表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

パンダ命名戦線【下ネタ有】

作者: 愛人たいん

 今より遥か未来の日本──。

 そこでは厳しい顔をしたお偉いさんたちが頭を抱えている。


「さて、ではパンダの名前に関する会議を始めます」


 司会役とおぼしき男がそう言った。そう。これはパンダの名前を決める会議。この会議に日本──否、世界がかかっていると言っても何ら問題はない。

 今に至るまで、伝統的にパンダの名前は『○△○△』というように、同じ音の並びであった。二十一世紀に入ってからは、『○ン○ン』の形が親しみやすいと、多くつけられるようになった。


 そして今──パンダの名前にネタギレが生じてしまった。


 というのも、世界で唯一、安定的なパンダの繁殖に成功した日本は、『○ン○ン』系統で名付けていったのだが、ついに使える文字がなくなってしまったのだ。


 察しているだろうが、『○ン○ン』の○に入れてはいけない文字が複数存在する。

 ネタギレということは、それらの禁止文字以外の文字を、全て使ってしまった、ということである。


「私が案を言います。賛成の者は挙手を。なお、意見がある者がいたら、発言して良いものとします。また、全三案の意見交換終了後、再度決を採り、それを正式な名称として認定します」


 司会役は手を震わせながら紙を読む。責任は重大である。彼にかかる精神的プレッシャーは底知れない。


「①『アンアン』」


 司会役の号令に会わせて、いくつかの腕がまばらに挙げられる。『アンアン』はソフティな下ネタだから、当然支持を集める。しかし、そんな『アンアン』も完璧ではなかった。それがまばらにしている要因である。


「意見、失礼します」


 誰もが口にしようとしないその欠点。その欠点を擁護する意見をしようとしている男がいた。


「皆が思っている『アンアン』の欠点────それは『女性を彷彿とさせる』ということでしょう。新しくこの世に生を受けたパンダはオスです。だからこその欠点です」


 手を挙げ、賛成を表明していた者たちも、自信なさげになってしまった。けれども、この意見を呈している彼も、自軍の士気を下げるようなことはしない。


「そこで、考えてみてはどうでしょう。これからは、『女』や『男』、はたまた『トランスジェンダー』などの無数に存在する性の形を受け入れていくべきです。『アンアン』は女性の喘ぎ声だ? そういう固定概念こそが、現代日本の成長を止めていると、なぜ気づけないのですか。男性が『アンアン』喘ごうと、女性らしいことをしようと──それは個人の自由によって保護されるべきです! ましてや、パンダの名前です。全国民──いや、全人類が注目しているなかで、『男女間の壁をなくす』。それが今、日本に求められている姿勢ではないのでしょ──」


「──静粛に。ここはパンダの名前を決める意見を聞く場であって、君のエゴを聞く場では決してない」


 司会役が強い口調で遮ったことで、顔を赤くして熱弁していた男は煮えきらない表情だ。だが、司会役はここまで喋らせてくれた。間違いなく、熱弁男は会場のボルテージを上げた。

 彼の必死の熱弁に、心を動かされた者はいるのか。

 

