九話 幸せから始まる映像記憶(ゆめ)
「いや、うん。死ん……ではない。死にかけてたけど……まだ死んでは無かったはず……」
「と、とにかく、クリスだ。今度はクリスが死にかけている!」
床に伏しているクリスを抱き上げて、エリックは慎重に彼女を部屋まで運ぶ。急いで、それでいてゆっくりと。
貯水槽から引き上げた時は面倒の塊にしか思えなかった彼女も、今はもう見知らぬ他人ではない。以前とは違う感情で抱く彼女の体はとても弱く見えて、ちょっとした振動ですぐにこの世から消えてしまいそうに思える。
そっと彼女をベッドに寝かせ、エリックは一息ついた。額から滴る汗の量が彼の緊張を物語っている。
それ以上に全身から汗を滲ませるクリスに、外傷は見られない。
ペルシャは眼帯を解き、黄金の瞳を光らせる。幻視を使い、クリスの体内を透視した。
「何っ!」
まずは驚き。その一拍後、
「……ああ、なるほど。いや、でも……?」
納得したかと思えば、すぐさま疑問を浮かべる。一人で百面相してしきりに頷いたり、否定語を呟いたりして何かを考えている。
自分の世界に閉じこもり思考する相棒の様子からは、何が起こっているのかさっぱり推し量ることが出来ず、エリックはその横で耐え切れずもどかしさを爆発させた。
「おい、何が視えたんだ!? 一人で唸っていないで私にも説明しろ!」
「うーん。それが、よく分からない。いや、分かるんだけど、分からないんだ」
「どういうことだ」
「とりあえず、死ぬことは無い」
そう言って、ペルシャは優しくクリスの全身を撫でた。その途端、弱かったクリスの息が通常の寝息に落ち着いていく。全身の血を抜かれたように青かった顔も、あっという間に頬の赤みが戻る。
その様子に頷き、ベッドから少し離れたソファにペルシャは腰を下ろした。
「まあ座れよ」
「あ、ああ」
ここでも我が物顔で向かいのソファを示すお客さんに、家主はただ同意して言われた通りに座る。背後から漏れ聞こえるクリスの寝息は静かで、差し迫った危険は去ったのだと実感することができた。
「俺もイマイチ理解が追いついてないというか、納得いかないんだけど……」
エリックがソファへ落ち着くと、前置きしてペルシャは切り出した。
「状況から見て、明らかな点が一つある。クリスがお前に治療魔法を使った。これは間違いない」
「彼女は治療師なのか?」
その問いに、悩ましげに一つ息を吐いて、腕を組む。
「うーん、そこなんだよな。正直言って、あそこまでボロボロに……半分死んでるくらいの人間を治療できるほどの治療師なら、もっと有名になってるはずなんだ。名も無き治療師に出来るようなことじゃない。というか、あのレベルの治療は普通不可能。これはもう、治療魔法ではなく蘇生術の域だ」
「蘇生術……それはたしか、数百年前に失われたとされる古代魔法だったな?」
魔術機を作成する際の参考にしようと読んだ文献の中に、古代魔法と呼ばれるものがあると記載されていた。その中の一つ、蘇生術。エリックにも単語だけは聞き覚えのあるものだった。
「そう。ただ、蘇生術を行なうにはいくつか条件が必要で、【魔法陣の記述】と【聖詠唱】を行わなくちゃいけない。指を鳴らせば簡単に人が生き返る、なんて都合の良い話は流石に無いからね」
「その通りだな。そんなことが出来るなら、敵討ちなんて考えずに、私はとっくにこの腐れ縁を切っているよ」
「冷たいこと言うなよ、相棒」
ペルシャは皮肉な笑みを浮かべて、やれやれといったポーズを取る。そして、
「だけど、その魔法陣も、聖詠唱も、どこにも完全な資料が残ってないんだ。断片的なものは魔法書にも少し載ってるけど……完成形は誰にも分からない」
「死者を蘇らせることができる魔法なんてものが、なぜ廃れてしまったんだろうな。誰もが一度は使ってみたいと思うはずだが」
エリックの疑問にペルシャは「うん」と頷く。
「実は、蘇生術を行えば術者は必ず死ぬと言われてる。魔法陣で魔法の威力を高め、聖詠唱で精度を増して、術者の持ちうる全魔力を相手に注いで、それでも患者が生き返る可能性は五割程度といったところらしい。デメリットが大きすぎるんだ」
「自分の命と引き換えにして、相手が生き返るかどうかもわからないカケに出ようとする者がどれくらい居るのか。ということか」
仮に私に魔力があったとしても、やらないだろうなあ。と、大きく息を吐き出しながら、エリックはソファの背もたれに深く体を埋めた。
