七話 夢も心も分からぬままに
翌朝。
「エリーック! お前の親愛なる相棒、俺ちゃんの登場だぞー。イエーイ」
ひょうきんなセリフを真顔で棒読みしながら、ペルシャは幽霊屋敷のダイニングのドアを蹴り開けた。
「部屋のドアは手で開けろ馬鹿」
「だって両手が塞がってんだから仕方ない」
悪びれなく言い放ち、ペルシャは抱えていた紙袋からオレンジを一つ放り投げる。
「屋敷中のドアを靴跡だらけにする気か」
髪と同じ色の果物を受け取って、エリックはカウンター越しのキッチンに立つ。
彼が用意するカップは二つ。
テーブルに着いてパンを齧りはじめているペルシャにも紅茶を淹れてやるつもりだ。
「そういえば昨日、またあの夢を見たんだけど」
「ああ、私にも流れてきたから知ってるさ」
エリックの体内にあるペルシャの核のせいで、二人は無意識下でたまに繋がってしまうことがある。その最たる例が、同じ夢を見ることだ。
初めて見た日は、エリックもずいぶん驚いた。五年前の出来事の、自分の意識が無い間のことを、自分以外の者の目を通して見る感覚。ひどく非現実な事象でありながら、まるで今目の前で起こっているかのように生々しく、酔いというのか、頭が揺れるような眩暈を覚えて、目覚めたときには気分が悪くなった。
しかしそれも、回を重ねるごとに慣れ、いつしか「またか」と思えるほどになっていた。それほどまでに何度も、ペルシャはあの夢を見る。
「いつもの夢の前に、変なものを見なかったか? お前が誰かを抱えているような」
「それは見ていないな」
「そうか。そんならいい」
それきり、会話は途切れた。
湯から沸き立つ気泡の音がやけに大きく聞こえる。
その静けさを破るようにだんだんと近づいてくる足音を聞いて、エリックはカップをもう一つ追加した。
「おはようございます。ペルシャさんもいらしてたんですね」
エリックが丁度三人分のお茶を入れ終わる頃、足音の持ち主がドアの隙間から顔を出した。
「おはよう、クリス。まあ座んなよ。すぐにお茶が出るよ」
「どうしてお前は人の家でそんなに偉そうなんだ」
勧められた椅子にクリスが腰掛けると、目の前に淹れたての紅茶が運ばれる。
濁り無い飴色のそれを一口啜ってカップを下ろした彼女は、何気ない朝の話題として、こんなことを切り出した。
「昨夜、不思議な夢を見たんです。エリックさんが誰かを抱えて、何かを叫んでいるんです」
エリックとペルシャは顔を見合わせた。それは、今まさに二人が話した内容と同じものではないか?
「なんだかすごくリアリティのある夢でした。起きてしばらくするまで、夢か現実か分からなかったくらいに。もしかしたらですけど、私、似たような経験をしたことがあったのかな? はっきりとは思い出せないけれど……」
記憶の断片かもしれない曖昧な夢をなんとか鮮明に思い出そうとして、クリスは頭を捻る。
「頭の中に鍵の掛かった箱があるみたい。なんだか重要な夢のような気がするのに」
と、つぶやきのように複雑な胸中を漏らす。
「夢じゃなかったんじゃない? このムッツリスケベ野郎が、寝ている君にイタズラを……」
「そんなっ! 出会ってその日にだなんて、早すぎます! エリックさんの馬鹿ぁ!」
「馬鹿はお前達だ! 私はムッツリスケベなどではない!」
紅茶が溢れるのもお構いなしに机に拳をぶつけて揺らすエリックをさんざ笑ったあと、ペルシャは立ち上がった。
「冗談はこのくらいにして。今日は祓魔師協会へ顔を出しにいくつもりだから、それを伝えに来たんだ」
カップに残った最後の一口を飲み干すと、「ごちそうさま」と言い残して彼は立ち去った。
