前編
ハーシュベル公爵家のリセリア嬢を語る時、人々は彼女の可憐な容姿と優しい心根を褒め称える。
そして、最後に決まってこういうのだ。
「なぜ彼女はあの男に惚れてしまったのか、残念だ。」
「シルビオ様!」
リセリアの嬉しそうな声が、彼女の想い人の名を呼ぶ。
シルビオにだけ向けるその幸せそうな笑顔が、彼女が本当に彼を慕っているのだと、誰の目にもわかる。だが、その笑顔を向けられた男の方を見て、皆が眉をひそめるのだ。
シルビオ・ラインフォーネ伯爵は、陛下の右腕として宰相を務めているほどの優秀な男だ。だが、見目がよろしくない。
一言でいえば、丸い。なぜ彼が太ってしまったのか知らない者は、陰で豚みたいだと罵っている。
彼が太ってしまったのは、王国への呪いを肩代わりしたからだと噂されている。元は美丈夫だったとも。
だが、噂は噂でしかなく。現在の彼は太っていて、暑くなくてもタオルでよく額を拭いているのだ。
そんな男に、社交界の華と呼ばれる令嬢が惚れているのだ。
それも今年十七歳の彼女が五歳の頃からなのだから、十二年の片思いと、筋金入りである。
十八歳まで想いが変わらなければ、貴女の想いを受け入れましょうと、五歳の少女の求婚に困って、宰相が苦笑して言ったという。
宰相もリセリアの父君ハーシュベル公爵も諦めるだろうと思ってのことだった。だがそれから十二年、彼女は変わらず、宰相を慕い続けている。
年頃なのに婚約者もおらず、美しい彼女がこのままなのは勿体ないと皆が残念がるのだ。もちろん、宰相と結婚するなどと、誰も思ってはいない。
そんな彼女も十五歳を迎え、社交界デビューを果たすと婚約の申し込みが殺到したのは言うまでもない。
だが、それらの誘いに見向きもせず、シルビオを追いかけているのだから、ハーシュベル公爵も頭を抱えているそうだ。
「カレン、どう?」
ふわりと淡い紫色のドレスの裾を持って、侍女に確認するリセリアは今日も空色の瞳をキラキラさせて、とても可愛い。
「今日も素敵ですわ、お嬢様。」
カレンと呼ばれた侍女は頷いて、今日もうちのお嬢様は綺麗だと満足気だ。
「シルビオ様も綺麗だって言って下さるかしら。」
今日は王宮での夜会なので、シルビオも出席が決まっている。久々に逢えるシルビオにリセリアは嬉しくてたまらない。
カレンも最初は反対していたが、いかにシルビオが素敵かを長年目をキラキラさせて話されては、もう好きになさいませ状態である。それに、シルビオが見た目以外は良い男性なのは、カレンも分かっているのである。
ハーシュベル公爵家の者は最初は皆が反対していたが、この十二年でカレンと同じように諦め気味である。
唯一、しぶっているのは父親のアーリスト・ハーシュベルだけである。
ハーシュベル公爵も宰相とは親しい仲で、良い男なのはわかっているのである。だが、可愛い娘を自分と同じような年齢の男の元へ嫁にやるのはと、父親特有の理由でしぶっているのだ。
*◆*◇*◆*◇*
夜会では最初に国王夫妻や王子達との挨拶がある。リセリアも両親と共に挨拶をしに、陛下の側に寄った。
その時、第二王子の後ろにシルビオの姿があって、彼女はいつも通り彼にだけ向ける極上の笑顔でシルビオに笑いかけた。
どの夜会に参加しても、シルビオがいなければ見れない彼女の笑顔。見れた者は幸せな気分になれる天使の笑顔だと噂されている。
シルビオがこちらを向いて、目礼したので、ふわりと笑うことで返事をして、陛下達に令嬢の笑顔で対応する。
「リセリアは相変わらずなのだな。」
陛下に苦笑され、ハーシュベル公爵も苦笑するしかない。
「はい。相変わらずでして。」
「シルビオも、もうすぐ結婚か。」
「私は反対したいのですがね。」
相変わらず同じことを言う公爵に王妃も笑顔で話しかける。
