妹 2
「へぇ……お兄ちゃん大会出ることにしたんだ」
扉越しに妹の声がする。
「そうだな、初めてだから緊張してしょうがないよ」
そう言って僕はカレーを口に運んだ。
兄妹の鉄の掟。扉越しで構わないから食事は二人一緒にとる。その時、必ず会話する。
これだと僕は廊下に座り込んで食事をすることになるが、一向にかまわなかった。僕が決めたことだ。僕が、引きこもってしまった妹の外と中を繋ぐパイプになるためにやっている。
「お兄ちゃんが空手の大会に出てた頃が懐かしいねー。毎日筋トレとダッシュと打ち込みを欠かさないんだーって言って。サンドバッグを殴る音がうるさくてウンザリしてたなー」
「そんなにうるさかったか?」
自主トレの時は必ず音楽を聴きながらやってたので、あんまり自覚が無かった。
「それはもー、とてつもなくうるさかったよ。ズシンズシンって鈍い音が家中に響いててさ。将棋は静かだからいいよね」
僕は思わず笑ってしまった。
「そりゃ、叫びながら詰将棋解いてたらただの変人だろ」
ゆうなも笑う声がした。
「お兄ちゃんがやってたら、私通報するよ」
「それは酷くないか?そこは上目遣いで『お兄ちゃんどうしたの?悩みがあるなら聞いてあげるよ?』くらい言うべきだ」
「ギャルゲーのやりすぎ」
「い、一度もやったことないわ!」
妹が大笑いし始めた。僕もつられて吹き出す。暫く二人で爆笑していた。
こうしていると、ドアを通じて妹の顔が見えるようだ。妹が引きこもりだなんて忘れてしまいそうになる。
「それにしても、西園寺さんには感謝しないとねー」
ひとしきり笑った後、妹は言った。
「なんで?」
「お兄ちゃん、最近明るくなったもん」
「そうか……」
別に自分ではそんなこと全く思わないのだが。まぁ、毎日喋ってる妹が言うんだから間違いないのだろう。
「西園寺さんって、どんな人なの?」
「そーだなぁ……長い黒髪が綺麗な美少女、ってとこかなぁ。ちょっとズレてるけど凛としてて、学力も学年で五本の指に入る。一言で言うなら完璧美少女、かな」
「ふぅん……」
唐突にゆうなの声が素っ気無くなる。
「どうした?」
「いや、お兄ちゃんは完璧な人間が存在すると思ってるんだなーって」
「へ?」
「お兄ちゃん、完璧な人間なんて存在すると思う?」
「いや……うーん……」
言われてみれば、欠点の無い人がいない以上は『完璧美少女』も存在しないことになる。しかし『完璧美少女』と言ってしまった手前、「完璧な人間はいない」とは言えない。
「私はね、ある人に対して『完璧』なんて言葉を使える人は、その人のことを大して考えて無い人だと思うんだ」
なんとなくムッとする。
「じゃあ完璧に見える人対しては『お前にも欠点があるはずだ』って言えばいいわけ?」
妹が嘆息する気配が伝わってくる。
「そうじゃない。一見完璧な人は、完璧に見えるように影で努力してるんだよ。だから、そんな人には『何でも出来てすごい』とか『完璧だな』って言うんじゃなくて『頑張ってるんだな、すげぇよお前』って言わなきゃ」
セリフがキザなのが少し気になるが……
しかし、新しい考え方だった。だとしたら……周りに完璧だの万能だのと祭り上げられている彼女は、もしかしたら息苦しいのかもしれない。少なくとも持ち上げられていい気分になるタイプには見えなかった。
「ま、『完璧だ』って言われていい気になる人もいるから場合によるけどねー」
妹はそう言うと、ドアを薄く開けてお盆を差し出してきた。
「ごちそうさま」
「おう」
皿は綺麗に空になっていた。
「お兄ちゃん」
食べ終わって食器を片付けようと立ち上がったとき、妹の声がした。
「なんだ?」
ここからは、恒例行事だ。毎回必ず同じやりとりをする。
「お父さんとお母さん、帰ってきた?」
さっきまでとは打って変わった、オドオドとした様子で聞いてくる。
「いいや。きっと明後日くらいには帰ってくるよ」
「そう……」
それっきり、ドアの向こうからは声がしなくなった。会話は終わったのだ。
僕は扉を一瞥すると、食器を持って台所へ歩いて行った。冷たい床が、裸足に少ししみた。