ペルシャの冗談のせいで、残された二人はお互い妙に意識してしまい気まずい空気が流れる。
それを割ってクリスが口を開いたかと思えば、
「あの……本当に、何も無いんですよね? その、え、エッチなこととか……」
などと言うので、エリックは注ぎ足したお茶を吹き出さねばならなかった。
「あるわけなかろう! あいつの言うことはあまり真に受けるな。面白がってどんどんエスカレートするからな」
「私を心配してくれているんですか?」
「別に。あいつが調子に乗ると困るのは私だからだ」
それきりエリックが新聞を広げてしまったので、クリスも黙って食事の続きをとる。なんとなくだが、彼の棘のある言葉が実は照れ隠しのように感じて、気まずさが無くなったように思える。
居心地の良い沈黙のなかで食事を終えて、彼女はふと指を鳴らした。
「しまった!」
と、思った時にはもう遅い。『食器』と願った彼女の魔法に反応して皿洗い人形が起動する。
自動で食器洗いとすすぎをこなしてくれるすぐれものだ。一つ難点を上げるとすれば、一枚一枚、洗う皿を手渡ししてやらないといけないことか。結局自分で洗った方が早いので、もう長いこと起動していなかった。
「魔法は使うなと言ってるだろう!」
「ごめんなさい、つい、癖で……!」
肩を落とす彼女と同じポーズでエリックも、
「何も意地悪で言ってるんじゃない。君達はあまりにも当たり前のように魔法を使うから、突然やめろと言われて難しいのも分かる」
そう、まるで息をするように。エリック以外の人間は、魔法を使える。
「鍵を壊すだとか、皿洗い人形が勝手に動くだとか、その程度のことなら良いだろう。だがこの家と君は相性が悪すぎる。反応してしまう物体が多すぎるんだ。何が起こるか分からん。ここに居るつもりなら、もっと気をつけたまえ」
「はい。やっぱり心配してくれているんですね?」
「違う。屋敷のなかで起こることは私の管理責任だからというだけだ。怪我でもされたら寝覚めが悪い」
「それを心配と言うのでは?」
「違う。断じて違う!」
否定のあとに、「くれぐれも薪割り人形にだけは近づいてくれるなよ」と念を押して、話はこれまでという風にエリックはクリスに背を向け、洗う皿を求めて彷徨う人形のスイッチを切った。
「私は作業場に戻るが、君は?」
少し考えてから、することが思い浮かばないという彼女を暇が潰せそうな図書室まで案内して、エリックは自室に戻る。
人形の整備の他にやるべきことを一つ思いついて、設計図を起こす。
久しぶりに、新しい魔術機を作るつもりだ。
*
「おーい、偏屈王ー。ごきげんいかがー?」
機巧の部品が散らかって、裸足で踏み入れると怪我をしてしまいそうな作業室のドアが蹴り開けられる。
なんだかんだで機巧いじりは楽しく、夢中になって作業をしていたエリックは、数時間ぶりのペルシャの声で頭を上げた。いつの間にか外は暗い。昼と夕方は一体どこへ消えてしまったのか。
「なんだその変なあだ名は」
作業台から椅子ごと振り返ったエリックは、偏屈王の名にふさわしく難しい顔をしている。
「ピッタリだろ? 我ながらよく出来たと思ってる」
ところで、とペルシャは懐から一枚の紙を取り出した。
「協会から情報を仕入れてきた。隣街の、ある男についてだ。スポーツの祭典オリンピアで活躍して、数年前にちょっと人気があった奴らしいが、怪我で走れなくなって引退したらしい。その男が最近、夜な夜な奇声を発しながら街なかを走り回っているというんだ。協会の見立てでは、おそらく夢魔だ」
「しかも中級以上の……か」
エリックの推測に、ペルシャは頷いた。
「ああ。下級の夢魔に人を操る力は無い。ついに当たりを引いたかもしれないぞ」