「リセリアは可愛いくて優秀だから、ぜひ王子たちの誰かの婚約者にと、お願いしたかったのですけどね。娘に欲しかったわ。」
「そんなことをしたら、シルビオを攫って家出すると宣言されておりましてな。」
あらあらと、王妃もその冗談に面白そうに笑うだけである。
この十二年で、シルビオもリセリアのことを憎からず思っているのは、親しい者達には分かっていることである。シルビオは奥方もおらず、王国の為だけに生きている男なので、皆が幸せになって欲しい気持ちは同じであった。
男親として、反対だと口にするハーシュベル公爵も、本気で反対していたのは最初の頃だけで、この頃は本当に口だけである。
「シルビオ様、来月から隣国に外交で赴かれるとか。」
「ええ、二週間ほどですが、部下達と言って参ります。」
二週間。長いなぁーと、しょぼんとするリセリアに、シルビオは苦笑する。思わず、頭に手が伸びかけ、自身の丸い手が視界に映りハッとする。夜会では人目がある。不用意に彼女に触れるべきではない。だが、彼女に曇った顔のまま居て欲しくはない。
「お、お土産を、買ってきますので・・・。」
「ほんとうですか!」
「ええ。」
シルビオがリセリアの迫力に圧され、辛うじて頷くと、ふにゃりと幸せそうな顔でリセリアが笑った。シルビオは良かったと思った。
彼女は笑っていた方が良い。
自分が彼女を笑わせれたことに、幸せを感じる。
こんな体になった自分に、彼女はこれでもかと愛情をくれる。最初は冗談だと思っていたが、この心地よい暖かさをくれる彼女を幸せにしたいと思う。
一度、なぜ私なのかと聞いたことがある。
彼女は真っ赤になって、シルビオをちらちら見ながら、しどろもどろになって、結婚してくれたら話しますと、恥ずかしそうに俯いた。
その真っ赤な顔と仕草を見て、鈍感な自分でも本当に彼女に好かれているのだと気づけた。あと一年。十八歳まで自分を思っていてくれるなら。
自分でも気づかぬまま、彼女の成長を心待ちにしているシルビオだった。
「リセリア嬢」
ふふふと、二人で話していたら、リセリアを呼ぶ声が。
第二王子が笑顔で近づいて来ていた。
リセリアは優雅に、シルビオは体躯のせいで下品には見えないように気を使いつつ、礼をする。
「リセリア嬢、踊っていただけますか?」
王妃譲りの淡い金色の髪をふわりとさせて、王子は手を差し出した。リセリアは舞踏会や夜会で何度かお逢いしていたが、一度としてダンスに誘われたことはなかった。
だが、王子から誘われたのだ。よっぽどのことがなければ受けなければならない。シルビオの側を離れるのは寂しいが、離れる挨拶をし、王子の手を取った。
王子と並ぶリセリアはお似合いだった。
誰もが、ため息をつくほどに。
シルビオの耳にも二人を称える声が聞こえてくる。最近は、二人の仲を裂こうとする悪意も少し遠ざかっていたのに。
「リセリア嬢、今日のドレスは貴女に似合っていてとても素敵ですね。」
満面の笑みで、ドレスを褒められた。
「ありがとうございます。」
少し頬を染め、嬉しそうに俯くリセリアは可愛かった。
知らない者が見れば、王子に恋をしているような可憐さだった。
実際は「貴方に似合っていて」というフレーズが、リセリアの心に響きわったったからだった。今日のドレスは、シルビオの瞳の色である紫を基調としている。それが似合っているといわれ、とても嬉しかったからだった。
その様を見ていたシルビオに衝撃を与えたとも知らず。
ハーシュベル公爵は、王子と娘のダンスを見て、眉間に皺を寄せていた。嫌な予感がする。妻も何とも言えず不安気な様子だ。
最近では、宰相に父上とは呼ぶなよ。結婚してもいつも通り名前で呼べよ。と、冗談で言えるようになってきた。
「ええ。わかりましたよ、アーリスト殿。」
穏やかに笑って返事をしていた宰相が、夜会の席からいつの間にか消えていた。
