一話 水汲み機巧人形、拾い物をする
鉄格子が嵌まる明かり取りの窓と、硬いけれども清潔なシーツの敷かれたベッド。閉まりきらない蛇口から水滴がしたたり、どこからか侵入したネズミが這いまわる。
そんな、牢獄のような部屋のなか。
空気を切り裂く音をたてて、素早く剣が振り下ろされる。銀色の軌跡は一筋の流れ星のよう。
放たれた風圧は質量をもった飛ぶ斬撃となって壁に当たり、風船が割れるに近い音を立てて弾けた。
「魔力の乗りがイマイチ」
剣を持つ青年は抑揚なく呟いて、手を止めた。針のような剣を腰の鞘に静かに収める。
かなり激しく動いたはずだが、呼吸は一つも乱れていない。
彼は鏡の前に移動すると、懐から黒い眼帯を取り出し、右目に巻いた。そこに輝く金の瞳を隠すように。残る左目は赤く透き通って、無表情に自身を見つめ返す。
鍛錬によって少し皺になったカソックの襟を正したあと、青年は口笛を鳴らしながら部屋を出た。
向う先は街の外れに広がる小さな森。その奥の少し開けた場所に、陰鬱な雰囲気を醸し出す大きな屋敷がある。
そこに住む頑固で不器用な人物のことを思い出すと、青年の表情は少し柔らかくなった。
今日はどうやって【相棒】をからかってやろうか、と考えるのが彼の楽しみなのだ。
*
青年が鍛錬をしているのと時を同じくして。
明るい日差しが木々の隙間から差し込む森の奥。鳥のなく声と柔らかい風が草葉を揺らす音だけが時折こだましている。そこに、半袖でも少し汗ばむくらいの暖かい気温に包まれてなお、一滴の水分も発さず懸命に進む影が一つあった。
カタカタカタカタカタと。
凹凸のある地面に車輪を這わせ、小さく跳ねる体内から歯車の音を響かせている。
薄く輝く鉄で出来た円柱形の丸いボディ。上部の角を曲げてつくられた頭の中心には申し訳程度に掘られた素朴な目と口。足の代わりに車輪をつけて、腕は肩の位置からスラリと伸びる。
機巧人形だ。
自分の背丈より大きい棺桶のような容器を、胸元で大事そうに抱えている。目指す先は湖。出発点からほぼ一直線に数百メートル。この人形は毎朝、この道のりを往復する為に作られた。
目的地にたどり着く少し手前、あと数メートルというところで、人形は何かに任務を阻まれた。車輪の歩みを止めるには充分な高さで進路を妨害する何かに軽くぶつかって、しかし人形の空っぽな頭に【避けて進む】という知恵は無く。
出発点から湖に到達する距離を計算して決められた回転数に達するまで、その場で車輪が空回りする。
車輪の回転が終わると、人形は容器を地に這わせる。
本来なら湖の水をすくうはずのそれは、今日は土木作業さながら、土と一緒にその場に横たわるものをすくいあげた。
そうして人形は容器を抱え直すと、体の向きを半回転させ来た道を戻りはじめた。
*
ドプン! という、大岩が崖から海に飛び込んだような派手な音がして、エリックは目を覚ました。
「何の音だ?」
乱暴に時計を確認する。眠る前に見たときと比べて短針の位置にほとんど変化は無い。まだ早朝と呼ぶにふさわしい時間帯だ。明け方まで人形達の整備に費やしやっとベッドへ潜り込んだというのに、一時間もたたないうちに起こされるとは。
この時間に働いているのは水汲み人形と掃除人形が数体。音のした方向を考えるとおそらく水汲み人形が原因だろう。
「容器ごと貯水槽に落としたか?」
放っておくわけにもいかず、腹立たし気に起き上がる。ざんばらに伸びたオレンジ色の髪を後ろで縛り、人形の帰還先である屋敷の裏口へ急ぐ。
背が高く恰幅が良い彼が眉間に皺を寄せると、背を丸めたとしても打ち消しきれない威圧感が醸しだされる。
ついでに、やや古めかしく偏屈そうな口調が近寄りがたさに拍車をかけている。
「くっ、広いばっかりで古臭いボロ屋敷め」
たてつけがあまりよろしくない裏口のドアをガタガタと揺らして、エリックは悪態をついた。
森の中にひっそりと佇むこの屋敷は貴族の屋敷の様相で、彼が一人で住まうには充分すぎる広さを持っている。
しかし外壁には蔦が絡みところどころヒビの入ったその外観は、良く言えばゴシック調でミステリアス、悪く言えば幽霊の出そうなボロ屋敷だった。
ドアというよりはもはや板と言ったほうが似合う裏口をひっぺがす勢いで開ける。屋敷は貴族然としていても、そこに住まうエリックの育ちは百点満点とはいかないようだ。
表へ出て音がしたと思われる場所へ。
生活用水を貯めておく為の、バスタブ数個分はある大きな貯水槽の前で人形は活動を停止していた。
エリックよりもよほど行儀よく、湖へ向かう道を正面に据えて立っている。毎日水を汲み、それを貯水槽へうつしてから、翌日の為にボディを回転させて待機するように作られたからだ。
エリックの読みは外れ、人形の手にはきちんと容器が抱えられていた。
「おかしいな。それじゃあ何の音だったんだ?」
不審に思い、貯水槽を覗き込む。
「うわっ、なんてものを拾ってきたんだ!」
驚愕に見開いた彼の目に飛び込んだのは、金の髪で水面に模様を描き、静かに水面に浮かぶ少女の姿だった。