十二話 ラストバトル
ゾクリと。足先から頭のてっぺんまで、全身を駆け巡る悪寒。突然光を奪われ、暗闇に目が慣れないなかで、感覚だけで何かが現れたのを察する。
「いつからそんなに恥ずかしがり屋になったんだ? 姿を見せやがれ!」
ペルシャは剣を鞘から引きぬきざま、上空に向けて光の弾を飛ばす。弾は小さな太陽となって、周囲一帯を明るく照らし出す。
その光の真下。焚き火の跡に、黒い塊があった。西瓜ほどの大きさの丸い塊はもぞもぞと微動している。
「ベイビー、じれったいぜ」
蠢く塊に向けて斬撃を飛ばす。斬撃が届く刹那、塊は大きく縦に伸び、津波のようにペルシャへと襲いかかった。斬撃ごと彼を飲み込もうと。
「踊ろうか。死のダンスを! ワン・ツー・ステップ!」
襲い来る塊を一足飛びで避けて、肉体強化の魔法を最大出力でかける。全身の筋肉が悲鳴をあげるギリギリまで。体の保つ限界近く。
黒い塊はそこでまた形を変え、大きな人型となる。
「よっしゃ、来い!」
人差し指を曲げて相手を挑発し、やる気満々で迎え撃とうとしているペルシャを無視して、巨人は近くで震えるクリスへと向き直った。
「いただきまぁす」
何度も聞いた食事の挨拶。トラウマで足がすくみ、一歩も動けない。また、同じように死んでしまうのか。クリスはぎゅっと目を瞑る。
しかし、待てども、衝撃は来なかった。丸太のような杭の腕で腹をえぐられる熱い感覚。それが、無い。
恐る恐る薄目をあけると、立っている場所の四方が土の壁で覆われていた。この障壁が巨人の攻撃を防いだのか、とクリスはその場にへたり込む。
「俺を無視すんな!」
「どうして我が食事を邪魔する?」
地面に剣を突き刺し、クリスの周囲に壁を打ち立てたペルシャに向かって、巨人は苛立ちを露わに語りかけた。
「どうしてもこうしても無い。お前のことが気に食わないからだ。五年前のこと、忘れたとは言わせねーぞ」
「なんのことだ?」
巨人の真っ黒な顔に貼り付いた黄色い双眸が、苛立ちより強い、疑問という感情によって歪む。
「お前、五年前にもこの街に出ただろ? 街外れの教会で、二人の人間を殺しただろ」
「覚えていない。人間はたまにつまみ食いするが……我のメインディッシュはそこな魔力。数十年に一度開花する悠久の花。それ以外記憶に留めることはない」
「何だとっ!!」
大切な人を殺され、日常を破壊され、苦労を強いられて。憎い憎いと思い続けてきた相手が、まるでケロッとこちらの存在を忘れている。
忘れているどころか、最初から気にも止めていない。
その事実は、ペルシャの神経をおぞましいほどに逆撫でした。止めることのできない怒りと憎しみが実体を伴う魔力となって、体中から溢れだす。
「ウオオアアーッ!」
白く長い髪を逆立たせ、ペルシャは吠えた。発する魔力で見る者の目が霞むほどに激しく。
長い雄叫びが終わったあと、巨人とペルシャの間に、一体の生きた魔力が出現していた。
「魔獣だ……」
エリックは、クリスを守る障壁の影から呟いた。
「あいつ、いつの間にあんなものを使えるようになっていたんだ……」
二本の角をいきりたたせるその魔獣は、鬼だった。最高位の祓魔師にしか扱えないと言われる、魔獣。術者の意志と連動して動く、実体を持つ魔力の集合体。
「お前は! 絶対に! 殺す! 今、ここで!」
宣言して、ペルシャは巨人に向かって疾駆する。魔獣も迂回して巨人の背後へ回り込む。
「でえい!」
透明な宝石の力で硬化した剣で巨人の腕を薙ぎ払う。背後では魔獣の鋭い爪が巨人の背中に食いこんだ。
払われた腕は吹き飛んで、空中で霧散する。
新しい腕が生える前に、もう一本の腕も。首も。胴も。足も。やみくもに剣を振り回し、手当たり次第に斬りかかる。
巨人の体躯は切られるたびに千切れて霧散する。しかし――
「気はすんだか?」
頭上からすました声が聞こえ、ペルシャは顔を上げた。切り離したはずの頭部が再生している。仕掛けた攻撃がまるで効いていない。
「くそっ! これならどうだ!」
物理がダメなら、とペルシャは赤い宝石を握る。剣に付け替え、切っ先から業火を吹き出す。火炎は巨人の全身を包み、魔獣の口から吹きつけられる魔力によってさらに勢いをまして燃え上がる。
「いけ、ペルシャ! 頑張れ!」
戦闘に関して何もできないエリックは、影からひっそりと応援していた。この時の為に魔法の威力を上げる魔術箱を作り出したのだ。二人の努力の集大成で、勝ちを掴みたい。
「もういいか?」
「まだだ! それじゃあ、これなら……」
ペルシャは斬撃を飛ばす。巨人の腕が吹き飛ぶ。すぐに再生する。何度やっても、同じ結果。
巨人は楽しんでいる。食事の前の運動を。より美味しい状態で料理をいただこうと。あまりにも余裕である。
一方のペルシャは、滴る汗の量がどんどん増えていた。身体強化の術をかけ続け、魔獣に魔力を供給し、敵に向けての攻撃にも一撃一撃全てに魔力を乗せている。
いくら祓魔師のサラブレッドと言えど、魔力の回転が追いつかないのではないか? エリックが心配し始めたとき、脳内に直接声が響いた。