 特に仕切り直すこともなく、司会役はいたってスムーズに進行を続けた。


「続いて、②『チンチン』」


 ス────


 誰かが手を挙げた。この『チンチン』は一番直接的だから、賛成者などまずいないと思われたこの案。

 その常識に正面から立ち向かおうとする勇者とは、一体誰であろうか。

 人の波に立つ一本の反旗に注目が集まる。


「──意見を言わせていただきます」


 その男は、スムーズに立ち上がった。


「『チンチン』。実に稚拙な下ネタだとは思いませんか」


 ざわめきが同心円状に広がる。しかして男は怯まない。


「これらの『下ネタ』。その中で、一番ポピュラーなのは『チンチン』であることは、もはや言うまでもありません」


 男は自信に満ち溢れた表情である。


「この命名、どう転んでも下ネタになってしまいます。どう転んでも下ネタなら、よりダメージを抑えることが得策です」


 実に落ち着いた、先程の男とは正反対とも言える話し口調である。


「そこで、この『チンチン』です。『チンチン』なら幼稚園児だろうと知っています。今さら公に晒されることを恐れるような言葉ではありません」


 室内には「確かに……」といった声がちらほら聞こえる。


「しかしそれでは……開き直りでしかないのではないか? そんな理由で選ばれた名前を、国民たちは心の底から親しめるのか。もっともらしい理由づけが必要だ」


 外野がそう言った。立っている男は、その質問を待っていたかのように喋りだす。


「ええ。もちろん、表向きの理由は考えています。『チンチン』にするなら、漢字表記では『朕朕』になります。パンダはオスですから、ナポレオンのように勇ましく育ってほしいという願いを──」


 バンッ! 机を叩く音が、皆の耳をつんざく。それと共に立ち上がったのは、『アンアン』を推していた男。


「──『オスですから』……? 貴方、先程の私の話を聞いていたのですかッ! だから、そういう固定概念が──」


「『固定概念』? ならば私にいい考えがありますよ。そもそも、『○ン○ン』という形式の名前にしなければいけない、という考えこそが固定概念です。あなたは自分の意見を通したいがために、LGBTQを利用したのですよ」


「……ッ!」


 今までの勢いが嘘だったかのように黙りこむ『アンアン』男。そのまま力なく席に着いたのだった。

 それを見て、勝者はわずかに笑みを浮かべたように見えた。


「邪魔者が入りましたが……、ナポレオン、否、歴代の猛者たちの一人称である『朕』は、何一つ違和感なく理由たりえるのではないでしょうか。以上です」


 淡い拍手に包まれる。どこか誇らしげに席に着いた男。しっかりと力が入っている。


「最後に、③『ビンビン』」


 シン……。ここにきて、レスポンスが何ひとつない。『チンチン』でさえ支持者がいたというのに、『ビンビン』の支持者がいない。

 どうもおかしな話である。


「まったくよ、こりゃあダメだ」


「……?」


 一同が衝撃を受ける。この厳粛なる会議で響いた気が抜けるような声。これまでも激情を感じさせる者や、相手を煽るような姿勢の者はいた。けれども、そんな彼らであっても、常に敬語を用い、少なからず『会議の場』ということを意識していたはずだ。

 そういった配慮やこだわりを嘲笑うかのように、男は声を上げた。どす黒い不満を孕ませて。


「『ビンビン』に賛成する意見をどうぞ」


「『ビンビン』? 別に俺はそれを支持してるんじゃあない」


 早口で話し出す男。司会役も想定していなかったのだろう、対応しきれていないように見えた。


『ビンビン』を支持していないのならば、この場で発言をした意味とは。


「ここにいるお偉いさんたちは、いつまでこんな不毛な議論をするつもりなんだ?」


 強い威圧感。誰か一人に言ってるわけじゃあない。しかし全員が直に言われているような錯覚を覚えた。


「考えてもみろ、パンダの出産はこれからも幾度となく起こることだ。その度その度に、こんな会議を開くつもりか?」


 ピリピリとした空気が肺胞まで刺激する。


「それともアンタらは給料目当てか? 確かに会議が長引けば長引くほど、給料は高くなるだろうさ。そのための『嵩まし』────なんじゃあないか?」


 皆の額に、うっすらと脂汗が滲む。よもや司会役さえも止めようがないらしい。彼とて、この会議が長いほうが儲かるのだから。


「パンダの誕生。それは本来、国民──アンタら含めて全ての国民に祝福されて然るべきだろ? なのになんだ、この有り様は。眉間に皺寄せた年増のジジイたちがパンダの名前を考えることになんの意味があるんだよ」


