田無雄哉の狂気
眼前ではカールがかった茶髪ロングに可愛らしくメイクをした女子が、計算された上目遣いでこちらを見ている。
やがて目を閉じ、少し顎を上げて口づけを促してくる。
俺は小さな身体をゆっくりと抱き寄せると、唇を重ね合わせた。隙間から、ゆっくりと舌をねじ込む。
彼女の口内で舌を絡ませ、弄ぶ。
目を閉じたまま恍惚とした表情を浮かべている。
空き教室に雨の音だけが響く。
ゆっくりと身体を離す。
彼女は余韻を楽しむようにゆっくりと目を開けた。
「西園寺さんともこんなことしてるの?」
この質問の真意は、自分がどれだけ正規の彼女に追いついたかを知りたいのだろう。
正直に答えてしまって構わないタイプの問いだ。
「いいや。まだ一回手を繋いだだけさ」
刹那、彼女の顔に優越の表情が浮かんだのを見逃さなかった。
「それ、本当?」
「ああ、本当さ」
俺は切り札の微笑みを浮かべながら答える。
「そう……彼女さんには悪いことしちゃったわね」
軽い口調で言う。
「そうでもないさ……悪い、この後用事があるんだ。先に行くよ」
俺は教室を後にする。
今、彼女は優越感に浸っているだろう。西園寺雪葉に女として勝ったと。
田無雄哉は、その端整な顔立ちからか異性にはよくモテた。
女子は容姿を褒め称え、すり寄ってきた。
しかし、それは全員ではない。中には見向きもしない者もいた。
自己を磨いた。トレーニングにファッション、トークスキル、果ては勉学に至るまで。
転換点は中学生の時。常に惚れさせる側だったが、初めて惚れた。
友人の親戚だという彼女は、5つ歳上の大学生だった。包容力のある性格、さりげなく漂わせる艶めかしさ、知性の滲む会話。いつも穏やかな微笑みを浮かべているが、たまに翳る。その全てが愛おしい。
ありとあらゆる手段を用いて初恋を成就させんと努力した。
デートを重ねた末に満を持して告白した。
が、彼女は笑ってこう言った。
「君の持つ技術は、手に届くお菓子を如何に効率良く貪っていくかを極めたものだよ。手の届かぬケーキを手元に引き寄せる技術じゃない。残念だけどその想いは受け取れないな」
彼女とはそれっきりになった。
その日以来、『手の届かぬケーキ』を手に入れる技術を追い求め続けた。肉体関係を結ぶこともあった。
西園寺雪葉はそんな俺の前に颯爽と現れた。
手の届かぬケーキ。西園寺雪葉は都合の良い練習台になると思った。
西園寺雪葉を完全に自分のモノとしたとき、初めて大人の彼女と対等になれる。
俺はまだ彼女が諦められない。
必ずもう一度、彼女の前に立つ。
そのために、まずは西園寺だ。
俺は力強い足どりで西園寺の待つ校門へと急いだ。
校門には既に西園寺が待っていた。
纏わり付くように降りしきる雨。
俺は無言で歩き出す。
彼女は少し後ろから黙ってついてくる。
途中、彼女の手首を掴んで路地裏へと連れ込む。
やや強引だが仕方ない。
ゆっくりと身体を寄せ、彼女の顎に手をかける。
「……いや」
ゆっくりと押し返される。ここで素直に引き下がるといつもと同じだ。
西園寺雪葉は俺を異性として好いているわけではない。友情を恋愛と錯覚しているだけだ。
手元にないケーキを寄せてくる。錯覚しているうちに、ニセ物を本物へすり替える。
そのためにはまず彼女に選択させる。複数あるように思えて実は一つしかない選択を。
「……やっぱり俺のこと嫌い?」
優しく、やや哀愁を感じ取れるはずの笑みを浮かべながら問いかける。
「いや、そんなことは……」
「なら、なんで俺を拒絶するの?」
「それは……なんとなく違う気がして……」
そりゃそうだ。恋じゃなくて友情なのだから。
西園寺雪葉と付き合うのは簡単だった。
優しく、親身になって話を聞いてあげる。たまに『気晴らしに』と言ってデートする。
そして、彼女からの告白を誘導する。
だがそれは彼女の心を手に入れたわけではない。勘違いに気付けばそれまでだし、いつ友情が冷めるやもわからない。
確実に手に入れたければ、依存させればよい。
俺がいなくてはならないように仕向ける。そのために、彼女を苦しい選択を続けさせ追い込む。
「最近さ、皐月朔矢ってやつと妙に仲が良いよね。やっぱりその……そいつのことが」
「ううん、違う!そういう関係じゃなくて……」
必死に否定する。
現状、既にやや強い依存傾向にあると見て良い。
なら、少し踏み込んでみるのもアリか。
「じゃあ証明してよ」
「どうやって……」
「明日から文化祭準備に取りかかるよな。文化祭が終わるまでは準備で忙しい。そう言い訳して皐月朔矢と距離を置いてくれ。アイツは確実に雪葉に惚れている。いつどんな手段に出るかわからない」
大袈裟な身振り手振りで必死さをアピール。やや前傾姿勢をとって圧迫感を与え、拒絶しにくくする。
「俺は心配なんだ。雪葉ほど完璧な女子はそうそういない。男が惚れるのはむしろ誇らしいくらいさ。けど、盗られてしまわないかが本当に心配なんだ」
普段俺が遊ぶような女子に言ったら「重すぎ」と悪印象を与えることになるだろう。
だが、西園寺のように真面目な性格の女子なら効果てきめん。顔面補正もかかってノーとは言えなくなってしまう。
「わかったわ……」
彼女は力無く答えた。




