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二話   美貌の祓魔師と仮面の機巧師

 ゆらゆらと、投げ出した手足から波紋を生み出す少女の瞼は閉じられている。反り返って主張する長いまつげだけが、唯一彼女から生気を感じ取れる部分だった。


「死んでるのか……?」


 エリックは恐る恐る手を伸ばし、たゆたう白い腕を掴み上げる。

 力を入れれば折れてしまいそうな細い手首に親指を押し当てると、意外や意外、驚くほど力強く脈打っていた。


「良かった。生きてる」


 この場合の良かった、は、「少女が生きていて良かった」では無い。

 どこの誰とも分からない死体の処理をしなくて良かった、という意味だ。


 エリックが手を放すと、少女の腕は重力に導かれるままに落下し、水面を打って周囲に細かな飛沫を飛ばした。


「目が覚めれば勝手に出て行くだろ」


 面倒事に巻き込まれるのはごめんだ、とエリックは何も見なかったことに決めた。少女を貯水槽に放置して屋敷へ戻る。

 

「寝直すか」


 拳が入りそうなほど口を開けて誰に憚ることなくあくびをした彼は、いそいそとまだ自身のぬくもりが残っているベッドへと潜り込む。

 ほどなくして、豪快ないびきをかいて夢の深淵へと落ちていった。



*



 田舎という表現がよく似合う、緑多き辺境の街【フィオルラ】。

 その小さな街の外れに位置する教会には、天井ばかりが高い小汚い礼拝堂がある。他には薄汚れた天使の像と、ほとんど音の出ないパイプオルガン、蜘蛛がばっこし巣だらけになった懺悔室。地下には人知れず牢獄のような部屋。


 絶対に神はここには居ない。と確信を持って言える建物から口笛を鳴らしながら出た青年は、街の大通りを突っ切って【相棒】の元へ向う途中で、露店を出した果物屋のおばさんに声をかけられた。


「ペルシャちゃん、ごきげんいかが?」

「ごきげんよう、おばさん。とても良い天気ですね」


 ペルシャと呼ばれたカソック姿の青年は通りの中央からおとなしい微笑みを投げかける。会釈すると、腰まで伸びた白く美しい髪が肩から落ちて、降り注ぐ太陽の光を反射した。


「今日もお人形さんみたいに綺麗ねえ」

 

 赤いくせ毛が渦巻く頭にバンダナをまいたおばさんは、中性的な美貌を持つペルシャを眩しそうにうっとりと眺め、そばかすだらけの頬を紅潮させた。

 そのすぐあと、一転して声を潜める。


「今日もあそこへ行くの? あの、怪人が住む幽霊屋敷……」


「ええ、これの調子がよくなくて」

 ペルシャは「これ」と、腰に下げた細身の剣に手を置く。金色の持ち手の中央にひとつ嵌めこまれた大きな緑色の宝石が存在感を放っている。


「そう……こんなことを言うのもなんだけど、もうあまり彼と仲良くするのはおよしなさいな。あなたのご両親は立派な方達だったけど、あなたまで同じように責任を負う必要は無いのよ。あの不幸な事件はもう忘れてしまったって、誰もあなたを責めたりしないわ」


 まだ明るく活気があり、参拝者で溢れていた教会。かつてそこでペルシャと一緒に住んでいた人物のことをさして、おばさんは眉根を寄せる。

 次いで、口に出すのもおぞましい、といった様子で、

 

「だいたいあの子は昔から変な物ばかりつくって……カラクリというのだっけ? よもや自分の腕までそんなよく分からないものでつくるなんて、正気の沙汰ではないわ。それに生まれつき魔法も使えないんでしょう? そんなこと、普通ありえないわ。恐ろしい。きっと前世でよほど業の深いことをしたに違いないのよ。悪魔の生まれ変わりなんだわ」


「ごめんね、おばさん。僕もう行かなくちゃ」

 放っておけば延々と垂れ流されるであろう陰口を遮って、ペルシャは進行方向を指差した。物腰柔らかな笑みはたたえたままで。


「あらあら、そうよね。引き止めちゃってごめんなさいね。お詫びにこれ持って行って」


 おばさんは慌てて愛想笑いを浮かべると、取り繕うようにパチンと指を鳴らした。

 すると、目の前の屋台から小ぶりなリンゴが二つ浮かび上がり、渦巻く風を纏ってひとりでに宙を舞う。リンゴは、透明人間がボールを投げたみたいに放物線をえがくと、待ち受けるペルシャの手の中に上手く収まった。