「────さっきからいろいろ言ってくれますがね、あなただってその『金をもらっている年増のジジイ』だってことを理解しているのでしょうか?」


 勇気のあるだれかが、そう吠えた。


「ンなこと百も承知だ。だからこそ、俺は今日でこの立場を離れることを決めている」


 男は懐から封筒を取り出す。そこには間違いなく、『退職届』の三文字が刻まれていた。

 何十個もの眼球たちが、その封筒に吸いつけられ、やがてその双眸は地を舐める。


 男は八方塞がりで、窮地だったはずが、しかして彼は一騎当千だったわけである。まさしく窮鼠猫を噛む、か。否、そもそも彼は、窮鼠にすらなっていないかもしれない。


「ならば、代案は何なのでしょう。反論をおっしゃるなら、代案があってこそ、ですよね」


 巨大なひとつの塊と化した者たちが、ゆっくりと男を追い詰めようとする。


「もちろんだ」


 男は半笑いでそう言った。抜け目はないようだ。


「では、その代案とやらを、発表していただきましょうか」


 司会役がリブートし、続きを迫る。


「『マンマン』────」


 男はこれまでとはうって変わって、ゆっくりと代案を口にした。

 核ミサイルが着弾したかのように、衝撃が広がる。いや、広がるという表現では足りない。『滲みわたる』だろうか。

 違和感や遺憾はあるものの、その代案はストンと脳裏に滲み込んだ。


 けれど、『マンマン』というのは、それ以上に拒絶しなければならないものだと、前頭葉が判断した者もいた。


「『マンマン』!? ふざけるのもいい加減してくださいッ! それが、子供たちから愛されるパンダの名前ですか!?」


 男は億劫そうに息を吐いた。そして酸素を取り込み、言う。


「『マンマン』の何がいけない? というか、この会議に出ている案の全て、何がいけないのか理解できない」


「それはお前が童貞だからだろ!」「そうだそうだ!」


 心ない野次が飛ぶ。マンマン男以外の皆は、『団結(、、)』していた。

 巨大な反感を、男は右手で薙いだ。


「『マンマン』が懸念される理由も理解しているさ。他の案も然りだ。だが、それらは例外なく俺たちかその文字列に付与されている意味を理解しているからであって、もともとの知識がないんじゃ、害もない」


 幼稚園児が、膣のことを理解していると思うか、と続けて言った。


「アンタらは『子供たちのため』っつたよな。けれども子供たちは『マンマン』やその他の案の『負の一面』を知らない。負を感じるのは大人だけだ。詰まるところ、アンタらは子供のため子供のためと謳って、その実自分たち大人のことしか考えていないんじゃあないか?」


 息苦しい。喉が熱く、耳に針でも入れられているのではないかと思ってしまうほど、耳が痛い。


「しかし、その子供たちが『負の一面』を知ってしまったら、きっと失望します!」「そうだ! 私たちがそういう集団だと思われてしまう!」


「それは問題じゃないだろ?『負の一面』を知った時点で、ソイツは大人だ。つまり、アンタらの喜ばせたい相手じゃないというわけだ」


「それは子供の定義から怪しいのでは? 一般的に、大人というのは成人や、自立、もっと言うなら精通や初潮からなのでは?」


「お前の言ってるのは身体的な問題だ。俺は精神面の話をしている。話が脱線してきてしまっているな」


 男はこほんと喉を鳴らす。


「俺が『マンマン』を推すのは、その意味にもある」


 仕方なく、野次を飛ばしていた者たちも耳を傾ける。


「『マンマン』、漢字で書くなら満ちるの満で『満満』だな。空洞化する産業、空腹に飢える子供たち、そしてこんなことをするような空っぽの政治家たちの頭、それらを『満たす』。それがこの名前に込める想い──願いだ」


 静寂──沈黙が続く。しかして対話が止まったわけではないらしい。この場の全ての人間が、脳内で会議を開催している。ここに来ている人間たちは、少なくとも馬鹿ではない。物事を多角的かつ客観視することくらいはできる。