「しかし現界化したという情報は無いんだろう? 期待しすぎると馬鹿を見るぞ」
「違ったらまた次を狙えばいい。悪い方にばかり考えるのはお前の悪い癖だぞ。だから辛気臭い顔が染み付いてんだよ。楽しくやろうぜ、相棒」
期待はずれだった場合に八つ当たりされるのは私なのだが。とエリックは言い返したかったが、一つ言えば十返ってくるのが分かりきっていたので、黙って続きを促す。
「それと、若い女の捜索願いが出されていないかも聞いてきた。捜索願いどころか、居なくなったという噂話すら無い」
「クリスか……」
「うん。よほど遠くから来たか、もしくは、いらない存在だと思われていたか……」
その言葉にエリックも唸る。いらない存在。それは彼の心にも深く突き刺さる言葉だ。
「とりあえず、その点は好都合だ。怪しくはあるけど、回路を貰い受けるまではここで飼おう」
「……ペットか何かのように言うのはやめてやれ」
「ん?」
ペルシャはエリックのツッコミに僅かな違和感を覚えた。ペルシャ以外には聞き分けられないほどの小さな差異。いつもの、冗談にツッコミを入れるトーンより少し声が低い。
「あれ? どうしたの? あんなに追い出したがってたのに、なんか優しくなってない? 同じ境遇かもしれないから同情しちゃった?」
「そういう訳ではない……が、昨日今日話をしてみて、そんなに悪い子では無いのかもしれないと思い始めたのも事実だ。裏が有るようには感じられない」
エリックは、昨日、鍵を壊してまで部屋に入ってきたクリスの顔を思い出す。「心配だったから」と、そう言って揺れた淡い色の瞳。
人嫌いのエリックから飛び出したとは思えないセリフに、ペルシャは腰を抜かしそうになった。これはもはや、恐怖!
驚愕に見開かれた赤い瞳に見据えられて、自分の感情に自信が持てなくなり、エリックは目を逸らす。
「いや、やはり同情しているのかもしれない。私にも分からないんだ。実の親でさえ気味悪がって捨てた私を、実子と変わらずに育ててくれたお前の両親。それと、兄弟のように育ったお前。それ以外の人間が、普通に接してくれるということの実感が、未だに沸かんでな……」
「はあああ。俺、びっくりしてションベン漏らしそうになったよ。『濡れた床拭き人形』、やっぱり作ってくれ」
真面目な話をしようとしても、すぐにふざけた話題に脱線してしまう。どちらともなく疲れたような息を吐き、それを合図に、
「まあともかく、夢魔については早いモン勝ちだ。協会が退治しちまう前に、俺達で叩こう。明日早速患者のところへ行って様子を見てくる。潜る前につなぐから、準備しててくれ」
「ああ。分かった」
強引に話をまとめ、ペルシャはエリックの屋敷をあとにした。
そして、翌日――。
「エリック、聞こえるか?」
『ああ、問題ない』
ペルシャの目の前には、鎖で手足を縛られた男が一人。
手は後ろに。足は揃えて。立つのも難しそうであるのに、なんとも器用に直立の姿勢で飛び跳ねている。
「☆△※§△◆●△☆※*!§☆?」
鎖がくねくねとのたうつ蛇のように床をこすり立てる音と、男から発せられる言葉にならない言葉が響く、ペルシャの自宅である教会の地下。
彼がいつも生活している部屋の向かいの牢に、患者は繋がれている。
「初めて正しい用途で使ったぜ、この牢屋……。役に立つ日が本当に来るとは、正直思ってなかった」
『大丈夫なのか? 潜っている間、お前の肉体に何かあれば……』
「問題ない。この結界付きの牢、強度はお前もよく知ってるだろ」
鉄格子の内側で暴れる患者を眺め、ペルシャは一人笑う。
「さあ、無駄話は終わりにしよう。行くぜ、狩りの時間だ――独裁・侵域!」