三柳の後悔
部活全体で道場に通うようになってから三日ほど経った。
「少し付き合ってくれないかしら」
練習後、わたしは逃げるように帰ろうとする三柳さんに声をかけた。
彼女を連れて駅前のコーヒーショップに入る。
「それで、なんの用事ですか?西園寺さん」
彼女はそわそわして落ち着かない。よく考えれば、三柳さんと面と向かって話し合ったことは無かった。
これは素直に尋ねたほうがいいかもしれない。まわりくどいやり方をすると、かえって落ち着かないだろう。
「ちょっと、恋バナでもしようと思って」
わたしは、何気なく聞こえるように努力しながら言った。
「ふぇっ!?」
まぁ、そういう反応になるわよね。
ある意味予想通り。わたしのキャラと合わないからだろう。
「単刀直入に聞くわ。あなた、サツキくんのことが好きでしょう?」
「そ、それは……まぁ……」
彼女は頬を紅く染め、サッと俯く。前髪がはらりと顔にかかる。
いつもの冷たい印象とのギャップにこちらが驚いてしまうところだった。
なるほどねぇ。隠れファンがつく理由がわかった気がした。
わたしは運ばれてきたコーヒーを一口飲み、本題を切り出した。
「なんで彼のことを避けるの?」
彼女は落ち着きなさげに髪を弄りだした。躊躇っているのだろう。
束の間の沈黙。
「……昔の話ですが――」
彼女はそう切り出した。
彼とは家が隣で、よく一緒に遊んでいました。あれは小学二年生くらいの頃でしょうか。なぜかは忘れましたが、私が公園で泣いていたんです。彼は、そんな私にこう言ってくれたんです。
「大丈夫、僕が守ってやるよ。こう見えても、空手やってるんだぜ」
当時から友達が少なかった私にとって、どれだけ心強かったことか。
とはいえありがちな慰めですし、彼ももう覚えてないと思います。
私はどうしても女の子の友達ができませんでした。『おそろい』を尊重する在り方や、互いに本心を探りながらのやりとりが怖かったんです。
でも、彼だけは変わらずいつもそばにいてくれた。おそろいでなくても良かったし、何を言っても受け止めて、真摯に返してくれる。
中学生になっても私たちは変わらず仲が良かったんです。
でもある日、彼は「彼女ができた」と私に告げました。
その瞬間、視界が色を失いました。次に、腹の底からどす黒い泥のようなものが喉元まで込み上げてきて――私は彼に恋していたんだと知りました。
その場は笑顔で取り繕いましたが、お腹の底に渦巻く泥を沈めるので精いっぱいでした。
でも、しばらく話を聞くうちに彼が勢いに流されて告白を受け入れた、ということがわかりました。
彼は私に「同じ女子としてアドバイスをくれ」と頼んできました。
私は、お腹の泥を抑え込めなかった。
表向きは承諾しました。
でも、本音は違った。「不本意な交際は彼のためにならない」と言い訳し、彼を別れさせようと画策しました。
私は彼に「デートの下見」と言って二人きりで出掛けたり、「練習」と言って手を繋いだり……
そして、彼女に嫌がらせを受けました。最初は陰口だったのが、上履き隠しになり、筆箱隠しになり、机に落書きされるようになって……
でも、彼は私をかばってくれました。やめるように言った。意図した形でないとは言え、彼女とも別れてくれました。
彼が彼女をフッたと聞いたとき、どれだけ嬉しかったか。どんな嫌がらせも、負け犬の遠吠えにしか思えなかった。
……でも、心から笑わなくなったんです。
冗談を言えば楽しげに突っ込んでくれた。出掛けようと言えばニコニコと応じてくれた。
でも、冗談を言っても曖昧に笑うだけ。お出かけに誘っても断るようになった。打ち込んでいた空手もやめてしまった。
結局、馬鹿な私は我が儘の末に彼の心に穴を開けただけだったんです。
「私には、彼と関わる資格なんて無いんです」
三柳和美は、そう言って話を締めくくった。
彼女は黙って冷めたコーヒーを飲む。
「そうね……随分と酷いことをしたのね」
三柳和美の行いは決して許されるものではない。かと言って、彼女をいじめたサツキくんの元カノも決して無罪ではない。
「でも、それなら謝って許しを請うべきじゃないかしら。『資格が無い』なんて言い訳だと思う。そもそも将棋部に入った時点で、彼と接点を持つことはわかっているのでしょう?きちんとケジメをつけるべきだわ」
「それは……そうですが……」
「大丈夫よ、わたしも協力するから」
「そんな……!迷惑かけられません……」
彼女は俯き、膝をキュッと揃える。
「知ってしまった以上、放っておけないわ。自分のファンクラブ会長が困ってるのだもの。助けなきゃ」
「それは……」
「それに、友達ができたの、初めてなの」
不意を突かれたように、顔を上げた彼女に、わたしは微笑む。
「こんな話をする友達、初めてなの。わたし、あなたが打ち明けてくれて嬉しかった。みんなわたしを持ち上げて遠ざけてしまうんだもの」
嘘偽りの無い本心を告げる。
彼女の頬に、一筋の涙が流れる。
「あれ?おかしいな……なんで私、泣いてるんだろ……」
必死に涙を拭う彼女にハンカチを差し出しながら、嫌なことが頭をよぎる。
こんな話をする友達は、初めてだ。