三回戦 相振り飛車
眼前には頬のこけた男子が座っている。なんともみすぼらしいが、彼が第一シードだというのだから恐れ入ってしまう。
「時間になりましたので、始めて下さい」
もはやお馴染みとなった号令と共に挨拶を交わし、着手する。
僕は三間飛車に組むと、相手は向かい飛車へと組んできた。
相振り飛車、と呼ばれる戦型だ。定跡が整備されておらず、力戦となることが多い。地の棋力が問われる。
相手の急な仕掛けに気をつけつつ美濃囲いを組む。
相手は金無双に囲ってきた。相振り飛車専用の囲いだが、個人的に好きではない。
居飛車対振り飛車の場合、飛車同士が向かい合うことになる。そのため、陣を突破されてもすぐに玉が討ち取られることはない。
だが、相振り飛車は互いの飛車が直接玉を睨む。よって、一手でも間違えたら即刻討ち取られてしまう。
一つのミスが致命傷となり、挽回はほぼ不可能。
相手は第一シード。だが、簡単に負けるつもりは毛頭無い。徹底抗戦あるのみ。
僕は、力強く駒を打ち付け仕掛けていった。
「……負けました」
僕は絞り出すように口にする。相手は小さく頭を下げる。さっと立ち上がりどこかへ行ってしまった。
僕は無惨な盤を見つめて唇を噛む。
全く通用しなかった。攻撃は全て受けられる。焦って無理やり攻撃を繋げたが、気がつくと攻め駒を全て召し捕られていた。
攻撃手段を失った時点で逆転の目は無い。投了するしかなかった。
「お疲れ様です」
後ろから三柳の声がする。
「ああ、見てたのか……」
惨めな負けを晒したとあって、顔を合わせるのが恥ずかしかった。
「西園寺はどうなった?」
「もうそろそろ勝つと思います。さっき見たときは勝勢でした」
「観に行くか」
僕はゆっくりと立ち上がった。
西園寺は涼しい顔で椅子に座っている。相手の苦しそうな顔との落差が激しい。
冷酷無慈悲な女王に見えないこともない。
局面は西園寺が相手の玉を下段に落として寄せにかかっているところだ。
唐突に相手は顔から苦しそうな表情が消え、脱力する。
相手は西園寺の玉に王手をかけた。西園寺は特に慌てることもなく、玉をかわす。
「今の王手はなんですか?西園寺さんの玉は絶対に詰まないですよね?」
隣に立っている三柳が身体を寄せて囁いてくる。ほんのりと良い香りがする。柑橘系の、爽やかで少し甘い香り。
いやいや、何をドキッとしてるんだ僕は。
「あれは形作りだな。最後に相手の玉を攻めて、互いに攻め合った熱戦だったように見せかけるんだ。同時に『どうぞ僕の玉を詰まして下さい』という意味もある」
西園寺はきっちり相手を詰ませた。
相手はうなだれ、どこかへ歩いて行ってしまった。
「おつかれ」
「お疲れ様です」
西園寺の元へ歩いて行く。
「あら、二人ともおつかれ。皐月くんはどうだった?」
「負けたよ」
西園寺は予想通り、と言わんばかりの表情でうなずいた。
「相手は明津だものね……」
「去年の優勝者でしたっけ」
「そうよ。この辺でも有名な強豪。色々な大会に現れてはタイトルを掻っ攫ってくわ」
負けて当然なのはもちろんわかっている。だが、それでも。
それでも悔しい。
なんだろう、この感覚。心臓がグチャグチャとして、拳を握り締めて必死に耐える。そんな感覚
なつかしい感じ。
ああ、空手だ。試合で負けたときと同じなんだ。
「次がんばるさ」
僕は努めて明るく言った。