『エリック、聞こえるか? 魔術箱を組み立てろ』
「どういうことだ? ここは現だ。書き換えは出来んぞ」
『んなこたー分かってる。こいつ、どんなに攻撃してもすぐに再生しやがる。残りッカスも出ないように、完璧に吹き飛ばすしかない。俺が合図したら魔術箱の出力先をあいつに向けろ。全魔力をぶちかましてやる!』
「お前、相当つらそうに見えるぞ? そんなこと出来るのか? 魔力がもう体内に残ってないのでは?」
『馬鹿野郎、俺をなめんな! 魔獣への供給がちょっと重いけど、まだまだ余裕だ。隙を見てそっちへ行く。すぐに使えるようにしとけ! 一瞬でも遅れたら、お前も死ぬぞ』
反響で会話しながら、ペルシャは器用に戦っている。余裕だと言うのなら、その通りなのだろう。
「分かった」
エリックが返事をすると、繋がりが途絶えた。彼はすぐさま魔術箱の組み立てに入る。魔力を増幅させるための宝石はすべて一点の曇りなく磨かれている。自ら光を放つようなきらめきをもったそれらを、七つの穴にはめ込んでいく。その途中、あるアレンジを思いついた。
いつもは地面に差し込む細い管を引き抜き、接続部の穴を工具を使い広げる。テントの支柱にしていたポールをもって来て、円筒形のそれを切り開き、末広がりのメガホン形に加工した。
魔力をより広い範囲に放出できるように。【新型魔術箱】の完成だ。
「そろそろ飽きてきた。腹も充分に減った。終わりにしよう」
ペルシャの猛攻をじっと受け続けてきた巨人が、ついに反撃の手を上げる。
いつもクリスを貫くときのように、腕の先を尖らせ、ペルシャを脳天から串刺しにしようと素早く突く。
「あぶねー!」
足先ほんの数センチの地面が抉られ、ペルシャは肝を冷やした。
眼力強化魔法によって増幅された動体視力と、身体強化魔法による瞬発力の強化がなければ、今頃天国の門を叩いていただろう。いや、地獄の門だろうか?
どっちでもいいか。と、脳裏によぎったくだらない考えを振り払う。
もう充分に時間は稼いだ。魔術箱の準備もできた頃だ。
「俺だって飽きたよ! 早く決着つけようぜ! でくのぼう!」
「あれだけの時間待ってやったのに、傷一つつけられなかった者が何を言う」
ペルシャは横飛びで移動しながら、時々地面に剣を突き立て、襲い来る巨人の足元に小さな段差を作る。さすがに転ばせられるとは思わないが、移動の邪魔になってストレスを与えられれば良い。
さらに土の塊を飛ばし、めくらましをかける。魔獣も足元にまとわりついて、巨人の歩みを阻害する。
「鬼さんこーちら! や、鬼は俺の魔獣か」
「チョロチョロと小賢しいネズミめ」
飛び跳ねながら挑発するペルシャを追う巨人。その腕先は杭形から変形し、大きな手のひらの形になった。邪魔者をにぎりつぶそうと振りかぶって打ち下ろす。ペルシャはうまく指の間をすり抜けて、剣で指を切り落とす。ペルシャの胴ほどの太さのそれは、落ちてすぐに、やはり霧散する。
「無駄だと分からないのか」
指を再生させて、巨人はもう一度手のひらを地面に叩きつけた。そのとき。
「窮鼠猫を噛むって言葉を、教えてやるよ!」
最大まで魔力を込めた剣が、巨人の手のこうに突き刺さる。貫通した剣は魔力の鎖を地中へと張り巡らせ、巨人をその場に縫い付ける。
「なんの真似だ」
「なんの真似でもねー。俺の、俺たちのオリジナルだ!」
言って、ペルシャは振り返る。そこでは、魔術箱の準備を終えたエリックが、メガホンを巨人に向けて頷いている。
飛び退ったペルシャから先程までとは違う気迫を感じ取った巨人は、本能で危険を察知する。自ら手を切り離して逃げようとして、魔獣に噛みつかれ、一瞬動きを止めた。
その一瞬が、命取りだった。
巨人が魔獣に気を取られたその隙に、ペルシャはエリックの持つ魔術箱の元へ。
「今だ、エリック! スイッチを入れろ!」
「ああ!」
魔術箱に手をあてると、雷に打たれたような衝撃がペルシャの体中を走り抜ける。いつもより強い力で魔力が吸い取られていく。
「もっと、もっとだ! 持ってけ、俺の魔力!」
吸われた魔力は魔術箱の中で撹拌され、七つの宝石によって増幅される。その倍率は二倍、三倍…十倍……いや、百倍以上!
魔術箱のなかで膨れ上がった魔力は箱の形を歪めるほどになり、鉛色の外装に亀裂が走る。
「撃てー!」
ペルシャの号令で、エリックは放出口のストッパーを外した。
押し込まれていた魔力の塊が堰を切って放たれる。七色の魔力は虹の波動となり、砲撃さながらの勢いで巨人に向かって流れていく。反動で尻餅をついたエリックを、後ろから支えるペルシャすらも、地面に足を埋めて踏ん張らないと吹き飛ばされてしまいそうになる。
「おのれそんなもの、全て喰らい尽くしてくれる」
縫い付けられた手を切り離し、巨人は真っ向から虹の魔力に挑むが……
「なんだこの魔力は! 喰いきれな」
最後の言葉を満足に言い切る前に、魔力砲にのまれて消えた。塵も残らず。
数百年の因縁と、五年の復讐劇に、ついに終止符が打たれた。