*◆*◇*◆*◇*
翌日。
恐れていたことが起こった。
アーリスト・ハーシュベルはどうするべきかと、悩む。
陛下が止めて下さっているが、第二王子がリセリアに惚れたらしい。王妃も息子の懇願に困っているそうだ。二人はリセリアとシルビオを祝福していたのだから。
一部の者には周知の事実であるリセリアの想い人だが、王宮で閉鎖的に暮らす第二王子は知るはずがない。
年齢的に見ても、爵位的に見ても、第二王子とは良縁だろう。
しかし、第二王子にも婚約者が居たはずだが。恋にのぼせて、何も考えずに行動しているのだろうな。
しかし、王家の威光だろうとも、リセリアが了承するはずもない。
「お父様が勝手に婚約者を決めた場合、ハーシュベル公爵領の修道院にいるおばあ様の元で、領民の為に出来ることをやりたいと思います。家と家との絆を結ぶ、道具にはなれませんので、他のことで家の為になるようなことを考えたいと思います。」
「王子の婚約者候補」とちらっと漏らした時に、六歳のリセリアが言った言葉だ。
大人しい娘だと思っていたが、シルビオに出逢ってからは本当に変わったのだ。
美貌を磨くことも、マナーや外交の勉強を必死に頑張るのも、すべてシルビオに認めてもらうため。
「シルビオ様の見た目がああなので、寄ってくる女性は少ないですが、内面に気づかれたら困ります!」
いやいや、良い奴だが女性に好かれているのを見たことがない。宰相を務める伯爵家という強みも、強欲な女性でさえ、あの見た目にしり込みするというのに。
婚約の申し込みも沢山くるが、シルビオより優秀な者もいない。リセリアに頼み込んで、数回だけ婚約の見合いをしたが、リセリアの話についていける子息はいなかった。
少し私に対するイライラもあったのだろう。
「私よくお菓子を作るのですが、エリフェール公爵領は、蜂蜜がたくさん取れるとお聞きしておりますわ。ベイル様、今年はどの蜂蜜が多く取れましたの?」
「どの蜂蜜が」と聞かれて、すぐに答えられるはずもないだろう。エリフェール公爵領で取れる蜂蜜の種類は20種を超えるのだから。
黙る子息を笑顔でじぃー待って、答えられないとわかってから、父親である公爵と蜂蜜の話をする。それも詳細な部分まで。
その間、私にはちょこちょこ話を振るが、子息には一切見向きもしない。
父親にはぜひ嫁に来てほしいと頼まれるが、
「エリフェール公爵様とはまたぜひお話したいですわ!ベイル様は、次回は蜂蜜の話を楽しく出来るようになってから、お願しますわ。」
20種類以上の蜂蜜の生産地から、加工方法、使用法などをすべて覚えなければ話をしないという事だ。
主要産業ならまだしも、副産業の蜂蜜をすべて覚えてまで、うちの娘を婚約者にしたい子息がいるわけもなく。結婚してからも、これだと絶対に嫌だと思われただろう。妻は大人しく、夫を立て、家を守っていることを望まれるのだから。
リセリアのように、シルビオの外交について行きたい!という夢がある令嬢の方が稀なのだから。
ちなみに、シルビオとする蜂蜜の話はすごく楽しいらしい。
蜂蜜領と、織物領と、酒領と、三領を袖にして、私はそれ以降、見合いを受けていない。
リセリアと同じように話が出来る子息など、いないからだ。
最終的にはリセリアとあちらの父親や母親が楽しそうに会話して終わるのだ。子息には大変申し訳ないと思ってしまう。
話を持ってきたのは向こうからだが、婚約したくない娘を相手にするには、若い子息達では哀れでならない。
ちなみに一度「私より強い殿方でないと、嫌ですわ!」と剣の腕に自信がある騎士団所属の子息を1撃で沈めたこともあった。
シルビオ様の外交について行くのです、自衛ぐらいできなくては!ということらしい。
うちの娘は深窓の令嬢からほど遠い存在になっていく。