許嫁に恋慕するのは御法度かしらⅡ
今日は、大晦日。
消防団の方が、景気よく拍子木を叩いて火の用心を呼び掛けていますね。
年明けまで少しお暇でしょうから、このあいだのお話の続きでもしましょうか。
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あれは、結婚した翌年の冬でした。
欧米列強の異文化に関心が高かったわたしは、二十五日に鶏肉と洋菓子を買い、夫婦でささやかなクリスマス気分を味わいました。
鶏肉は七面鳥の代わりで、洋菓子はガトウと呼ばれる一個五銭程度の小さな焼き菓子です。
本当は葡萄酒も用意したかったんですけど、妊婦がアルコールを摂取してはいけないと彼に止められたので、平野水と言われていた炭酸水で乾杯しました。
お酒屋さんの口を通して、隠居を始めた義理の両親へ変な噂が流れても困るという事情もありました。
師が走ると言われるだけあって、歳末は何かと忙しいもの。
クリスマスを終え、いよいよ年の瀬が迫ってくると、おせち作りやら大掃除やらで大わらわになりました。
このあたりの段取りの悪さは、女学生だった時分と変わりません。進歩が無くて、お恥ずかしい限りですわ。
ご近所の書生さんに頼んで箪笥や畳を運び出してもらったり、お米屋さんから頼んでいた搗き立てのお餅が届いたりと、玄関でもお勝手でも何かと人の出入りが多かったように思います。
今では信じられないでしょうけど、戸口にはチャイムやブザーの類がありませんから、引き戸を開けるか叩くかして、部屋の奥へ「ごめんください」とひと声を掛けるのが礼儀でした。
誰かに呼ばれれば、その都度、席を立って「お世話になりました、よろしくどうぞ」とご挨拶をしなければなりませんから、なかなか休まる暇もありません。
そんな調子でしたから、年賀ハガキの山は、書いても書いても一向に減りませんでした。
二十日頃から三十日までに出せば元日消印で配達されるという点は、今とそれほど変わっていませんが、ハガキが一銭五厘で、ずんぐりとした円筒形の丸ポストに投函するところは違うかしら。
今のように、誰しも手軽に機械で印刷できる時代でもありませんから、ひたすら修行僧のように墨を磨り、筆を走らせていくしか方法がありませんでした。
ですが、さきほど申し上げたように途中で邪魔が入りますから、二十九日のお夕食が終わった後になっても、まだ三分の一近く残っていました。
「なぜ、クリスマス前に済ませてしまわなかったのか?」とでも言いたそうなお顔ですね。
ごもっともなのですが、ちょっと言い訳をさせてください。
日頃より主人ともども懇意にさせていただいている同じ筝曲家のご夫妻から、卒業してから疎遠になりがちなクラスメイト、更には法要の席でしか顔を合わせる事のないようなお互いの親類縁者まで、結婚すると年始のご挨拶状を送らなければならない相手が急増するものなのです。
「つまり、枚数の見込みが甘かったということか」という表情ですね。ご名答です。
そうこうしているうちに二十九日も深夜となり、ようやく最後の一枚を書き終えたところで、またしても、わたしは睡魔に襲われました。
翌朝、座卓の上を見ると、昨夜まで格闘していたハガキの山がどこにもなく、肩には羽織った覚えのない殿方用の半纏が掛けられていました。
と言えば、このあいだの件から察しが付くでしょうね。
案の定、居間のハガキの山は、彼が朝一番に風呂敷に包み、ポストへ投函していたのでした。
ちなみに彼は、前の週の習い納めの日に出し終えていたそうです。わたしと大違いでしょう?
しかも、自分も挨拶回りで忙しかったにも関わらず、彼から「気が回らなくて済まない」と言われてしまいまして、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、心配そうにこちらを見つめる彼の顔を直視できませんでした。
このとき、来年からはクリスマス前に終わらせておこうと決意したのは、言うまでもないでしょう。
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あら。百八回目の鐘が鳴ったようですね。
本年もよろしくお願い申し上げます。




