青い目の子ども
気づけば、そこにいた。
ぼんやりした不安はあったが、ふわふわ生きて、遊んでいた。
なぜだか、声が出ることをたしかめるかのように、喉から音をだしていないといられない時期があった。
たくさん喋って、たくさん歌っていたら、その内なくなった。
人の心はよくみえた。
みんなもそうなのだろうと思っていた。
そうではないんだなとわかったのは、しばらく後だった。
自分の中に、なにかいた。
それはとてもやさしくて、まわりの人の心をみて、感じて願っていることをできる限り実行しようとした。
わたしはそれをやりたくないと、いつも喧嘩しながら過ごした。
しばらくたったころ。
楽しい、がわからなくなった。
理由はしらない。ただただ心が痛んで、いつも涙が出そうになった。
何が好きかも、よくわからなくなった。
仕方がないので、頭で考えて決めた。毎日続く小さな嘘が、少し苦しかった。
嬉しい、もわからなくなった。
それでも、日々いろんなものをもらいながら生きていた。心がついていかなくても、下手くそに笑った。
日ごとに、痛みがひどくなった。
きっと、このままどんどんひどくなっていって、何も感じられなくなってしまうんだろう、そう思った。
嘘がきらいだった。
心が、一番大切なものなのだと、そう思っていた。
このまま、心のない言葉を吐きながら、心のない笑顔をはりつけてまで、生きていくのか。
生きていけるのか。
心がだめになってしまう前に。
日にちを決めて、しばらく考えた。
結局、生きることにした。
家族や、友だちを悲しませて、消えない傷をつけるようなことはできないと思った。
それに、どうやら人生長いらしい。
長く生きてりゃ、いつかなんとかなるなんてことも、あるかもしれないとも思っておいた。
痛みは続いて、いなくなってしまいたい、なんてやっぱり思ってしまうこともあったが、この時決めたことは、その後もずっと守った。
よく、帰りたい、と言葉が口からぽろっと漏れた。
学校にいても、家にいてもあった。
家にいたときは、どこにだよ、と思った。
まったくもって、よくわからなかった。
よく、本や漫画を読んだ。
心はうまくうごかなくても、本の中の人の心をなぞることはできた。
なめるように味わいながら読んだ。
歌が好きだった。
もうよくわからなかったが、歌っているときは少ししあわせなような気がした。
もっとうまく歌えるようになりたいと思った。
だから、外に出た。
そこでよい出会いがあった。
自分にとても厳しい人たちがいた。
そういう人たちの心はとてもあたたかくてやさしい。
いつもできる限りのものをくれようとして、がんばっていた。
そこで、よい耳、よい声、よい立ち振る舞いをもらって、ほくほくした。
今も大事にもっている。
それでも、やっぱり痛みはひどくなっていった。
ついに、悲しいも、苦しいも、よくわからなくなった。
こんなぼろぼろの心でも、縋りながら生きていた。
でも、もう痛みすらわからなかった。
これからどう生きていけばいいのか、そんなことを考えた。
とりあえず、もううごかなくなった心を、外気にさらさず、大事に箱にしまって、守ってみることにした。
そうして、意外といつか、なんとかどうにかなるんじゃないか、なんて思っておくことにした。
どこかのだれかに、会えればたすけてもらえそうな気もしたが、とてもそこには辿りつけそうにないな、とも思った。
自分のことだ、自分で何とかするしかない。
そうしてしばらく生きてるうちに、あることに気がついた。
うごかない心と別に、じんわりあたたかい何かがあった。
自分で食べてもみたされないが、人に差し出せばひどく喜ばれ、笑ってもらえた。
どこかにだれか、同じようなものをもっている人がいて、それをひとかけら食べさせてもらえたら、元気になれそうな気もしたが。
それなりに珍しいものであるようで、持っている人は見あたらなかった。
いろんな人に会った。
