序幕
死してなお死せず、生きとし生ける屍よ
その身を震わす鼓動に戸惑うことなかれ
その死を誤魔化す律動に苛まれることなかれ
心の臓は止まれども、汝が魂の脈動は未だ止まぬことを知れ
「生ける死者に捧ぐ序文」より抜粋
気づけばそこに立っていた。曇天模様の空の下、無数の石碑が並ぶその場所に。
ここはおそらく墓地だろう。薄汚れ、一部が欠落ち、中には倒れている物もあったが、そんな石碑たちが所狭しと並んでいる場所など墓地以外に何があろうか。
訳が分からずただ呆然とその場に立ち尽くしていると、ふと蝿が寄って来るのが分かった。その耳障りな羽音が眼前で奏でられるのに耐えきれず追い払おうと手を上げた時、異変に気付いた。己の腕が腐っているのである。皮膚の一部が黒ずんでいて中には皮膚がはがれていると思しき個所もある。そういった場所からは紫がかった肉が垣間見えた。
瞬間、なぜ蝿がたかってきたかを理解した。そして、えも知れぬ恐怖が奥底からこみ上げてきた。自分が何者なのか、何故このような場所にいるのか。何もかもが解らない。そして何も解らないということが、怖い。
思考が明瞭になればなるほど収拾がつかなくなっていく。
頭上を覆う曇天を見上げてみれば数匹の烏が鳴きながら飛んでいた。しばらく見つめているとこちらに気づいたようで、一直線に向かってくる。その迫真さは、自分という存在も烏にとっては屍肉に等しいのだと気づかせるに余りあるものだった。そこで何もかもが怖くなって、溜め込まれたあらゆる感情が弾けてしまった。もうどうしようもなくなって一目散に走り出す。烏に追いつかれれば喰われてしまう、そういった恐怖に襲われただただ広い墓地を駆け抜ける。ひとしきり走ったら烏も諦めたのか別の獲物を求めて去っていった。
腐った体には荷が重かったようであちこちが軋みぐずぐずになってるような感触がする。辺りを見回しても先ほどとは少し風景が違うもののほとんど同じ墓地が広がっているだけだった。
地べたに座り体を少し労ろうとした時、ぼんやりとした灯が目に入った。それは遠くでゆらゆらと揺らめきながらこちらに近づいてくる。だんだん近づいてくるにつれその灯は宙に浮いてるものではなく、何者かが手にしているものだと分かった。 その何者かは目の前までやってきて立ち止まった。まじまじと見るとそれはしわくちゃの老婆であった。くすんだ紫色のローブを纏い、その背丈の倍はあろうかという長い杖を持っていた。その杖の先がぼうっと光っていた。最初に目にした灯はこれだったのだろう。老婆はこちらを一瞥すると暗い笑みを浮かべこう言った。。
「この死者の狭間に堕ちてなおかくのごとく生きようとする者はそうはおるまいて。死神も悔し涙を浮かべておろうの。馳走を奪われた奴の顔ったら傑作だったわい」
かかか、と声を上げて笑う老婆は不気味さに拍車がかかり人ならざる者にしか思えなかった。呆然としていると老婆の顔は先ほどとは打って変わって真剣な表情に変わっていた。
「……本題に入るが、其方は今より生まれ変わる。それがここの掟じゃ。久方ぶりの生ける死者の誕生じゃの。次にまた間抜けな死に方をしたら死神のやつは血相を変えてお前に喰らいに来るじゃろう。せいぜい気をつけい」
そう言って老婆は闇に消えた。
突然の話にに呆気を取られて、その消えゆく後姿を見送ることしかできなかった。話が理解できない。死者の狭間?死神?それに生まれ変わるって……
──────瞬間閃光に包まれた。白くまばゆい光が視界を覆い、輝かしい白の世界に放り込まれる。目を閉じてもなお瞼の裏から視界を白く染め上げられてしまうので、もう目を閉じてるのか開いてるのかも定かではない。
白に包まれてからどれだけの時間が過ぎただろうか。もう考えるのも嫌になった頃、ようやく白が薄れてきたのが分かった。徐々に、いや、みるみるうちに靄が晴れるかのように白は薄れてゆく。そうしてようやく周りの景色が見えるようになってきた。まだぼやけた状態でまず目に入ってきたのは灰色。だんだんと鮮明になっていくにつれ灰色が濃くなってゆく。そうして周りの風景が見えるようになったころ、そこにあったのは先ほどとは違う灰色の墓地だった。
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