 はてさて、『マンマン』の認否は如何に。

 

 発案者の男も、静かにジャッジを待っている。


 司会役がゆっくりと頭を上げた。彼はこの中でも優秀であることは間違いない。いち早く自分のなかでの結論をまとめた彼は、司会役としての仕事を果たす。


「思案中申し訳ありませんが、時間は有限であります。この『マンマン』に対する意見、賛成する者は挙手を」


 急かすような発言。考えをカットし、次に進めようとする動き。これは司会役としては正しい判断である。がしかし、この場にはあつらえていなかったように思える。

 

「それは、『マンマン』を空中分解させるための手段、か?」


『マンマン』男が薄ら笑いと共に言い放った。

 応じて、司会役も言う。


「そういうわけではありませんが、時間が経てば経つほど、給料が増える、と言ったのは貴方です。確かに、国民の血税を浪費してしまってはならないので、私なりの手を打っただけです」


「なるほど、な。なかなかやるじゃあないか、お前」


『マンマン』男の過去の言葉を引用し、自身の武器にする。司会役がその片鱗を見せ始めた。


「というわけですので、決を採らせていただきます。では、意見、賛成する者は挙手を」


 ────。


 一本の腕以外、屹立することはなかった。言うまでもなく、その一本の腕は『マンマン』男の物である。

 孤高の男はしかし、悔しそうに見えなかった。むしろ不敵な笑みを浮かべ、見下していた。


「下ろしてください」


 落ち着いた動きで腕を下ろす男。


「では、反対する者は挙手を」


 司会役は予想外のことを言った。今まで、賛成の決は採ったが、反対意見を聞こうとはしてこなかった。

 自身に反旗を翻した『マンマン』男を、完膚なきまでに叩きのめす。

 しかもそれを違和感なく行う。もともと、『マンマン』は案にもなかったから、特別な議事として例外的な対応を取るのも頷けてしまう。

 この司会役、かなりのやり手である。


 そして、反対の結果は、火を見るより明らか。『マンマン』男以外の全員が挙手する。

 彼以外は『団結(、、)』したのだ。

『マンマン』男はその圧倒的な敗北を見て、またまた笑みを張り付ける。


「『団結』、か。一見すると良い言葉かもしれないが、つまりは考えが統一される、というだけの話。十人十色の意見が聞けなくなるのは、本当に虚しく、そして張り合いがなくて面白くないな」


 彼は言い残し、ゆっくりと立ち上がった。それから、まるで果たし状のように、退職届を取り出した。

 それを司会役に投げつけると、颯爽と会議室をあとにする。


 彼は敗北者だ。しかし、彼の振る舞いには一切の迷いはなかった。その一貫した姿勢は、この場では誉められたものではなかったけれど、童心に基づいて言うならば、憧れることはできた。

 童心と書いて、『憧れ』。

 そんな憧れを背負った敗北者は、もう二度と姿を現さないだろう。


 さて、この会議の終わりはどうなったのだろうか。『アンアン』? それとも『チンチン』? あるいは『ビンビン』? その結論は分からない。

 何しろ、この物語の主人公は会議室を去ったのだから。したがって、このあとに会議室で起こったことについて語るのは、野暮で、蛇足になるかもしれない。

 

 ただ一つ言うとしたら、それは、会議室に残された者たちは皆、むなしさを感じていたことだろう。

『むなしさ』の漢字は二つある。『空しさ』と『虚しさ』だ。それらを合わせて、『空虚』。


 残された彼らに空いた、膣のように埋められない穴を満たすための何かを探すためにも、彼らは議論を続けるのだった。


 日本国民、いや、全人類が満場一致で喜べるような名前をつけるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくそ笑いました。 真面目に下ネタする話ほんと好きです。 [気になる点] これでいいとも思うのですが、もっと大きなオチが欲しかったとも思ってしまいました。 [一言] 才能あると思うので…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