
「何が?」
「ううん。何でもないよ」
はぐらかすような笑みに、追求の言葉を失ってしまう。
「それよりさ、何で今日は学校に来たの?」
「…忘れ物を探しに来ただけ。見つかんなかったから残念だけど」
「大切なもの?」
その問いかけには返す答えを探して、結局口の中で意味不明にもごつくだけで終わった。
忘れ物は、何の変哲もないボールペンだが、それを目の前の彼女に告げるのは躊躇われたからだ。
――流石に言えないではないか。1年前、無くしたボールペンの代わりに当の本人に貰ったものを、ラッキーアイテム代わりに持ち歩いてるなどと。
彼女は憶えてもいないだろうが、何の気もないそんな出来事でも、女性に物を貰った事なんてなかった僕にとっては充分に特別なことだった。
東條さんは、僕のそんな仕草に何か感じたのか、にやにやと笑いながらそっかそっかと何度も頷いた。
「大切なもの、なんだね。じゃあ、必ず見つけなきゃ」
「そのつもり。明日もまた、探しに来るよ。」
おそらくではあるが、無くしたのは学校内で間違いはないのだ。
ペンケースは自宅の外でしか開けないし、今日の夏季ゼミのいの一番で紛失に気が付いたのだから、消去法で学校内にあることは確信している。
昨日は、様々な用事で校内を歩き回っては話し合いを繰り返したので、そのどこかで落としたのだろう。
さて、教室はなかったと思うが、図書室を含め、候補はいくつか。
明日は、教師を捕まえて協力してもらうか。
つらつらとそんなことを考えながら、歩を進めていく。
靴箱の前に到着した時、心沸き立つも緊張した時間の終わりに、自然に、ほぅ、と安堵の息が出た。
背中合わせに彼女と僕は、自分の靴箱から靴を取り出す。
東條さん、僕の真後ろに靴箱があったんだ。
初めて気が付いたその事実に、少し驚く。もうすぐ切れてしまう縁だ。事実がそうだからと言って、だからどうという訳でもないが。
「ねぇ」
靴を履いて立ち上がったところで、東條さんが背中越しに声をかけてきた。
「手を出して」
振り向く前にそう言われたからか、殆ど何も考えることなく差し出した右手に、何かが手渡された。
細長いつるりとした硬質の感触。幾度となく握った慣れた感触に、手の中のものを確かめた。
無くしたと思ったボールペン。
「どうして」
驚きに声が続かない。
顔を上げると、東條さんのしてやったりのにやにや顔がそこにあった。
「昨日の図書委員の会議で、麻木君が忘れていったよ」
「…ありがとう」
そう口にするのがやっとだった。
もう無くさないように、鞄を開けてペンケースの中にしまい込む。
「大切なもの、やっぱりそのボールペンだったんだね。
昨日、渡そうと思ってたんだけど、麻木君すぐに帰ってしまうんだもん。
――慌てぶりからしたら、相当大切みたいだけど、お守り?」
1年前、あなたに貰ったものです。なんて口が裂けても言えない。
「うん。ラッキーアイテムみたいなもんかな」
「奇遇だね。私も持ってるよ、ラッキーアイテム。同じくボールペン」
へぇ。意外に思う。東條さんがラッキーアイテムに頼るとは思えなかったからだ。
今日会話しただけでも、彼女は理尽くめで事を進めるタイプに見えたのだ。
この手のお守りを持つような趣味は想像しづらかった。
「意外だね。東條さん、そういうのに興味なさそうだったのに」
「神頼みはね。こっちはそういうんじゃないから。」
「幸運に神頼み以外にあったっけ?」
「確実に効果があるから。神様なんか必要ないよ」
――それは最早、ラッキーアイテムとは云わないような?
疑問が脳裏をよぎる。しかし、形となって口を衝く前に校門の前に出た。
東條さんの帰路は右側。僕は左側。
ここでお別れの時間になってようやく、何かしなければ、何か言わなければの妙な焦りが僕の心と身体を急き立てた。
だけども、何を話そうというのか。
言葉が口の中で空回りして、僅かな執着と変わる。
沈黙だけが、僕たちを縛り付ける。
「じゃ、これで」
結局、何も云えないまま、僕は踵を返した。
二、三歩踏み出すか、踏み出さないうちに、彼女の声が僕の足を再度止めた。
「裕君」
「何?」
呼び止められた嬉しさに、若干上ずった声で応えを返した。
振り返った僕の目に、もう暗くなり、街灯に照らされて尚、艶やかな東條さんの笑顔が焼き付く。
その手には、何処かよく見知った古ぼけたボールペン。
トントンと、ヘッド部分で下唇をノックしながら、悪戯っぽく笑う。
「私のラッキーアイテム」
さっき云ってたボールペンの事か。
あれ? 何だろ。すごい違和感がする。
違和感の正体に思い至る前に、今度こそ彼女は帰り道に消えていく。
「じゃ、また明日」
それが、掛けられた最後の言葉だった。
季節は過ぎていく。
夏が終わり、秋が過ぎ、冬に至る。
受験が本格化して、宜しくない頭をひぃひぃ云わせて酷使する。
人間関係が少ないなりに、劇的に変化して右往左往する。
――そして、戸惑いつつも人間関係にもう一つ変化があった。
夏のあの日以降、東條さんと話す機会が増えたのだ。
偶然、夏季ゼミの講習が同じで、図書委員で好きな本の話題で盛り上がり、プライベートでも会話を交わすようになった。
いつの間にか言いくるめられるように第一志望が変わったが、何とか法基大に合格した。
以前と全く違う勉強にあほみたいに追われ、去年できなかった趣味や部活に手を出してみる。
以前の関係がほとんど入れ替わり、新しい人間関係の構築に、また、右往左往する。
それでも、変わらないものはある。
「隣、いいかな?」
少しあか抜けたラフな装いの彼女が、僕の右隣に陣取る。
見た目こそ大人っぽく背伸びした感じに変化したけど、彼女はいつも変わらず僕の隣にいる。
――あの日見た、艶やかに咲く大輪の笑顔を浮かべて。
了
読んでいただき、有難う御座いました。
試行錯誤、少しづつ書いて行きたいです。