静かにがんばる芯の強い人、視野が広くて賢くやさしい人、快活で心くばりの上手な人、繊細でいつも一生懸命な人、楽しく面白くて思いやりのある人、いろんなよい人がいた。
そうした人たちのやさしい心に、少しばかり触らせてもらって、鏡にうつすように笑って生きた。
たぶん本当に笑っているときもあった。
前よりも少し生きやすくなった。
箱の中で、少しずつ心がよくなっていった。
そんな中、心ない言葉を浴びせてくる人もいた。
ひどい否定の言葉ばかりで、だんだんひどくなっていったので、元々ぼろぼろなのにこれ以上はたまらないと思って逃げた。
新しいところに行くことにした。
新しいところは、前のところよりずっとよいように思えた。
新しくよい人とも会えて、そこそこ楽しく過ごした。
いつの間にか、心も、箱から取り出せるくらいによくなっていた。
前ほどの痛みはなくなって、その代わりよく、怒りをおぼえるようになっていた。
世の中、心をないがしろにする輩が多すぎる。
人の心を考えるやさしい人がいやな思いをして、人の心なんて考えもしないような奴らが、自分勝手な言葉を吐いて、足を踏み鳴らして歩いている。
そんな光景がよくみられた。
心がみえなくても、考えて、思いやることはできるだろ。
そんな風に思った。
心がもどった。
前よりもいろんなものが鮮やかになった。
相も変わらず痛みはあったが、少し強くなっていて、あまり涙もでなくなった。
好きなこと、楽しいことが増えた。
それでも、傷ついていない人たちは、やっぱりちょっと眩しかった。
そんな中、何かの陰謀じゃないか、と思うくらい、立て続けにいろいろ起こった。
久しぶりに、責任とか期待とかを重んじてやまないわたしの中のなにかがはりきった。
それはもう、盛大にはりきった。
全部何とかしてしまった。
何とかなってしまった。
失敗しない、つまりは助けがいらない。
いつの間にかそんな風になっていて、正直手が震えたが、それはしばらく続いた。
勘弁してくれ、と思うことも多くあったが、負けるのも癪だったので踏んばった。
おかげでかなりたくましくなった。でももう二度とごめんだ。
しばらくして、流石にもういいか、なんて思ってしまった。
後の人が困らないようにきれいにして、そこを出た。
とても疲れていて、百年くらい眠るようなつもりで毎日泥のように眠った。
昼夜が裏返った。
それはもう好きに過ごした。
よく歌って、よく歌を聴いた。
踏んばっていたころからよく聴いていた、自らをたきつけるような強い歌を、好んでよくかけていた。
次々勝手に歌が切りかわる。
便利になったな、なんて思っていた。
違う歌が混ざった。
いつもならすぐ戻すところ、その声が気になった。
音が心地よかった。言葉も胸にひっかかった。
さがしてみれば、随分たくさんの歌があった。
どれも驚くくらい、曲ごとに色が違う音をしていて、美しい言葉がいくつもあった。
じんわりあたたかいものが、その歌の中にもあるように思った。
それらの歌を聴きながら、ながくゆっくりした時間を楽しんだ。
しばらくして、もうそろそろ、と新しいところへ行く準備をはじめた。
その前に、やっておきたいことがあった。
この長く続く痛みの元であろう、墓をさがした。
それはあっさりと見つかった。
以前何度か試してみたことがあったはずだが、その時は見つからなかった。
不思議だった。
骨を見た。
もちろん覚えはない。
でもその死に様は、わたしがずっと抱えていた痛みと、のみ込んできた言葉と、確かに一致していた。
知ってどうなるというのか。
ぐらぐらした。
この人の家族は、いったいどんな思いをさせられたのか。
こんなに寂しく、一人で死んでいったのか。
そんなことを思いながら、疲れて眠った。
たぶん夢を見た。
覚えてはいない。
起きたらじんわりあたたかかった。
最後にだれかがいてくれたような、そんな気がした。
語るに落ちる。
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