けど……と、向かいのペルシャはベッドで眠るクリスに視線を向ける。その目つきはあまり好意的なものでは無い。敵意というよりは、得体のしれないものへの恐れに近いような。
「幻視で視たクリスの体内……魔法回路に残る魔力から考えると、その蘇生術を行ったとしか思えないんだ。現に今、彼女は、通常の二倍もあった魔力をほとんど失って死にかけていたし……。すぐに死ななかったのはきっと、不完全な蘇生術を行ったからだろうね」
「私が完全な死を迎えていなかったことが幸いしたということか」
「それと、魔法陣も無い。聖詠唱もきちんと唱えたかどうか分からない。いくつもの要因が重なって、たまたまこうなったんだろう。それにしても……すごいことには変わりない。ほんと、あと五分と経たないうちに死ぬってほど弱った人間を完璧に治癒するなんて。こんなことが出来る人間がなんで無名なのか。それに、なんでこんな田舎の小さな森で記憶を失って倒れてたのか」
そこまで言って、ペルシャは天井を仰いだ。あー、わからん! と、両足も投げ出す。もうペルシャ本人にも、何が分からないのかすら分からないという様子。脳内が混沌としてまったく整理できないと顔に書いてある。
「とりあえず俺の魔力を少し分け与えて、核の魔力回復を補助する治療を施したから、しばらくすればまた元気なクリスが見られるだろうけど。クリスには謎が多すぎる。記憶が無いってのももしかして嘘なんじゃないか?」
「そうだとしても、彼女は私を助けた。少なくとも敵では無いはずだ。しかしなぜ、私を……?」
「んなこたー知らねーよ。惚れられでもしちゃったんじゃない?」
あれこれと可能性を模索するのが面倒になり、ペルシャの返事はおざなりになる。クリスが目覚めるまで、いくら考えても答えは出ない。
「なっ……! ま、まだお互いのことを何も知らないのにか!? これが一目惚れというやつなのか!? 私にか!? いいのか!?」
湯気が出るほど顔を赤くして慌てるエリックをからかおうとしてペルシャは口を開き、ふと何かに思い当たったように、動きを止めた。
「お互いを知らない……? そうか、そうだよな。知らなければ、知ればいいんだ」
「は? 何を言って」
哲学のような意味深な言葉に戸惑うエリックの腕を引いて、ペルシャはクリスが眠るベッドへ足を運ぶ。
「起きるのを待って問いただす必要は無い。はぐらかされるかもしれないし。それより、今のうちにクリスに潜ろう。何か分かるかもしれない」
侵域しよう。と、好奇心に支配されたような笑顔で言うペルシャと対照的に、エリックは渋い顔を見せる。
「夢魔に憑かれているわけでもないのに人の夢を覗き見るなんて、少々悪趣味じゃあないか? 目覚めてから、許可をもらって潜らせてもらうとか」
「無理だ。クリスほどの魔力の持ち主に潜ったら、俺ですら精神をのまれちまう。魔力を消費してる今がチャンスなんだ」
「しかしだな……相手は女性だし、プライバシーというものが」
「じゃあお前は待ってろ。俺が一人で行く」
良心へ訴えかけようとしたエリックの言葉は右から左。ペルシャは即答で彼を置いていくことを決める。
さっと手を上げてあとは鳴らすだけ、と準備した指が、横から伸びてきた機巧の手のひらに折られそうな勢いで捻じ曲げられた。
「いでででででで」
「待て。お前が暴れてめちゃくちゃしないか心配だ。私もやはり一緒に行くべきだろう。決して覗き見たいというわけではなく」
「あー、分かった! 分かったから指を離せ折れるバッキャロウ。俺はこの世界では普通の人間なんだよ」
目を伏せて、言い訳というよりは自分を納得させる為にといろいろな理由を並べ立て、エリックも結局ついて行きたいという意志を表明する。そんな彼に「結局気になるんだろ」と口を尖らせながら、今度こそ、ペルシャは指を鳴らした。
「それじゃあ行くぞ。狩りの時間じゃないけど――独裁・侵域!」
*
いつもの詠唱のあと、精神のトンネルを抜けた先は、薄くもやがかるどこかの街道。
ペルシャは、その場所に見憶えがあった。
「あの夢の場所だ」
二日前に見た不思議な夢。それとまったく同じ場所に、今度は二人で立っている。正確には、一人はしゃがみこんで酔いと戦っているが。
夢で見た状況とは少し違い、血まみれの誰かを抱えて叫んでいる人物は居ない。これからその状況になるのか、それとももうそれが起こったあとなのか。