「ありがとう」


 風の魔法で運ばれたリンゴを素直に受け取って礼を言い、ペルシャはおばさんに背を向けた。

 歩きながら、一つを懐にしまう。もう一つは服の裾でこすってから丸かじりする。 


「うるせー女だ。それにケチくせえ。もっとでかいやつを寄越しやがれ」


 シャクシャクと音をたてりんごを咀嚼しつつ、ペルシャは声をワントーン下げて今しがた談笑していたばかりのおばさんを罵った。

 もちろん聞こえないように、小さな声で。

 


 



「おーい、入るぞー」


 怪人が住む幽霊屋敷、と揶揄される【相棒】ことエリックの屋敷に到着したペルシャは、ノックをするではなくキックで勝手にドアを開けた。

 裏口同様に正面玄関もたてつけが悪く、手で開けると重くて面倒くさい、ということをペルシャは過去に学んでいた。

 以来、こうやって蹴り開けるのが彼の流儀となっている。


 だだっぴろくて長い廊下を、まるで自分の家のように勝手知ったる顔で進む。

 辿り着いたエリックの寝室は薄暗く、本当に怪人が出そうな雰囲気すらある。


 部屋の端のベッドでは、エリックがいびきをかいて脳天気に眠っていた。

 この間抜け面の一体どこが怪人か。街の人達に見せてやりたい。と思いながら、何か面白いものはないかとあたりを物色する。うるさい家主が眠っている今がチャンス。


 クローゼットを開けると、一着のマントと仮面がかけられていた。

 身長一八◯センチほどあるエリックの足元まで隠せるだろう長さの、黒に近い深紫のビロードのマント。黄色い目と大きな口で笑う悪魔の表情が掘られた、顔全体を覆う仮面。ご丁寧に角まで生えている。


「悪趣味……」


 気味が悪いと思いながらもいたずらごころが勝り、ペルシャは両方を身につけた。

 マントの裾を数センチほど引きずって、エリックの眠るベッドサイドへ。

 彼の耳元へピタリと顔をつけると、仮面越しに呪詛の言葉を投げかける。


「לְהִתְכַּעֵרלְהִתְכַּעֵרלְהִתְכַּעֵרקללת……」

「う…うぅ……だ……嫌だ……」


 オドロオドロしい響きを持って異国の言葉でつぶやかれる呪詛は、エリックを耳から侵蝕し、彼の安眠を妨げる。


「や、やめ……ハッ!?」


 うなされて目を覚ましたエリックは目先十センチの距離で呪いの言葉を吐き出す悪魔を見て、


「うわあああ!」


 屋敷中に響き渡る声で叫びを漏らした。





「クッ……ハハハハハハ」


 リビングに移動して、心の底から楽しそうに声を上げ続けるペルシャに苦い顔を向け、エリックは正面のソファに腰掛けた。

 よほどツボにはまったのか、寝室からここまで移動する間も途切れることなく彼は笑い続けている。


「いいかげん笑うのをやめろ」

「だってお前……ククク、あんな間抜けな顔……クハハハ。自分の作った面であんなに驚く馬鹿は世界中探したってお前くらいのもんだ」

「寝起きだったんだから仕方がないだろう。それに、お前が変な呪文をブツブツと唱えるのも悪い」


 エリックは拗ねたように口を尖らせて膝を揺らす。


「あんな悪趣味な仮面なんか作ってるから、怪人だの悪魔の生まれ変わりだのと陰口を叩かれるんだぞ」


 ヒィヒィと苦しそうに呼吸して、ペルシャは果物屋のおばさんを思い出した。街の人びとから聞こえるエリックの評判は、だいたいみんなして同じようなものだ。


「あれを作らなくたって、どうせ皆私の腕を見てアレコレと勝手な憶測を並べ立てるんだ。どうせなら思い切り怖がらせてやったほうが気持ちが良いじゃないか。それにあれは悪魔じゃなく、鬼のつもりだ」


 エリックはそう言って、機巧でできた右腕を生身の左手でそっと撫でた。


「腕がそうなる前からお前は異端がられてたぞ? まさか体内に魔法回路が存在しない人間がこの世に居るとはなあ」

「だからこそ私は科学というものに目を向けることが出来たのだ。そう悪いことばかりではない」


 五年前、夢魔によって吹き飛ばされた右腕を、機巧で補おうとした。そうすれば、科学が世間に認められると思った。

 しかし、結果は真逆で、余計に不気味がられることになった。


「まあ、魔法が使える人間には理解出来ないのだろうな」


 人びとがエリックへ向けた悪意ある眼差しは、彼の心の奥底で今でも黒く渦巻いている。

 だからエリックは、街に出るときは長いマントで身体ごと腕を覆い隠す。恐ろしい仮面をつけて見る者を怯えさせ、視線ごと嘲りを避ける。


 改良に改良を重ね、もはや本物の腕となんら変わりない精密な動きを可能とした義手で、エリックはカップを掴み紅茶をすすった。


「それで? 今日は何だ?」


「剣の魔術回路が鈍くなってきたんだ。見てくれ」


 ペルシャは腰から剣を外して放り投げた。


 カシャンと軽快な音を立て手のなかに収まったそれを、片眼鏡モノクル形のルーペを装着したエリックは念入りに点検する。

 剣先から持ち手の先まで、三六◯度あらゆる角度から眺め回す。持ち手に嵌めこまれた宝石を外すと、穴の奥が少し焦げていた。


「回路が擦り切れてる。まためちゃくちゃな使い方したんだろう」


 一通り見終えたエリックが厳しい視線を投げると、ペルシャはわざとらしく口笛をふいてソファに横になった。





「まったく。一体どんな使い方をしたらこんなことになるんだ」


 小言を漏らして、エリックは慣れた手つきで剣を解体していく。


「魚を焼いたりとか……」

「馬鹿! なんでわざわざ魔術機を使って焼くんだ! お前達はみんな、指を鳴らせば魔法が使えるじゃないか!」


 言いながらエリックは、持ち手から剣先までを鼻の前で動かした。いくら自分にしか出来ないからといったって、魚臭い剣の修理などしたくはない。


「だって魔術機を使ったほうが便利じゃん。宝石のおかげで少ない魔力消費で済む。それに、直接魚をぶっ刺せば、食器要らずでそのまま食える」

「宝石で増幅させなくても、魚を焼くくらいの魔力は有り余ってるだろうに。暴発したとしても責任は負わんぞ」


 剣の内部に張り巡らされた魔術回路の終端、魔法が飛び出す位置である剣先を覗きこむ。


 人びとが日常的に多用する、ささやかな魔法。それと科学を融合し、より簡単に、より実戦的に、より高威力に。

 祓魔師として夢魔と戦うペルシャの為に開発した魔術機で、よもや魚を焼かれるとは。

 燃える剣で魚を焼く男は、もしかしたら飛ぶ斬撃で野菜を斬ったりもしているのではと不吉な予感がよぎったが、エリックはあえてそれ以上は聞かないようにした。


「宝石の輝きも鈍くなってきている。たまには磨けと言っているだろう」

「俺は忙しいんだよー」


 言葉とは正反対に暇を持て余したようなペルシャは、胸にかけた大きな十字架に嵌まるいくつかの宝石を弄んでいる。


「それよりさあ、なんか面白いことねーの? 変わったこととか」

「無いな」


 エリックは即答。

 直後、ふと、思い出したように手を止めて、


「いや、待てよ。変わったことならあった。今朝、水汲み人形が知らない女を拾ってきた」


 それだけ言うと、悪くなった部品を入れ替え終わった剣を再び組み立てはじめた。


「ふうん、それで? どうしたんだ?」

「どうもしていない。生きていたから放置した。そのうち目が覚めたら勝手に出て行くだろう」

「目が覚めない可能性は? 下級夢魔に憑かれてるとか」


 最後の部品をはめ終わり、エリックは顔をあげた。

 数秒の沈黙。

 直後、鳩が豆鉄砲をくらったように、


「や、その可能性は、まるで考えていなかった」


 それを聞いて、ペルシャはニヤァ、と両の口角をこれでもかというくらい歪ませて立ち上がった。


「まったくお前は、素晴らしいトンチンカン野郎だな! 見に行こう。もしかしたら沈んで死んでるかも」

「冗談はよせ、胸糞悪い。生命維持の魔法は無意識でも発動する。魔力が尽きない限り、体は自らによって浮かされ続けるはずだ。死んでるとしたら夢魔に喰い尽くされたという方が可能性が高いが……そんな面倒はごめんだ!」


 相棒が困る姿を見るのが何よりも楽しいペルシャは、その気持を隠すことなく全身で表現し、スキップで先を行く。例え自分も巻き込まれることになろうとも、エリックが困惑する姿を見る為ならば積極的に厄介事に介入していくのが彼の日常スタイル

 そんなペルシャのあとを、エリックも慌てて追いかける。「頼む、生きててくれよー」と祈りを発しながら。



 ペルシャは立て付けの悪い裏口ドアを外す勢いで蹴飛ばして開け、胸を踊らせ貯水槽を覗き込んだ。


 しかしてそこには、白磁のような顔色をした少女が未だ目覚めぬまま浮かんでいた。

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