エリックの酔いが醒めるのを待つついでに、しばらく周囲の様子をうかがうことにした。
「……が、……となって……」
少しして、人の話し声が聞こえ、街道の真ん中を歩く影が二つ現れる。よく目を凝らすとそれはやはり、
「エリック……!」
――どこからどう見てもエリックそのものにしか見えない人物だった。
「おい、あれ、お前じゃないか!?」
「ん? え?」
「ついていってみよう」
やっとふらふらと立ち上がったエリックの腕を掴んで立たせ、二人の後ろをついて歩く。夢魔の領域でない夢というのはただの記憶映像。干渉することも、されることも出来ない。見つかるという概念は無い。
「……それで、お姫様が目覚めた時、こう言ったんだ。『もう少しで続きのページを読めそうだったのに』ってさ!」
「まあ、うふふ」
他愛もない話を楽しそうに、隣を歩く人物に聞かせるエリック似の男。ペルシャの横を歩くエリックには練習したって出来そうにない爽やかな表情と、明るい声。姿形は寸分違わぬほどなのに、纏う雰囲気はまったくの別人である。
そして、そのエリック似の男の隣を歩くのは、金の髪を肩口で揺らす――
「クリス!」
その肩に触れようと手を伸ばす偏屈な方のエリックの肩を抑え、ペルシャは「無駄だ」と一言告げた。
「ねえ、ラウル。本当に良かったの? 王室付き祓魔師のあなたがお城を一ヶ月も不在にするなんて……」
「大丈夫だよ、クリス。君のご両親に挨拶に行くって言ったら、王様からおみやげを持たされたくらいでさ! 帰ったら盛大に婚約パーティも開いてくれるって」
「まあ、嬉しいわ」
微笑み合う二人の幸せそうな会話を盗み聞いて。
男二人は一旦立ち止まり、そこから得た情報を整理する。
「あのエリック似の男はラウルと言うらしい。王室付きってことは、相当な実力者だな。名前を聞いたことがないけど……協会に属してないか、よっぽど遠い大陸の祓魔師か」
「クリスには婚約者がいたのか……クリスが私を助けたのは婚約者に顔が似ていたからか? それだけだったのか?」
「ということは、クリスはやっぱり治療師だったのか……?」
難しい顔をして頭を悩ませるペルシャと、その隣で落ち込むエリック。会話も態度も、微妙にかみ合っていない。お互い別の思考に没頭している。
自分の考えについて、「どう思う?」と声をかけようとして、ペルシャは心ここにあらずな状態の相棒の様子に気付いた。
漏れ聞こえるひとりごとは、完全にフラれた男の女々しい恨み言である。その内容のくだらなさに、ペルシャはため息を吐き出した。
「はぁ……。あの男とお前、姿は瓜二つなのに、その他はなにもかもまるで違うみたいだな。あっちは明るく爽やかでさ。一方こっちは暗くて女々しくて……お前、ちょっと笑ってみ?」
細い指をした両手が俯く頭に伸びて、への字形に曲がった両の口角を無理やりに持ち上げる。ちょっと力を入れて、つねり気味に。
「いひゃい! あにをしゅる、やめお」
「うはは、何言ってるかわかんねー」
「ええい!」
カラカラと笑うペルシャの手を顔から払いのけて、エリックは赤くなった頬をさする。
「あ、遊んでいる場合ではなかろう。ほら、追わないと見えなくなってしまうぞ」
誤魔化すように指差す先、クリスとラウルの背中はもうだいぶ遠くなっていた。見失うと厄介だ。
追いかけようとエリックが足一歩踏み出しかけた時、ペルシャが袖を引いて引き止めた。
「待て。何か来る」
急に真面目な声で、もやの中に消えそうな二人のその先を見据える。白くぼやける二つの人影の先に、突如、大きな山のような黒いものが地面からせり出した。
「何だ? よく見えない。もう少し近づこう」
目をこらしながら距離を詰める。
山が発する魔力は視認できそうなくらいに強く、ただの映像であるはずなのに、見ているペルシャの髪をも逆立たせるほど激しい。
山はうねり、形を変え、やがて三メートルはありそうな大きな人の姿へと変化した。
「きゃあっ! 何!?」
足元から生えてきたような巨人に驚いたクリスの甲高い悲鳴が響き渡る。それに答えを返すように、ラウルは思い当たる現象の名を口にした。
「これは……夢魔の現界化!」
「あいつはっ……! 間違いない! 俺達の仇!」
遠くから見ても分かる。夢魔の存在に気付いた瞬間、ペルシャとエリックは声を揃えて走り出す。それと同時、
「いただきまぁす」
黒い大きな人影は一言発し、尖った丸太のような腕を振り上げ――
クリスの腹部を貫いた。